「マクロン大統領」1カ月(下)「国民議会選」多数党でフランスは変わるか 堀茂樹

フランスは放っておけばまとまらず、分裂してしまうほど「遠心力」が強い国です。

注目された国民議会(下院)選の第1回投票は昨日(6月11日)、即日開票され、現時点(6月12日正午)の情報では、マクロン大統領率いる新党「共和国前進」が、定数577議席のうち連携する政党分とあわせて450議席前後を獲得し、過半数の289は大きく超えそうな見通しだといいます。ただし、各選挙区で過半数の得票を確定させた候補は少なく、大半の選挙区で議席の確定は18日の決選投票に持ち越された模様です。

強く働く「遠心力」

前稿の(上)で述べたとおり、フランスの国内は多様です。一般にはパリ中心の中央集権国家と思われており、それは事実なのですが、前述の地域差も大きく、民族的にも、文化的にも同質的ではありません。放っておけばまとまらず、分裂してしまうほど「遠心力」が強い国です。

だから、フランス革命で国民国家に生まれ変わった後も現在まで、中央に国家権力という大きな「求心力」を存在させ、互いに相矛盾する多様な志向を、法律や政治によって強引にまとめ上げてきたという歴史があります。

つまり、ネイション(民族)が国家を創ったのではなく、国家がネイション(国民)を形成したわけです。ですから、この世に「フランス人」はいても、「フランス民族」なるものは存在しません。

ところが、EUがマーストリヒト条約(1993年発効)からリスボン条約(2009年発効)を経て連邦制的傾向を強めるにつれ、フランスの国家主権が目減りしてしまいました。

主権が危うくては、民主主義も営みようがありません。これは今や、フランスという国民国家が生き延びられるかどうか、中身のない貝殻のようになってしまうかどうか、という切羽詰まった問題になってきています。

ヨーロッパが、フランスにおける国民国家形成の拡大版、つまり「ヨーロッパ市民」の意識をもった人びとが形成する大きなネイションになっていくのであればよかったのですが、ヨーロッパは多様すぎて、アメリカ合衆国のような「ヨーロッパ合衆国」としてまとまることは不可能です。

となると、EU統合で主権が目減りしてしまったフランスでは「遠心力」が強く働いて、フランス自体がユニット性を失い、グローバル世界の中に溶解してしまうかもしれません。

「国家主権主義」の台頭

その可能性に危機感を抱いていたのが極右「国民戦線」のマリーヌ・ルペンであり、急進左派「左翼党」のジャン=リュック・メランションであり、さらには、第1回投票で4.7%の得票率を記録したあと、第2回投票前にルペンと連合し、ルペン当選の暁には首相に就任することが決まっていたド・ゴール主義の政党「立ち上がれ共和国」党首のニコラ・デュポン=エニャンでした。

この3者はEUに絡めとられた国家主権の回復を目指すという点では一致していました。いわば「国家主権主義」と呼んでいいでしょう。

他方、そこまでフランスにこだわらなくてもいいじゃないか、というのがエマニュエル・マクロンの立場です。

グローバリゼーションを推し進め、ドイツのメルケル首相とともに緊縮政策を維持し、新自由主義的な政策でフランスを刷新していく、というのが彼の主張です。彼はその意味で「ヨーロッパ主義」者です。

そして、ややもすると日本では、国家主権主義が右派で、ヨーロッパ主義が左派というイメージが流布されがちです。

マクロンの「矛盾」

ところが、ヨーロッパ主義とは本来は右派の思想なのです。フランス革命のとき、革命に反発した貴族たちはこぞってフランスを出て、ヨーロッパ各国の王侯貴族のもとに身を寄せ、そこから祖国フランスを攻撃したという歴史があります。

当時のヨーロッパ諸国の王侯貴族は、汎ヨーロッパ的に生きていたわけですから、ヨーロッパ統合と、それと対(つい)になった地域主義というのは、19世紀のフランスでは明らかに「右」のイデオロギーで、王政復古派の好むところでした。

現代、マクロンを支えているのは、グローバル化したエリートたちを含む中産階級です。彼らは当時の王侯貴族と同様、国民国家のフレームの外で生きているので、フランスそのものにこだわらなくていい。しかし、下層社会はこれについて行けません。

