日経平均「ITバブル超え」までと、それからの物語

外に上海株バブルの崩壊やギリシャ債務交渉の決裂、内に安保法制審議の行き詰まりに輪をかける自民若手議員のオーバーラン。日本の株式市場の行き先に、俄かに不透明感が漂ってきた。
NEW YORK, NY - JUNE 29: A headline concerning Greece's debt crisis scrolls across a stock ticker at the New York Stock Exchange in the afternoon on June 29, 2015 in New York City. The Dow plunged 300 points as the Greek debt crisis worsened amid fears that Greece will be unable to pay the almost $1.8 billion that it owes the International Monetary Fund on Tuesday. (Photo by Bryan Thomas/Getty Images)
NEW YORK, NY - JUNE 29: A headline concerning Greece's debt crisis scrolls across a stock ticker at the New York Stock Exchange in the afternoon on June 29, 2015 in New York City. The Dow plunged 300 points as the Greek debt crisis worsened amid fears that Greece will be unable to pay the almost $1.8 billion that it owes the International Monetary Fund on Tuesday. (Photo by Bryan Thomas/Getty Images)
Bryan Thomas via Getty Images

外に上海株バブルの崩壊やギリシャ債務交渉の決裂、内に安保法制審議の行き詰まりに輪をかける自民若手議員のオーバーラン。日本の株式市場の行き先に、俄かに不透明感が漂ってきた。折しも、その直前の日本株は昔のスキーのジャンプ競技でいえば、K点超えを果たしたような局面となっていた。

6月24日、日経平均株価は一時、2万900円台に乗せ、2000年春のITバブルの際の高値を更新した。1996年12月以来の18年ぶりの高値などと、翌日の各紙は伝える。戦後70年といっても大抵の日本人にとってピンと来ないように、18年前のことを思い出せる人はほとんどいないだろう。

1964年に開催された前回の東京五輪が、1945年つまり昭和20年の敗戦から19年目のイベントだったといえば、18年という時間の長さが理解できるだろう。もちろんこの18年は、東京五輪までの19年とは全く違う意味合いを持つ。前回の19年の間に、それも「もはや戦後ではない」といわれた1956年から1964年までの間に、日本は目眩(めくるめ)く変化を経験した。

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観たことのある方なら、その情景を思い出して欲しい。東京タワーがまだ出来ていなかった1958年の東京を舞台にした第1作から、首都高と新幹線が開通した1964年のドラマである第3作までの、東京の街の変貌ぶりを。わずか5~6年のうちに街も生活も一変している。

ちょうど中間に当たる1963年に公開された黒沢映画『天国と地獄』の舞台は横浜だが、そこに描かれるのは想像を絶する格差社会である。三船敏郎演じるナショナル・シューズの重役邸と、山崎努演じる誘拐犯の研修医の住むどぶ川傍のおんぼろアパート。黒沢流の1コマ1コマを観直すと、あたかも現在の上海をみるかのような目眩を覚えてしまう。

政治も経済も外交も翻弄された時代

ともあれ当時の日本は日々、急速に変化していた。それに対し、1996年以降の日本は、おおむね停滞と閉塞の時が経過していた。停滞時代の引き金はいうまでもなく、1997年の日本を襲った金融危機である。山一証券などの大型破綻と銀行取り付け騒動を機に、日本経済は大きく下方屈折した。戦後初の本格的なマイナス成長と信用不安のきっかけは、消費税の引き上げだったか、金融危機だったか、アジア通貨危機の伝播だったか。それとももっと底流にある高齢化と人口減少だったのか。

死児の歳を数えるような議論はここでは行うまい。それにしても、日本の名目国内総生産(GDP)が1997年10~12月期の525兆円(年換算額)をピークとし、それ以降は右肩下がりの局面に入ったことは銘記しておくべきだろう。なるほど2001年に発足した小泉純一郎政権の下、小泉・竹中改革が盛り上がった局面では、日本経済は反転上昇する手がかりを得たかに見えた。

