政府は2月16日、日本銀行の正副総裁を含む国会同意人事案を、衆参両院の議院運営委員会理事会に提示した。その内容は、黒田東彦総裁の再任と、雨宮正佳理事の副総裁への昇格、早稲田大学の若田部昌澄教授の副総裁への起用となっている。
黒田総裁の続投、雨宮理事の副総裁昇格は予想通りだが、若田部教授の起用には意外感を覚えた向きも多いだろう。若田部教授と言えばバリバリの「リフレ派」で、金融緩和の拡大を強く主張している。現状の金融政策決定会合のメンバーである日銀総裁、副総裁、審議委員が圧倒的に「リフレ派」で占められている中で、リフレ強硬派とも言える若田部教授を起用する必要性は乏しい。
大きな落とし穴
若田部教授の起用はむしろ、市場の一部で強まる金融政策の正常化観測に対して、金融緩和姿勢を強く打ち出すという官邸の思惑が働いたものと考えるのが妥当だろう。
実際、2016年9月の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」(イールドカーブ・コントロール)導入時に、日銀が買い入れる国債の増加額は年間80兆円をメドとされたが、すでにその買い入れペースは50兆円程度にまで縮小してきている。日銀は明らかに、量的緩和から質的(金利)緩和へシフトしている。
事実、金融政策決定会合の議事録を見ると、一段の金融緩和を求める意見に対して、それを押しとどめる黒田総裁の意見をしばしば見かける。そこには、米国が金融政策の健全化を進めて金利上昇局面に入り、欧州も金融政策の正常化に進む中で、いまだに"異次元緩和"を継続しなければならない日銀の苦悩が滲む。
しかし黒田総裁の再任は、政府が容易に金融政策を正常化させないことを意味する。政府と日銀は、2013年1月に「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」という共同声明を発表している。この政策連携には、日銀が物価安定目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とし、その目標達成のために金融緩和を推進することが"明記"されている。つまり、消費者物価上昇率2%の目標は、日銀が勝手に降ろすことのできない"御旗"なのだ。
黒田総裁が就任して5年。就任時に華々しく打ち出した「2年で2%の物価上昇率」は、達成の見込みすらない。だが、2%の物価上昇率の達成が無理なことは、政府も市場も織り込み済みだ。黒田総裁が評価されているのは、ほとんど成果のないアベノミクス政策の中で、強烈な金融緩和を実施し、「円安による企業収益の回復」と「日経平均株価の上昇」をもたらしたことにある。そして、この強烈な金融緩和こそが、大きな落とし穴であり、最大の懸念材料でもあるのだ。
消費税「15%」が必要に
安倍晋三首相は、2020年度までのプライマリーバランス(基礎的財政収支、以下PB)の黒字化を目指していたが、2017年12月に消費税増収分の使途変更などによる幼児・高等教育無償化を盛り込んだ政策を打ち出すとともに、この黒字化目標を破棄した。
それに伴って、1月23日に開催された経済財政諮問会議(議長・安倍首相)で、内閣府は「中長期の経済財政に関する試算」を提出した。この試算では、高成長シナリオで実質GDP(国内総生産)成長率が2020年度に1.5%、2020年代前半から2%程度に達すると想定。PBの黒字化は、昨年7月の試算よりさらに2年遅れて2027年度になると予想している。具体的には、2020年度のPBは10兆8000億円程度の赤字だが、2027年度には8000億円程度の黒字になるとの見方だ。
しかし、そもそも2020年度のPB黒字化は「国際公約」だった。にもかかわらず、それが破棄されているだけではなく、黒字化達成目標自体がどんどん先延ばしにされている。もっとも懸念されるのは、黒字化目標を安易に先延ばしすることにより、財政規律が緩み、財政拡張に歯止めがかからなくなることだろう。その原因となっているのは、金融緩和にほかならないのだ。
日銀の実施した政策目標金利を0%水準に誘導する「ゼロ金利政策」により、政府が発行する国債金利が大きく低下したことで、国債関連コストは前例のないほど低水準になった。つまり、低い金利、安いコストで政府は国債を発行できるようになったわけだ。これでは、財政規律など守られるはずがない。案の定、安倍首相は「財政拡張路線」へと舵を切った。何しろ、国が発行する国債のほとんどは、金融緩和という名の下で、日銀が買い取ってくれるので、国債が未消化となる(売れ残る)心配は一切ないのだ。
安倍首相の進める財政拡大のしわ寄せは、すべて日銀が引き受けてくれる。それこそが、黒田総裁再任の根幹にある。
しかし、問題は消費税増収分の使途変更などによる幼児・高等教育無償化を盛り込んだ政策により、PB黒字化のための赤字国債償還などの財源がなくなってしまったことだ。本気でPBを黒字化しようと思えば、消費税率は10%に引き上げられた後、遠からぬ時期に、13~15%程度に再度引き上げねばならなくなるはずだ。
後始末は誰が
だが、そんなことは安倍首相にとっては関係のないこと。何しろ、自民党総裁の規定を変えない限り、安倍首相の任期は2021年9月までなのだから、尻拭いは次の首相がやることになる。安倍首相は「われ関せず」だ。そして、安倍首相が退任するまで、黒田日銀にツケをまわしながら、安倍首相は財政拡大路線をひた走るだろう。
しかし、いずれは日銀も金融政策の正常化(いわゆる出口戦略)に向かわねばならない時が来る。金利を引き上げれば、日銀が巨額の損失を被る事態は避けられない。2017年5月の衆議院財務金融委員会で、黒田総裁は、金利が1%上昇した場合、日銀が保有する国債の評価損は23兆円になると証言した。当然、日銀が買い入れている国債が増えているのだから、評価損も膨らんでいるはずだ。
日銀は国債の評価方法に「償却原価法」を採用しているため、国債を満期まで保有することを前提にしており、時々の決算で国債の評価損は計上されない。しかし出口戦略のために、日銀が保有国債を売却すれば、それは現実の巨額な損失となる。日銀の自己資本はわずか約7兆8000億円しかない。損失を処理できず、"債務超過に転落"するのは確実である。
その時、日銀の舵取りは誰がやっているのか? 黒田総裁自らが後始末をするのか、それとも黒田総裁の片腕で、金融政策のプロ、日銀プロパーの雨宮新副総裁が、後任総裁となって後始末をするのだろうか。
ちなみにその雨宮理事は、マイナス金利や長短金利操作など、黒田日銀の政策立案で中心的な役割を果たしてきた。金融正常化や追加緩和などを巡る政策の手法が複雑になっており、日銀が「次の一手」に動く局面では、政策の実務で重要な役割を担うことになる。
鷲尾香一 金融ジャーナリスト。金融業界紙、通信社などを経てフリーに。