「パリ同時テロ」が米大統領選に与える「衝撃」

外交、安全保障問題にいかに対処できるか、各候補者の能力が有権者により見極められることになる。

11月13日にフランス・パリで発生した同時テロ事件は、国際社会に大きな衝撃をもたらしている。2カ月余り先の2016年2月1日から共和、民主両党の大統領候補指名獲得争いが本格的に展開される米国もその例外ではなく、パリ同時テロ事件は米国内で各方面に少なからぬ影響を及ぼしている。

オバマ大統領はパリ同時テロ事件が発生する前日、過激派組織「イスラム国(IS)」は封じ込められつつあるとし、自らの政権の対IS掃討戦略は順調に展開されているとの見解を示したばかりであった。ところが、犠牲者数が130人にも達する悲惨なテロ事件が米国の同盟国であるフランスの首都中心部で発生したことで、野党・共和党からオバマ政権の対IS掃討作戦は機能していないとの批判が噴出。同時に、オバマ政権のシリア難民受け入れ方針にも猛反発する動きが広がっている。

シリア難民受け入れを巡り対立

2011年1月から約5年間続いているシリア内戦は益々情勢が悪化し、ISの勢力拡大も加わって、内戦勃発前のシリアの人口約2200万人のうち約20万人が犠牲となり、約400万人が難民となっている。そうしたシリア難民は近隣国のトルコ、ヨルダン、レバノンだけではなく、最近は欧州各国にも大挙押し寄せており、シリア難民受け入れ問題は国際的にも深刻な問題となっている。

こうした中、オバマ政権も対応を求められ、今後1年間で1万人のシリア難民を受け入れる方針をジョン・ケリー国務長官が9月に明らかにしたばかりであった。

だが、パリ同時テロ事件に関与した容疑者の一部がギリシャでシリア難民に紛れ込んで入国し、その後、フランスに入っていた疑いがあることをフランス当局が明らかにしたため、オバマ政権のシリア難民受け入れ方針に対して共和党から猛反発が起きている。ニュージャージー、オハイオ、ミシガン、イリノイ、インディアナ、テキサス、ジョージア、フロリダ、アリゾナをはじめとする全米30州以上で、主に共和党の州知事がシリア難民の受け入れを拒否する意向を表明する事態にまで発展し、「テロ対策重視」の動きが全米各地に広がっている。

そうした動きに対し、オバマ大統領は、シリアの内戦激化により祖国を追われて難民となった人々こそがテロの犠牲者であり、米国がシリア難民を受け入れないことは、政治的に弱い立場にある移民を受け入れ続けてきた「移民国家」米国の伝統的価値観に反するとして、共和党の姿勢を厳しく批判している。

しかし、ISが首都ワシントンやニューヨークを標的にする可能性を示唆したビデオを公表する中、共和党はシリア難民に紛れ込んでテロリストが米国に不法に入国し、テロ事件を発生させる潜在的リスクが高まると主張。オバマ政権のシリア難民受け入れ方針阻止と、入国審査の一層の強化の必要性を訴えている。

下院民主党の4分の1が「造反」

そうした共和党の取り組みの一環として、米議会ではパリ同時テロ事件の発生から1週間も経過しない11月19日、共和党が多数党の立場にある下院で、オバマ政権が表明したシリア難民受け入れを制限する法案「2015年外国の敵に対する米国の安全保障強化法案(American Security Against Foreign Enemies Act of 2015)、通称『2015年米国SAFE法案(H.R.4038)』」が、法案提出からわずか2日後に賛成289票、反対137票の圧倒的多数で可決された。

同法案の下院本会議での票決前、オバマ政権はデニス・マクドノー大統領首席補佐官が中心となり、民主党下院議員に対し同法案に反対するよう懸命の説得工作を試みた。だが、民主党下院議員188名のうち、実に4人に1人に相当する47名もが賛成票を投じている。これは、国境に接してテロ対策に懸念を持つ民主党下院議員の間でも不安が高まっていることの証左である。その結果、下院議員435名の3分の2を上回る66%が同法案を支持することになったわけだ。

