「燃料補助金」は廃止したが......続く「ジョコウィ政権」の苦悩

政権発足当初は、とくに経済政策面で実行力のあるところを見せたジョコウィであるが、政権発足100日前後から、政治面では政権基盤の弱さを露呈するような事態が続いている。

昨年10月20日にインドネシアの新大統領ジョコ・ウィドド(通称、ジョコウィ)が政権を発足させてから5カ月がたとうとしている。そして昨日(3月22日)から4日間の日程で、初来日中だ。ジョコウィ大統領には、史上初の庶民出身大統領として、エリート中心の利権政治から脱却し、真に国民生活のためになる政策を実行してほしいという大きな期待がかけられている。しかし、中央政界での経験のないジョコウィが、大国インドネシアの舵取りをすることは容易ではない。政権発足当初は、とくに経済政策面で実行力のあるところを見せたジョコウィであるが、政権発足100日前後から、政治面では政権基盤の弱さを露呈するような事態が続いている。

鬼門政策

インドネシアでは、石油、電気、ガスといった公共料金を低所得層のために低く抑えるべく、スカルノ初代大統領の時代以来、政府が巨額の燃料補助金を支出してきた。燃料補助金は、国際的なエネルギー価格が上昇するほど支出額が増える。また、経済成長にともなって国内での燃料消費量が増加するほど、財政負担が増加する。政府も経済界も、燃料補助金が本来は開発に振り向けられるべき予算を圧迫していることや、ガソリンなどに対する補助金が自動車を保有する富裕層の所得補償になってしまう逆累進性があることに、以前から気づいていた。

ジョコウィ新政権にとっても、この燃料補助金削減は大きな政策課題であった。所得格差が拡大するなか、限られた予算を低所得層向けの再分配政策に振り向ける必要がある。また、石炭やパーム油の原料輸出と国内消費に依存した経済成長を、付加価値製品の製造と輸出が牽引する持続的な成長路線へと転換するため、財政をインフラ開発促進に振り向けなければならない。そのためには、大胆な燃料補助金削減策が必要であった。

しかし、補助金カットは、政府にとって鬼門の政策であった。なぜなら、1998年5月に当時のスハルト大統領が長期政権を放棄せざるをえなくなった直接的な原因が、アジア通貨危機で支援を受けたIMF(国際通貨基金)による構造改革に沿って実施した、石油燃料補助金の削減だったからである。それでも、2004年に始まったユドヨノ政権の下では、国際原油価格の変動に対応して、補助金の削減とそれにともなう燃料価格の引き上げを3度にわたって実施することができた。

ジョコウィは、大統領選挙での当選が決まると、ユドヨノ大統領に、任期終了前に補助金を削減し、燃料価格の引き上げを実施してくれないかと頼んだ。ジョコウィも、補助金削減の必要性は認めながらも、燃料価格の値上げにつながる不人気政策を実施することは嫌だったのである。しかし、それはユドヨノににべもなく断られた。

国民の反発を抑えられた理由

そうした経緯があっただけに、いくら人気の高いジョコウィといえども補助金削減は容易にはできまいと思われていたが、政権発足まもない昨年11月17日に、ジョコウィは突如として補助金カットを発表した。さらに、今年1月1日、ガソリンについては燃料補助金を全廃し、基本的に国際市場の変動にあわせた価格へ移行することが発表された。軽油や灯油については一定の補助金額が支給されるが、国際市場価格の変動にあわせて国内価格も変動することになった。この補助金廃止・削減により、予算には大きな余裕が生じることになった。補助金のための予算は3分の1以下に縮小され、歳出に占める補助金の割合は14%から4%にまで減少したのだ。

ガソリンの補助金廃止は、インドネシアの経済政策という観点からは歴史的な決定である。しかし、このような大胆な政策転換にもかかわらず、国民は比較的冷静にこれを受け止めた。補助金削減が発表されると、必ず議会からの強い反発や街頭でのデモが発生するのが常であったが、今回は目立った反対は出なかった。国際原油価格が低下していたため、補助金の廃止・カットにもかかわらず、燃料価格が引き下げられたことも要因のひとつであろう。

また、ジョコウィ大統領が、補助金廃止を実施する前に、貧困層向けの再分配政策を発表していたことも反発を抑えるのに役立った。政権発足後2週間という早い段階で、貧困層向けの無償医療・無償教育プログラムと所得補償プログラムを段階的に全国で実施していくことを発表していたのである。

