宇宙船「ファルコンヘビー」打ち上げ成功でも「EV量産」に苦しむ「イーロン・マスク」--大西康之

「生産地獄へようこそ」

何度見ても感動する動画である。

2月6日、NASA(米航空宇宙局)のケネディー宇宙基地から打ち上げられたロケット開発会社「スペースX」の宇宙船「ファルコンヘビー」。本体を軌道に乗せた後、2基のサイドブースターは発射場付近の着陸場に舞い戻り、伸展式着陸脚を広げて逆噴射しながら2基同時にピタリと着陸を決めた。この様子はユーチューブで中継され、世界で230万人が視聴した。

まるで子供の頃に見た映画『サンダーバード』の世界だ。センターコアと呼ばれる中央のロケットは洋上に浮かぶドローンシップの上に着陸する計画だったがその前に燃料を使い果たしてしまい、回収できなかった。

しかしこの打ち上げが、人類史上に残る快挙であることに変わりはない。なにせ成し遂げたスペースXは、2002年に設立されたベンチャー企業なのだ。電気自動車(EV)ベンチャー「テスラ」の創業者であるイーロン・マスク(46)が、米国を中心に世界各国から宇宙航空の頭脳5000人をかき集め、国家の専売特許とされてきたロケット打ち上げを、ベンチャー・ビジネスとして可能にしてしまった。

「アップル」「グーグル」「アマゾン・ドットコム」などのネット企業は世界に10億人近い利用者を抱え、それぞれの株式時価総額は、先進国並みの国家予算に匹敵する70兆円を上回る。情報やマネーの分野で企業はすでに国家を超えているが、国家の金城湯池であった宇宙開発でもついに、国家を超えるベンチャーが生まれたのだ。

コストは「100分の1」

2017年にスペースXは「ファルコン9」の打ち上げ18回をすべて成功させ、計画したロケットの回収にも成功した。打ち上げ1回当たり2480万ドル(約26億円)の利益が出るとの試算もあり、18回なら460億円を超える利益を稼ぎ出したことになる。

スペースXはこれまでに10億ドル(1050億円)強の開発費を使ったとされており、今後もそれを上回るペースでの投資が予想されるが、ペイロード(宇宙に運べる荷物の重量)が大きいファルコンヘビーの商業利用が始まれば、5年以内に先行投資を回収し、スペースXは収益力のある優良企業になる可能性が見えてきた。

スペースXを立ち上げたマスクが「人類を火星に送る」と言った時には、流石に世間も鼻白んだ。あまりに荒唐無稽で、現実味に乏しかったからだ。マスクがベンチャーでもロケットを飛ばせると主張した根拠は、コスト競争力にあった。 

マリーンエンジンという独自開発したシンプルな構造のロケットを搭載したスペースXの宇宙船の開発費用は、「ロッキード・マーチン」や「ボーイング」といった巨大企業が作るロケットの10分の1。しかもスペースXのロケットは人工衛星などを宇宙に送り出した後、地上に戻ってくるので再利用が可能。10回使えば、1回当たりの打ち上げコストは従来の100分の1になる。それがマスクの「計算」である。

もちろん、現実はそれほど甘くなく、2006年、2007年、2008年の打ち上げは立て続けに3回とも失敗。「次がダメなら資金が尽きる」(マスク)という土壇場の4回目で打ち上げに成功し、それを見たNASAから総額1600億円の打ち上げ事業を受託する。倒産寸前のスペースXはギリギリのところで命脈を保った。

「ロードスター」と「スターマン」

失敗はベンチャーにとって最高の「投資」だ。3度の失敗から学んだスペースXが開発した「ファルコン9」の打ち上げ成功率は、スペースXに対抗すべくボーイングとロッキード・マーチンが2006年に発足させたロケット打ち上げ合弁会社「ユナイテッド・ローンチ・アライアンス」を上回り、商用打ち上げサービスとして盤石の地位を獲得しつつある。ちなみに「ファルコン」は映画『スター・ウォーズ』シリーズでハリソン・フォード扮するハン・ソロが駆る「ミレニアム・ファルコン」に由来している。

「ファルコン9」は1度打ち上げて回収したロケットを再び打ち上げ、再度回収することにも成功している。顧客は「インマルサット」「イリジウム」「エコスター」といった各国の通信衛星や米国の軍事衛星「NROL-76」で、2016年8月には日本の「スカパーJSAT」が所有する「JCSAT-16」の打ち上げにも成功している。

今回、打ち上げに成功した「ファルコンヘビー」は「ファルコン9」の3倍に当たる27基のエンジンを持ち、地球低軌道に6万3800キログラムの荷物を運ぶことができる。現役ロケット最強のパワーを持ち、火星まで人間を運ぶ能力を持つのだ。 

