日経「FT買収」成功のカギは「アジアの読者をつかめるか」

日本経済新聞社による英『フィナンシャル・タイムズ(FT)』の買収は、日本のメディア界に衝撃を与えた。

日本経済新聞社による英『フィナンシャル・タイムズ(FT)』の買収は、日本のメディア界に衝撃を与えた。日経がFTという世界の新聞の頂点に立つブランドを手に入れたことへの羨望とともに、グローバル展開、デジタル化で差を広げられたと感じているからだ。

一方、海外では「日経にFTのマネジメントはできない」「日経支配のもとではジャーナリズムとしてのFTは終わった」という辛辣な見方が多い。内外のメディアの視野狭窄ぶりを感じざるを得ない。これを一般産業界の出来事としてみれば本質は簡単につかめるだろう。飽和化し、縮小する市場に身を置いた、先進的にみえて実は大胆な事業革新力のない老舗企業同士の見かけ倒しの"婚約"にすぎない。日経FT連合は他のメディアに先んじた部分はもちろんあるが、先進国メディアにとって未来への道を示すものではない。

延命策でしかない電子版

日経は、新聞をウェブの課金モデルで提供する「電子版」を日本で初めて実現した。日経電子版はすでに43万人の有料購読者を誇り、国内ではデジタル化の成功事例とみなされている。

確かに、電子版の有料購読者数だけを聞けば大成功に思えるだろう。だが、5、6年前に310万部と大見得を切っていた新聞発行部数は、最新データでは273万部と最盛期から37万部も減少している。紙と電子版の合計は316万部で、紙の最盛期を超えているという評価もあるが、紙の購読者には1000円という廉価で電子版を提供しており、「1000円だったらとりあえず電子版も取るか」という惰性型読者が電子版の半分以上だ。惰性型読者が早晩、新聞紙の購読を止め、電子版のみの購読にしてしまう流れははっきりしており、紙と電子版の合計はこれからマイナスになっていく見通しだ。こうみれば、電子版、つまりデジタル化は決して新聞の成長にはつながっておらず、衰退のペースダウン、延命策にすぎない。

FTは特殊な成功例

一方のFTは、新聞紙購読が22万部強、デジタル版が50万4000人の合計約73万人。デジタル版がすでに圧倒的に優勢となっている。昨年からは、「デジタル・ファースト」という、デジタル版をつくってそこから新聞をつくる仕組みに転換している。日経や朝日新聞のように、まず新聞を製作し、そこからデジタル版用の記事を抽出してデジタル版をつくるという「ペーパー・ファースト」とはまったく逆の製作プロセスだ。

FTがデジタル化で成功しているのは確かだが、これはもともとFTの読者が世界的に分散しているがゆえの結果にすぎないだろう。FTの読者は世界のトップエリート層で、英国はもちろん米国、欧州各国、日本、中国から中東、アフリカにまで広く及んでいる。印刷した新聞を届けようとしたら、どれだけの時間とコストがかかるかわからない。読者側もITリテラシーが高く、デジタル版への対応力が高く、FTの月額1万円を超えるようなデジタル版料金の負担もなんとも思わない人たちだ。日経や朝日の読者層とは知的レベルも収入もかけ離れている。つまりFTは、日本や世界の高級紙といわれるものとも異質なメディア界の"エイリアン"的存在であって、デジタル化の成功はその読者層の質の高さに負うものであり、日経を含め他紙が模倣しようとしても模倣できるものではないのだ。

FTの親会社だった英ピアソンが今回、もう1つ売りだそうとしている世界トップの経済誌『エコノミスト』も、読者層のレベルとグローバルな広がりでは世界の雑誌のなかで抜きん出ており、米フォーブズや米フォーチュンなど大衆的なビジネス誌とは隔絶している。ライターの質の高さとそれを読みこなす読者ゆえの存在であり、ほかの雑誌のビジネスモデルになるものではない。FTとエコノミストの存在は、世界のメディア界では完全に別格なのだ。

