MERSに揺れる韓国(上)セウォル号事故の教訓は生きたか

韓国社会はMERSに揺れている。MERS拡大がなぜ起きたのか、MERSの拡大で、韓国社会で何が問題になっているのか――。その社会的シンドロームを検証してみたい。
ASSOCIATED PRESS

韓国で5月20日に中東呼吸器症候群(MERS)の感染者が確認されて1カ月以上が経過した。6月29日午前6時現在、感染者は182人、その内、死者が32人となっている。隔離対象者は累計1万5000人を超えたが、29日現在は約2682人となっている。新たな感染者数が減り、MERS感染拡大もようやく峠を越えたようにみえるが、潜伏期間を10日以上超えて感染者が出たり、少数ながら感染経路の不明な患者がいたりするなど予断を許さない状況だ。

最初に感染が確認されたのは68歳の男性で、4月18日から5月3日に掛けてサウジアラビアなど中東数カ国を訪問し、5月4日に韓国の仁川空港へ帰国した。この時は発熱などの症状はなかった。この男性は11日になり発熱し最初の病院で治療を受けた。男性は12日に別の病院へ入院し、18日には3番目の病院へ入院して20日に感染が確認され、4番目の病院へ移送された。同日にはこの男性の夫人が感染していることが確認され、21日には2番目の病院で男性と同じ病室にいた76歳の患者が3番目の感染者になった。

最初は1人の感染者だったが、1カ月余りで180人以上が感染し32人が死亡する事態になり、韓国社会はMERSに揺れている。

MERS拡大がなぜ起きたのか、MERSの拡大で、韓国社会で何が問題になっているのか――。その社会的シンドロームを検証してみたい。

身近にあったMERS

筆者はちょうどシンポジウム参加のために6月7日から11日まで韓国を訪問し、MERSに揺れる韓国を垣間見た。7日から9日まではシンポジウムのあった済州島に滞在し、9日から11日まではソウルに滞在した。

筆者が済州島を訪問した時点では、済州島では感染者は確認されていなかった。それで安心していたが、6月17日に感染者と判明した40代の男性が6月5日から8日まで家族・親戚11人と一緒に済州島の新羅ホテルに宿泊していたことが分かった。筆者はロッテホテルに宿泊したが、両ホテルとも済州島南部の中文観光団地内にあり隣り合わせのホテルだ。7~8両日は一緒に同団地内に滞在していたわけだ。MERSは案外、身近なところにあった。

日本ではMERSを「マーズ」と言っているが、韓国では「メルス」と言っている。筆者は友人の韓国人に「重症急性呼吸器症候群の:SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)を『サーズ』と言っているのだから、MERSも『マーズ』の方が良いのでは」と言うと、友人は「MERSは『Middle East Respiratory Syndrome』の略字だからメルスの方が良い。マーズは日本式の言い方だ」と言った。

疑いようがない「初動ミス」

最初の患者は韓国中部の平沢聖母病院で「バーレーンに滞在した」と明らかにしたが、後で、サウジアラビアやアラブ首長国連邦にも滞在していたことが分かった。病院側は、患者がバーレーンを訪問しており、熱やせきなどMERSの症状があることから、5月18日午前に疾病管理本部に確認を求めた。疾病管理本部はバーレーンではMERS患者が出ていないことから、他の12の呼吸器疾患の検査を指示した。しかし、他の疾患でもなかったため、疾病管理本部は19日夜になってようやく検体を持って行き20日朝になりMERSであることが判明した。このため、接触者の追跡などが少なくとも1日半遅れた。正直な申告をしなかった患者も問題だが、米国は中東地域全体を危険地域にしており、国の杓子定規な基準で被害を拡大させた面もある。

文亨杓(ムン・ヒョンピョ)保健福祉部長官は5月29日「アリ1匹も見逃さない姿勢で1つ1つ徹底対応する」と強調したが、実態は穴だらけの対応だった。

次にMERS感染者が隔離対象者以外からも発生し、当初の隔離対象者の設定が甘かった実態が浮かび上がった。当初は最初の患者の「2メートル以内、1時間以上の接触者」という狭い範疇の「密接接近者」を隔離対象としただけで、最初の患者と同じ病室、同じ病棟にいる患者は何の統制も受けずに他の病院へ行くことも可能だった。