一方、国民国家への執着や愛国主義は、よきにつけ悪しきにつけ、フランス革命期からの伝統に照らせば、本来左派のものです。

つまり昔に遡れば、欧州統合はむしろ貴族的な反革命のイデオロギーで、国民国家フランスという枠を作ったのは民衆だったのです。

その意味で今回の大統領選は、「国家主権主義」と「ヨーロッパ主義」の対決だったとも言えます。

結果はマクロンを押し立てたヨーロッパ主義の圧勝でしたが、第1回投票で、ルペン、メランション、デュポン=エニャンの得票率合算が50%にも迫る勢いだったのは、そのぶん国家主権主義が人びとの間に浸透した、ということです。

国民の意識や考え方の重心が、「国家」再評価へと動いており、この流れを無視することはできません。

そこでマクロンは選挙戦中、ルペンは排他的なナショナリズムであり、自分はパトリオティズム(愛国主義)だと言って差別化を図りました。そして当選直後の演説でも、「共和国を護る」と強調しました。

でもこれは、マクロンの「矛盾」であり、口先だけの綺麗ごとです。彼はまぎれもなくグローバリストであり、新自由主義者であり、ヨーロッパ主義者です。

国民国家存立の危機

さて今後ですが、マクロンが大統領では、フランスは何ひとつ変わらないでしょう。

普通の良識的なフランス人のうちには、渋々マクロンに投票した人が多かったようなのですが、その人たちも、マクロンの任期5年はオランド統治の5年の継続延長にしかなり得ないと思っているでしょう。

ただ、「何ひとつ変わらない」ということは、フランスがじわじわと衰弱していくということです。

もし何かが変わるとしたら、経済分野でしょう。

まずは労働条件の問題。マクロンは労働者保護、日本で言う労働基準法的な規制を緩和するわけです。労働者保護の規制が強すぎて、労働市場の流動性がない、というのが言い分です。

だから自由化の方向に進める、としています。しかも、立法をすっ飛ばして、政令でどんどんやって行くと。

ただそのためには、残る6月18日の国民議会選決選投票で、マクロン大統領の与党「共和国前進」が最終的に過半数を制して多数派になれるのかどうかが鍵になります。

現在のフランスでは、大統領と国民議会議員の任期が同じ5年で、選挙の時期が重なるようになっています。これまでフランス国民は、大統領選挙で勝った新大統領の政治勢力に、議会選挙でも多数派を与えてきました。

これは彼らが政治的に成熟していることの表れとも言えそうですが、今回に限っては、マクロンが議会での与党形成に成功しない可能性もあるという見方もありました。

そもそもマクロンの支持母体は昨年できたばかりで、しっかりした下部組織を持っていないように思われます。もし多数派を形成できなければ、今後「求心力」が小さいままで舵取りをしなければならなくなります。

フランスにもし国柄というものがあるとすれば、その1つは、経済に対する政治の優位でしょう。とにかく国家が主意主義的に経済に介入するのです。

政治の領域まで経済メカニズムの自動運動に任せてしまう「経済主義」は、すこぶる政治的な人民であるフランス人が一般に嫌うところです。

今回の大統領選挙で右派ポピュリズムのスターだったルペンと、左派ポピュリズムの代表だったメランションは、異口同音に「政治を回復する」と言っていたのですが、最終的な結果は、彼らとは対照的な新自由主義的グローバリスト「マクロン大統領」誕生でした。

しかも、万が一議会で安定した多数派を形成できないとなると、「遠心力」が働いて国がバラバラに分裂するかもしれません。

フランスは今、近代国民国家としての存立の危機を経験しようとしているのかもしれません。

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堀茂樹

1952年、滋賀県生まれ。慶應義塾大学名誉教授。早稲田大学教育学部、慶應義塾大学文学研究科修士課程を経て、フランス政府給費留学生としてソルボンヌに学ぶ。帰国後、慶應義塾大学文学部助教授、同大学総合政策学部教授。専門の20世紀フランス思想を中心とする西洋思想史のほかに、アゴタ・クリストフ『悪童日記」などの翻訳者として知られる。主な訳書にヴォルテール『カンディード』、トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』、著書に『今だから小沢一郎と政治の話をしよう』、『グローバリズムが世界を滅ぼす』(共著)など多数。

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(2017年6月12日フォーサイトより転載)

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