【独占インタビュー】オウム「中川死刑囚」が語った「金正男VXガス暗殺事件」の真相--野嶋剛

トゥ氏は、これまで何度も中川死刑囚と特別面会人として東京拘置所で面会を続けており、来日中の4月20日午前にも中川死刑囚と面会を予定している。

北朝鮮・朝鮮労働党委員長の金正恩(キム・ジョンウン)氏の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアのクアラルンプールの空港で、猛毒のVXガスによって殺害された事件。

この件について、かつて1990年代にサリンやVXガスで殺人事件を起こして死刑判決を受けたオウム真理教の元幹部・中川智正死刑囚が、世界的な毒物学の権威である米コロラド州立大学名誉教授のアンソニー・トゥ(杜祖健)氏に獄中書簡を送り、VXガスによる犯行の可能性が高いことを、マレーシア政府の正式発表より先んじて説明していた。

トゥ氏は、これまで何度も中川死刑囚と特別面会人として東京拘置所で面会を続けており、来日中の4月20日午前にも中川死刑囚と面会を予定している。

北朝鮮の核・ミサイル開発によって緊張が高まるなか、北朝鮮も大量の化学兵器を保有しているとされる。4月15日に行われた金日成生誕105周年の軍事パレードでは、化学兵器を取り扱うとみられる部隊も初披露されており、オウム事件での教訓に再び脚光を当てる必要があるかもしれない。

20日の面会を前に、トゥ氏に独占で、これまでの中川死刑囚との「対話」の中身を聞いた。

これまでに10回は面会

──あなたはサリン事件のとき、当時サリンについて知識の少なかった日本の警察に対し、土壌からのサリンの検出方法を提供するなど、事件の早期解決に協力したことで知られています。そのあなたが、どうして中川死刑囚と面会を重ねることになったのですか。

現在、中川死刑囚との特別面会を法務省が許可しているのは2人だけです。元米海軍長官のリチャード・ダンチック氏と私です。

ダンチック氏は退官後にワシントンで紛争予防のシンクタンク(筆者注:「新アメリカ安全保障センター=CNAS=」)をやっていて、中川死刑囚とは20回ぐらい面会している。私は10回ぐらいです。

彼らはプロジェクトとして、なぜサリン事件が起きたのかを調べています。私は毒物学の専門家として、彼らがサリンやVXガスの製造に至った背景を知りたい。本当ならば10分しか面会できないらしいのですが、私はいつも30分もらっています。

中川死刑囚も、やはり独房生活は寂しいのでしょう。いつも面会を楽しみにしているそうですし、弁護士を通してメールや手紙を受け取りますが、次はいつ会いにくるのですか? と聞いてくるときもあります。

私は毎回、拘置所の中の書店で許可されている本や雑誌を買って差し入れてもらいます。今回は、ダンチック氏から差し入れの150米ドルを預かってきました。

――死刑囚との面会は制限が多いし、そもそも難しいのではないですか。

死刑が確定すると、通常は家族や弁護士以外は面会できませんが、判決が確定する前に文通していると例外になります。私は、中川死刑囚が1審、2審で死刑が宣告され、最高裁で上告が棄却されて死刑が確定した2011年11月18日の2週間前に文通を開始したので、面会ができるようになりました。

もちろん、もともと中川死刑囚とは面識はなかったのですが、先のダンチック氏から、「私も連絡をとるから、あなたも中川死刑囚に会うべきだ」と言われました。

私は「中川死刑囚は医者で、土谷(正実=同じくオウム真理教元幹部で、地下鉄サリン事件などで死刑確定)死刑囚は化学の専門家だから、土谷死刑囚に会いたい」と言ったのですが、土谷死刑囚の刑がすでに確定していたので面会が叶わず、中川死刑囚に連絡をとりました。

そうしたら偶然、ちょうど向こうからも「会いたい」という連絡があって、2011年のうちに最初の面会を行っています。特に話してはいけないことはありませんが、死刑囚の心情を不安定にさせてはいけないという規定があるので、死刑や殺人といった言葉は使わないようにしています。