また当局が「密接接近者」と判断する範疇に入っていた人物も完全には把握できていなかった。感染者の娘が「自分もMERSに感染したようなので隔離治療して欲しい」と訴えたが、体温が36.3度と平熱だったために「MERS感染の疑いはない」と帰宅させたケースもあった。これもマニュアルの杓子定規な適用が招いた誤りだった。

最初の院内感染が起きた韓国中部の平沢聖母病院の院長は、5月下旬の段階で病院全体を隔離対象にして、関係者の移動を禁じる措置を取るように政府に進言したが拒否されたと後に明らかにした。

韓国の保健当局の初期対応は穴だらけだったと言わざるを得ない。

情報公開の欠如

政府対応のうち、韓国国民が最も批判したのは、当初の段階で韓国政府が感染の舞台になった病院名などを公表しなかったことだ。政府は「不合理な恐怖心を煽り、MERS治療に当たる病院が不利益を蒙る」と情報公開を拒否した。ネット上では様々な情報が飛び交い、司法当局は「不確かなうわさを流した者は罰する」と高圧的な態度に出た。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は6月3日に青瓦台(大統領府)で民官合同緊急点検会議を開き「国民の不安を解消するために最も重要なことは正確な情報の透明な公表」と語った。しかし、この時点でも青瓦台当局者は、病院名については「安全な施設が汚染された施設と誤解される恐れがある」として公表しないとした。その後、感染者が最も多かった京畿道平沢市の平沢聖母病院の名前だけを公表し、感染者の出た病院名をすべて公表したのは6月7日になってからだ。最初にMERSが確認されて実に19日目にしてようやく関連病院24カ所の名前が公表された。

朴槿恵大統領は「最も重要なことは正確な情報の透明な公表」と言っておきながら、それを実践しなかった。ここには不都合なことは「知らしむべからず」という権威主義時代の思考が残っていたと批判されても仕方のないものだ。

ソウル市長の深夜の会見

政府のMERS対策に国民の不満が高まっている中で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は6月4日午後10時半にソウル市で緊急記者会見をした。朴市長は感染者の医師が、5月29日にMERSの症状(発熱、咳)を覚え、30日は自分の勤務するソウル市江南の病院でシンポジウムに参加し、その日の夕刻には同市瑞草区で開かれたマンションの再建築組合の総会に出席して帰宅。31日には高熱や咳が出たが再び病院のシンポジウムに出席し、帰宅したが同日夜に病院に隔離され、6月1日に感染者と判明したとした。組合総会には1500人以上が出席しており、ソウル市の担当者が保健福祉部の対策会議に出席し、事実の公表と対策を求めたが、保健福祉部が対応を取っていないと批判した。朴市長は総会参加者に対して、ソウル市として自宅隔離措置などを検討しているとした。

文亨杓保健福祉部長官は翌6月5日に「事実と異なる主張で国民の不安感を煽っている」とソウル市に反論した。朴槿恵大統領も「地方自治体が独自にMERSを解決しようとすれば混乱を招くだけ」と朴市長を批判した。

朴元淳ソウル市長は野党、新政治民主連合所属で、文在寅(ムン・ジェイン)同党代表とともに次期大統領候補の1人と目されている。韓国の世論調査会社、韓国ギャラップは6月12日に次期大統領に誰が良いかを問う調査(9~11日実施)で、朴市長の支持率が先月15日の11%から17%にアップして与野党を通じてトップに立ったと発表した。文在寅代表と与党・セヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表がともに13%で同率2位だった。文代表は2ポイント下落、金代表は1ポイント上昇した。朴市長の急上昇は明らかにMERSへの積極的な対応姿勢に有権者が好感を示したもので、有権者の「ぐずぐずした対応よりも過剰対応がまだまし」との判断を示したといえる。

問われる朴槿恵大統領の姿勢

こうした中で朴槿恵大統領の執務姿勢が問われた。朴槿恵大統領がMERSについて文亨杓保健福祉部長官から「対面報告」を受けたのは、最初の患者が確認された6日後の5月26日であったことが国会の質疑の中で明らかになった。それも特別な報告ではなく、26日に開かれた閣議での報告だった。この時、朴大統領は文長官の報告に特に対応しなかった。6月1日に最初の感染者と同じ病院に入院していた58歳の女性が亡くなり、最初の死者が出た。新聞は5月末頃から社説でMERSを取り上げ出した。

