なぜ君主号を考えるか:「はじめに」に代えて--岡本隆司

一口に君主と言っても、時と場合によって、いろんな種別とその呼び方がある。
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昨年12月20日付の『朝日新聞』に、外務省が同日公開した外交文書に関する記事が載った。その文書の中に、チャールズ英国皇太子・同ダイアナ妃両殿下が1986年に訪日したさいの関係ファイルが含まれていた。

チャールズ「皇太子」の怪

日本政府としても、当時は異例の歓待だった。王室の結びつきということで、良好な日英関係の維持に資したことはまちがいない。山崎敏夫駐英大使(当時)も、「英国朝野に対するPR効果も甚だ大きいであろう」と述べるほどで、両殿下の訪日は歴史的にも、重大な出来事だった。

はや30年も前、筆者もたしか大学生だったころだから、日本国内のありさまはよく覚えている。ダイアナ・フィーバーで大騒ぎだった。だが逆に言えば、ほとんどその印象しかない。

そのころ全く気づかずに、数十年を経た最近になってようやく気になりはじめたことがあり、それが今や頭から離れなくなった。

チャールズ皇太子、である。ただ、気になるのは古希を迎えられたチャールズ殿下ご自身ではない。チャールズの称号、つまり彼を「皇太子」と称する風習に、である。イギリス・エリザベス女「王」の後嗣が「皇」太子では、やはり奇怪だと思わざるをえないのだ。迂闊千万、今ごろになって、やっとそのことに気づいた。

おびただしい「皇太子」

英語では一般的に、君主の後嗣のことを「クラウン・プリンス(crown prince)」と言う。日本で「クラウン・プリンス」と呼ばれるのが天皇の継嗣たる「皇太子」であるのは、言うまでもない。

イギリスの場合、継嗣の称号が「プリンス・オヴ・ウェールズ」だと言っても、立場は日本の皇太子と等しいのだから、日本語は同じ称号で呼べばよい。そういう論理も成り立つ。だからチャールズ「皇太子」に、何も目くじら立てる必要はないのかもしれない。

それでも筆者にとっては、「王」と「皇」「帝」との区別をつけないのは、どうしてもおかしいとしか思えない。東アジア・中国など漢語圏の歴史を専門にしていて、漢字の表記・含意にいささか敏感だからなのだろう。そのおかしなことがどうやら、一般的には奇妙と感じられていない。なぜそうなってしまうのか、そこに無限の関心を覚える。

奇怪なのは、チャールズだけではない。サウジアラビアにも、やはりムハンマド・ビン・サルマン「皇太子」がおり、こちらはサルマン「国王」の後嗣である。かたやチャールズ皇太子の息子も、ウィリアム「王子」、ヘンリー「王子」なので、やはり君主の後継ぎのみ「皇」の字にするのが、日本の感覚・風習らしい。

イギリスもサウジアラビアも同じとあれば、どうやら国を問わない。デンマークもスウェーデンも、アブダビもブルネイも、確かにみな「皇太子」である。アブダビやブルネイの政体については、まったく知らない。けれどもヨーロッパの諸国は、いずれも「王」国なはずである。

外務省のホームページにも、はっきりそう記してある。どうも「crown prince」の日本語訳は、とりもなおさず「皇太子」だというのが、日本の新聞・テレビのみならず、政府・外務省の公式見解のようだ。しかし政府の定める、またマスコミの用いる日本語・漢語・翻訳が正しく適切だとは限らない。いな、国民にいま強要している常用漢字や現代かなづかいの水準1つとってみても、そこは大いに疑うべきである。

表記と翻訳

以上からわかるのは、一口に君主と言っても、時と場合によって、いろんな種別とその呼び方がある、というごく単純な事実にほかならない。

たとえば、現在にも歴史をさかのぼってみても、世界には国王がいて、皇帝がいて、天皇がいる。「皇」と「王」とをこのように書き分けるのは、その中身が別個のものだという認識が、無意識にしても根柢に存在するはずである。まったく同質のものなら、字面を変える必要もない。内実が多かれ少なかれ異なるとみなすからこそ、表現もちがってくるのである。イギリスは女王、日本は天皇。同じく君主・元首でありながら、称号が異なるというのは、いったいどういうことなのか。

