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2019年01月19日 14時44分 JST | 更新 2019年01月19日 14時44分 JST

反骨のアーティスト「アイ・ウェイウェイ」が寄り添う「難民の悲劇」--三潴末雄

世界は何度も地図を描き変えてきた。その歴史の変化の中で、いつも大量に発生しているのが「難民」である。

中国の著名芸術家で人権活動家の艾未未氏

20世紀に入ってから消滅した国はたくさんある。また、国が崩壊した後に新しく誕生した国があるのも事実だ。世界は何度も地図を描き変えてきた。その歴史の変化の中で、いつも大量に発生しているのが「難民」である。

きれいな衣服とスマートフォン

世界の難民問題を扱ったドキュメンタリー映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』(監督アイ・ウェイウェイ)の冒頭のシーンは美しい叙事詩のようだ。青い海原を映し出したスクリーンには、白い鳥が飛翔して行く。遠くに見える船影。そして空に詩が重なる。

生きる権利が欲しい 跳ねるヒョウや はじける種のような 持って生まれた権利が欲しい トルコ詩人 ナーズム・ヒクメット(1902~1963年)

ジャン=リュック・ゴダールの映画のような画面に思わず吸い寄せられる。白い鳥は国境を簡単に越えて飛び回ることができる自由の象徴だろうか。やがて遠くの船影が近づいて来る。どうやら難民を満載したゴムボートのようだ。

ヨ—ロッパに政治的な混乱と亀裂を引き起こしたシリアから、ギリシアのレスボス島に流れ着いた難民たちだった。「ミサイルが雨のように降ってきた」と語る彼らの言葉が戦争への恐怖を伝える。

戦地になってしまった故郷の村々を捨て、着の身着のままで逃げ出した難民たちは、劣悪な環境下で文字通り死線を越え、自由と安全を求めて、次々とヨーロッパに押し寄せた。しかし今、その道のりは遥か遠いものとなってしまった。難民の受け入れを表明しているスウェーデンやドイツにつながるヨーロッパ諸国の国境が閉ざされてしまったからだ。

エーゲ海にある、中東とヨーロッパの中間に位置するレスボス島は、2015~16年の間に数百万人にのぼる難民の通過点となっていた。ピーク時には、1週間で5万6000人もの人々がボートでこの島にやって来たようだ。

「難民」と呼ばれる人たちに対する私たちのイメージは、ボロボロの衣服をまとい、栄養失調で死にそうな姿だ。だが、この映画では同じ色調の救命具を身につけた人々が巨大なゴムボートに整然と並んでレスボス島に流れつく。島にたどり着いた難民たちは、きれいな衣服を身にまとい、スマートフォンを持っている。そして、支給された防寒服を着て防寒ブーツに履きかえ、難民テントに収容されていくのだ。

難民を組織的に送り出す側の態勢がビジネス化されているのか、あるいは受け入れ側が整備されているのか分からないが、今まで見知った難民のイメージとはかけ離れている。違和感を覚えた。

それでも、やがて満杯になった難民キャンプは政治的理由で閉鎖され、人々は次の場所を求めて一斉に徒歩で移動を開始する。カラフルなフリースやダウンジャケットを着た一行は、まるでピクニックに行くようだ。「難民たち」というキャプションがなければ見間違ってしまう。この華やかにも見える衣服は次々と大量生産され、廉価で世界中に供給されるユニクロやギャップなどのおかげだろうか。映画の中で示される難民たちが置かれた厳しい境遇とカラフルな衣服のアンバランスな様子を見ていると、貧困にあえぐ人々と派手な消費文明の矛盾を突きつけられているようで、暗澹とした気分にさせられる。

難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」(国連難民条約 1951年)と定義されている。

ガザは火星と同じ

『ヒューマン・フロー 大地漂流』は23カ国、40カ所の難民キャンプと国境地帯を巡り、この問題に今すぐ真剣に立ち向かわねばならないと訴えかける。また世界の関心の多くは、シリアからの難民に向けられているが、アフリカの難民はさらに深刻だということを、この映画によって知らされる。アフリカでは戦争だけでなく、気候変動による干ばつなどでも難民が発生するのだ。ケニアには世界最大級の難民キャンプであるダダーブがあり、ソマリア、エリトリア、南スーダン出身の25万人近い難民が住んでいる。

