「瀕死」の朴槿恵政権(上)「裏金メモ」と「セウォル号事故」

「裏金ゲート」と「セウォル号事故」というダブルパンチを受けながら、支持率を下げている朴槿恵政権の総体的危機の状況を報告する。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」――。中国の三国志に出てくる有名な言葉だ。三国志演義では、魏の軍師である司馬懿(字は仲達)は星占いで大きな星が落ちるのを見て、蜀の諸葛孔明が死んだと判断して蜀を攻めるが、孔明が生前に自分の死に備えてつくらせた木像を見て、驚き撤退したという話だ。

今、韓国で語られているのは「死せる成完鍾(ソン・ワンジョン)、生ける朴槿恵(パク・クネ)政権を揺るがす」という言葉だ。韓国の建設会社、慶南企業の成完鍾元会長が朴槿恵政権の要人たちに裏金を渡したとメディアに暴露、これを書いたメモを残して自殺した。韓国は、今、この「裏金ゲート」に揺れている。先述の言葉は、この状況を、三国志を模して皮肉った言葉だ。

これに加えて、朴槿恵政権は1年前に起きた死亡・行方不明者304人を出したセウォル号沈没事故の原因究明や対策などで適切な対応を取れず、遺族らから激しい反発を受けている。

韓国はよく「情の国」と言われる。朴槿恵大統領は明らかに国民感情を読み解くのに失敗している。「裏金ゲート」と「セウォル号事故」というダブルパンチを受けながら、支持率を下げている朴槿恵政権の総体的危機の状況を報告する。

「資源外交ゲート」が飛び火

韓国の監査院は4月3日、韓国政府の海外資源開発事業に31兆ウォン(約3兆4400億円)に及ぶ資金が投入されたが、回収されたのは4兆6000億ウォン(約5110億円)に過ぎないという監査結果を発表した。特に李明博(イ・ミョンバク)政権下でこのうち27兆ウォン(約3兆円)が投入されたとした。李明博政権下で、資源開発という名目で、採算性を確認せず無理な投資を強行し大損失を出し、結局は、税金でその穴埋めをするしかなくなっている実態が浮かび上がった。

韓国の検察当局は既にこの李明博政権下の「資源外交ゲート」の捜査を始め、3月18日にはソウル中央地検特捜1部が蔚山市の韓国石油公社とソウル市の慶南企業本社を家宅捜索し、石油公社の幹部と慶南企業の成完鍾元会長らに対して出国禁止措置を取った。

検察当局は石油公社が2009年に資源価値のないカナダのハーベスト社の製油所を買収し1兆ウォン以上の損失を出したり、石油公社と慶南企業が2005年から09年にロシアの油田探査に3000億ウォンを投資して撤収したりしたことなどを捜査していた。

当時、検察当局の「資源外交ゲート」捜査は、朴槿恵政権による李明博前政権バッシングへと発展するのではないかとみられた。苦境にある朴政権が李明博前政権の不正腐敗を暴くことで、政権浮上を図ろうとしているのではないかという見方だった。

この「資源外交ゲート」の中心人物が慶南企業の成完鍾元会長だった。検察当局は監査院が監査結果を発表した4月3日に、韓国石油公社の融資を横領した疑いで成完鍾元会長を事情聴取した。

ポケットに裏金リスト

検察当局は成完鍾元会長を逮捕する直前だったが、成完鍾元会長は4月9日朝、遺書を残してソウルの自宅を出て行方不明になった。その後、ソウル北部の北漢山で同日、同氏は遺体で発見された。

しかし、自殺した成完鍾元会長のポケットから朴槿恵政権の側近ら8人の名前と裏金と見られる金額を記した「裏金メモ」が発見された。さらに、成完鍾元会長は自殺前に京郷新聞との電話インタビューに応じ、朴槿恵政権中枢部への裏金提供を証言していたことが分かり、事件は李明博前政権ではなく、朴槿恵政権を直撃することになった。

「裏金メモ」には「金淇春(キム・ギチュン、青瓦台前秘書室長)米貨10万ドル 許泰烈(ホ・テヨル、青瓦台元秘書室長)現金7億ウォン 劉正福(ユ・ジョンボク、仁川市長)3億ウォン 洪文鍾(ホン・ムンジョン、議員)2億ウォン 洪準杓(ホン・ジュンピョ、慶尚南道知事)1億ウォン 釜山市長2億ウォン 李丙琪(イ・ビョンギ、 青瓦台現秘書室長) 李完九(イ・ワング、首相)」(カッコ内の職責は参考のため筆者が加筆)とあった。釜山市長の名前はなく、李丙琪青瓦台秘書室長と李完九首相は名前だけで金額の記入がなかった。金淇春前秘書室長については「2006年9月26日」という日付と「ドイツ」という記述もあった。

