北朝鮮「平昌平和攻勢」の舞台裏(2)妹「金与正」派遣の狙い--平井久志

金日成(キム・イルソン)主席の血を引く「白頭の血統」が韓国の地を踏むのは初めてだった。
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北朝鮮は今回の平昌冬季五輪に金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長や金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長らの高官代表団とその随員、選手団と役員団、応援団、芸術団、テコンドー関係者、報道陣など500人近い人員を韓国に派遣した。

制裁の除外措置を次々に実現

そして北朝鮮は巧みな平和攻勢で、様々な制裁を解除させた。

北朝鮮の馬息嶺スキー場での南北の共同練習のため、韓国のスキー選手ら45人が1月31日、韓国江原道の襄陽国際空港から北朝鮮の元山市近くの葛麻空港に向かった。米国は、北朝鮮に就航した飛行機は180日間、米国内の空港を使用することを禁じる独自制裁措置を取っている。韓国政府は、この独自制裁に触れれば運航するアシアナ航空に被害が及ぶために米国に事前に了解を求めたが、米国の了承が出たのは出発の数時間前だった。

また韓国は、2010年3月の哨戒艦「天安」沈没事件への対抗措置として南北の交易を禁じ、北朝鮮船舶の韓国入港などを禁止する「5.24措置」を取っていた。しかし北朝鮮は、芸術団を2月6日に貨客船「万景峰92」で東海市の墨湖港へ送り込み、韓国の独自制裁を一時的に除外させた。

北朝鮮は五輪開会式2日前の2月7日になって、金与正党第1副部長らの派遣を韓国側に通告したが、この中に含まれていた崔輝(チェ・フィ)国家体育指導委員長(党副委員長)は、昨年6月の国連安全保障理事会決議第2356号で国連メンバー国への渡航禁止対象になっていた。韓国政府は国連安保理に、五輪成功のために制裁免除要請をして、ようやく渡航が認められた。

韓国と北朝鮮間は前述の「5.24措置」などで様々な往来ルートが遮断されていたが、陸路は板門店ルート、開城工業団地の資材や製品の運搬ルートであった京義線ルート、金剛山観光に使われた金剛山ルートの3ルートが、選手団や応援団の往来のために開通した。さらに先述のように、日本海側の新たな航空路である「襄陽-葛麻ルート」が開設され、海でも「元山港-墨湖港ルート」の航路が使われるなど、北朝鮮は陸海空の往来ルートをすべて再開、さらには新設させることに成功した。

北朝鮮は国際的な制裁包囲網を突破するために、同じ民族である韓国を包囲網打破のターゲットにしたと言える。北朝鮮は、南北交易を禁じた「5.24措置」の撤廃、開城工業団地の再開、金剛山観光の再開を求めている。現在の北朝鮮を取り巻く国際的な制裁包囲網が確立されている中で、韓国政府がこれらの要求をすぐに飲むとは思われないが、平昌冬季五輪を活用し、制裁を一時的に解除させ、往来ルートを復活させた意味は大きい。

ホワイトハウスが了承した「米朝秘密会談」

『ワシントン・ポスト』は2月20日、平昌冬季五輪の開会式出席のために訪韓したマイク・ペンス米副大統領が、金正恩党委員長の妹の金与正党第1副部長や金永南常任委員長と2月10日の午後に、韓国の青瓦台(大統領官邸)で秘密裏に会う約束ができていたが、北朝鮮側が会談の2時間前になってこれをキャンセルしてきた、と報じた。

同紙の報道後、米国務省のヘザー・ナウアート報道官は「ペンス副大統領は違法な核・弾道ミサイル開発を放棄する必要性を北朝鮮に理解させるために、この機会を利用する用意があった」と発表し、『ワシントン・ポスト』の報道を認めた。その上で、この会談をキャンセルした北朝鮮に対して「この機会を逃したことを残念に思う」とコメントした。

前回の記事(2018年2月8日「『平昌五輪』前夜の『米韓』緊迫(下)北の『先南後米』攻勢で『通米』なるか」)でも触れたが、平昌五輪前の米朝対話をめぐる状況を改めてチェックしてみよう。

