「人手不足」と外国人(7)「曽野発言」への違和感:日本は「夢の国」ではない

「移民」や「外国人労働者」といったテーマは、なかなか身近な問題とは考えにくい。とはいえ、欧米諸国を見ても、やがては国論を二分する問題になることは間違いない。

曽野綾子氏の産經新聞コラム「労働力不足と移民」(2015年2月11日)が論議を呼んでいる。アパルトヘイト(人種隔離)を擁護する表現があったとして、南アフリカ政府も大使館を通じて抗議した。

私はフォーサイト誌で「2010年の開国 外国人労働者の現実と未来」の連載を始めた2007年以来、外国人が働く現場を回り続けてきた。「移民」や「外国人労働者」といったテーマは、なかなか身近な問題とは考えにくい。とはいえ、欧米諸国を見ても、やがては国論を二分する問題になることは間違いない。そんな思いから、本サイトでも引き続き同じテーマを追っている。

曽野氏にはまず、議論のきっかけをつくってくれたことに感謝したい。アパルトヘイトの擁護問題に関しては、彼女の意見がどうであれ、人種隔離政策が日本で実現するはずもない。それよりも私が気になったのは、外国人労働者に対する曽野氏の根本的な「勘違い」だ。

コラムを読む限り、曽野氏は「国を開けば、いくらでも外国人は日本にやってくる」との前提で話を進めている。その前提は曽野氏に限らず、移民の受け入れ賛成派、反対派ともに共通する。だが、それは大きな思い違いだ。この連載でも繰り返し述べてきたように、アジア諸国の若者にとって日本は、もはや「夢の国」ではないのである。

「介護」は外国人にもきつい

曽野氏は介護分野で外国人労働者を受け入れる必要性を強調し、こう述べている。

〈特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。(中略)

「おばあちゃん、これ食べるか?」

という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。〉

曽野氏が「介護移民」について、「移民」として日本の永住権まで与えるべきだと考えているのか、もしくは単なる「出稼ぎ」と捉えているのかは、コラムを読む限りではよくわからない。

〈移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。〉

と、「移民」という言葉を使う一方で、続けて

〈条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。〉

とも言う。様々な制約を課すべきだとの主張からして、恐らく曽野氏は外国人労働者に永住権まで与えるべきだとは考えていないであろう。

すでに日本は、2008年から外国人介護士を受け入れている。経済連携協定(EPA)を通じた受け入れで、来日4年以内に国家試験に合格すれば、介護士たちは日本での永住権を得る。

EPAに応募するためには、大学や看護学校卒業といった学歴が必要だ。就労前には1年間にわたって日本語研修を受ける。受け入れ対象国も、インドネシア、フィリピン、ベトナムに限定している。曽野氏はこうした制限を取っ払い、もっと「出稼ぎ」の数を増やせと言いたいようだ。

確かに、EPAは成功していない。当初は2年間だけでも1200人の外国人介護士が来日するはずだったが、開始から7年が経った今、就労している人材は1000人程度だ。これでは人手不足の解消にはならない。

しかしEPAの失敗は、介護士に「資格」や「語学力」を求めたからではない。介護現場は良質な人材が獲得できると期待し、当初は多くの施設が外国人の受け入れに強い関心を示していた。事実、EPAの応募者には優秀な人材も集った。だが、本音では外国人を受け入れたくない厚生労働省が施設に不利な条件を課し、プロジェクトを失敗へと導こうとした。厚労省は当時からEPAを「人手不足の解消策」とすら認めていないのだ。結果、同省の思惑どおり、受け入れ施設は減少していき、多額の税金を遣って育成した人材も短期間で日本を去ることになった(2012年4月4日「根本が間違っている『外国人介護士問題』」参照)。

一方、厚労省も予期していなかったことがある。外国人介護士たちは、必ずしも日本に永住しようと望んでいないという事実である。これまで最も多く国家試験合格者を出しているインドネシア人の場合、合格者の4人に1人近くが帰国を選ぶ。日本での永住権を放棄し、インドネシアという「途上国」へと戻っていくのだ。その割合は、今後も減ることはないだろう。

介護の仕事は決して楽なものではない。賃金も看護師などと比べてずっと安い。日本人にとってきつい仕事は、外国人にとっても同じなのだ。しかも、日本とアジア諸国との賃金格差は急速に縮まっている。さらには最近の円安によって、日本で働くメリットも薄らぎつつある。

日本を去っていく「日系ブラジル人」

日本が「経済大国」と呼ばれた時代であれば、状況は違っていたかもしれない。しかし今や日本は、出稼ぎ先としての魅力もずいぶん低下してしまった。そのことを端的に示しているのが、日系ブラジル人社会の現状である。