ユドヨノ政権下でも、燃料補助金が削減される際には、貧困層に直接現金を支給するプログラムが実施されていた。

これに対して今回ジョコウィが始めたのは、電子マネー型のカードを配布する方式である。カード方式は、政府から支給される公的扶助が途中でピンハネされずに直接受取人に届くようにと導入されたものである。また、余って使われなかった金額分については、将来のための貯金として手元に残せるようにした。その意味で、このジョコウィのプログラムは、単なる所得補償にとどまらず、家計の生産性を向上させるための投資として位置づけられているのが特徴である。

「新警察長官」が「汚職容疑者」に

かくのごとく経済政策の面ではまずまずの成果をあげているジョコウィ大統領だが、政権運営では困難に直面している。きっかけは、新しい国家警察長官の人事だ。1月に新長官として指名したのは、ブディ・グナワン国家警察研修所所長だった。ところが、そのわずか4日後、ジョコウィの人事案が議会の承認を得る前に、汚職撲滅委員会(KPK)がこの新長官を汚職容疑者に指定したのである。

実は、この新警察長官人事には、当初から不可解な点があった。このブディ・グナワンには、保有する個人資産と警察官としてのキャリアの間に大きな差があり、不正な蓄財に関与していたのではないかという疑惑が以前から報道されていた。それにもかかわらず、ジョコウィは身辺調査などをすることなく、何人かいた候補者のなかからブディ・グナワンを即決で選択したのである。昨年10月の内閣発足時には、汚職撲滅委員会などに対して閣僚候補者に汚職容疑がないか事前に確認し、なるべくクリーンな人物を閣僚に任命しようとしたのに、今回のジョコウィの行動は対照的かつ不可解であった。

なぜジョコウィは、このような「危ない」人物をわざわざ警察長官に指名したのであろうか。おそらくそれは、ブディ・グナワンが、与党第1党の闘争民主党(PDIP)党首メガワティ・スカルノプトゥリと非常に近い人物だったからである。

彼は、メガワティが2001年から2004年まで大統領だった時代に、大統領副官としてメガワティの周辺警護を担当していた。それ以来、メガワティの厚い信頼を得るだけでなく、他の政府高官や政治家らと広い人脈を築いた。メガワティに近いユスフ・カラをジョコウィの副大統領候補にするよう背後で動いていたのも、このブディ・グナワンだったと言われている。ジョコウィがプラボウォ・スビアントとの大接戦を僅差で制することができたのも、第3の票田であったスラウェシ島を地盤とするユスフ・カラ支持票がジョコウィに流れたからであった。その意味で、ブディ・グナワンはジョコウィ政権誕生の最大の功労者のひとりでもあるわけだ。

実際、ブディ・グナワンは、内閣発足時に閣僚候補者として名前が挙がっていた。しかし、閣僚には選任されなかった。なぜなら、汚職に関与していた可能性がきわめて高いと汚職撲滅委員会から指摘されていたからである。それでも今回ジョコウィが警察長官への指名を強行したのは、与党党首であるメガワティが強く推したからだったのだ。

なすすべもないジョコウィ

ところが、当然ながら汚職容疑者を警察長官に就任させるわけにはいかない。やむなくジョコウィは、国家警察副長官のバドロディン・ハイティを長官代行に任命し、事態の沈静化を待つことにした。

しかし、事態は収まるどころか、さらに悪化する。ブディ・グナワン側が汚職撲滅委員会に対する逆襲を始めたのである。彼は、汚職撲滅委員会による容疑者指名が不当であるとして、裁判で争う姿勢を示した。警察も、汚職撲滅委員会の委員長と副委員長が過去に犯罪事件に関与していた疑惑があるとして彼らを逮捕して辞任に追い込むなど、汚職撲滅委員会を容赦なく攻撃した。

さらには与党内からも、ブディ・グナワンを任命しないジョコウィに対する反発が強まった。これに対して、市民の間では、警察や政党政治家が汚職撲滅に大きな成果をあげてきた汚職撲滅委員会を潰そうと不当に圧力をかけているという危機感が高まり、「汚職撲滅委員会を守れ」という運動がわき起こった。