現地読者をつかめていない

問題は、そのFTやエコノミストですら売却される、すなわち成長力を失い、ビジネス的に有望ではないと保有するピアソンが判断する先進国メディアの現状にある。記事の幅の広さや視点の新鮮さ、スクープでも読者を増やせず、分析の深さ、見通しの良さでも限られた読者数しか獲得できない。優れたメディアですら成長できなくなってきたのはなぜなのか。

答は実は簡単だ。成長する市場で読者をつかめていないからだ。成長する市場とはいうまでもなくアジアだ。中国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、インドなど南アジアの国の政治家、経営者、官僚、ビジネスマンは、欧米のこと以上にアジアのことを知りたがっている。隣の国こそライバルであり、投資チャンスであり、パートナーたり得るからだ。ASEAN企業や中国、インド企業の対ASEAN投資が急増しているのをみれば事情がわかるだろう。

だが、FTも『ウォール・ストリート・ジャーナル』もエコノミストも日経も朝日も、アジアの人に役立つアジアの情報を提供していない。アジアを基盤とする日経はアジアニュースに力を入れているが、あくまで日本の読者向けで、アジアの読者にはまったく目を向けていない。先進国メディアのアジア報道はすべてが先進国目線であり、先進国企業がアジアに進出する際に必要な現地の市場分析、企業情報、マクロ動向や政治ニュースにとどまっている。ジャーナリズムは自分のやってきた仕事の対象や方法を変えることがきわめて苦手なのだ。

FTが見限られた理由

日本でFTの愛読者であれば、誰でも感じることが1つある。FTの日本関連記事には表面的でトンチンカン、独善的な分析が少なくないことだ。米連邦準備制度理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)の動きはFTでしっかり読み、記事や分析をきちんと受け入れたとしても、日本に関する記事で深く納得し、参考になることはきわめて少ない。

同じ気持ちを上海やバンコク、ジャカルタ、ムンバイのビジネスマンや政策当局者は、米欧、日本のメディアで自国についての記事を読んだ時に感じている。現地のことを深く理解しておらず、現地の目線でもなく、現地の情報ニーズにはまったく応えていない。

日経がFTを買収してグローバルメディアに飛躍するといっても、それは米欧と日本といった先進国の一般読者と新興国、途上国の超エリート層のみを対象にしたグローバル化で、本当の成長市場は視野に入っていないのだ。FTも日経も成長市場を掘り当てていないからこそ成長が鈍化しているのである。ピアソンが見限ったのも、本質的な理由はそこにあるのではないか。

皮肉な自縄自縛

日本の新聞(全国紙、地方紙)は、過去15年間でおよそ800万部の部数を失った。人口減少をはるかに上回るペースであり、明らかに情報源としての新聞の魅力の低下だ。だからといって、多くの新聞が志向するように「分かりやすい新聞」「読みやすい新聞」を目指し、内容をかみ砕いて易しくしていけば、知的読者は読まなくなる。日本の新聞は日経、朝日、読売新聞、毎日新聞など有力紙も含め、読者離れに対応して記事内容を浅く、表現を幼稚にし、新しい読者を掘り起こそうとして、かえって読者を失っている。読者層を広げようという戦略が逆に読者層を狭めるという皮肉な自縄自縛に陥っているのだ。

そのあげくに、濃淡はあるにせよ各紙ともデジタル化に進んでいるが、デジタル化は増収にはほとんどつながらず、むしろ紙の部数減を促進し、自爆型になる。

日本の製造業は家電、電子、自動車など海外に生産拠点を移し、世界に市場を広げ、各地に根を下ろしている。日本の製造業に出来て、日本のメディアにできないはずはない。

成長するアジアで、アジアのためのしっかりした現地紙を作り上げ、そのネットワークでアジア全体の情報ニーズに応えるといった戦略は考えられないのだろうか。

グローバル化、デジタル化と標榜して巨額資金を投じて特殊な成功事例に飛びついても、起死回生にはならない。時間をかけて成長市場に根を張ることが、今、日本や世界のメディアに必要な戦略だろう。

日経新聞によるフィナンシャル・タイムズの買収を報じる両紙。

新田賢吾

ジャーナリスト

【関連記事】

(2015年8月3日フォーサイトより転載)

注目記事