最大の顧客は中国:映画『世界一美しいボルドーの秘密』レビュー

中国でのワインを巡るこのような狂乱ぶりは、「ボルドー・バブル」と呼ばれてきた。その実態を追ったドキュメンタリー映画『世界一美しいボルドーの秘密』(RED OBSESSION)が、9月27日から東京のヒューマントラストシネマ有楽町などで公開される。

同じようにフランスを代表するワインであるものの、ブルゴーニュとボルドーは、大いに異なるイメージを与えてきた。

繊細で女性的な性格を持つブルゴーニュは、一般的に小規模の畑で、職人的な技によってつくられてきた。「ブルゴーニュは旅をしない」と言われる通り、長期間の輸送に向かず、フランス国内で主に消費された。デリケート、通好みで閉鎖的。村の名前や作り手の名称が複雑に入り組んでおり、分類するのが難しい「フランス人がつくるフランス人のためのワイン」だった。

ボルドーは、大西洋に面した地理的特性により、古くから英国に運ばれて評価を受けた。パワフルで、わかりやすくて、開放的。「シャトー」と呼ばれるワイナリーごとの評価も安定し、素人でもよしあしが判断できる。グローバル化に適した特性を備えていたと言える。だからこそ、その愛好者も英国人から米国人、さらには日本人へと、国境を越えて広がった。

ここ10年ほど、ボルドーの最大の顧客は中国である。中国人のブランド志向を反映して、5大シャトーと言われる「ラフィット・ロートシルト」「ラトゥール」「マルゴー」「オー・ブリオン」「ムートン・ロートシルト」がもてはやされる。フランスの現地にも、中国から訪問者が殺到するようになった。

中国でのワインを巡るこのような狂乱ぶりは、「ボルドー・バブル」と呼ばれてきた。その実態を追ったドキュメンタリー映画『世界一美しいボルドーの秘密』(RED OBSESSION)が、9月27日から東京のヒューマントラストシネマ有楽町などで公開される。フランスと中国での長期取材をもとに生まれたこの作品は、グローバル化の波の中でボルドーが見せる力強さと脆弱性を、余すところなく描く。

その監督、ワーウィック・ロス氏(59)が来日したのを機に、作品の狙いと背景を聴いた。

「ボルドー・バブル」の崩壊

その邦題から、高級ワインが生まれる背景を描いた画面麗しき映画だと思う人がいるに違いない。確かに最初15分ほどは、ボルドーの多様な魅力を伝える映像が続く。5大シャトーやペトリュス、パルメといった有名シャトーの責任者、ロバート・パーカー氏やジャンシス・ロビンソン氏といった著名評論家が次々と登場し、ワインのすばらしさ、その誕生にかかわる人々の熱意と矜持を語る。

しかし、焦点は次第に、優雅な香りを発するテーブルの華としてのボルドーから、莫大な富を生み出す商品としてのボルドーへと、移っていく(以下、ネタばれがありますのでご注意を)。

5大シャトーに代表されるボルドーの高級ワインの価格は、2005年ごろから急速に上昇した。その背景にあったのが、中国人の存在だ。金に糸目を付けず最高級ワインを買い漁り、価格を高騰させ、バブルの状況を演出した。

ボルドーの側も、決してその波に翻弄されていたばかりではない。中国を「可能性の高い市場だ」と位置づけ、積極的に策を弄し、中国人客に気に入られようと工夫した。そうすることは、ボルドーのグローバル化の歴史が培った伝統でもあった。例えば、ラフィット・ロートシルトは2008年、ワインの瓶に漢数字の「八」を刷り込んだ。「八」は中国で特に縁起の良い数字であり、中国の消費者に受けるだろうと狙ってのことだ。戦略は当たり、大きな評判となった。