ただ、上院での関連法案の審議の行方については不透明であり、ハリー・リード民主党上院院内総務(ネヴァダ州選出)は、関連法案の可決を何としても阻止する方針を明らかにしている。オバマ大統領自身も「H.R.4038」に大統領拒否権を発動する方針を明確にしており、シリア難民受け入れを巡り、今後さらにオバマ政権と議会共和党が真正面から対決することになるのは必至である。

大統領候補らの主張

共和党の大統領候補指名獲得争いで先頭集団に位置している実業家兼テレビパーソナリティのドナルド・トランプ氏は、6月に出馬を正式表明して以降、ヒスパニック系不法移民の本国送還を訴え続けてきた(2015年7月14日「トランプ氏『メキシコ不法移民批判』がもたらす共和党の『イメージダウン』」参照)。

さらにトランプ氏は、国務省のシリア難民受け入れ方針についても、自らが大統領に就任した場合、シリア難民を国外退去させる意向を公言。それがパリ同時テロ事件発生後には米国内のモスクを閉鎖すべきとの議論まで展開するようになり、従来からの主張を益々エスカレートさせている。

米国は2011年1月から2015年9月まで年間約1500人のシリア難民を受け入れてきたが、国務省は9月、その数を約7倍の年間1万人にまで拡大する方針を明らかにした。

ちなみに、2008年に続いて2度目のホワイトハウス挑戦となる共和党のマイク・ハッカビー元アーカンソー州知事は、テロリストの米国への不法入国を阻止するために国境を封鎖するという議論まで展開し始めている。

「主要争点化」する対シリア、イラク政策

パリ同時テロ事件は、米国がシリア難民を受け入れるべきか否かを巡る議論に火をつけただけではない。ISが活動するシリア、イラクに米軍を投入すべきか否かの「対IS掃討」を巡る議論も活発化させている。

オバマ大統領は、シリア、イラクに大規模な軍隊を投入する考えはなく、空爆の拡大によりIS掃討を目指す方針を明らかにしている。また、パリ同時テロ事件が発生した翌日の11月14日にアイオワ州デモインで開催された民主党大統領候補による第2回テレビ討論会では、IS掃討を巡り活発な議論が展開された。その際、民主党大統領候補指名獲得争いで「フロントランナー」の立場にあるヒラリー・クリントン前国務長官は、米国単独ではなく、米国主導でISを掃討すべきとの見解を示している。

他方、共和党大統領候補の指名を目指す候補者からは、米軍地上部隊の投入を訴える議論も展開されている。具体的には、元神経外科医のベン・カーソン氏はIS壊滅のために地上部隊を投入すべきと主張。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事も地上部隊の派遣を訴えており、マルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出)は、北大西洋条約機構(NATO)の第5条に基づき、集団的自衛権行使の必要性を議論している。

このように、シリア難民受け入れ問題は、「移民国家」である米国のあり方と「テロ対策強化」の必要性という観点から、大統領選挙キャンペーンの主要争点の1つに発展しつつある。同時に、トランプ氏に象徴されるように、共和党内に広がりつつある「反移民・反難民感情」をさらに助長しかねない。

いずれにしろ、これらの動きによって、外交、安全保障問題にいかに対処できるか、各候補者の能力が有権者により見極められることになるのではないか。

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足立正彦

住友商事グローバルリサーチ シニアアナリスト。1965年生れ。90年、慶應義塾大学法学部卒業後、ハイテク・メーカーで日米経済摩擦案件にかかわる。2000年7月から4年間、米ワシントンDCで米国政治、日米通商問題、米議会動向、日米関係全般を調査・分析。06年4月より現職。米国大統領選挙、米国内政、日米通商関係、米国の対中東政策などを担当する。

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(2015年11月24日フォーサイトより転載)

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