北朝鮮「エリート駐英公使」の亡命(下)金正恩体制は「動揺」するのか

今回の亡命は「移民型亡命」という見方をしている韓国メディアも多い。

北朝鮮はテ・ヨンホ駐英公使の亡命について沈黙を守っていたが、8月20日午後、テ公使の名前は出さず「英国駐在代表部に勤務していた者」を非難する朝鮮中央通信論評を発表した。

「人間のくず」、「犯罪行為の処罰恐れて逃亡」

同論評はテ公使について「多額の国家資金を横領し、国家秘密を売り渡し、未成年強姦犯罪まで働いた」と非難し、犯罪捜査のために6月に召還指示を受け、北朝鮮の中央検察所が犯罪資料を調べ7月12日に捜査開始決定書を発給したと報じた。

同論評は公金横領の内容や金額、どんな国家秘密を誰に漏洩したのか、未成年者強姦事件がどういうものなのかなど具体的な事実については言及していない。その一方でテ公使を「人間として身につけるべき初歩的な信義も、いささかの良心も、道徳もない人間のくずである」と、口を極めて非難した。

論評は「南朝鮮かいらい」(朴槿恵政権)がこの亡命事件で「反共和国謀略宣伝と同族対決策動」を続けていると韓国政府を非難した。さらに、北朝鮮当局が英国側に犯罪者引き渡しを求めたが「旅券もない逃走者らを南朝鮮のかいらいにそのまま引き渡すことによって、法治国と自称する英国のイメージを自ら汚した」と英国政府も非難した。

一方、論評は「笑止千万なのは、南朝鮮のかいらいが、逃走者が代表部で党活動をしただの、抗日闘士の息子だのと途方もないうそを並べ立てて一顧の価値もない逃走者の汚らわしい価値を少しでも上げようとやっきになっていることである」と述べ、抗日パルチザンの家系との見方には否定的な反応を示した。

しかし、北朝鮮は8月21日付「労働新聞」をはじめ、一般住民が接することのできる国内メディアではこの亡命に言及していない。一般住民は、国内メディアが朝鮮中央通信を引用しないとこの英国駐在公使韓国亡命事件を知ることはできない。その意味では、北朝鮮当局は対外向けメディアで韓国やこれに協力した英国を非難しながらも、国内向けにこの事実を報道すれば動揺が広がるだけに報道を控えているとみられる。

北朝鮮がテ公使を犯罪者呼ばわりしたのは、この亡命が国内に伝わっても影響を最小限に抑える狙いもあるものとみられる。

「金正日写真」破いた部下を守る

テ公使について米政府系放送「ラジオ自由アジア」(RFA)が8月20日、興味深い報道をした。在英大使館の食事や掃除を担当していた朝鮮族の女性がRFAに語ったところでは、テ公使が2011年12月に金正日(キム・ジョンイル)総書記が死亡した当時、誤って金総書記の写真を破った2等書記官をかばい、その身を守ったという。

当時、北朝鮮を脱出して英国に滞在している脱北者たちがロンドンの北朝鮮大使館に押し寄せ「金正日死亡、祝賀、万歳」などと叫ぶ事件があった。同大使館に所属する2等書記官がこれに激怒したあまり、脱北者たちが貼った金正日総書記の写真を破いてしまったという。北朝鮮では金日成(キム・イルソン)主席や金正日総書記の写真は神聖不可侵とされ、たとえ故意でなくともそれを傷つけることは許されない。

この女性によると、大使館では金正日総書記の追悼行事が終わった後で、この「事件」について連日会議が続いた。この女性は「助けてやろう。故意に破ったわけじゃないではありませんから」というテ公使の切々とした声を聞いたという。

その後に、1等書記官がこの2等書記官に「お前を助けたのは秘書同志(テ公使)だ。これからちゃんとしろよ」と言うのを聞いて、この女性は「テ公使が2等書記官を助けたんだなあ。いい人だと思った」と述べた。

「移民型亡命」?