唯一の「VXガス」経験者

――中川死刑囚と話していて、どんなことがわかりましたか。

私は1994年9月、『現代化学』という日本の専門誌に、サリンやVXガスなどの化学兵器について論文を書いていました。その号はとても売れて注目されたようです。彼もその論文を読んでいたのです。

悪用されることを恐れて内容は意図的にかなり簡略化していましたが、土谷死刑囚はそれを読んでVXガスを作れると考え、自分で資料を集めて作成したのだと聞きました。

中川死刑囚は、なぜ警察があれほど早く、上九一色村のサティアンの土壌からサリンを検出できたのか不思議に思っていたそうです。

面会のとき、「あれは、私が警察のお手伝いをしました」と伝えたところ、1分ぐらい言葉が途切れて黙りこくり、そして、「ああそうでしたか、先生がお手伝いしたんですね。でも、オウムがつぶれてよかったです。でなければ、殺人がもっとたくさん起きていました」と言いました。

最初の面会が最後になるかと思ったらしく、中川死刑囚が「わざわざアメリカから会いに来てくれて本当にありがとうございました。先生とこんな形でお目にかかるとは、運命とは不思議なものですね。お身体を大事にしてください」と言ったのが印象に残っています。

ただ、それからも彼と私の面会は続いています。まだオウム事件全体の裁判が終わっていないので、刑が執行されないのでしょう。刑の執行までは中川死刑囚の話のすべてを公表できないことになっています。

中川死刑囚ももちろん人間ですから、できるだけ刑の執行は延びたほうがいいと思っているように感じます。事件に関与したことを後悔もしています。彼については、松本サリン事件と地下鉄サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件などが死刑の理由になっています。松本サリン事件は積極的な関与の度合いが比較的薄いとされる点で情状酌量の余地はあると思いますが、地下鉄サリン事件や坂本弁護士事件では実行犯として主体的に関わっているので、死刑判決が出ているのだと思います。

ただ、彼は医者として、多くのことを体験しています。実験のさなかに中毒になった人への治療も行っているし、自分自身でもサリンを手につけてしまって気絶し、一時、危ない状態になったものの、解毒剤PAMの投与によって一命を取り留めた経験もしています。北朝鮮の金正男氏が暗殺された事件の前は、実際に人間に対してVXガスを使ったという公式の記録はなく、彼が唯一の経験のある人間なのです。そうした経験は記録に残されたほうがいいと思うのですが、日本政府などがそうした作業をやっているようには見えません。

事件直後の「正確な分析」

――金正男のVXガスによる殺害も、中川死刑囚はその症状をみて、正確に言い当てていたようですね。

2月13日に金正男が殺害されましたが、2月22日に、中川死刑囚は弁護士を通して、私に手紙を送ってきました。まだマレーシア政府が発表していない段階です。それはこんな内容でした。

「先日、金正男氏がマレーシアで殺害され、VXが使用されたのではないか、という報道がありました。 正確な情報が入手出来ませんが、報道されている金氏の症状からしてVXであっても矛盾はないと思います。金氏は目の痛みを訴えていたようで、目にVXを付着させたのであれば、痛みは当然ですし、呼吸が速く、症状が早く出て空港内で亡くなってもおかしくないと思います。単に皮膚に付けただけでは、教団が行った事件の時は発症までに1~2時間はかかっていました。また、金氏は口から泡を吹いていたそうです。VXは気道の分泌物を増加させますので、これもVXの症状と考えて矛盾はありません。VXは猛毒と言われますが、サリンと比較すると気化しないので取扱いは容易です。私がVXを取扱った際には、長袖の普通の服に手袋をつけただけでした。ですので、金氏の件での実行犯が自分の手袋に薬液を塗ってそれを金氏に付着させたという報道も、薬液がVXであればおかしくありません。これがサリンであれば、実行犯も確実に中毒します。VXは肝臓で代謝されるので、マレーシアの当局が血液や尿、顔面への付着物のサンプルのほか、肝臓のサンプルを残していれば良いのですが。脳が残っていれば神経細胞に結合したVXを直接検出できるかも知れません。地下鉄サリン事件の被害者の脳からはサリンが検出されました」