成完鍾元会長の携帯電話には電源が入っており、自殺をした成元会長があたかも自分の遺体とメモを早く探し出すように願っていたのではという見方も出た。

さらに京郷新聞は4月10日付で、成完鍾元会長が自殺する直前の同9日午前6時ごろ同紙と電話でインタビューに応じたことを報じた。同紙は「2006年9月、金淇春前秘書室長がVIP(朴槿恵大統領の意か)に付き添ってドイツを訪問する時に両替して10万ドルをロッテホテルのフィットネスクラブで渡した。07年には許泰烈元秘書室長とソウル・江南のリベラホテルで会い、7億ウォンを3、4回に分けて渡した」と語ったと報じた。さらに京郷新聞は10日夜に電子版で「成完鍾元会長が2011年、洪準杓慶尚南道知事に1億ウォン、12年には洪文鍾議員に2億ウォン、劉正福市長に3億ウォンを渡した」と報じ、「裏金メモ」の内容を京郷新聞に語っていたことが分かった。

メモに名前が挙がった人物たちは一様に「事実ではない」と否定した。しかし、2012年12月には大統領選挙があり、朴槿恵大統領の選挙対策本部にいた洪文鍾議員への裏金は朴槿恵候補(当時)の選挙資金ではないかという指摘が出ている。

「証拠が出たら命を差し出す」

李完九首相は今年1月に首相に指名されたが、記者たちとの懇談の場で、自分はマスコミの幹部と親しく、自分に不利な記事を書くと記者の人生は終わるなどと威嚇的な発言をしていたことが報道され、謝罪に追い込まれた。さらに息子の兵役逃れ疑惑や不動産投機疑惑なども指摘されたが2月16日にようやく国会で任命同意案が可決された。

李完九首相は3月12日に最初の対国民談話を発表したが、それが「不正腐敗との戦争宣言」だった。李完九首相は「不正腐敗の摘発は国家の命運が懸かった課題だ」と強調し、検察や警察当局に「特段の対策」を求めた。

その首相に成完鍾元会長との関係が浮かび上がっただけに、国民の怒りはさらに激しいものにならざるを得なかった。

京郷新聞は4月14日付と15日付で、成完鍾元会長やその側近が同紙とのインタビューで2013年4月の国会議員補欠選挙の際に、現金3000万ウォン(約333万円)を「ビタ500」というドリンク剤の紙の箱に入れて選挙事務所で李完九氏に渡したことを明らかにしたと報じた。

李完九首相は14日に国会の委員会での答弁で「万一、金を受け取った証拠が出てくれば、私の命を差し出す」とまで述べて、金銭の受け取りを強く否認した。

李首相は成完鍾元会長と2人だけで会ったことはないと否定したが、東亜日報が4月16日付で、李首相の運転手の証言として、李首相が成元会長や秘書と会ったと報じると、李首相は2人ではないという意味だと述べたり、覚えていないと語るなど答弁は二転三転した。さらに、李首相が、成完鍾元会長が自殺する前日に会っていた地方議会の議員2人に15回も電話をして、成完鍾元会長が何を話していたのか聞き出そうとしていたことが明らかになった。李完九首相は当初は、「成元会長と親しい関係ではなかった」と言っていたが、2013年8月から20回以上も会っていたことが明らかになった。

李完九首相は疑惑に対して「命を差し出す」という極端な発言をする一方で、発言がぶれまくり、与党・セヌリ党内部からも辞任論が出始めた。

韓国のネット上では、ドリンク剤「ビタ500」の紙の箱にどれくらい現金が入るかチェックする映像や、李完九首相が「ビタ500」を持ち、その横に「1箱の活力、首相もはまった味」というキャッチフレーズを貼り付けたパロディが登場するなどした。李首相の「受け取っていない」という言葉は国民の信頼性を獲得できる状況ではなくなっていた。

政経癒着で事業を拡大

李完九首相と成完鍾元会長を結ぶ接点は、忠清道出身という点だ。成完鍾元会長は1951年8月生まれの忠清南道瑞山市出身で、小学校も卒業していない成元会長が地方の建設会社の経営者から大企業の会長になっていく過程は、政経癒着を最大限に活用して自分の存在を拡大して行く特異な道筋だった。