こうした動きに対してジョコウィはなすすべもなく、事態を収拾することができなかった。唯一、警察出身で元汚職撲滅委員会委員長のトウフィックラフマン・ルキを委員長代行に任命し、両者の対立を解こうとするのが精一杯だった。汚職撲滅に真剣に取り組む大統領という期待を抱いていた市民グループは、ジョコウィの消極的な姿勢に大きく失望する結果となったのである。

大統領は「裸の王様」

ジョコウィ大統領が、人事面で、与党、なかでも第1党の闘争民主党の要求に屈するのは、これが最初ではない。以前のレポート(「インドネシア『新政権』の行方(下)『働く内閣』は働けるか」2014年11月20日)でも指摘したように、内閣発足時、経歴や能力に疑問がありながらも、メガワティの推す人物の入閣を拒否できなかった。政権発足後も、これと同じことが繰り返されている。

昨年11月に新検事総長に任命したのは、検察出身ながら、いまは与党連合の一角を占めるナスデム党議員のプラセトヨだった。この人事の背後には、ナスデム党のスルヤ・パロ党首の強い要請があったといわれている。「法の支配の確立」にとって重要なポストに中立的な人物ではなく政党人をあてたということで、市民グループからは懸念する声があがった。

また、今年1月に任命された大統領諮問会議の委員も、9人のうち6人を連立与党幹部が占めた。専門性や能力の高い有識者が任命されることの多いこのポストにも政党人が任命されたことは、与党の人事介入が強いことをうかがわせた。

このように、ここにきてジョコウィの政治基盤の弱さが露呈する事態が続いている。ジョコウィは、高い行政手腕と個人的な人気で、家具商から市長、州知事、そして大統領へと権力の階段を上り詰めてきた。闘争民主党の党員ではあるが、党役員としての経験はなく、党内に政治基盤はない。議員としての経験もないため、議会にも人脈はない。大統領というと強大な権力を持っているようにみえるが、民主的な議会政治において、政党に支持基盤をもたない大統領は「裸の王様」なのである。

これも以前指摘したように(「インドネシア大統領選挙(下)新大統領が早くも直面する『2つの難題』」2014年8月4日)、そもそも大統領制では、大統領と与党の利害が乖離して両者の関係が対立的になる「政党の大統領制化」という現象が起きやすい。政権が発足して間もないジョコウィも、まさにこの「政党の大統領制化」という事態に直面しているのである。

利害調整を図るのみ

与党、とくに闘争民主党とジョコウィの関係が悪化したことで、ここにきてジョコウィ周辺からは、自らの新党を立ち上げようという動きや、いまの与党連合とプラボウォ率いる野党陣営とをそっくり入れ替えて連立を組み替えようという動きまで出てきている。

しかし、何をやっても事態は変わらない。そもそも新党を作っても、その新党が議席を得るためには次の2019年の総選挙まで待たなければならない。しかも、いまの闘争民主党を割って新党を作っても、比例代表制の選挙制度の下では、政党が選挙で獲得した議席数は変更されず、闘争民主党が離党した議員の穴を自ら補充するだけである。また、連立を組み替えてプラボウォ陣営と協力したとしても、今度はプラボウォ陣営に属する政党からのさまざまな圧力にさらされるだけで、結果は同じである。

つまり、ジョコウィは、「多党制の下での大統領」ゆえに多党連立政権の下で連立与党の意向に配慮せざるをえず、「政党の大統領制化」ゆえに与党との利害調整に悩まざるをえないのである。ジョコウィがインドネシアの大統領である以上、制度に規定されたこの呪縛から逃れることはできない。ジョコウィに要求されているのは、このような制度の下で、アメとムチを使い分けながら連立与党と良好な関係を築きつつ、自らの目指す政治を実現することなのである。

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川村晃一

独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所 地域研究センター副主任研究員。1970年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、ジョージ・ワシントン大学大学院国際関係学研究科修了。1996年アジア経済研究所入所。2002年から04年までインドネシア国立ガジャマダ大学アジア太平洋研究センター客員研究員。主な著作に、『2009年インドネシアの選挙-ユドヨノ再選の背景と第2期政権の展望』(アジア経済研究所、共編著)、『インドネシア総選挙と新政権-メガワティからユドヨノへ』(明石書店、共編著)、『東南アジアの比較政治学』(アジア経済研究所、共著)などがある。

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(2014年3月23日フォーサイトより転載)

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