2016年末で任期が終わる潘基文事務総長の後任を巡る次期国連事務総長選は、安全保障理事会(安保理)での6回目の予備選挙(Straw Poll)でようやくアントニオ・グテーレスを選出することで合意され、10月6日に安保理の全会一致で彼を唯一の候補として総会に推薦する決議が採択された。
グテーレスは第1回目の予備選挙の投票からずっと1位を維持し続け、紛れもなく最有力候補であったが、それにもかかわらず6回も予備選が続いたのは、常任理事国のうちロシアが彼に反対をしていたからだと言われている。
しかし、6回目の予備選挙でグテーレスへの反対がなくなり、ようやく安保理が推薦する次期事務総長候補が決定した。
ロシアはなぜ反対していたのか
予備選は秘密投票なので、グテーレスに反対していたのがどの国なのかということは明確にされていないが、おそらくロシアとみて間違いないだろう。では、これまで長きにわたってロシアがグテーレスに反対していたのはなぜだろうか。
第1の理由はグテーレスがEU(欧州連合)加盟国であるポルトガルの元首相ということがある。アメリカとEUはロシアのクリミア半島の併合に対して制裁を科しており、ロシアはEU出身の候補に対しては批判的な立場を取っている。しかし、グテーレスがポルトガル首相であったのは1995年から2002年までであり、2005年から2015年までは国連難民高等弁務官(UNHCR)の職にあったため、対ロシア制裁に直接関わっているわけではない。
ロシアが反対していた第2の理由は、東欧出身の候補がなるべきだ、との方針があったからである。以前の記事でも触れたように 、国連の地域グループの中で東欧地域が最も小さく、過去に事務総長を輩出したことがない。そのため、東欧出身者を優先すべきだとロシアは主張してきたのだが、本音では、ロシアとの関係が深く、ロシアへの理解と友好度が高い候補を優先したいという意図があったからである。グテーレスはその意味でロシアとの関係が特別良いわけではなく、望ましい候補とは見られていなかった。
また、第3の理由として、シリア内戦への対応をはじめとする、安保理の様々な問題について、ロシアと西側諸国、特にアメリカとの関係が悪化していることがある。シリア内戦は米ロとデミストラ国連特使3者で和平交渉を進め、非常に脆弱な停戦協定が結ばれたが、それもアサド政権とロシアによるアレッポなどへの空爆によって破綻し、安保理でも厳しい対立を繰り返していた。そうした中で事務総長選を1つの取引材料にしようとしていた可能性は否定できない。
ゲオルギエヴァの登場
ロシアの拒否権発動の姿勢から、安保理としての統一候補が得られないという状態が続き、もしかすると、このまま安保理が候補を決められないまま、潘基文の任期満了が来てしまうのではないか、という懸念までなされるようになった。特に10月の議長国はロシアであり(安保理ではひと月ごとに議長国がアルファベット順に変わる)、ロシアが上記のような理由でグテーレスに反対する限り、事務総長選のプロセスを進めようとしないのではないかと懸念されていた。
これは、2017年末に行われる韓国の大統領選挙に出馬するとみられている潘基文にとっては望ましい状態ではなかった。国連事務総長は退職後1年は公職につかないという了解があるが、もし次期事務総長が決まらず、そのまま潘基文の任期が延長されることになれば、2018年2月からの大統領就任が難しくなる可能性があったからである。仮に次期事務総長が決まらず、任期延長となった場合でも、潘基文が辞任すれば済む話ではあるが、自らの政治的野心のために国連事務総長職を投げ出したとなれば、大きなスキャンダルになったであろう。
こうした状況の中で、次期事務総長選の膠着状態を打破すべく、新たな候補として登場したのが、ブルガリア出身で、予算担当欧州委員(EUの大臣に相当)のクリスタリナ・ゲオルギエヴァである。彼女は早い段階から次期事務総長候補としてみられてきたが、今回の事務総長選では加盟国からの推薦を受けるという方式を取っていたため、同じくブルガリアから推薦を受けていたユネスコ事務局長のイリナ・ボコヴァが優先され、ゲオルギエヴァは候補から外れていた(このプロセスは2人の女性による激しい政治的な駆け引きがあり、「女の戦い」などと呼ばれていた)。
しかし、彼女は欧州委員として国際機関での勤務経験もあり、ロシアに留学していたこともあるため、ロシアも反対しない候補であり、またアメリカを含む西側諸国も、彼女のEUでの経歴を考えれば反対することはないと思われていたため、理想的な候補とみられていた。