30歳を超えたばかりで忠清南道の青年会議所会長、30歳代半ばで建設会社の会長になり、1997年から2000年には大韓建設協会の忠清南道会長を務めて地域の有力者になった。2003年には大宇グループの系列の建設会社であった慶南企業を買収し、大手建設会社の経営者になった。

若い頃から政界への接近を図った。2002年の地方選挙前に忠清道の盟主であった金鍾泌(キム・ジョンピル)氏が結党した自民連に入党した。その時に選挙資金として16億ウォンを提供し後に懲役2年・執行猶予3年の有罪判決を受けたが、2005年に赦免となった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代には汚職事件で有罪になったが、2007年12月に赦免された。この赦免に関しても、「朝鮮日報」(4月24日付)は、盧武鉉政権当時の関係者の調査として、李明博前大統領に近い元世勲(ウォン・セフン)元国家情報院長の働き掛けがあったのではという指摘が出ていると報じた。

2004年の総選挙では自民連の比例代表第2位(第1位は金鍾泌総裁)にランクされたが落選した。2007年12月の大統領選挙で李明博候補が当選すると、大統領職引き継ぎ委員会の諮問委員になるなどして李明博政権への接近に成功した。

2012年には忠清道を基盤にする自由先進党から出馬してようやく国会議員に当選したが、選挙法違反に問われ有罪が確定、昨年6月に当選無効で失職した。国会議員時代は、金融機関を監督する国会政務委員会に所属し、慶南企業のために政治的影響力を最大限に利用した。ハンギョレ新聞は、成元会長の政務委員会所属を「ネコに魚屋を任せたのも同然」と評した。

李明博政権での資源外交に便乗、2006年から2013年にかけ、会社の財務状況を偽って政府融資資金や金融機関からの貸出金を引き出した。李明博政権の政権中枢にも裏金を提供したとみられるが、成元会長は李明博政権の幹部には言及せず、自身への捜査を進める朴槿恵政権の中枢幹部への裏金提供を暴露して自殺するというしっぺ返しをした。

進まぬセウォル号事件の解決

朴槿恵政権を窮地に追い込んでいるもう1つの大きな要因は死者・行方不明者304人を出したセウォル号沈没事故だ。セウォル号事故は昨年4月16日に発生し、光州地裁の第1審は昨年11月に、乗客を救助せずに船を脱出したとして殺人罪などに問われた船長イ・ジュンソク被告(69)について、殺人罪は認めず、遺棄致死罪などで懲役36年(求刑死刑)の判決を言い渡した。負傷した同僚を見捨てて逃げたとして殺人罪に問われた機関長パク・キホ被告(54)については同罪を認めて懲役30年を、ほかの乗組員13人には遺棄致死罪などで懲役20~5年を言い渡したが、検察、被告共に控訴した。

光州高裁での控訴審では検察側は船長に1審と同じ死刑を求刑した。光州高裁は4月28日、船長に対して殺人罪を適用し、無期懲役を言い渡した。判決は船長が、自分が逃げる前に乗客に脱出を命じる放送をする努力をしなかったとし、乗客が死んでも構わないという「未必の故意」があったと認定した。

しかし、船長はこれまでの裁判で、乗客が死亡した理由は「自分が無能だから」と曖昧な発言をするだけで、なぜ避難命令を出さなかったのか、自分だけ先に脱出したのかなどの疑問について真相を明らかにしなかった。船長は脱出まで何をしていたのかと指摘されると「体調が悪くてふらふらし、ほとんど記憶にない」としか答えなかった。

これまでの裁判では、船長らの曖昧な証言だけで、なぜ避難措置が取られなかったのか、伝達系統がどうなっており、実際にどのような措置が取られたのか、政府の救護活動に落ち度がなかったのかなどの本質的な問題は明らかにされていない。

遺族ら70人以上は今年1月に、政府が救助活動を適切に行わなかったことの確認を求める訴訟を同国の憲法裁判所に起こした。

一方、遺族や野党はセウォル号事故の背景や原因などを調査するための特別法の制定を要求した。遺族らは独立した調査委員会を設置し、調査委に捜査・起訴権を付与するように求めたが、与党はこれに強く反対し、特別法の制定が難航した。結局、特別法は昨年11月にようやく可決された。特別法は、事故犠牲者の遺族が推薦する委員長をトップとする「特別調査委員会」の設置や「特別検察官」による捜査を定め、特別調査委員会は最長1年半にわたり活動し、捜査権は持たないが、偽証などには刑事罰を科すことができることになった。