しかし、北朝鮮のエリートそのもののテ公使が亡命を決意した動機は何なのだろうか。韓国統一部の鄭俊熙(チョン・ジュンヒ)スポークスマンはテ公使の亡命動機について「金正恩体制への嫌悪、韓国への憧憬、そして子供たちの将来問題など」と3つの理由を挙げた。

確かに、テ公使にとって子供たちの将来は大きな問題であろう。2人の息子は教育を海外で受け、自由な考えや行動を身につけている。北朝鮮という特殊な社会に適応することは極めて困難だろう。2人とも優秀なだけに親として悩んだはずだ。

長男の学費をどう工面したか不明だが、北朝鮮の一般的な外交官の報酬で子弟を英国の大学に通わせることは並大抵の苦労ではないはずだ。

北朝鮮の外交官が受け取ることのできる報酬は月500ドル程度ということだ。これに加え、本国から外貨の送金を求められることがある。そのために北朝鮮の外交官は酒やたばこの密輸などに手を染めてしまい、駐在国とトラブルを起こしてしまう。

ドイツの大使館などは大使館の運営経費を捻出するために大使館の一部をユースホステルなどにして費用を捻出している。テ公使も、ロンドンで中産階層程度の生活をするために、何か裏の仕事をしていた可能性もあろう。

次男の受かった名門、インペリアル・カレッジ・ロンドンは、学費だけで年間2万6000ポンド(約354万円)だ。テ公使が、難関を突破した次男を大学に進学させることもできない挫折感から亡命を選択した可能性を指摘する見方もある。

こうしたことから、今回の亡命は「移民型亡命」という見方をしている韓国メディアも多い。生活苦から脱出し、新天地で新たな生活をするための亡命という意味だ。優秀な子供たちに優れた教育を受けさせ、希望に満ちた将来を切り開かせるために祖国を裏切ったのではないかという見方だ。イデオロギーとして祖国を裏切るというよりは、新天地で新しい生活を求めての移民のような亡命ではないかという解釈だ。

李容浩外相、玄鶴峰大使への影響は?

北朝鮮は朝鮮中央通信の論評でテ公使の韓国亡命を認めたが、この亡命が具体的にどういう波紋を生み出すかも注目点だ。

北朝鮮と英国は2000年に国交を樹立した。今年5月の第7回党大会で党政治局員候補に抜擢され、外相に就任した李容浩(リ・ヨンホ)氏も2003年8月から駐英大使を務めたことがある。

ロンドン大使館は北朝鮮の欧州外交の拠点だ。李容浩外相が国際社会に知られるようになったのも、英国大使時代の流ちょうな英語、北朝鮮の外交官らしくない洗練された立ち振る舞いや、柔軟な対話姿勢が注目されたからだ。

現在の玄鶴峰(ヒョン・ハクボン)大使も李容浩大使と同じように比較的フランクな姿勢だという。北朝鮮のロンドン大使館は、内部的に閉じ籠もるのではなく、英国の左派勢力に北朝鮮の立場を説明するなど、他の地域の大使館に比べると比較的柔軟で積極的な外交を展開してきた。しかし、今回の亡命で、玄鶴峰大使も監督責任を問われる可能性がある。北朝鮮の主要外交公館で亡命者を出したことで外相が責任を問われるかも知れない。

朝鮮日報は8月24日、ロンドン発で玄大使が本国から召還命令を受けたことが分かったと報じた。玄大使は北朝鮮当局から調査を受けており、この調査が終わる10月ごろ帰国する見通しという。玄大使の後任には軍出身の外務省局長の就任が決定しており、英国政府のアグレマンが進んでいるとした。玄大使は2011年12月から大使を務め任期満了の時期だが、帰国すれば何らかの問責を受けるという見方が強い。