他方、「女の戦い」を制してブルガリアから推薦を受けていたボコヴァは第1回、第3回予備選では3位に入ったものの、第4回では5位、第5回では6位と勝ち目がない状態であった。そのため、ブルガリア政府はボコヴァの推薦を取り消し、ゲオルギエヴァを推薦しなおす形で候補として名乗りをあげることとなった。
しかし、ゲオルギエヴァが立候補した後の公聴会では、グテーレスを超えるだけの政治的能力を示すこともできず、また、彼女の国連の諸政策に対する態度は傍観者的で、国連関係者から見るとコンサルタントのような、やや距離感のある態度であった。こうした失望感からゲオルギエヴァも候補としては物足りないというのが国連関係者の一致した見方となっていった。
グテーレスは国連を変えられるか
膠着していた事務総長選の救世主になるかと思われたゲオルギエヴァへの失望が高まる中、やはり最後にはグテーレスしかない、という状況が生まれたことは確かである。
また、第6回の予備選の直前、米国のケリー国務長官とロシアのラブロフ外相が電話会談を行い、シリア問題を含め幾つかの問題についてめどが立ったことも幸いして、ロシアの(とみられる)反対は取り下げられ、グテーレスは「推奨」13票、「不賛成」0票、「意見なし」2票という結果を得た。
その後、安保理は全会一致でグテーレスを候補として選出し、10月13日に行われる総会での投票の唯一の候補となった。過去の投票から見て、グテーレスが過半数を得ることはほぼ確実であり、次期事務総長に内定したと言っても過言ではないだろう。
では、グテーレスが事務総長となった国連はどのようなものになるのだろうか。グテーレスは10年間の難民高等弁務官の経歴以前から、人権や貧困に対して熱心に取り組んでおり、その意味では国連の様々な政策について、過去の事務総長よりもはるかに多くの知見を有し、経験も豊富である。しかし、国連事務総長は現場に出て働くわけでも、政策を立案するわけでもない。国連という巨大組織を統括し、運営することが最も重要である。
その意味で、グテーレスに期待されるのは適材適所の人材配置と、問題の本質を捉え、それに対して国連が持ちうるリソースを活用すること、さらには各国の支援を取り付け、自らが設定する目標を達成するための協力を集めることである。国連難民高等弁務官としての経験はそうした意味で大変有益であり、過去の事務総長よりも期待できるといえるだろう。
しかし、そうした個人の能力が優れているとしても、国連でことを成すのは容易ではない。加盟国、とりわけ安保理常任理事国との関係がうまくいかなければ、事務総長は無力であるし、常任理事国の顔色をうかがってばかりでは、問題の解決は難しい。
さらには、どんなに優秀な事務総長であっても、常任理事国の間の対立が激しければ、安保理で決議を1つ通すことも困難となる。その意味では、現在の事務総長である潘基文は米ロ対立の中でイニシアチブを発揮することもできず、また各国の顔色をうかがって政策を進めようとしたため、結果的に多くの問題が未解決のまま事務総長職を去ることになりそうだ。
しかし、グテーレスはそうした中でも問題解決のアイディアを出し、各国の対立を仲介しながら、第3の道を提示していくことのできる人物である。ポルトガル首相の際もユーロ加盟に向けて経済が低迷する中でも財政政策のバランスをとることに腐心し、難民高等弁務官としても、シリア難民が急増する中で、周辺各国との調整を進め、なんとか難民を受け入れる体制を作り出すことに尽力した。
こうした現場での能力や具体的な対策づくりの実績を超えて、国連という巨大組織を運営していく立場をうまくこなしていくことができるかどうか、注目していきたい。(文中敬称略)
鈴木一人
すずき・かずと 北海道大学大学院法学研究科教授。1970年生まれ。1995年立命館大学修士課程修了、2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授を経て、2008年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書にPolicy Logics and Institutions of European Space Collaboration (Ashgate)、『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2012年サントリー学芸賞)、『EUの規制力』(日本経済評論社、共編)、『技術・環境・エネルギーの連動リスク』(岩波書店、編者)などがある。
(2016年10月12日フォーサイトより転載)