福島「老舗魚店」に降りかかる「トリチウム水」海洋放出の難題(下)--寺島英弥

地元の人々が恐れるのは、「風評払拭が振り出しに戻った」と報じられた5年前の夏の悪夢だ。

筆者が福島県いわき市四倉町にある創業70年近い老舗「大川魚店」3代目の大川勝さん(44)のもとを訪ねた今年9月8日の前後、震災前から地魚を出品する横浜タカシマ屋の「大東北展」があった。大川さん自身も現地でお客の応対をし、初日に『テレビ東京』の情報番組が自慢の「うにみそ」などを紹介してくれた。

「そんな応援ももらい、売上はよかったよ。原発事故の後の数年は『被災地になって、かわいそう、がんばって』という雰囲気もあったし、あからさまに福島の魚を嫌がり拒否する人もいた。が、今は『安全なのか?』よりも『これ、おいしいですか?』と聞いてくれる。検査データを添えなくても、普通の店として受け入れてもらえる。7年掛かって、ようやくここまで来た感がある。これから地元にも力を入れなくては」

震災前の約8倍に増えたヒラメ

浜通りの魚への需要は全国で高まっている。例えば「春告げ魚」といわれるコウナゴ(小女子)だ。3月に相馬、いわきの沿岸で獲られる小魚で、釜揚げ、つくだ煮にされる。伊勢湾、瀬戸内など他産地で不漁が続き、全国で品薄となっている。

筆者は昨年3月、相馬双葉漁協の試験操業のコウナゴ漁初日を取材したが、水揚げ風景は盛況だった。漁協が「競り入札」を復活させ、その日の水揚げ7トンが競りにかけられた。震災後の初競りとなって仲買業者3社が参加し、1キロ当たり920~3000円と、前年の相対取引よりも高値で取引された。

相対取引とは、通常の市場の競りでなく、買い付け業者との交渉で値を決めるやり方。「福島の魚は築地で別扱い。相手の言い値で他より何割も安く買われた。屈辱だった」という漁師の嘆きを聞いていた。競り入札復活は地元の悲願だった。

「浜通りの魚にはチャンスかもしれない」と大川さんは言う。「日本近海で魚の漁獲が年々減っている。東北の三陸でもサンマ、サケ、イカの不漁が続く。福島の海では漁自粛や慎重な試験操業のため、逆に震災前より魚が何倍にも増え、大きくなっていると聞く」

(県が調査した昨年1年間の沿岸の平均資源量は、震災前5年間の平均と比べヒラメが約8倍、ナメタガレイが約7倍と大幅に増えた、と『NHK』も9月24日に報じた)

大川さんは自らも海に出て実感をつかむ。「いわき海洋調べ隊 うみラボ」という地元の市民有志の団体がある。政府や東電の発表に頼らず、2013年末から専門家(水族館『アクアマリンふくしま』など)との協働で海の回復や資源の実態を調査し、ありのままに判断できる情報を提供している。関心ある参加者を募り、東京電力福島第1原子力発電所の沖まで船を出し魚釣りをする、という調査でありスタディツアーだ。

大川さんも共鳴し参加してきた。根拠のない風評に揺らがず、釣った魚を通して、売る人も買う人も事実を共有できる。「放射能うんぬんも大事ですが、釣りがすごいです。資源が回復している福島県沖は、魚が豊富。爆釣りできます」と、昨年も4月初めに乗った船の上から調査の模様をブログで紹介した。

安全の認証「MEL」を取得

明るいニュースも流れた。もともと浜通りの魚はヒラメを代表に「常磐もの」の名で品質の良さが知られ、高値で取引された。その復活の一歩として県漁業協同組合連合会が今年2月、ヒラメなど7魚種で「マリン・エコラベル・ジャパン」(MEL)の認証を取得した。海の幸を将来の世代にわたって利用できる資源保護、持続可能な漁業の取り組みを認証する民間の制度だ。

原発事故後、ヒラメが試験操業で捕られたのは2年前からだが、限られた漁獲が資源の回復と漁体の生育を助けた。築地市場の取扱量も震災前の水準に戻ったという。水産業界が推奨するMELは、地元が胸を張れる「安全」の認証でもあり、不毛な苦闘を強いられた風評の払拭へ後押しになる。大川さんも試験操業の新たな意味と希望をブログにこう綴った。

<しっかり差別化された魚に付加価値をつけて、相場、価格を上げる(魚屋としてはこまりますが......)ことに注力してほしいです。現在、日本の水産資源は減少の一途です。マグロ・うなぎ・鮭・スルメイカ・カニなどなど......。多少問題はありますが、福島の海は原発事故以降、豊かになっており、水産資源を、継続的に維持できるしくみは必ず必要です。この7年の、試練や模索はきっと、将来の日本水産業の資源管理のDATAとして生きていくはずです>