朴大統領は対面報告を嫌い、書面で報告することを好む。しかし、そのスタイルが対応を遅らせる。朴大統領も文長官も事態の深刻さを5月の段階では十分に認識していなかったといわれても仕方ない。朴大統領の関心は国会法の改正などにあり、MERSの深刻さに対して認識が不足していた。

韓国政府は5月末までは保健福祉部に対応を任せていた。政府全体での取り組みではなかった。朴大統領は6月1日に首席秘書官会議で政府を挙げて感染拡大に取り組むよう指示はしたが、特別な対応は命じなかった。朴大統領は通常の日程をこなした。

朴槿恵大統領は6月3日になりようやく「MERS対応官民合同緊急点検会議」を主宰した。文亨杓長官は報告をしたが、これも直接対面でなく「ビデオ報告」だった。朴大統領は「~について調べてみて」という指示を出した。朴大統領の悪いくせである。

朴大統領は官僚や役所の対応をしばしば叱責する。これは自分を国民と同じ立場において、国民の立場から官僚や役所を叱責し、注文を付けるという効果はあるが、ここでは大統領はあくまで「第3者」である。しかし、朴大統領は「第3者」ではなく「当事者」なのだ。「これを調べて」ではなく「これをやる」でなくてはならない。自分を「第3者」の場に置いて、指示や注文を出すのは、自己を国民や政府より一段階上の存在とする発想につながるものといわれても仕方ない。自らが渦中に飛び込んで失敗をしても、自分が泥まみれになっても問題解決に当たるという姿勢を朴大統領から感じることができないのだ。

韓国ギャラップが6月5日に発表した世論調査結果(2~4日)では、朴槿恵大統領の支持率は前週から6ポイント急落し34%になった。5週連続で39~40%の支持率を維持してきた朴大統領だが、MERSへの対応が下落の原因であることは明白だ。

同社の6月12日発表では朴大統領の支持率は33%とほぼ横ばいだったが、6月19日の発表では30%を割り込み29%まで低下した。税制改正で世論の批判を受けた1月下旬と同じ水準で、政権発足以来最低水準だ。不支持の理由では、MERSへの対応不十分が33%と最多だった。MERSの新規感染者数などが減少し峠を越したという雰囲気が広がったためか26日発表では朴大統領の支持率は前週より4ポイント上がり33%になった。

大統領は「部外者」ではない

今回のMERSの拡大に伴い議論されていることの1つに、韓国政府の対応に昨年4月のセウォル号沈没事故の教訓が生かされたのかという問題がある。セウォル号沈没事故では韓国が抱えている総体的な問題点が浮き彫りになった。船長がいち早く乗客に脱出を求めなかったという問題だけでなく、積み荷の管理、船舶の構造、監督官庁の機能不全、政府と業者の癒着、救出に当たった海上警察、迅速に動かなかった政府、誤報をして救出活動を混乱させたメディアの責任などなど、韓国社会全体が抱える病魔の結果だったという反省だ。

今回も政府の危機管理能力が問われた。既に記したように朴槿恵大統領の危機管理が十分だったとは言えない。おそらく政府がその深刻さを感じ始めたのは6月に入ってからだ。セウォル号事故と同じように初期対応に問題があった。朴大統領は6月1日の青瓦台の首席秘書官会議で「MERSのような新種の伝染病は初期対応が極めて重要なのに感染力に対する判断と接触者の確認、予防、広報と医療関係者に対する申告案内などに不十分な点があった」と政府の対応を批判した。しかし繰り返すが、大統領は「部外者」ではない。5月段階で「対面報告」も受けず、問題を保健福祉部に丸投げしていた朴槿恵大統領を含めた青瓦台の危機意識に大きな問題があった。初期対応が不十分だったのは保健福祉部だけでなく、朴大統領を含めた青瓦台も批判の対象にならなくてはならない。