しかし、特別法に基づき設立された官民合同の特別調査委員会は事故発生から1年を経ても具体的な活動に入っていない。

大荒れの1周年

セウォル号沈没事故では304人が死亡・行方不明になり、295人の遺体が見つかったが、まだ9人の遺体が発見されていない。行方不明者9人の家族は水深44メートルの水底に沈んだセウォル号の引き揚げを強く要求した。

しかし、現場海域は急流で、船体の引き揚げは難航が予測され、費用は1000億ウォン(約110億円)から1500億ウォン(約167億円)、場合によっては2000億ウォン(約220億円)が掛かり、引き揚げに1年から1年半要するとみられた。

韓国政府が3月27日に、海洋水産部の幹部を調査委員会の統括責任者とする法施行令案を発表すると、遺族たちは調査委を政府が牛耳り、調査の骨抜きを図ろうとしていると反発した。

韓国政府は4月1日に突然、高校生の遺族に慰謝料など8億2千万ウォン(約9100万円)を支払うという金銭補償策を明らかにした。遺族の一部からは金で黙れというのかとの声も上がり、反発が広がった。

こうした中で、朴槿恵大統領は4月6日に「技術的に可能であれば引き揚げたい」と述べた。

韓国政府は、セウォル号沈没1周年で引き揚げを求める世論の高まりや大統領の発言を受け、4月10日、引き揚げは技術的に可能で、海底の船体を丸ごと引き揚げる方法が有力だという研究結果を発表した。

セウォル号の遺族や支援者数千人は4月11日にソウル中心部で、沈没事故の真相究明や船体引き揚げを求め集会を開いた後、青瓦台(大統領官邸)に向かい機動隊と衝突、一部が連行された。

4月16日のセウォル号沈没事故1周年の行事は大荒れになった。李完九首相が、多くの高校生が亡くなった高校の所在地である京畿道安山市に設けられた合同焼香所を訪問しようとしたが、政府が調査委員会の統括責任者に海洋水産部幹部を起用しようとしていることや船体引き揚げに応じないことに遺族が反発、李完九首相は焼香を拒否され引き返さざるを得なかった。追悼式典は中止になった。

朴槿恵大統領は専用機、ヘリコプター、乗用車を乗り継ぎ、沈没現場に近い韓国南部の珍島を訪問して遺族を慰労しようとしたが、遺族たちは政府の姿勢に反発、朴大統領の到着前に現場を離れた。朴大統領は焼香所に向かったが、焼香所は閉鎖され焼香も献花もできなかった。

朴槿恵大統領は現場で「必要な措置を迅速に取り、できるだけ早く船体を引き揚げたい」と船体の引き揚げについて、これまでよりは踏み込んだ立場を明らかにした。朴大統領は「まだ冷たい水の中から帰ってこない9人の行方不明者の家族を思うと、胸が張り裂けそうだ。当然、家族を失った苦痛を誰よりも知っており、その悲しみが消えずにいつも胸の中に残り、人生を苦しめることも自分の半生を通じて感じてきた」と語り、父・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領、母・陸英修(ユク・ヨンス)夫人を暗殺やテロで失った自身の苦しみに重ね合わせたが、それを聞く遺族は現場にいなかった。

ソウル市内では数万人の市民が政府の姿勢を批判して集会、デモを行い「朴槿恵大統領は退陣しろ」「船を引き揚げろ」と叫んだ。

結局は引き揚げが決まったが

朴槿恵大統領はこの日、コロンビア、ペルー、チリ、ブラジルの南米4カ国歴訪に出発した。外交には相手国があり、その日程は韓国だけで決まるものではないが、セウォル号沈没事故1周年のその日に韓国を離れる日程設定に国民の失望が広がった。16日のデモ隊の中からは「もう帰ってくるな」という叫びも交じった。

韓国政府は4月22日に、最終的にセウォル号の船体引き揚げを決めた。早ければ9月にも海上作業に取りかかるというが、1年から1年半掛かるという。膨大な費用と時間が掛かる作業だが、結局は世論に押され、大統領の決断で引き揚げることになった。しかし、事故の調査を行う調査委員会の活動期間は最長で1年半で、引き揚げは調査委員会の活動中には実現しない可能性もある。一方、引き揚げるならなぜもっと早く決断しなかったのかという批判も続きそうだ。(つづく)

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2015年4月28日「新潮社フォーサイト」より転載)

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