それを知るには、まず君主の称号・表記に、なぜ「皇」と「王」といった様々な種類があるのか、そうした種別にいったいどんな意味があるのか、を考えなくてはならない。

とは言え、その呼称はあくまで日本人が使う日本語での話である。チャールズ皇太子は、いうまでもなくイギリス人。本来の称号は当然、その母語で「Prince of Wales」と呼ぶのが正しい。これを「皇太子」などと称するのは、まったく日本人の都合・感覚・思考・論理でしかない。

だから様々な君主号が存在するということは、君主とその称号自体にどのような意味があるのか、に加え、それを別の言語でどう訳して表記するか、にも起因する。だとすれば、訳語となる日本語の問題も考えなくてはならない。

日本語と君主号

日本語は、主として日本人が使うものである。だがそれは、決して目前だけのものではない。日本の歴史が、日本語とその用法を左右してきたからである。そこでは何より、漢語の存在が大きい。

そもそも日本語には、自前の文字がなかった。大陸から入ってきた漢字・漢語を借りることで、ようやく母語を表記できたのである。それにともなって、文化の立ち後れた日本は、多くの事物・概念を中国の漢語そのままで受容せねばならなかった。そこには中国の歴史・文化やその他の要素が混入している。日本語そのものがそれによって、いかほどの影響を受けたかは計りしれない。

だからといって、まったくの直輸入でもなかった。日本流にアレンジしたものも少なくない。

それは日本人の理解・受容のいかんも関わるのだが、ごくわずかに思いつくだけでも、歴史での律令制しかり、思想での仏教・儒教しかり。いずれも中国に完全に同化しなかったところに注意すべきである。

君主に絞って言うなら、日本の天皇がそうであろう。和語なら「すめらみこと」なのだが、これを漢語にした結果、「天皇」となった。しかしそんな君主・称号は、漢語を母語とする中国にはほぼ存在しない。天皇はなぜ「天皇」なのか。そのあたりも問題になる。

王と皇帝

「王」にしても「皇帝」にしても、元来は外来語だった。それならオリジナルの語彙・語義を提供した漢語・中国史の問題でもあるわけで、まずそこから考えなくてはならない。

しかも「王」「皇帝」は、オリジナルこそ漢語でありながら、ローマ「皇帝」しかりエリザベス女「王」しかりと、しばしば西洋、ヨーロッパのそれをも指す。われわれはごく新しいカタカナ語を除くと、西洋の事物を日本語・漢語で考えるのが通例なのである。

英国・米国といった国名ですら例外でない。西洋がそれだけ現代人の血肉になっていて、オリジナルの横文字を意識することもない。翻訳した概念が定着して久しい、ということでもある。

西洋とわれわれの日本語・漢語は、それほどに密接な関わりにある。なぜそうした現状になっているのだろうか。どこでどのように、漢語と横文字が結びついたのか――単なる君主の呼び方だけでも、過去から複雑な事情が存在し、また推移を経てきたことに思い至る。

かくて今回からはじまる本稿は、漢語と翻訳を中心に叙述をすすめてゆきたい。漢語と言えば、中国・東アジアの国際語(リンガ・フランカ)であり、翻訳と言えば、ローマにはじまる西洋の概念に対するものである。この東西2つを大きな柱に、多様な君主とその称号の歴史をたどっていこうと思う。それがたとえば、チャールズ「皇太子」の怪を解きほぐすゆえんであろうし、ことによると、世界史・日本史がたどった経過、すべての見直しにつながるかもしれない。

岡本隆司 京都府立大学文学部教授。1965年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。専門は近代アジア史。2000年に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会)で大平正芳記念賞、2005年に『属国と自主のあいだ 近代清韓関係と東アジアの命運』(名古屋大学出版会)でサントリー学芸賞(政治・経済部門)、2017年に『中国の誕生 東アジアの近代外交と国家形成』で樫山純三賞・アジア太平洋賞特別賞をそれぞれ受賞。著書に『李鴻章 東アジアの近代』(岩波新書)、『近代中国史』(ちくま新書)、『中国の論理 歴史から解き明かす』(中公新書)、『叢書東アジアの近現代史 第1巻 清朝の興亡と中華のゆくえ 朝鮮出兵から日露戦争へ』(講談社)など多数。

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(2018年4月6日
より転載)

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