朴大統領の統治システムの問題点は、権力のすべてが大統領の判断に集約されているところにある。韓国では民主化によって権力の分権化が進んだが、朴槿恵政権のシステムは「朴正煕(パク・チョンヒ)時代」的な構造に戻っている。保健福祉部の末端組織は長官に報告すれば責任を果たしたと思い、保健福祉部は青瓦台に報告すれば責任を果たしたと思い、青瓦台内部では朴槿恵大統領が報告を拾い上げねば動かない。行政組織が上部への報告で責任を果たしたと思い、現実に危機が起きている現場に目を向けようとしない。これこそが朴槿恵時代のシステム的な危機である。

セウォル号沈没事故で問われたのは、韓国という国全体の安全と安心のシステムを総点検することであった。感染症対策などもその中の重要な課題だったはずだ。しかし、セウォル号事件の特別法制定をめぐる対立などに精力を使い、最も求められていた社会システムの点検作業を怠っていた。

例えば、伝染病隔離指定病院は韓国全体で17カ所に過ぎず、MERSなど感染症に対応するための、病室内の気圧を外部より低くして空気が外部に出ないようにした陰圧病室を備えた国家指定の分離病室は、全国でわずか105床に過ぎない。今回の事態で、隔離病棟の不足で、軽症の結核患者が退院を促される状況も生まれている。

総体的に、セウォル号沈没事故の教訓が生かされたとは言いがたい。

手に負えない人たち

韓国の人たちの行動は極めて興味深い。1997年のアジア経済危機の時には「金(きん)集め運動」という運動が起きた。韓国では子供の誕生100日目や1年目の誕生日に金製の指輪などを贈る習慣がある。経済危機で国に外貨がなくなったので、国民による「金」の寄付運動が起きた。筆者は当時、ソウルで生活していた。「自分なら、個人の金の指輪を国に寄付するなんて絶対にしないがなあ」と思ったものだ。その時は、韓国の人たちは一丸となって経済危機克服に団結した。

しかし、今回のMERSの拡大では、いろいろな「手に負えない人たち」が登場して感染を拡大させた。ことの始まりの患者も、なぜ最初から「サウジアラビアへ行った」と言わなかったのか理解できない。

香港経由で中国に入国した40代の韓国人が、5月29日にMERSと診断された。この男性は5月26日に韓国の仁川空港から香港へ到着。検査で発熱が確認されたので、検疫官が中東への渡航や患者との接触の有無などを質問したが、男性は否定した。実は男性の父と姉が感染していた。検疫官は病院へ行くことを勧めたが男性は拒否した。男性は香港から広東省深圳経由で恵州へ向かったが、韓国政府から27日夜になり連絡を受けた中国政府が男性をホテルで見つけ病院へ隔離した。その後、感染が確認された。

香港メディアによると、香港当局は香港行きの航空機でこの患者の近くにいた28人中、中国、韓国へ行った11人を当該国へ通告した。しかし、この中にいた韓国人男性は、韓国で隔離されず6月1日に再び香港に入国しようとして摘発された。2003年のSARSの経験を持つ中国や香港では韓国批判が高まった。

ソウル市内に住む50代の女性は隔離対象になっていたのに、全羅北道のゴルフ場まで出掛けてプレーを楽しみ、保健当局は警察まで動員して自宅へ連れ戻した。

感染者が多数発生したサムスンソウル病院に立ち寄り6月9日ごろになり咳や発熱を覚えた男性は、その後、自分で保健所に申請したが、救急車が到着する15分間を待てずタクシーに乗って近くの大病院へ行った。この病院の外に設置された臨時診察室で検査結果を待っている間に「MERSを広めてやる」と騒動を起こし、この男性を制止した3人の医師が隔離措置を受け医療活動に従事できなくなった。 大邱では、公務員がMERSの症状が出ていたのに複数の集会に参加し、銭湯にも通っていた。

今回のMERS拡大ではこうした自分勝手な「手に負えない人たち」が続出している。一方では、全羅北道淳昌郡長德里では、院内感染の場となった平沢聖母病院に入院していた高齢の女性が村に帰ってきたために、村全体が隔離状態になり、村の51世帯、102人の住民は村の外へ出ないなどしたケースもあった。村ではイチゴなどの収穫期だったが、ボランティアに助けられ、防疫体制を維持した。高齢の女性は亡くなったが、村で新規感染者は出ず、感染が外に広がることもなく全国の防疫体制の模範になった。(つづく)

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2015年6月29日フォーサイトより転載)

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