米軍開発の「バイナリ―システム」

――中川死刑囚は、かなり正確にVXガスのことを理解しているようですね。トゥさんとしては、今回の金正男へのVXガスの使用をどう見ていますか。

VXガスは極めて毒性が強いので、どのように運ぶかが問題になります。オウムは注射器のなかに溶液を入れて、アイスボックスにしまって運んだそうです。そして、被害者の首にたらして皮膚から吸収させたこともありましたし、1994年12月に起きた会社員・濱口忠仁さん殺人事件の場合は、濱口さんが柔道の有段者で暴れたため、針のついた注射器からそのままVX溶液を後頭部にかけたのだそうです。

VXガスは、神経毒とマスタードガス(皮膚をただれさせ、消化管や造血器に障害を起こす)の両方の特性を持っており、極めて毒性が強いので、そのまま貯蔵していると、ちょっとした扱いのミスで死んでしまいます。サリンはすぐに気化しますが、VXガスは空気に対する比重が1対9とかなり重いので、床にこぼれても2時間ぐらいは危険な状態で残っているのです。

そのVXガスに対して、第2次世界大戦後、米軍がバイナリーシステム(混合型兵器)を開発しました。具体的には、VXガスを2つの成分に分けます。それぞれの状態では、毒性はほとんどないぐらいの弱さです。ところが、それが爆弾として投下して爆発した時にちょうど混合するようにして、VXガスになるのです。

マレーシアでの暗殺事件でも、最初の女性が金正男氏の顔に液体を塗りつけ、そのうえに別の女性がまた液体を塗りつけました。数滴あれば、VXガスは生成され、殺傷できます。あの瞬間、VXガスが金正男氏の顔のうえで生成されたのでしょう。明らかに北朝鮮は米陸軍の真似をしています。

私は1988年に日本で出版した著書『身のまわりの毒』(東京化学同人)のなかで、VXガスのバイナリーシステムについて図解つきで説明しています。中川死刑囚は、北朝鮮はオウムの真似をしたのではないかと言っています。その可能性もありますが、もしかすると北朝鮮は、私のその本を読んで今回の襲撃方法を考えたのかもしれません。

――確かに、マレーシアでは、最初はスプレーを噴射し、次にハンカチで口を押さえていました。猛毒の化学兵器を使ったのなら、2人の女性もただではすまなかったはずです。バイナリーシステムならば矛盾しませんね。

北朝鮮はサリンを、1995年の時点で大量に保有していたと言われています。サリンとVXは同じ神経ガスなので作り方も似ています。当時ミサイルはなかったでしょうが、いまはミサイルの弾頭に毒ガスを詰め込んで発射できる態勢を整えているでしょう。

日本との不思議な縁

――あなたは米国で毒性学や生物・化学兵器の専門家として名声を確立していますが、出身は台湾で、日本語も流暢です。そして、お父さんの杜聡明氏は薬物学の専門家で、台湾の医療界にも大きく貢献した人です。

私は化学の視点から毒物を研究しましたが、父は薬理の視点から毒物を研究しました。父はアヘンの管理などが専門でした。学生時代は愛国意識の強い人で、中国革命を成し遂げようと、当時の権力者である袁世凱を暗殺するため、台北から神戸を経て大連に渡り、北京の袁世凱の邸宅の水源にコレラ菌を流そうとしました。しかし、警備が厳しすぎて諦め、命からがら台湾に戻ってきました。この時、父と一緒に2人で袁世凱暗殺に向かったのが翁俊明さんという方で、日本でも有名なジュディ・オング(翁倩玉)さんのおじいさんにあたります。

父は日本の教育を受けましたし、母親も日本に留学していましたので、家庭では日本語を使っていました。私は台湾大学の理学部を卒業したあと、米国に留学しました。米国で結婚した相手も日系人でしたので、日本語はずっと使っていました。しかし、本格的に日本に通い始めたのはオウムによるサリン事件が起きてからです。そんな日本で、サリン事件の解決に貢献できて、日本政府から旭日中綬章をいただいているのですから、不思議な縁を感じます。

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野嶋剛

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2017年4月19日フォーサイトより転載)

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