ベルリンの壁が崩壊した1989年当時、国境に壁やフェンスがあったのは11カ国であった。それが2016年には70カ国に増加しているという。これらは、難民の流入を防ぐ壁とフェンスなのだ。2050年には世界の難民の数は、実に2.5億人に増加すると予想される。

映画では次々と世界各地の難民キャンプの実態に迫るが、パレスチナのガザ地区のシーンは、他のものとは違ったアプローチになっている。

イスラエルによってガザ地区に建設された分離の壁の前では、パレスチナの女生徒たちが、楽しそうに語り合う。それはさながら「女子会」のようだ。イスラエルの弾圧によるガザ地区の悲劇的な状況は写真で見知っていたが、この明るい女生徒たちの姿を見ると人間の力強さに希望を見い出す。が、彼女たちの明日はどうなるか分からない。

分離壁の前で、彼女たちはインタビューに答える。

「ここは監獄よ。そう監獄だわ。多少広いだけでね。それがガザよ。でも私たちは笑っている」

そして、「クルーズ船で世界を回ること」と夢を語り、「好きな時に(ガザを)出入りしたいだけ」、「ガザは嫌いじゃないの」と。

イスラエルの人権団体ベツェレム専務ハガイ・エル=アドが言う。

「ガザは火星も同然だ。それくらい別世界なんだ」

過酷な"別世界"にもかかわらず、希望や夢を語ることができる人々に、一刻も早く平和が訪れることを願わずにはいられない。

ガザ地区の取材では、地下トンネルを通ってエジプト側から密輸されてきたと思われる虎の話も印象的だった。檻に閉じ込められ、餌も満足に与えられていない美しい虎を、ヨルダンや南アフリカ当局、イスラエル、そしてガザのパレスチナ当局が協力し、イスラエルの空港からヨハネスブルグに空輸して、自然へ解放することを実現させたのだ。

虎の解放を我がことのように喜び、楽器を鳴らして祝い、踊るパレスチナの人々の輪の中にアイ・ウェイウェイの姿が映し出された。このときアイ監督によるこの映画は、住民とともに立つ不退転の決意表明であることを知った。

「自分たちの悲劇」

アイ・ウェイウェイは中国を代表する現代美術作家の1人である。それだけではない。キュレーター、建築家でもあり、文化、社会時評の評論活動も行い、さらにはビデオアートやドキュメンタリー映画の制作をこなすという多彩な才能を発揮するアーティストなのだ。

アイの芸術表現は、社会の矛盾や問題と直接向き合うことにより創造されている。「私にとっての芸術表現は社会運動のための1つの手段だ」と語るほど、彼は社会の矛盾と徹底的に対峙してきた。この映画もこうした精神や視点によって制作されている。

「難民たちの悲劇は自分たちの悲劇である」

こう語るアイの思想の礎は少年期に培われたようだ。

アイは著名な詩人であったアイ・チンを父に、同じく詩人のカオ・インを母に、1957年5月18日、中国北京市に生まれた。現在61歳である。

父のアイ・チンは中国共産党員であったが、文化大革命で弾劾され、党から除名された。家族もろとも新疆ウイグル自治区の強制労働改造所に下放されたが、この地域は中国内でもっとも過酷な"思想改造所"でもあった。

アイ自身も5年間、この地の強制労働改造所で暮らした。この劣悪な環境の中で多感な少年期を過ごすことで、彼の思想の骨格が形成されたと言っても過言ではない。

体制におもねることなく正義を貫く信念、そして社会的弱者や中国内で虐げられた人々とともにある姿勢が構築されたと言える。その信念と姿勢、行動を中国政府当局は見逃さず、度々嫌がらせや逮捕、暴行を続けてきた。

2008 年5 月12 日に四川省で発生したマグニチュード7.9 の大地震は、多数の学校が倒壊させ、5000人を超える児童生徒らが圧死するに至った。アイは四川省に赴き、何故多くの幼い犠牲者が出たのか調査した。そして「オカラ工事」と呼ばれる手抜き建設が原因だと知った。

アイは当局に建設工事の責任を追及した。調査中も彼は警察から執拗な嫌がらせを受けた。ついには頭部を殴られ脳内出血を起こし入院する。彼は殴られた瞬間をiPhone で撮影し、それを写真作品として発表した。