しかし、福島の水産業に携わる人々の努力と成果を振り出しに戻しかねない難題が持ち上がっていた。

「短期間・低コスト」という国の言い分

福島第1原発の敷地内にたまり続けている放射性物質トリチウム(三重水素)を含む汚染水の処分法を巡り、初の公聴会が今年8月30日、福島県富岡町であった。政府の小委員会が国民の意見を聞く形式で、原子力規制委員会が「唯一の方法」とする海洋放出案に、登壇者の大半が反対した。

公聴会が開かれた町文化交流センターでは、傍聴者は約100人に上った。公募で参加した県内外の14人のうち、13人が反対や慎重な意見だった。

「福島県漁連の野崎哲会長(64)は『国民的な議論を経ていない現状では強く反対する』と断言。『試験操業で地道に積み上げてきた安心感をないがしろにし、県漁業に致命的な打撃を与える。まさに"築城10年、落城1日"だ』と訴えた」と翌8月31日の河北新報は伝えた。

トリチウム(三重水素)は放射性物質で、溶け込んだ水から分離しにくく、福島第1原発の汚染水処理で稼働する多核種除去設備(ALPS)でも除去できない。東電は当初、浄化水としていたが、実際には半減期12年のトリチウム廃水約92万トンが保管タンクにためられている。

2013年9月、日本原子力学会の福島第1原発事故に関する調査委員会が「自然の濃度まで薄めて放出」する処分案を提起し、政府の原子力規制委員会、経済産業省の幹部らが「放出やむなし」との見解を相次ぎ表明。2016年4月には政府の汚染水処理対策委員会が(1)深い地層に注入(2)海洋放出(3)蒸発(4)水素に変化させ大気放出(5)固化またはゲル化し地下に埋設、との方法を検討し、「海洋放出が最も短期間、低コスト」と試算した。

福島の漁業者らは「新たな風評を生む」と反対し、その実情を2016年10月24日の拙稿「トリチウム水『海洋放出』を危惧する福島の漁業者」で報告した。

大川さんは今年初め、市内の市民団体がトリチウムの問題を巡って催した集会に出掛け、出席した経産省の担当者に見解を聞いた。すると、世界中の原発で普通に発生し、安全な濃度に希釈して海に放出されている日常があり、海洋放出案は科学的に問題ないという説明をしたという。

仮に科学的にそうだとしても、大川さんは反対の考えだ。「そうした認識、理解が福島県の内外に広まっているなら状況は違うが、いまだその前提なしに『海に放流したい』と求められても、受け入れられないのではないか。新たな風評は必ず生まれるだろう。公聴会を何人か知人が聴きに行き、やはり同様な意見だった。『短期間、低コスト』という国の事情を先にPRしたり、漁業者だけに同意を求めたりするのも、違うのではないか」

地元が恐れる悪夢の再来

大川さんのみならず、筆者が浜通り各地の漁業者や住民から疑問の声を聞いたのが、原子力規制委員会トップの行動だった。

更田豊志委員長が昨年末から今年1月にかけて、いわき市や双葉、大熊両町、飯舘村など浜通りの被災地の首長を訪ね、トリチウム水を「希釈して海に流す以外に選択肢がない」「批判は承知だが、技術的にまっとうで唯一の選択肢」「意思決定の時期が来ている」「いたずらに先送りは許されるとは思っていない」(いずれも当時の『河北新報』より)など持論を訴え、訪問を終えると「海洋放出することに対し、大きな反対は出なかった」(同)と締めくくった。

海洋放出を受け入れさせるための世論づくりだったのかもしれない。だが、国民の判断の物差しとなるべき同委員会の「専門的知見に基づき中立公正な立場で独立して職権を行使する(中略)もって国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全(中略)に資する」(同設置法)との本来の役目に照らしてどうだったのか。

8月の公聴会に先立ち、保管されたトリチウム水に、東電からそれまで説明のなかった別の放射性物質、ヨウ素129も基準値超えのレベルで含まれていたことが明らかになり、メディアに報じられた。

その後、富岡町のほか、郡山市、東京都内の3カ所で開かれた公聴会では、風評や安全、東電への信頼を巡る懸念から「タンクに長期保管する」選択肢も加えるべきだ、という意見が多数出され、主催した政府の小委員会委員長も検討を約束せざるを得なくなった。

大川さんは語る。「かりに92万トンもの汚染水を薄めて放流するとしたら、4~7年くらい掛かる想定だという。一度海に流され始めたら、終わるまでずっと、トリチウム汚染水の問題は全国、海外でも論じられ続けるだろう」

地元の人々が恐れるのは、「風評払拭が振り出しに戻った」と報じられた5年前の夏の悪夢だ。「国が『福島の復興』を政策に掲げるなら、『短期間、低コスト』でなく、その足を引っ張らない一番の方法を考え、選ぶべきではないか」と、大川さんは語った。

寺島英弥 ジャーナリスト。1957年福島県生れ。早稲田大学法学部卒。河北新報元編集委員。河北新報で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)、「時よ語れ 東北の20世紀」などの連載に携わり、2011年から東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として2002-03年、米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)。3.11以降、被災地における「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。

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(2018年10月5日
より転載)

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