北朝鮮人事情報(上)保衛部による「恐怖政治」か

朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)で8月4日に発生した地雷爆発に端を発した韓国と北朝鮮の緊張は交戦直前まで行ったが、43時間にわたる板門店での高位級会談で軍事衝突を回避し、対話局面に転換した。

朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)で8月4日に発生した地雷爆発に端を発した韓国と北朝鮮の緊張は交戦直前まで行ったが、43時間にわたる板門店での高位級会談で軍事衝突を回避し、対話局面に転換した。これを受け、朝鮮中央通信は8月28日に、朝鮮労働党中央軍事委員会拡大会議が開かれたと報じた。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は「瀬戸際にまで至った交戦直前で再び取り戻した平穏は決してテーブルの上で得たものではなく、偉大なわが党が育んできた自衛的核抑止力を中枢とする無尽強大な軍事力とわが党の周りに一心団結した無敵の千万の隊伍があるので成し遂げられた」と述べ、核抑止力を含めた軍事力が対話を実現したと主張した。

また、同通信は同拡大会議で「党中央軍事委員会の一部の委員を解任および任命し、組織問題が取り扱われた」と報じ、党中央軍事委員の一部が解任され、交代させられたことが明らかになった。しかし、具体的に誰が解任され、誰が任命されたかは不明だ。

なお不安定な北朝鮮指導部

地雷爆発から始まる緊張激化に対して引責的な人事が行われたとの見方が出た。しかし、本稿執筆時点では、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)軍総政治局長、朴永植(パク・ヨンシク)人民武力部長、李永吉(リ・ヨンギル)総参謀長の軍トップ3は健在である。対南工作の責任者である金英哲(キム・ヨンチョル)偵察総局長の処遇に関心が集まっている。

その一方で、今回の人事は、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)前人民武力部長や辺仁善(ピョン・インソン)前軍総参謀部作戦局長の粛清にともなう補充人事を行い、党中央軍事委員会を再整備しただけという見方も根強い。

南北関係は板門店での「8.25合意」によって、対話局面に転換された。しかし、北朝鮮は9月14日には国家宇宙開発局長が、同15日には原子力研究院長が朝鮮中央通信記者の質問に答える形で談話を出し、人工衛星打ち上げや核実験の可能性を示唆した。南北対話や日朝交渉がこのまま続くのかどうかも不透明だ。

北朝鮮は、米朝関係に展望が見えず、中朝関係は冷却状態が続いており、南北関係に国際的な孤立打開の道を模索しているようにみえる。一方で、国際的孤立の一層の深化を覚悟で、人工衛星打ち上げなどに向かう可能性もある。

そうした中で、北朝鮮指導部はまだ不安定なようにみえる。玄永哲前人民武力部長の粛清は北朝鮮内部にも大きな衝撃を与えている。南北間の緊張激化や、中国の「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念式典をめぐる外交戦の陰に隠れているが、北朝鮮指導部の内部の状況を検証してみたい。

非常拡大会議に参加した16人

DMZの地雷爆発に端を発した南北の軍事的緊張を受け、8月20日夜に党中央軍事委員会非常拡大会議が開かれた。ここには最高司令官である金正恩第1書記のほか軍幹部が10人、党幹部4人、内閣1人の16人が参加した。拡大会議であるから、どこまでが党中央軍事委員かは不明だが、この16人が現時点での北朝鮮の軍事政策の核心的な幹部であるといえる。今回の緊張がはからずも、北朝鮮軍部や党・内閣で実際に権力を握っている幹部が誰なのかを浮かび上がらせた形だ。

さらに、金正恩時代における軍事施策の中心は国防委員会ではなく、党中央軍事委員会であることがあらためて確認された。

軍では①黄炳瑞軍総政治局長②朴永植人民武力部長③李永吉軍総参謀長④金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長⑤金英哲偵察総局長⑥趙慶喆(チョ・ギョンチョル)軍保衛司令官⑦尹(ユン)ヨンシク総参謀部砲兵局長⑧朴正川(パク・ジョンチョン)副総参謀長兼火力指揮局長⑨崔富一(チェ・ブイル)人民保安部長⑩金春三(キム・チュンサム)前軍作戦局長の10人が参加した。

李永吉総参謀長と金英哲偵察総局長は8月15日の解放70周年の関連行事にも姿を見せなかったが、今回の拡大会議には参加した。2人は8月4日の地雷爆発以降、緊張している南北関係を反映し、本来の軍務に就き、解放70周年関連行事に参加する余裕がなかったとみられる。

朝鮮中央テレビの映像などから、この拡大会議に参加した軍幹部の階級などを確認することができた。

朴正川氏は金正恩時代になって側近勢力の1人として注目された軍人で、中将と上将の間を行ったり来たりしたが、今年3月には少将への降格が確認されていた。今回の拡大会議ではさらに降格した大佐の階級章をつけていた。朴正川氏と尹ヨンシク砲兵局長は北朝鮮軍部の砲撃の専門家として知られ、朴正川氏は大佐まで降格されながらも砲撃の専門性のために会議に参加したのではないかとみられる。

