「返還20周年」香港が直面する「劉暁波問題」という不確定要素--野嶋剛

今後の劉氏の容態や中国政府の対応次第では、7月1日の記念式典当日に向けて、予想外の事態が起きないとも限らない。

【香港発】 7月1日、香港は返還20周年を迎える。

習近平国家主席は6月29日正午、香港国際空港に到着した。習氏の初めての香港訪問であり、2014年の「雨傘運動」(行政長官選挙に端を発する反政府デモ)以後、多くの政治的な矛盾が表面化していただけに、同じ7月1日に就任する林鄭月娥(キャリー・ラム)・行政長官政権のスタートにあわせて、「出直し」をアピールする狙いだ。

突然の「悲報」

雨傘運動以来、中国と香港政府は、香港の民主化勢力や反北京の動きを見せる若者を力で徹底的に抑え込みに入っており、中国と香港の「結婚20年」を高らかに祝う万全の準備が進んでいた。大国・中国を象徴する初の空母「遼寧」も、香港に向かって航行中とされる。

ところが、中国のノーベル平和賞の受賞者である民主活動家の劉暁波氏が、末期の肝臓ガンであることが今週突然報じられると、香港の世論で劉暁波問題は関心を集めた。近年香港で続いた反対運動への疲労感もあり、7月1日の返還記念式典当日の抗議デモはそれほど盛り上がらない、とみられていたが、劉暁波問題で一転、参加者の増加を期待する声が民主派の間で上がっている。

先の行政長官選挙で「親中派」の本命候補だった林鄭氏が圧勝し、香港の民主派は大きく士気を落としていた。「雨傘運動」の結果、一時は大きく勢力を広げた本土派(香港を故郷と考え、中国と一線を画す考えのグループ)も、同派の立法会議員が議会での振る舞いを理由に議員資格を取り消されるなど、強引な本土派つぶしに押し込まれ、挫折感や諦めムードが広がっていた。

返還20周年や、習氏の訪問に対する一般人の関心もあまり高くなかった。筆者の友人のビジネスマンも、一昨日ぐらいまでは「返還20周年? 興味ないよ。勝手にやってくれって感じだ」と語っていた。新聞の特集なども控えめで、ほとんど話題にすらなっていないような印象だった。

しかし、香港返還20周年、習近平の香港訪問、新香港政府の発足の直前というタイミングのなかで広がった劉氏の「悲報」が、眠りかけていた香港人の政治意識に再び火をつけるのかどうかが注目される。

「反北京」のムード

劉氏は、1989年の天安門事件以来中国の民主化運動にかかわり、中国共産党の一党独裁の廃止を求めた2008年の「08憲章」を起草して国家政権転覆扇動罪で逮捕され、懲役11年の実刑判決を受けて錦州の刑務所で服役していた。妻の劉霞氏も自宅で事実上の軟禁状態に置かれている。2010年には獄中でノーベル平和賞を受賞したが、中国政府は早期釈放に応じない姿勢を貫いてきた。

劉氏は香港でも非常に知名度が高く、民主派とも深い人間的なつながりを持っている。また、中国の人権派や民主活動家に対する抑圧に対しては、天安門事件への大規模な追悼集会を毎年6月4日に行っているように、香港人がこだわってきた部分でもある。

そんな中の6月26日、劉氏の妻である劉霞氏が知人とのテレビ電話で泣き崩れながら、「手術もできない。放射線治療もできない。化学治療もできない」と語っている動画がフェイスブックなどで一気に広がり、劉氏の問題への関心が高まったのだった。

中国の民主化に対しては、「中国人」として関心を持つというスタンスの伝統的な民主派と、「香港人」として中国の国内事情にはそこまで関心を寄せない新興勢力の本土派らとの間で温度差があり、天安門事件の追悼に対するスタンスでも、その積極性をめぐって亀裂が生まれていた。

ただ、中国の民主化運動のなかでもカリスマ的な尊敬を集める劉氏の問題については、生命の危険にかかわる現在進行形の話だけに各勢力も問題意識を集約でき、「劉氏の問題は民主化や言論の自由を制限されている香港にもつながっている」というロジックで、反北京のムードを作りやすい部分がある。

20人以上が拘束

28日夜には、返還20周年記念式典が行われる香港島の会場近くの広場で、香港返還を記念するモニュメントに「劉暁波の無条件釈放、香港に真の普通選挙を」と書かれたのぼりをかぶせ、香港の民主派や本土派らの立法会議員や政党の幹部らがモニュメントを占拠する騒ぎがあった。

およそ3時間で警察に排除され、香港の報道では20人以上が「公共の秩序」を乱した容疑で拘束されたという。メンバーの1人は、「劉暁波の問題は、中国共産党の本質を示している。黙っていても民主が中国から与えられることはなく、我々の世代が努力して勝ち取らなければならない」と話した。

一部では、劉氏が欧米で治療を受けるための出国へ向けて調整が進んでいる、との観測も出ている。出国先には米国やドイツなどの名前が上がっているが、民主派寄りの立場をとっている新聞の『明報』は28日の社説で、「劉氏はもともと無実であり、海外に治療のために出国させるだけでは不十分だ」と批判を続ける構えを見せた。

雨傘運動の前のように、香港全体の雰囲気が一変するところには現状はまだまだ遠いが、今後の劉氏の容態や中国政府の対応次第では、7月1日の記念式典当日に向けて、予想外の事態が起きないとも限らない。

厳戒態勢

習近平氏は彭麗媛夫人を伴って29日から1日までの香港滞在を予定している。1日の記念式典出席のほか、民主派を含めた香港の立法会議員らと面会する。民主派の議員らは香港の政治改革の実現を求める文書を習氏に手渡すという報道もある。

街頭では親中派の企業や団体が習氏訪問の歓迎ポスターを張り出してムードを盛り上げようとする一方、香港全体で警備が厳しさを増している。式典会場付近は29日から地上も空域も進入禁止措置がとられた。香港空港でも入管の入国審査の手前で警備関係者に何度かパスポートの提示を求められた。(野嶋 剛)

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野嶋剛

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2017年6月29日フォーサイトより転載)

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