『ワシントン・ポスト』によれば、米中央情報局(CIA)がペンス副大統領の訪韓約2週間前(1月下旬か)に、北朝鮮側がペンス大統領との会談を望んでいるとの情報をキャッチして、米政権内で論議が始まったという。韓国が米朝会談のアイデアを提供したともされる。韓国の情報機関、国家情報院と米国のCIAの連携プレーの可能性が高い。

ペンス副大統領は2月2日には、「戦略的忍耐の時代が終わったという簡単で明瞭なメッセージを伝えるために平昌五輪に行く」と述べていた。さらに訪韓に際し、北朝鮮に拘束されて釈放直後に死亡した米大学生オットー・ワームビア氏の父親も同行する、と発表した。

同紙によると、ドナルド・トランプ米大統領の主管で2月2日にホワイトハウスで会議が開かれ、ペンス副大統領と北朝鮮代表団との会談が最終的に了承されたという。会議にはペンス副大統領、ハーバート・マクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官、ジョン・ケリー大統領首席補佐官、ニック・エイヤーズ副大統領首席補佐官が出席した。マイク・ポンペオCIA長官も電話で参加し、レックス・ティラーソン国務長官やジェームズ・マティス国防長官も論議に加わったという。ここでは、米朝会談の目的が北朝鮮との交渉ではなく、北朝鮮にトランプ政権の対北朝鮮政策を通告するものであることが確認された。米国側は、北朝鮮代表団に金与正氏が含まれることを視野に、北朝鮮が今回の接触を重視していると考えたという。韓国政府は1月の段階から、金与正氏が訪韓する可能性が高いと見ていた。

韓国政府は2月4日、北朝鮮が平昌五輪に金永南常任委員長を派遣すると通告してきた、と発表した。

対北強硬姿勢を示してきたペンス副大統領だが、ホワイトハウスでの決定を受けてか、その発言に微妙な変化が生まれていた。2月5日、米国から韓国へ向かう途中で立ち寄ったアラスカ州で、「北朝鮮代表団といかなる対面も要請しなかったが、どんなことが起きるか見守ろう」「もし北朝鮮側と会うことになっても、これまで公開的に表明してきた内容と同じメッセージになるだろう」と語り、米朝接触の可能性を否定はしなかった。ホワイトハウスのサラ・サンダース報道官も2月6日、米朝接触について「見守ろう」と述べて可能性を排除しなかった。南米訪問中のティラーソン国務長官は、ペルーで「北朝鮮とどんな状況であれ会う機会があるのかどうか、見守ろう」と述べた。

『ウォール・ストリート・ジャーナル』は2月6日、ペンス副大統領の「見守ろう」との発言は、北朝鮮代表団のレベルが適切であれば接触の可能性を排除していないとのメッセージだ、と報じた。『AP通信』によると、スティーブ・ゴールドスタイン国務次官は「どんな問題であれ、交渉の機会があればそれを試すべきだと国務長官は考えている」と述べた。米政府要人や米国メディアの報道を振り返ってみれば、それは米朝秘密会談へ向けた微妙な変化を反映したものであった。

「米国側と会うつもりはない」

ペンス副大統領は2月6日、日本に到着した。翌7日午前、東京・市谷の防衛省を訪れて、航空自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)部隊を視察。同日午後、首相官邸で安倍晋三首相と会談した。

安倍首相とペンス副大統領は会談で、北朝鮮に核・ミサイル開発を放棄させるため、あらゆる手段で圧力を最大限まで高める方針で一致した。ペンス副大統領は「朝鮮半島の非核化を実現し、北朝鮮の挑発を終わらせるまで連携する」と強調した。さらに「北朝鮮への妥協は挑発を招くだけだ」とし、軍事オプションを念頭に「すべての選択肢がテーブルにある」と改めて表明した。また、さらなる厳しい経済制裁を科す考えも示し、共同会見では「北朝鮮の体制宣伝が五輪をハイジャックするのは許さない」と訴えた。

北朝鮮は、日本で安倍首相とペンス副大統領の会談が行われた2月7日に、金正恩党委員長の実妹の金与正氏が金永南常任委員長とともに韓国を訪問する、と韓国側へ伝えた。

ペンス副大統領からすれば、北朝鮮側代表団の「格」を心配していたが、金永南常任委員長に加えて金与正氏が加わったことで、秘密会談への問題はなくなった。

しかし北朝鮮は、日本でのペンス副大統領の発言や行動を注意深く見守っていたはずである。最高指導者の妹まで動員して高位代表団を韓国に派遣するが、そんな人物に外交的なミスがあってはならない。ペンス副大統領との会談が米朝の本格的な対話の入り口になればよいが、米国側の一方的な通告のようなものになれば、北朝鮮にとってのメリットはない。

