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2016年03月23日 15時04分 JST | 更新 2017年03月23日 18時12分 JST

ISの脅威に直面するインドネシア:ジャカルタ爆弾テロから2カ月

インドネシア国内の過激派および過激派予備軍は、ネット空間でISとつながっている。

ジャカルタで1月14日午前10時40分、4名のインドネシア過激派自爆テロ犯による爆弾テロ事件が発生してから、早くも2カ月が経過した。「イスラム国」(IS)が、犯行声明を発表した東南アジア初のテロ事件であった。

小規模とは言え、この爆弾テロ事件では8名(実行犯4名を含む)が死亡し、重軽傷者は26名を数えた。標的は米国コーヒーチェーンの「スターバックス」と、インドネシア政府(襲撃のターゲットは警察官)で、近傍には大統領官邸や日本大使館もあるなど、まさにジャカルタの心臓部で発生したテロ事件であったといえよう。

年末年始、ジャカルタにおいて「コンサート」と呼ばれる爆弾テロ事件が発生するとのインテリジェンス情報を基に、インドネシア政府は警察の対テロ特殊部隊「D88」を投入して厳重警戒に当たり、このテロ事件を未然に防ぐことができた。その安心感から厳重警戒を解除して、「D88」も撤収した矢先の出来事であっただけに、当局の衝撃は多大なものであったと推察される。

今回の爆弾テロ事件により露呈したのが、インドネシア過激派を収監する刑務所のずさんな管理体制であった。また、現代社会に特有のネット空間を介在させた犯罪であったことも特筆すべきであろう。そしてこの事件が物語るものは、インドネシアや東南アジアが今後、ISの脅威にさらされ続けるという暗い未来の暗示である。

刑務所はテロリストの「聖地」

実行犯の4名はいずれも昨年、「ヌサ・カバンガン刑務所」を3度も訪れ、ISを支持するイスラム過激派の精神的指導者アマン・アブドゥラマン受刑者(44歳)と直接面会していた事実が明らかになってきた。アマンから、これら実行犯へテロ事件への指示が下されていた可能性も浮上している。

この刑務所はテロリストや薬物密輸犯など、死刑囚を含む凶悪な犯罪者が収容されていることで知られる。このため大都市郊外ではなく、中部ジャワの南西部にある辺鄙な島に置かれている。もともとはオランダがインドネシアを植民地統治していた20世紀初頭に、政治犯などを収容するために建設した歴史のある刑務所で、現在は受刑者を収容する建物だけでも10棟以上ある。

インドネシアにはISを支持する過激派グループが約20あると言われているが、こうした過激派にとって、この刑務所は格別な場所だ。アマンのほか、やはりISへの支持を表明した長老の精神的指導者アブバカル・バアシル師(77歳)に加えて、過激派の実行犯や容疑者も多数収監されているからだ。

例えばフィリピンから武器を密輸したヘリ・クンコロ、2004年に在ジャカルタの豪州大使館を爆破しようとしたロイスことイワン・ダルマワン・ムント、イスラム寄宿学校で生徒に爆弾製造を教えていたアブロリ・アリなどである。過激派からすれば、「テロリストの聖地」といわれるこの監獄島に収監されることは、自己を「ブランド化」することに他ならない。

面会の可否は、刑務官の自由裁量で決まっていた。今回のテロに関連する捜査で、刑務所のそうしたずさんな管理体制が浮き彫りになった。面会者が刑務官にチップを渡すことで面会が可能になるとの噂は絶えず、4名の実行犯も同じ手口で容易くアマンに面会していたようだ。管理体制の不備はこれだけではない。

自由に行動する受刑者たち

インドネシアの過激派にとって、昔も今もアブバカル・バアシル師は精神的指導者であり続けている。高齢にもかかわらず、いたって元気な様子の写真がネット上にアップされている。かつては東南アジアの広域テロ組織ジェマア・イスラミアの精神的指導者として知られたが、ISへの支持を表明して以来、インドネシアではIS支持者の最高峰として君臨するようになり、過激派の長老として絶対的な存在にまで上り詰めた。

受刑者によるスマートフォンや携帯電話の持ち込みは自由で、外部との連絡に何の制限もない。バアシルやアマンが支持者に対してメッセージを送り、若者を洗脳しながら、爆弾テロ事件を起こすことは可能なのだ。バアシルが監獄島へ移される前にはジャカルタ市内東部の刑務所にいたが、その時は少なくとも3台のスマホや携帯電話を持ち込んでいた。

アマンは4人部屋に収容され、その周辺からスマホ・携帯電話がなんと27台も見つかった。メディアからの批判を受けて、治安当局が刑務所内を一斉捜索して明らかになった事実である。刑務所内で携帯電話を自由に使い、IS支持者同士が刑務所内で自由に会話できるなど、日本の感覚では到底理解できないような事が、インドネシアではごく当たり前のように行われている。

こうした噂や事実がメディアで次々と暴かれたため、ようやく刑務所も重い腰を上げて、受刑者との面会を2月に入ってから突然厳しくし、家族など近親者のみに絞った。しかし面会制限は刑務所側の発表であって、現実には何も変わっていない可能性もある。