だが、市場主義的な改革に対しては格差社会の批判が高まり、改革路線には急速にブレーキがかかった。ホリエモン、村上ファンドなどが次々と槍玉に挙がり、堀江貴文氏、村上世彰氏らは、次々と塀の中に落ちた。六本木ヒルズに蝟集したヒルズ族は、怨嗟の的になった。2006年に政権が秘蔵っ子の安倍晋三氏に移った時には、小泉改革のモメンタム(弾み)はあらかた失われていた。

安倍、福田康夫、麻生太郎と政権が変わったところで、2008年9月のリーマン・ショックが日本経済と日本株、そして自民党政権にとどめを刺した。2009年9月から2012年12月まで続いた民主党政権の時代は、陰の極みだったというべきだろう。おおよそビジネスに無頓着な民主党政権と、デフレと円高を所与のこととして受け止めた白川方明総裁の日本銀行は、結果的に経済と株価の低め誘導を続けたというほかない。日本が主体性を喪失するなか、政治も経済も外交も翻弄され続けた。

外国人投資家の「金城湯池」

2012年12月の第2次安倍政権誕生をきっかけに上昇に転じた株式市場は、今回こそ日本が経済立て直しに動くことを瀬踏みしている。などと、抽象的にいうのはよそう。安倍政権が経済運営の成否を測る物差しとして、何よりも株価を重視していることを織り込んでいるのだ。そうした政権の意思を感じ取った外国人投資家を中心に、早い時期から日本株の買いに走り、政権と二人三脚で株高を演出してきたといってよい。

春先に「官製相場」論が語られたことがあった。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)などを通じて、政権が株上げを企んでいる。外国人投資家はインチキを見抜き、日本株を売りに転じるに違いない――。そんな趣旨の指摘だった。現実に起きたのは、その逆の出来事である。ではなぜ、外国勢は売りではなく、買いで臨んだのか。

アベノミクスの成功を信じ、日本が高成長に戻ると信じたのだろうか。そうだと良いが、百戦錬磨の投資家たちはそれほどナイーブではない。まずもって考えられる理由は、日本株がもうかる美味しい投資対象だったことだ。日本の財務省によれば、外国人投資家はアベノミクスが始まった2013年に日本株を17兆円買い越した。2014年は消費増税を機に、景気が後退し株価がもたついた。10月末の黒田緩和第2弾を機に、日本株を買いに転じたものの、年間の買越額は4兆円弱だった。

こうした日本株投資によって、外国勢は2013年には50兆円、2014年には13兆円の値上がり益(キャピタルゲイン)を得た。2015年も日経平均は年初来、2割以上も上昇している。彼らの昨年末の日本株保有額は169兆円だから、今年に入ってすでに30兆円を超える値上がり益を得ている勘定である。2年半で100兆円近くのもうけが上がる日本株は、グローバルな投資家たちにとって文字通り金城湯池なのである。

もちろん、その間に円安が進んでいる。この円安によって日本企業の輸出採算が向上し、株価が押し上げられたのだが、外国勢は日本株投資で為替差損を被ってはいまいか。そういう人たちがいるかも知れないが、心配はご無用。ヘッジファンドなどは日本株に投資すると同時に、先物の円売りに出て為替リスクをヘッジ(回避)しているのである。

手の内の読める株式市場

今や日本はジパング(黄金の国)である。日本株の高騰を尻目に、お膝元の米国株は年初来足踏みが目立っているからだ。ほかでもない。米国株は業績相場に入って久しいが、このところのドル高で肝心の米企業の業績が思わしくないからである。しかもイエレン議長の率いる米連邦準備理事会(FRB)は、2008年12月から7年目に入ったゼロ金利政策に幕を引こうとしている。イエレン議長は年内利上げの方針を繰り返す。

利上げの時期は今年9月か、それとも12月か。市場の見方は分かれる。が、議長の「7年目の浮気」よろしく、ゼロ金利という前提が変わってしまうことに、マーケットは神経質となっている。この点、黒田東彦総裁の率いる日銀は、愚直に2%インフレの目標を掲げ、金融の量的緩和を続けている。市場にとって日銀は、良くいえば予見可能性が高い、悪くいえば手の内を読み切れる存在なのだ。

もちろん、日本企業の業績が上向いていることも、日本株高の背景として見逃せない。円安、低金利、原油安という3本の追い風が吹くなかで、業績に不安がなく、GPIFなど公的資金が株買いに動いているとあれば、これまた手の内の読める株式市場ということになるだろう。かくて、アベノミクスに批判的なエコノミストたちの切歯扼腕をよそに、日本株は高値追いを演じたのだ。

