「マイナス金利」政策が問う「貨幣」「銀行」とは何か?

これまで銀行が保有するJGBを日銀が買い込んできたのは、銀行の手元で膨れあがる貨幣が、社会的な収穫増へ繋がることを期待したのだが、実際は...

1月29日に日本銀行の黒田東彦総裁は金融機関が日銀に預ける当座預金の一部についてのマイナス金利の適用を決めたと発表した。そして2月16日からは新たに日銀に積み上がる預金に負の金利が適用された。しかし、株価や円レートは日本の金融事情の変更だけで決まるものではない。足元においては不透明な中国の経済実態と政策の手詰りについての不安感が強く、これが安全資産の日本国国債(JGB)の買いを誘発する側面が顕著だ。

このため黒田総裁の意図は市場では達せられていない、との見方が出る。これに対して黒田総裁は「もしマイナス0.1%が力不足ならば、更にマイナス幅を広げることは可能」と当初から述べている。異次元の金融緩和の道筋にはまだまだ先があると述べているも同然といえよう。

黒田氏の経済学の教養の基本はオックスフォード大学留学中にできている。どの教科書が印象深かったのか、どの学者の叙述にセンスを感じたのか、などについては黒田氏自身が多少印象を語っているが、私はオックスフォード大学の名誉教授であったジョン・ヒックスの手になる『クリティカル・エッセーズ』は間違いなくその1つだと判断している。

それは彼がオックスフォード大学に在籍した1970年前後に、この書がもつ説得力にかかわって、多くの研究者が読み合わせをしていたからである。遠い昔のことになるが、当時の経済学はひとつにまとまっていたといえる。ヒックスの経済、とりわけ投資と金融についての記述は、万古の歴史を通底する深味を持つものだ。人類の歴史のなかに置けば、いま言う「異次元」も特別突飛なことではない。

貨幣は「消滅可能な財」である

小麦の収穫から話は始まる。どれだけを消費するか、また種播き用に保存するかは同時に決定される。このとき播いた種が収穫時にどの程度の収量となるのかについて推測するのは簡単なことではない。天候要因は当たり前だが、土壌が破壊されるほどの天変地異も想定外というわけにはいかない。ここまでは小麦の取引価格について何も触れていないが、収穫量の想定だけでも諸変数に依存することが明らかだ。

翌年の収穫量と播いた種との間に成立するのが収穫率であり、これを自然利子率と呼ぼう。歴史に照らしてみれば自然利子率はプラスである場合がほとんどだが、特定の時期や地域では播いた分だけも収穫できないことがある。このとき自然利子率はマイナスとなったと記述されることになる。19世紀半ばのアイルランドではジャガ芋の収穫も不調で、移民の大量発生に直結した。自然利子率のマイナスについての記述は歴史的にみて決して稀有なことではない。

ヒックスは小麦を例にとり、投資に振り向けられるものといえども常に価値が保全されるわけではないことにも触れる。種播きの季節がくるまで、種は倉庫の棚に置かれよう。小麦は消滅可能性を否定できないのだ。腐蝕もあれば、鼠が引いていくこともあるからだ。棚から取り出したときに、棚に置いた分を保証できるとは限らないのだ。

倉庫の湿度や温度についての管理費用も決してゼロではない。こうした財はペリッシャブル・グッズ(perishable goods)と呼ばれる。消滅可能性がゼロではない、ということだ。そして、マイナスの金利の賦課とは、貨幣もまたperishable goodsになる可能性があるということを、公に認めたということでもある。

「総裁の頭の中」を推測しよう

ここから先は黒田氏が想起しているであろう3点についての私の勝手な推測である。夢々日銀へ苦情を送りつけることなかれ。

1)「貨幣の鮮度」を管理すべし

経済の現状は、貨幣もまたperishable goodsになる可能性があるほどの「異次元」であるゆえに、銀行経営者には鮮度管理の感度が不可欠である。これまで銀行が保有するJGBを日銀が買い込んできたのは、銀行の手元で膨れあがる貨幣が、その使用を通じて社会的な収穫増へ繋がることを期待したのだが、実際は、日銀への当座預金を積み上げるばかりであった。

日銀の棚に積み上がる、銀行にとっての余剰に「ブタ積み」の名が冠されてきたのは、鮮度管理感覚から外れた銀行経営者が昔も今も大多数であることを示している。

これに対して小売店経営では鮮度管理は商売の伊呂波(イロハ)である。perishable goodsの取り扱いを銀行経営者は彼らから学ぶべきだ。それにつけても日銀への当座預金に0.1%の金利をつけてきたことは、彼らに鮮度管理に関してディスインセンティブ(意欲をくじくもの)を与えてきたようなものだった。

2) 変わりつつある「決済機能」のあり方

決済機能は銀行にしかないがゆえに「銀行は不滅」と銀行経営者は胡坐(あぐら)をかいてきたし、政府は決済機能のマヒは経済混乱に直結するがゆえに、決済機能の安定性維持は外せなかったのだが、結局のところ銀行保護になってしまった。決済の安全性についていえば、今日ではいわゆるフィンテック(financial technology)の発達によって、従来とは比較にならない固定費用で活用可能となりつつある。

オープン・イノベーションを前提としたブロックチェーンはその一例であろう。ネットワーク上において金融取引の記録が残されていれば、相互にチェック可能な状況となる。こうした抑止効果を前提とすれば、送金や決済の費用を限りなくゼロに近づけることも可能だ。取引費用の消滅についての想像力をかき立てるだけで、内生的な成長率の引き上げも可能になるのではないか。

3) 「銀行が生み出すべきもの」とは?

そもそも貨幣がperishable goodsになってあわてるようでは、銀行のマッチング機能にみるべきほどのものがないということではないか。八百屋でも魚屋でも、その日のうちに需給を個別商品ごとにマッチングさせねば、すなわち店頭からすべてを売り切らなければ、顧客の出足は翌日からにぶることを知っている。このことは価格の柔軟な設定から始まり、経済社会における諸機能のマッチングにまで至るはずだ。

潜在的な投資需要の発掘という視点に立って、経済諸主体の結びつけに革新があってよいはずだ。不足する場所や機能を、利用可能なあき空間や余剰能力に結びつける情報(インテリジェンス)創出が問われているはずだ。

たとえば宅配便の従事者確保が難しくなっている。届け先への再配達比率の上昇や代金引き換えの決済業務の手間などを解消するためにも、決済手法の簡便化やロッカー設置のマッチング業務は極めて重要になっている。小売業の革新にオムニチャネル(全部を束ねる経路)づくりが不可欠との見方もあるのだ。

しかし各銀行は消費者を対象とした自らにとってのリーテール(小売)業務の重要性を強調するものの、実体経済のなかからインテリジェンスを産み出す力がない。資金需要や資金移動にかかわるビッグデータの分析やクラウドコンピューティングの実態分析を通じて、消費者や事業会社の潜在的な需要を引き出す業務こそが求められているはずだ。perishable goodsの分類に貨幣を一度置いてみることも、多少の刺激になるかもしれない。

マイナス金利は間違いなく日本経済が分水嶺を越えたことを示している。新たなインテリジェンスの創出への努力がどこで始まったのかの点検から、分析の開始を期したいと思う。

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田中直毅

国際公共政策研究センター理事長。1945年生れ。国民経済研究協会主任研究員を経て、84年より本格的に評論活動を始める。専門は国際政治・経済。2007年4月から現職。政府審議会委員を多数歴任。著書に『最後の十年 日本経済の構想』(日本経済新聞社)、『マネーが止まった』(講談社)などがある。

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(2016年2月29日フォーサイトより転載)

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