と同時にバアシルやアマンは現在、隔離された棟へ移動させられたとの報道もあるが、狭い独房に押し込まれている筈はなく、依然として行動の自由はあると見た方がよい。それほど精神的指導者への取り扱いは慎重で手厚い。賄賂が横行する一方、受刑者への手荒な扱いは過激派から治安機関への復讐を誘発するとの恐れもあり、そうせざるをえないという事情もある。

シリアからの情報発信も

インドネシア国内の過激派および過激派予備軍は、ネット空間でISとつながっている。シリアに拠点を置くインドネシア過激派の代表格であるバルン・ナイムは、SNSの達人でフェイスブック、ツイッター、ブログを通じて連日、シリアからインドネシア社会に向けて、インドネシア語で情報を発信してきた。

ISが首都と宣言するラッカ(シリア北部)の様子、多国籍のIS兵士、「イスラム国家」建設の夢など、インドネシアの若者に熱烈に語りかけ、扇動してきた。シリア渡航の方法や資金提供の可能性など、インドネシアの若者が具体的に行動を起こせるようにノウハウを提供してきたという。

インドネシアでもスマホや携帯電話は爆発的に普及しており、ジャカルタのみならず地方都市でも若者の必需品だ。スマホの画面を通じてネット空間に入り込み、シリアで活動するバルン・ナイムとつながるのだ。そしてコミュニケーションが成立し、気が付けばインドネシアからシリアへ渡るインドネシア人の流れが出来上がっているという具合だ。

いままでにシリアへ渡ろうとしたインドネシア人は約800人から1000人と見積もられる。トルコで入国拒否にあったインドネシア人は約200人で、そのうち半分は女性と15歳以下の子供。すでに配偶者が単身で渡っていて後を追うケースと、未亡人が子供を連れて新たな生活の基盤をシリアに求めたケースが考えられる。

こうした流れは何もインドネシアだけではなく、フィリピンやマレーシアにも当てはまる。東南アジア全体で恐らく1000人から1500人が、トルコ経由でシリアへ渡ろうとしたとみられる。

東南アジアで主導権争い

東南アジアのイスラム過激派にとって、活動のメインストリームは何と言っても中東アラブ地域で、現在、ブランドとして脚光を浴びているのがIS、そしてトレンディな渡航先がシリアとなる。東南アジアの過激派は難しい教義にはこだわらず、「イスラムの国家」を東南アジアに樹立するために闘争を行うという、素朴でシンプルな考え方でほぼ共通している。

一時代前のブランドはアルカイダで、その当時のトレンディな渡航先はアフガニスタンであった。オサマ・ビン・ラディンが崇拝されていた時代だ。

今回のジャカルタ爆弾テロ事件は、シリアに拠点を置くインドネシア過激派が、東南アジアにおける主導権を握るために仕掛けた可能性がある。情報部門を担当するバルン・ナイムが、ウェブ空間を通じてシリアから昨年、インドネシアへ盛んに「コンサート」(テロ事件の暗号)の開催を呼び掛けていたことが判明している。

これは昨年11月13日(金曜日)にパリで発生した同時多発テロ事件を例に、インドネシアでも過激派グループによるテロ事件「コンサート」を、クリスマス・シーズンの12月から新年にかけて決起せよとの内容であった。

シリアでの戦闘に限らず、ヨーロッパを舞台にISが活動範囲を広げ、どのグループがテロ事件を決行するかで、IS内部で競争関係が生まれていた可能性がある。東南アジアからシリアへ馳せ参じたイスラム過激派の間でも競争関係が生じ、インドネシア、フィリピン、マレーシアから参加した過激派の中で、主導権争いの状況がますますエスカレートしていったと言われる。

これに加えて大量の戦闘員を送り込んでいるインドネシアの過激派は、さらに3つのグループ間で競争が激化しているという。これはインドネシアの地方紛争と過激派を専門に分析している「紛争分析政策研究所」所長のシドニー・ジョーンズ博士が、最新のレポートで明らかにしている。この3つのグループのうち前述のバルン・ナイムが率いるグループは、中間派として他の2グループと上手に距離を置き、いずれはインドネシアでトップとなることを狙っている。

「コンサート」と呼ばれた同時テロ事件の次の舞台をどこに設定するかで、過激派は闇の世界で、熾烈な主導権争いを繰り広げていると見た方がよい。これからも東南アジアのどこかで、小規模ながらもテロ事件が発生する可能性は否定できない。

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竹田いさみ

獨協大学教授。1952年生れ。上智大学大学院国際関係論専攻修了。シドニー大学・ロンドン大学留学。Ph.D.(国際政治史)取得。著書に『移民・難民・援助の政治学』(勁草書房、アジア・太平洋賞受賞)、『物語 オーストラリアの歴史』(中公新書)、『国際テロネットワーク』(講談社現代新書)など。近著に『世界史をつくった海賊』(ちくま書房)。

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(2015年3月23日フォーサイトより転載)