社会運動として問題を告発するだけでなく、こうした一連の調査過程で得た情報や物や自らへの肉体的な迫害を、したたかにアーティストとして作品づくりに利用する。

こうした経験があるアイは、人権問題に対して敏感に反応する。2018年12月、「人権のために戦いを続けよう」との呼びかけに応じ、世界人権宣言70周年を記念し、普遍的人権を祝うための旗をデザインした。

水色の地色に白い足跡を表した旗は、イギリスの人権慈善団体と芸術組織が発起したイベント「Fly the Flag」の象徴として掲げられる。2019年6月24日から30日まで、イギリス全土のギャラリー、劇場、ショッピングセンター、オフィス、図書館、学校などにはためくことになり、そのもとで普遍的な人権を祝うイベントが開催される予定だ。

「人間として立つことや動くことができる限り、我々は足跡を持っています。その足は人権を守るための行動を起こす象徴です」とアイはコメントし、さらに「自由は与えられることでなく、すべての自由は自分の力によって獲得しなければならない」と語っている。

閉鎖に追い込まれたギャラリー

私は2008年4月、北京市内の草場地区にミヅマギャラリーをオープンすることになった。500平米という敷地の建物は、アイ・ウェイウェイが設計したものだ。近くには彼の「258/FAKE」スタジオがあり、私は幾度となく訪ねて個人的な付き合いを深めていた。  中国国内でアイの展覧会活動が禁止されている期間中に、北京のミヅマギャラリーでは中国人アーティストのグループ展を開催し、アイのビデオ作品やオブジェなども密かに展示した。しかし、これが中国公安当局の知るところとなって、中止の圧力をかけられた。それでも、展覧会はそのまま展示を強行し続けたのだが、その結果、ミヅマギャラリーは翌年の建物賃貸契約を拒否され、2009年には閉鎖に追い込まれてしまうことになった。

さらに2011年、アイは理不尽にも根拠のない経済犯として訴追された。彼のパスポートは没収され、監視が強化されて事実上の自宅軟禁状態に置かれた。

パスポートがアイに返却されたのは、4年後の2015年7月。その年、彼は北京市内で大規模な展覧会を開催した。再び中国国内で、積極的に反骨精神あふれる活動を再開するものと思われていた。が、その秋、イギリスでの展覧会のために出国したアイは、それから1度も中国に帰ってはいない。

現在はベルリンに滞在して、当地に巨大なスタジオを構え、難民問題に取り組んでいる。そのベルリンでさえ、最近はあからさまな差別や侮蔑を経験したと語るアイ。中国政府によって、中国の内政の暴露や政治的批判活動をしてはいけない、2度と中国には戻ってはいけないなど、何らかの条件をつけられてパスポートの返却を受けたアイに安住の地はないようだ。

パスポートといえば、映画の中でシリア難民とアイが自分たちのパスポートを交換しあうシーンがある。

「中国のパスポートを見せようか」  と、シリア難民のマフードに語りかけるアイ。 「僕のと交換しよう」 (中略) 「あなたは中国に行き、私は......」 「シリアに行く」

唐突に見えるワンシーンだが、アイ・ウェイウェイが置かれた立場を知れば、これが冗談では済まないことがわかる。自身のパスポートを所持しているものの、それぞれの国には自由に戻ることができない悲しい現実を、彼らは共有しているのだ。

アイには、今でも中国に年老いた母親や多数の友人らがいる。彼もまた故郷を追われた1人の「難民」なのだ。

難民とは 生きる喜びを奪われ ただ耐える日々を送る 行き場を失った人々だ! 難民たちは 国境を目指して歩き続ける (三潴末雄)

国境を越えたからといって、安住の地が約束されているわけではない。それでも、今よりは少しでも自由で安全な場所を求めて、彼らは危険を顧みずに歩き続ける。

三潴末雄 みづま・すえお 1946年、東京生まれ。成城大学文芸部卒業。1980年代からギャラリー活動を開始。94年ミヅマアートギャラリーを東京・青山に開廊(現在は新宿区市谷田町)。これまでに会田誠、山口晃、天明屋尚、池田学など国際的に活躍する作家を多数輩出している。2008年、北京にMizuma & One Gallery(現在閉廊中)、2012年、シンガポールにMizuma Galleryを開廊。2018年秋にはニューヨークに「Mizuma, Kips&Wada Art」を開廊した。著書に『アートにとって価値とは何か』(幻冬舎)、『手の国の鬼才たち MIZUMA』(求龍堂)など。プロフィール写真撮影:野口博。

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