「参院選の9年目のジンクス」

ならば、日本株に死角はないだろうか。もちろん、ある。肝心の安倍政権が、国会での安保法制審議で、ぬかるみにはまり込んでしまったことである。安保法制を違憲と断じる憲法学者を与党側の参考人として招致したことが、法案審議の風向きを変えることになった。安倍政権に良からぬ思いを抱いていたメディアは、ここを先途と政権攻撃を強めている。

戦争法案といったレッテル貼りや、徴兵制復活に道を開くといったデマゴギーが、世論に一定の説得力を持つのも確かなようだ。政高党低、つまり政権主導で与党は疎外される環境の下で、国対族の劣化が進んだことも、法案審議には足かせとなっている。9月27日まで今国会を大幅に延長したものの、その間は身動きの取りにくい局面が続くだろう。安倍政権の支持率はジリジリと低下している。

今まで安倍政権批判を封印されていた自民党内から、ここぞとばかり首相批判が飛び出している。彼らの合い言葉は「参院選の9年目のジンクス」だ。何のことかと思いきや、自民党が大敗し首相が交代した参院選が、9年ごとに巡ってくるということである。有名なのは、自民党が参院で過半数割れした1989年の選挙。リクルート事件、消費税引き上げに加えて、竹下登首相の後を継いだ宇野宗佑首相の女性スキャンダルが、強烈な逆風となった。

1998年の選挙では橋本龍太郎首相が退陣を余儀なくされた。前年の金融危機で日本経済はマイナス成長に陥ったが、それでも選挙戦入り直後は、自民大敗を予想する人はいなかった。流れがにわかに変わったのは、橋本氏が景気対策としての減税について、恒久減税か恒久的減税(ということは時限的な減税)かで、発言が二転三転したことだ。

2007年の参院選については、安倍首相自身が誰よりも鮮明な記憶を持っているはずだ。そう、安倍氏自身が第1次政権で大敗を喫した選挙だからだ。閣僚の相次ぐスキャンダルが政権の足を引っ張ったが、何よりも致命的だったのは「消えた年金」の問題だろう。国民の間に政府不信が燎原の火のごとく広がり、自民党は大敗した。

株高の原動力は「支持率低迷」

そしてまた2016年の参院選が巡り来る。政界失楽園氏の人選ミスがなければ、民主党も安保法制の攻め手を失っていたことだろう。日本年金機構(旧社会保険庁)の杜撰な管理が招いた年金情報漏洩がなければ、国会審議はもっと円滑に進んでいたはずである。だが、時計の針は元へは戻らない。安倍首相自身が安保法制の成立を期しているからには、世論の支持率が3割を切るような事態をも覚悟していることだろう。問題はいかにして2016年夏までに政権の浮揚を図るかだ。

日ロ首脳会談など外交カードをフルに使うだろうし、環太平洋経済連携協定(TPP)など経済外交で得点を稼ごうとするだろう。が、ペルソナ・ノングラータ(好ましからざる人物)であるプーチン大統領の訪日は火中の栗だし、TPPも皆が賛成という訳ではなく、国内の反対勢力と対峙しなければならない。こう見ると、安倍政権はますます株式市場への傾斜を強めることになろう。

世論調査の支持率が下がっても、株価は安倍政権を支持している。それはアベノミクスが上手くいっている証拠だ――。そんな論法で政権の維持を図ろうとするに違いない。逆説的に聞こえるかもしれないが、安保法制がもたつけばもたつくほど、現政権は株式市場のご機嫌取りに躍起になるはずだ。

これをモラルハザード(けじめの欠如)といわばいえ。今、多くの投資家は毒を食らわば皿までもとばかりに、株式市場に走っている。ITバブル超えのその先にあるものなど、誰も見極めなどつけていない。ただ1つハッキリしていることは、安倍政権の幕が引かれるとき、株式市場の宴も終わる。今また歴史は繰り返すのだろうか。

青柳尚志

ジャーナリスト

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(2015年6月29日フォーサイトより転載)

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