そうでなくても硬直している北朝鮮外交がさらに硬直した、融通の利かないものになっていく可能性が憂慮されるところだ。

また、テ公使の亡命で、北朝鮮の外交官や駐在員が家族同伴で海外に赴任することはこれまで以上に規制されるのではないかとみられる。本国で家族を「人質」に取ることで、亡命を防ぐような締め付けが強化される可能性が高い。

今年に入り10人近くの外交官亡命か

韓国メディアによると、テ公使が韓国に入国する前にもロシア駐在の3等書記官が韓国に亡命する事件があった。この外交官は1975年生まれで、サンクトペテルブルクの北朝鮮貿易代表部で勤務していたが、妻子と共に7月下旬に韓国へ亡命した。この3等書記官は2003年ごろから対外貿易業務をしていたという。ロシアのメディアは7月1日に彼の消息が途絶え、北朝鮮貿易代表部が同月6日に現地警察へ申告したと報じていた。

香港の「明報」は7月28日、香港科技大学で7月6~16日に開催された第57回国際数学オリンピックに参加した北朝鮮の代表6人の内の1人が香港の韓国総領事館に駆け込む事件が起きたと報じた。この数学五輪には109カ国、602人が参加したが、北朝鮮は金メダル2個、銀メダル4個を獲得し総合6位の優秀な成績を得た。

朝鮮日報によると、韓国総領事館に駆け込んだ18歳の男子学生は、銀メダルを取った学生だったとみられている。両親が数学の教師をし、金メダルの獲得を期待されていたが、銀メダルに終わったことで強いプレシャーを感じていたようだという。韓国のYTNテレビは8月24日、この男子学生が無事「第3国」へ亡命したと報じた。「第3国」がどこかは明らかでない。

韓国の聯合ニュースは8月19日、対北朝鮮消息筋が「昨年、韓国に亡命した北朝鮮の外交官は約10名だったが、今年の上半期だけで10名に肉薄している」と語ったと報じた。聯合ニュースは上述のロシアの3等書記官以外に、ブルガリア駐在の外交官が今年初めに、東南アジアの2カ所で外交官2人が6月と7月に韓国入りしたとした。また、外交官ではないが、4月にはアジア地域で外交官の身分で活動していたテコンドーのコーチが韓国入りしたとした。

また、聯合ニュースは8月19日、労働党の秘密資金を取り扱っている党39号室所属の欧州で20年余活動してきた人物が数十億ウォン(数億円)の資金を持って姿を消し、欧州のある国で身辺保護を受けていると報じた。

「体制動揺の可能性」と朴大統領

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本の植民地支配から解放された日を記念する「光復節」(8月15日)の演説で、北朝鮮当局に核開発や挑発行為を中止するよう要求した。

その一方で、北朝鮮の幹部や住民に対して「統一はみなさんのすべてが、いかなる差別も不利益も受けず、同等の待遇を受け、各自の力量を思い切り発揮し、幸福を追求できる新たな機会を提供するものです」と統一の意義を強調し「核と戦争の恐怖がなくなり、人間の尊厳が尊重される新しい韓(朝鮮)半島の統一時代を開いていくことに参加されることを期待します」と訴えた。

韓国大統領が光復節の演説で、北朝鮮への提案ではなく、当局への要求と、幹部や一般住民への呼びかけを区別して訴えることは、これまでにないスタイルだった。金正恩(キム・ジョンウン)政権と住民を分断しようという意図であろう。

さらに、朴槿恵大統領は米韓合同軍事演習「乙支フリーダムガーディアン」(UFG)が始まった8月22日、国家安全保障会議(NSC)を開き「最近では北のエリート層まで崩れかかっており、要人の脱北や亡命が相次ぐなど深刻な亀裂の兆しが見える。体制動揺の可能性が高まっている」と述べた。

明らかにテ公使などの韓国亡命を念頭に、こうしたエリート層の脱北、亡命が北朝鮮体制に「深刻な亀裂」を生んでおり、それは「体制動揺の可能性」を高めているとの認識の表明だ。

朴槿恵大統領は1年前の昨年7月10日に開かれた「統一準備委員会討論会」に参加し「来年に統一が実現することもあり得る」と発言し、委員会に対して「統一への準備」を訴えたこともある。

「体制動揺」は過大評価?