その「ボルドー・バブル」が崩壊した。直接のきっかけは2011年の不作によるものだが、中国でもボルドー人気に陰りが見え始めた。何が起きたのか。

盛り上がる期待から、突然の悲劇への転落。映画の流れは、偶然とはとても思えないストーリーをつむいでいく。ボルドーはこれから、どこに行くのか。不安と、かすかな希望が残る。

中国のワイン・ブーム

監督のワーウィック・ロス氏は香港生まれで、10代で移住した豪州で育った。米国で映画製作を学んだ後、『青い珊瑚礁』(80年)、『ヤング・アインシュタイン』(88年)などの製作にかかわった。一方、地元豪メルボルン近くでワイナリーを経営しており、ワイン業界の人間でもある。

(筆者撮影)

ロス監督は2010年の初夏、カンタス機で豪州からロンドンに向かおうとして、豪ワイン評論家アンドリュー・カイヤード氏と偶然乗り合わせた。これが、映画の生まれるきっかけとなった。映画人でありワイナリー経営者でもあるロス監督の経歴を知ったカイヤード氏は、ワインをテーマに映画をつくるよう、強く勧めたという。ロス監督はそれまで、自分の2つの仕事を結びつけて考えたことがなかった。

「いまボルドーで起きていることは、きっとあなたの興味を引きますよ」

カイヤード氏はボルドーのシャトーにまつわる物語を語り、ワインの販売と流通を巡る状況を解説した。その話が、それまでフィクション映画にしかかかわってこなかったロス監督を、初のドキュメンタリー映画に挑戦させることになった。

ボルドー・ワインの繁栄を歴史的に支えてきたのは、英国の業者と愛好家たちである。ここ何十年かは米国の金持ちが取って代わり、2008年のリーマン・ショック以降は中国人がその穴を埋めた。

だから、ボルドー・ワインの現在を追うことは、すなわち中国のワイン・ブームを描くことに他ならない。ボルドーのシャトー巡りから始まる映像は、その舞台を中国に移し、ワインへの熱意を語る様々な中国人の姿を追う。

13億人の国にふさわしい豪快な話が次々と登場する。

▽2008年のラフィット・ロートシルトを80箱現金で購入した人。

▽1945年のムートン・ロートシルトを1本2万4000ユーロ(約330万円) で1箱注文した人(結局1本しか売ってもらえなかった)。

▽オークションで気に入ったワインを1本150万ドルで競り落とす人。

▽フランス風のシャトーを中国に建ててしまった人。

「性」よりもワイン

彼らの好みははっきりしている。5大シャトー、特にそのトップに位置する「ラフィット・ロートシルト」以外のワインに目もくれないのである。中国人にとって、ボルドーは一種のブランドなのだ。どこの銘柄かが評価のすべてを占める。

とりわけ印象的なのは、深圳出身、女性用の「大人のおもちゃ」の製造で財をなした実業家ピーター・チェン氏のインタビューだ。総額6000万ドル、世界一とも言われるボルドーのコレクションを誇る彼は、とぼけた表情のままで「シャトー・ラフィットの瓶は家中に置いてある。食堂や書斎にもあるし、寝室にも置いてある」と語る。コレクションの中で最も高価なものは、1982年のラフィットの6リットルボトルだ。「確か1本5万ドルだったかな」と平然と言う。「昔は私も性に貪欲だったが、今はワインのほうがいい」そうだ。

彼は、ワインのオークション会場にも足を運ぶ。気に入ったワインがあると、競り落とすまでずっと手を上げたままでいるという。

チェン氏へのインタビューは大いに難航したと、ロス監督は振り返った。世界一の収集家と聞き、ぜひとも話をと考えたものの、なかなか会ってくれない。数回訪ね、インタビューが実現したのは1年後だった。「実際に会ってみると、すばらしい紳士」。監督を昼食とボルドーでもてなしてくれたという。