マスクは近い将来、この「ファルコンヘビー」に「ドラゴン宇宙船」を搭載し、「火星への有人飛行を実現する」と語っている。今回の打ち上げはそのためのテストであり、宇宙船の代わりにマスクの愛車であるテスラのEV「ロードスター」が積み込まれ、運転席にはスペースXが有人飛行に備えて開発した宇宙服を着た「スターマン」が座った。

打ち上げに成功した「ファルコンヘビー」はマスクのロードスターを、火星軌道を超える太陽周回軌道に乗せた。運転席ではマスクが好きなデビッド・ボウイの『Life on Mars?』が繰り返し再生されている。

月500台のレベル

ところが宇宙開発でボーイングやロッキード・マーチンを脅かすイーロン・マスクが、EVでは大苦戦している。昨年発売した普及車種「モデル3」の量産が軌道に乗らず、昨年4月には一時6兆円超で「ゼネラル・モーターズ(GM)」を抜いた株式時価総額も、現在は5兆7000億円でGMに抜き返されている。

モデル3はベーシック・タイプが3万5000ドル(約372万円)で、従来のテスラ車の半額に近い。これまで高嶺の花だったEVがガソリン車並みの価格で手に入るとあって、発売前から1000ドル(日本では15万円)の手付金を支払っての予約が40万件も殺到した。

テスラは当初、2017年末までには量産を軌道に乗せて「週5000台を組み立てる」としていたが、その見通しが2018年3月に先送りされ、さらに6月に延びた。2017年10~12月期のモデル3の納車台数は1500台。週5000台どころか月500台のレベルに留まっている。

地球温暖化に歯止めをかけるため「地球上のすべての自動車をEVにする」との野望を掲げるイーロン・マスクは、EVの価格を引き下げるため、工場の徹底的な自動化に踏み切った。しかしEVの心臓部である電池の組み立て工程で自動化がうまくいかず、モデル3量産のボトルネックになってしまった。

筆者が昨秋、米カリフォルニア州フリーモントにあるテスラの工場を訪れたときも、マスクはパナソニックと共同出資する電池工場「ギガ・ファクトリー」(ネバダ州)にかかりきりで、問題解決に躍起になっていた。2017年10~12月期のテスラの最終損益は6億7535万ドル(約740億円)の赤字である。

「(ファルコンヘビーは)私のロードスターを周回軌道に乗せることに成功したのだから、モデル3の生産が軌道に乗るのも時間の問題だ」

マスクはテスラの株主が抱える不安に対し、悠然とジョークで答えたが、テスラの四半期のキャッシュバーン(現金燃焼)は10億ドル(1050億円)を超えるペースであり、「いくらイーロン・マスクの資金調達力がすごくても、このペースではそのうち資金が枯渇する」と懸念する声もある。

「生産地獄へようこそ」

火星を目指すロケットとEV。部品点数や、宇宙空間と地上という使われる環境の違いを考えれば、ロケットの生産の方がはるかに難しく思える。だが、テスラの悪戦苦闘ぶりを見ると一概にそうとは言えないのかもしれない。

かつて「スペースシャトル」にチタン材料を提供していた日本の素材メーカーのトップがこう言っていた。

「実は宇宙船向けより、ゴルフクラブ向けチタンの方が、作るのは難しい。宇宙船向けは十分なコストがかけられるので安全のためのマージンをしっかり取れる。しかしゴルフクラブ向けのチタンは価格との折り合いを考えながら、どんな使い方をしても事故が起きないスペックにしなくてはならない」

特注の部品を組み合わせ、完成品を1基作ればいいロケットに対し、量産の自動車は世界中から最適の部品を集めて均一な品質の製品を週に何千台も作らなくてはならない。サプライチェーンの管理はロケットよりはるかに複雑だ。

こうした「量産」の難しさはマスクにも分かっていたはずだ。モデル3を発売したときのイベントで、マスクは興奮気味のテスラ従業員に向かってこう言っている。

「生産地獄へようこそ」

とは言え、モデル3の量産でここまで苦しむとは思わなかっただろう。週5000台生産を達成するのが先か、資金が尽きるのが先か。開発費5億ドルの巨大ロケットを悠然と宇宙に飛ばす男が、3万5000ドルのEV量産に苦しむ――。

だがその苦境をすら楽しんでいるように見えるのが、マスクという稀代の起業家の凄みなのかもしれない。

大西康之 経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生」(日本経済新聞)、「会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから」(日経BP)、「ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア 佐々木正」(新潮社)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」 (講談社現代新書)、「東芝 原子力敗戦」(文藝春秋)がある。
(2018年2月22日
より転載)
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