この朴大統領の認識は正しいのだろうか。今回のテ公使の韓国亡命など海外駐在員の亡命が増えているのは、金正恩体制に大きな打撃だし、金正恩体制にほころびが見えているとはいえよう。

しかし、それは「深刻な亀裂」というほどのものなのだろうか。「体制の動揺」とまでいえるものなのだろうか。むしろ、朴槿恵大統領のそうした認識が朝鮮半島問題の前進を困難にしているようにみえる。「来年にも統一」と言ったものの、現在も基本的な状況に大きな変化はない。

1994年に金日成(キム・イルソン)主席が死亡した時に、北朝鮮は崩壊すると主張した人々が多かった。金日成主席死亡後の「苦難の行軍」と呼ばれた時期には、食糧難などで約90万人が死亡した。しかし、北朝鮮体制は崩壊しなかった。

北朝鮮の主体思想の理論家であった黄長燁(ファン・ジャンヨプ)党書記が1997年に韓国に亡命した時にも、北朝鮮の思想理論の核心的人物の亡命は北朝鮮の体制崩壊を予知するものとの主張があったが、北朝鮮は崩壊しなかった。

今回のテ公使の亡命は重要な事件ではあるが、北朝鮮の体制に「深刻な亀裂」を生んでいるというのは過大評価だろう。ましてや「体制の動揺」とまでは言えまい。残念ながら、こうした事件で「体制が動揺」するほど、北朝鮮の体制は脆弱とは思えない。それは朴槿恵大統領の「期待」や「願望」であり、リアルな現実直視ではない。

韓国政府は個々の亡命については発表しないことを基本姿勢として来た。8月16日に、韓国メディアが英国駐在の北朝鮮外交官が第3国に亡命した情報があると報じた時には「確認できない」としていた。外務省のスポークスマンも「こうした事項については確認できないというのが政府の立場」とした。しかし、韓国政府は翌17日に韓国亡命を確認した。最近の韓国政府の姿勢は明らかに朴槿恵大統領の顔色を伺うものだ。この公表が青瓦台(大統領府)の指示である可能性は高い。

しかし、それはこの亡命の意味の大きさを否定するものではない。筆者はテ公使の亡命の動機が金正恩体制への嫌悪、韓国への憧憬、子供の将来を考えた結果も知れないが、そうしたきれい事だけではない可能性もあると考える。テ夫妻がなぜ平壌へ帰ることに「不安」を抱いたのか。そこが分からなければ動機の解明にはならないように思う。

もちろん、北朝鮮の発表をそのまま信じることはできないだろう。朝鮮半島の取材を続け、様々な脱北者にも接してきたが、その背景や動機は実に様々だ。まだ本当の動機は見えないが、その過程を取材していると、北朝鮮の模範的な外交官であったインテリがなぜ亡命を選んだのか、その葛藤や苦悩に人間的な共感を覚えそうな気になる。このエリート階層の不安こそが大きな意味を持つだろう。

しかし、テ公使がソウルで幸福な生活ができるかどうかは分からない。韓国入りした脱北者は約3万人に達するが、幸せな人はほんの一握りだ。物質的な余裕は生まれるが、北朝鮮社会で生まれ育った人たちは価値観のギャップ、韓国社会からの差別に苦しむ。

テ公使はソウルでインド式のカレーは食べることはできるだろうが、韓国での生活が彼の価値観と一致するかどうかは分からない。ただ、これまでの人生の大半を海外で送った公使の子供たちには幸いな選択であったと思いたい。この優秀な知性が南の地で花開くことに期待したい。

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2016年8月25日「新潮社フォーサイト」より転載)

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