キッカケは偽物の横行

撮影を始めた2011年10月、映画はボルドーの成功物語になりそうだった。中国での人気に支えられて、ラフィット・ロートシルトの値段は上がり続けていた。ところが、翌11月にそのような見通しがすべて崩壊する。ロス監督のもとに「中国でラフィットの価格暴落」のニュースがもたらされたのは、香港で撮影しているさなかだった。

大きな理由は、偽物の横行だ。瓶だけラフィットで中身を詰め替えたものが出回り、本物との区別がつかなくなった。10本のうち9本が偽物だと言われるまでになり、ラフィットの空き瓶が1本500ドルで取引されたという。

もともと、中国で高級ワインは贈り物、賄賂として喜ばれていた。偽物だらけだと、贈り物としての価値がない。

「でも、この出来事によって、完璧なドラマが映画に生まれたのです。上昇に上昇を重ねていたボルドーの価値が、一夜にして崩れ去ったのですから」

ボルドーのワイン関係者からは「あなたは、一番いい時に映画を撮りましたね。最高の時と、それが崩壊した時の両方を見たのですから」と言われたという。トップから奈落への軌跡こそがこの映画のコアのストーリーであり、その絶妙のタイミングがこの映画の一番の魅力となっている。今年のオーストラリア映画協会賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

ロス監督は、自作を振り返ってこう語る。

「ワインが投機の対象として扱われるのは、確かに避けがたい。でも、ワインの中には、それぞれの歴史とその時々の天候がつまっているのです。それを買って、飲もうとしない人がいるのは、悲しいことですね」

映画の完成後も、中国でボルドー・ブームは回復しそうにないという。ブームの陰りに拍車をかけたのが、習近平政権の発足だ。習政権は腐敗に対する厳しい姿勢を打ち出しており、これに伴ってワインの購買数も減っているという。

もっとも、それはある種の「正常化」なのかも知れない。いかに伝統があって手が込んでいるとは言え、そこは酒である。1本10万円だの100万円だのの価格は、到底正気の沙汰ではないからだ。

この映画の中国での公開予定はない。ただ、海賊版がすでに出回っているそうだ。自分たちの起こした騒ぎが世界にどんな影響を与えているのか、中国のワイン愛好家たちが考えるきっかけになるよう、望みたい。

「映画人はみんな呑兵衛」

映画人には、ワイン愛好家が少なくない。古くは、この映画にもインタビューで登場する監督フランシス・フォード・コッポラが有名だ。最近では、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが南仏で所有するワイナリーが話題を呼んだ。ロス監督は、ジョリー・ピットのワイナリーに滞在したこともあるという。

映画とワインの類似性について、ロス監督はこう説明する。「無から始めて、作品をつくり上げていく作業は、どちらにも共通していますからね。それに、映画人は基本的にみんな呑兵衛です(笑)。アルコールは、私たちのライフスタイルなのですから」

ロス監督自身はボルドーでなく、ブルゴーニュ・ワインの愛飲家だという。豪州で経営するワイナリー「ポートシー・エステート」の主力セパージュ(ブドウ品種)も、ブルゴーニュに特徴的なピノ・ノワールとシャルドネだ。監督はこのワイナリーを2000年に開き、家族で維持している。

彼が豪州から持参した自慢の1本を開けてもらい、味見した。湧き立つ香りとまろやかな口当たりが印象的な、上質のピノ・ノワールである。監督から自らのワイナリーの物語を聴いた後だったからかも知れないが、高価なボルドーよりこちらの方が、よほど味わい深いように思えた。

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国末憲人

1963年生れ。85年大阪大学卒。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。富山、徳島、大阪、広島勤務を経て2001-04年パリ支局員。外報部次長の後、07-10年パリ支局長を務め、GLOBE副編集長の後、現在は論説委員。著書に『自爆テロリストの正体』(新潮新書)、『サルコジ―マーケティングで政治を変えた大統領―』(新潮選書)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』(いずれも草思社)、共著書に『テロリストの軌跡―モハメド・アタを追う―』(草思社)などがある。

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(2014年9月24日フォーサイトより転載)

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