『朝鮮中央通信』は2月8日、北朝鮮外務省のチョ・ヨンサム局長が7日付で同通信の記者の質問に答える形で「明確に言うが、われわれは南朝鮮訪問期間、米国側と会うつもりはない」「われわれが米国に対話を乞うたことはなく、これからも同じだ」と述べたと報じた。なぜこのタイミングで、米朝対話否定のコメントが出たのか奇異であったが、会談を予定していた米国側への原則的な「回答」であったと見られる。

チョ局長は、ペンス副大統領が「会談の要請はしていないが、何が起きるか状況を見極める」と述べたことについて「見栄っ張りな発言だ」と非難すら行い、「(北朝鮮は)五輪のようなスポーツの祭典を政治的に利用しようとはしない」ともした。事実上の米朝会談拒否の通告であった。

米朝は、秘密会談を行うことまでは合意していたが、会場や具体的な日時などは決まっていなかったと見られる。文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領は繰り返し、「南北対話を米朝対話につなげる」と語っていた。だが米朝がソウルで秘密協議を行うのは容易ではない。そこで文大統領は2月10日に青瓦台で北朝鮮代表団と昼食を取ることを決めた。同時にペンス副大統領を青瓦台に招き入れ、韓国側が席を外す形で米朝会談をセットしようとしたと見られる。確かに「青瓦台」が、最も機密を保てる場所であることは間違いない。

ペンス副大統領は2月8日、米軍横田基地(東京)で部隊を激励した後に、韓国へ向かった。副大統領は韓国へ向かう前に同基地で記者団に、韓国滞在中に北朝鮮と接触する機会があれば、核・ミサイル開発の野心を完全に捨てるように求める、と述べた。

訪韓したペンス副大統領は同日夜、文在寅大統領と会談した。ペンス副大統領は「北朝鮮が核・ミサイル開発を放棄するまで、韓国と連携して最大限の圧力をかけ続ける」ことを確認し、さらに、北朝鮮が核ミサイルを放棄するよう日米韓3国の連携を訴え、韓国が北朝鮮寄りになることに釘を刺した。一方、文在寅大統領は「朝鮮半島の非核化に向けた対話につながる場」になることを期待しているとした。さらに北朝鮮が南北対話に前向きになったことを「真摯な変化」と評価し、「多角的な対話」が必要だと述べた。この会談では、北朝鮮との対話についての米韓の温度差が浮き彫りになった。

「金正恩」の本気

前述のように、北朝鮮は平昌五輪開幕2日前の2月7日に、開会式出席のため金永南議常任委員長のほかに、金与正党第1副部長、崔輝・国家体育指導委員長、李善権(リ・ソングォン)祖国平和統一委員長を派遣すると韓国側へ通知した。

これは対外的には、国家元首の役割を果たしている金永南氏、金正恩党委員長の代理としての金与正氏、スポーツ界を代表して崔輝氏、南北関係を代表して李善権氏を派遣してきたと言える。

特に注目を集めたのは、金正恩党委員長の妹の金与正氏だった。金日成(キム・イルソン)主席の血を引く「白頭の血統」が韓国の地を踏むのは初めてだった。

金与正氏の派遣は、北朝鮮が南北関係の改善を本気で考えていることを示した。韓国側は金与正氏が派遣されることから、北朝鮮側が金正恩氏の親書もしくは口頭メッセージを伝える可能性が高いと見たが、これは2月10日の文在寅大統領との会談で現実になった。金与正氏以外の人物であれば、口頭メッセージなどを韓国側に伝えた場合も、その人物の役割、意図などを斟酌しなければならないが、妹の金与正氏の場合は金正恩党委員長のメッセージそのものと理解できる。また韓国側からすれば、金与正氏は文在寅大統領のメッセージをダイレクトに金正恩氏に伝えることができる人物だった。(つづく)

平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

(2018年2月26日
より転載)
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