バブル期の1990年から受け入れが始まった日系ブラジル人は、日本における移民の先行事例と言える。その数は2007年には32万人まで膨らんだ。しかし、08年に起きた「リーマン・ショック」で減少に転じ、その後もブラジルへと帰国していく流れが止まる気配はない(2014年10月6日「『人手不足』と外国人(3)日本を去る『日系ブラジル人』たちの言い分」参照)。ブラジル国籍者の数は、昨年6月時点で18万人を割り込んでいる。

EPA介護士は国家試験に合格しても「介護」の仕事にしか就けないが、日系ブラジル人の場合は職業選択の自由もある。彼らの多くは工場での派遣労働に就いてきたが、人手不足の現在であれば月30万円程度の仕事は簡単に見つかる。にもかかわらず、賃金の安いブラジルに帰っていく。国としての将来性があると考えているからだ。

同じことがEPA介護士たちにも言える。インドネシア人たちは帰国後、日本語を活かして日系企業で働くケースも多い。介護の仕事から解放され、母国でキャリアアップを果たすのだ。フィリピン人であれば、さらに就労条件の良い欧米諸国へと向かっていく。

欧米諸国は「質」を重視

もちろん、アジアを見渡せば、経済成長に乗り遅れた国はある。出身国を選ばず受け入れれば、介護現場で働く外国人の「数」は確保できるだろう。

台湾では20万人以上の外国人介護士が働いている。大半はインドネシアやベトナム出身者で、語学力などは問われない。最低レベルの賃金で外国人を使い、台湾人の嫌がる介護という仕事を任せているのだ。

彼らの就労ビザは3年ごとに更新され、最長12年まで滞在が可能だ。しかし期限いっぱい働く介護士はほとんどおらず、就労希望者も減っている。そのため台湾は、ミャンマーやスリランカといった、さらに経済発展が遅れた国からの受け入れを迫られている。

一方、欧米諸国は「数」よりも「質」を重視する。カナダが毎年5000人程度受け入れているケアギバー(家事や介護を担う住み込み労働者)の大半は、英語が堪能なフィリピン人である。彼らは2年間にわたってケアギバーとして働けば、カナダでの永住権を得て、職業選択も自由にできる。それもインセンティブとなって、質の高い人材が集まってくる。

日本のEPAと似た制度を採用しているのがドイツだ。セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、フィリピンと国家間で協定を結び、看護師を受け入れている。ドイツにとってセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナは近隣国で、歴史的にもつながりが深い。フィリピンの場合は、世界各国へと人材を送り出してきた実績が評価された。就労前には入念にドイツ語の研修を課し、数も限定して受け入れる。EPAとの違いは、目的を「人手不足の解消」と明確に定義していることだ。日本のように「不合格」を前提に国家試験を課すようなこともない(2014年9月22日「『人手不足』と外国人(2)『介護人材』の『国際的獲得競争』が始まった」参照)。

かつて欧米諸国は単純労働者を移民として受け入れた結果、失業者や犯罪の増加が社会問題と化した。そうした過去の経験もあって、対象国を特定し、良質な人材のみを慎重に受け入れようとしている。永住を認めるのも、「質」に自信があるからなのだ。

「台湾化」する介護現場

では、日本の介護現場はどちらの道に進もうとしているのか。

政府は2016年度から「外国人技能実習制度」で介護士を受け入れる方針だ。入国前に1年かけて日本語を勉強するEPA介護士と違い、実習生には初級レベルの語学力しか求められない。介護現場への実習制度の導入は、政府が外国人介護士の「質」よりも「数」を追求し始めたことを意味している。日本の介護現場が「台湾化」する第一歩を踏み出したとも言える。

実習生の出身国には制限がない。「数」を確保しようとすれば、台湾と同様、アジアの途上国からの受け入れも必要になるだろう。実習生の就労期限は現在3年だが、5年への延長も検討されている。それでも人が足りないとなれば、「資格」も「語学力」もない外国人に対し、なし崩し的に長期間の就労を許す可能性も否定できない。

介護現場では2025年、30万人の人手が足りなくなるという。そうだとすれば、どれだけを外国人で補うのか。日本が「夢の国」でなくなった今、どうすれば質の高い人材を呼び込めるのか。その議論もせず、何よりEPAの失敗を総括することもなく、受け入れのハードルだけが下げられ続けている。このままでは、やがて日本は欧米諸国が単純労働者の受け入れで被った、苦い経験を繰り返すことになる。(つづく)

北海道の水産加工工場で就労する中国人実習生(筆者撮影)

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出井康博

1965年岡山県生れ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『THE NIKKEI WEEKLY』記者を経てフリージャーナリストに。月刊誌、週刊誌などで旺盛な執筆活動を行なう。主著に、政界の一大勢力となったグループの本質に迫った『松下政経塾とは何か』(新潮新書)、『年金夫婦の海外移住』(小学館)、『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫)、本誌連載に大幅加筆した『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『民主党代議士の作られ方』(新潮新書)がある。最新刊は『襤褸(らんる)の旗 松下政経塾の研究』(飛鳥新社)。

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(2014年2月27日フォーサイトより転載)

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