崔富一人民保安部長は2014年5月にあった平壌の高層アパートの崩壊事故で上将から少将に降格されたが、今回の会議でも少将のままだった。

金春三氏は、今年1月に軍総参謀部第1副総参謀長兼作戦局長に起用されたが、今年7月に金正恩第1書記が錦繍山太陽宮殿を訪問した際に、同行した軍幹部の中に姿が見えず作戦局長を更迭されたとみられていた。今年4月に金正恩第1書記が錦繍山太陽宮殿を訪問した時以来、公式の場に姿を見せていなかったが、この拡大会議出席が約4カ月ぶりの登場となった。しかし、階級は上将から中将に降格になっていた。作戦局長は更迭された可能性が強いが、現在の職責は不明だ。

党・内閣の側から参加したのは金養建(キム・ヤンゴン)党統一戦線部長、趙甬元(チョ・ヨンウォン)党副部長、洪(ホン)ヨンチル党機械工業部副部長、崔輝(チェ・フィ)党宣伝扇動部第1副部長、金桂冠(キム・ゲグァン)第1外務次官の5人だ。崔輝氏は2014年8月8日に開催された「6.18建設突撃隊」の決起大会への出席が報じられて以来公式報道から姿を消し、失脚説も出ていたが、この拡大会議出席で健在が確認された。金桂冠第1外務次官の出席は、北朝鮮の外交部門での実質的な責任者が同第1外務次官であることを示した。

崔英建副首相も処刑

韓国の聯合ニュースは8月12日、北朝鮮の崔英建(チェ・ヨンゴン)副首相が金正恩第1書記の推進している山林緑化政策に関連し不満を示し、成果を出せなかったことを理由に今年5月に銃殺されていたことが明らかになったと報じた。

崔英建副首相は1952年生まれの60代の経済官僚。金策工業大学を卒業し、1997年1月には建材工業部副部長(次官)、1998年7月には建設建材工業省次官を経て、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2003年から2004年の間に開かれた南北閣僚級会談の北朝鮮側の代表を務めた。2003年11月から2005年10月まで南北経済協力推進委員会の北朝鮮側委員長も務めた。2005年6月には第15回南北閣僚級会談の北朝鮮代表団の1人としてソウルを訪問し、盧武鉉大統領が接見に応じたことがある。崔英建副首相は南北経済協力にも積極的で、北朝鮮の緩やかな経済改革を推進する経済閣僚の1人とみられていた。

崔英建氏はその後、2014年3月に最高人民会議代議員に選ばれ、同年6月には副首相に起用された。しかし、2014年12月17日に金正日総書記の死亡3年追慕大会に参加したことが確認され以降、その動静について公式報道がなかった。

韓国の情報機関、国家情報院は玄永哲前人民武力部長の粛清を明らかにした際に、今年に入り8人の幹部が銃殺されたと発表したが、崔英建副首相もこのうちの1人という。

組織指導部副部長も処刑か

聯合ニュースは崔英建副首相とともに、金グンソプ党組織指導部副部長も昨年9月に公開で銃殺されたと報じた。同ニュースによると、金正恩第1書記の特別指示で金元弘国家安全保衛部長が主導していた捜査で、腐敗容疑で摘発され、ほかの地方幹部とともに処刑されたという。聯合ニュースが報じた金グンソプ副部長についてはまったく人物情報がない。しかし、崔英建副首相や金グンソプ党組織指導部副部長の粛清が事実とすれば、深刻な問題であろう。

金正恩第1書記は比較的、経済政策に関しては経済官僚に任せていた。直接の原因となったとされる山林緑化事業は経済政策の根幹部門ではないが、経済閣僚の中からも粛清の犠牲者が出たことは緩やかな経済改革を進めている経済部門の政策にも影響を与える可能性がある。

また、党組織指導部は朝鮮労働党の中で「党中党」といえる組織だ。組織指導部は最高指導者と一心同体とされてきた組織であり、その組織の副部長が腐敗容疑で処刑されたとするなら、最高指導者と組織指導部の間に亀裂が生じる可能性もあることを意味する。その意味で、金グンソプ副部長の処刑が事実なら、それは重要な意味を持っている。

こうした粛清の多くは国家安全保衛部が主導しているようである。現在の金正恩政権の基盤は、党組織指導部と公安機関である国家安全保衛部だ。国家安全保衛部による幹部への査察が「恐怖統治」の大きな要素となっている。不正腐敗の摘発という側面もあろうが、一方で既得権層の内部抗争という側面がないか注視する必要があろう。(つづく)

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平井久志

ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

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(2015年9月16日新潮社フォーサイトより転載)

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