「原油価格」でロシアを追い詰める「新冷戦」の構造

国際原油価格がじわじわと下落していることに、ロシアが戦々恐々としている。

国際原油価格がじわじわと下落していることに、ロシアが戦々恐々としている。ロシアのノバク・エネルギー相は9月16日、突然ウィーンの石油輸出国機構(OPEC)本部を訪れ、OPEC幹部と会談したが、目的は原油価格下落に歯止めをかけるためといわれる。エネルギー関係者は、世界的な石油のだぶつきと需要減で、原油価格は今後2-3年、1バレル=70ドル台で推移する可能性があるとみている。その場合、輸出収入の7割が石油・ガスというエネルギー依存のロシア経済は大打撃を受け、国民生活が困窮し、政府批判が高まりかねない。ウクライナ問題に端を発した「新冷戦」の推移は、原油価格がカギを握っている。

米・サウジの密談

ロシアがクリミアを併合した直後の今年3月末、オバマ米大統領はサウジアラビアを訪れ、アブドラ国王と会談したが、ロシアの保守系紙プラウダ(4月4日付)は、オバマ大統領はクリミアでのロシアの行動を「懲罰」するため、原油価格を協力して引き下げるよう提案したと報じた。原油価格が1バレル当たり12ドル下落すれば、ロシアの国家歳入は400億ドル減少する。プラウダは「オバマはサウジにロシア経済の破壊を持ちかけた」と伝えた。

この情報は確認されていないが、その後の原油価格の推移からみて、サウジが価格引き下げに応じた形跡はない。サウジの国家予算は1バレル=85ドルを前提にしており、価格引き下げは自らの首を絞めることになる。

過去には、米国とサウジが協力して原油価格を大幅に下落させたことがあった。1979年のソ連軍アフガニスタン侵攻後、レーガン政権はサウジに対し、ソ連に打撃を与えるため、原油価格引き下げを要請。イスラム同胞であるアフガンへの侵攻に激怒していたサウジは同意し、石油大増産に着手。80年代中盤から90年代末まで原油価格は1バレル=10-20ドル台で推移した。これがソ連経済を直撃し、ペレストロイカの破綻やエリツィン改革の失敗につながった。プラウダは「原油価格の下落がソ連崩壊の真の理由だ」と書いた。

1998年には原油価格は同9.8ドルの最安値を記録し、ロシアは同年夏、デフォルト(債務不履行)に陥った。これを受けてエリツィン大統領は盟友のクリントン大統領に価格引き上げを懇願し、米側もロシア支援のため了承。サウジも賛同したとされる。その後、中国など新興国の需要増や地政学リスクが重なり、原油価格は21世紀に入って急騰。2007年に1バレル=147ドルの史上最高値を付けたのは周知の通りだ。

「イスラム国」も標的

「エリツィンの遺産」の最大の受益者がプーチン大統領だった。プーチン政権はエネルギー企業の国家統制を強め、膨大なオイルマネーを国庫に還流させ、給与、年金の引き上げなどバラマキ政策を推進した。ロシアは毎年6-7%台の高成長を達成し、マクロ指標も好転。世界トップ10の経済大国となり、プーチン大統領は「救世主」として高い支持率を誇った。だが、プーチン政権の経済政策の失敗は、経済をすっかり資源依存体質にし、製造業を軽視したことだった。08年のリーマンショックで原油価格が一時1バレル=40ドル前後に急落すると、ロシア経済は翌年、マイナス7.8%成長に転落。その後、低成長時代に入った。

経済危機に沈んだ90年代、エリツィン政権は旧ソ連諸国の領土保全を尊重し、他国に干渉せず、クリミアもウクライナ領と認定した。ところがプーチン時代に富国強兵が実現すると、ロシアは90年代のトラウマから脱却すべく、周辺諸国に干渉し、遂にはクリミアを併合してしまった。オイルショック後の原油価格高騰で潤った70年代、旧ソ連は中東・アフリカへの「革命の輸出」など対外膨張路線を進めたが、ソ連時代も今もロシアの勢いは原油価格次第なのだ。

オバマ大統領は9月10日、アブドラ国王と電話協議し、今回はイラクやシリアで猛威をふるうイスラム過激組織「イスラム国」を封じ込めるため、組織の資金源となっている石油の価格引き下げを要請したという。米政府は他の湾岸諸国にも価格引き下げを働きかけている模様だ。オバマ政権の原油価格引き下げは、当面の敵である「イスラム国」とロシアを標的にしているかにみえる。

英紙フィナンシャル・タイムズ(9月6日付)によれば、サウジはこれより先、アジアや欧州向け原油価格を10月に引き下げることを決めた。原油供給が過剰となる中、サウジの減産説があったが、当面減産はしない方針という。国際原油価格は8月中旬に1バレル=108ドルの高値を付けた後急落し、9月中旬には同91ドルまで下落した。

「ウクライナ停戦」も経済危機から

エネルギー専門家は「イランやイラクが石油のダンピング攻勢をかけているほか、米国もシェールオイルの輸出を解禁するなど、原油供給が過剰になっている。一方で、欧州連合(EU)の経済停滞や中国経済の減速で石油需要が低下しており、今後原油価格の下落が続くのは確実。地政学リスクは今回は考慮されていない」と指摘する。

原油価格が1バレル=91ドル台となった9月15日、ロシアの通貨ルーブルは1ドル=38.18ルーブルとプーチン時代で最安値を更新した。ウクライナ問題に伴う欧米の経済制裁で、株安・通貨安・債権安のトリプル安が続いていたが、市場は今後の原油安を想定し、ルーブルを売りまくっているようだ。これが物価高や資金逃避の悪循環を招いている。加えて、ロイター通信(9月8日)によれば、西シベリアの油田が枯渇化により生産量が低下しており、来年からロシアの石油生産が低下する見通し。新規油田開発が急務だが、欧米の経済制裁で掘削技術は禁輸となった。

ロシアの国家歳入の約半分は石油・ガス収入といわれ、1バレル=104ドルを前提に国家予算を策定している。原油価格下落は歳入を減少させ、プーチン大統領得意のバラマキ政策や国防近代化計画に支障が生じる。モスクワのセルゲイ・グリエフ新経済学院前学長はモスクワ・タイムズ紙(8月17日付)で、「前例のない欧米の経済制裁は、既にロシアに強力な打撃を与えている。ロシア政府も投資家も追加制裁を恐れている。ロシアは自給自足経済になりつつあり、それは国民の生活水準を低下させ、プーチンの支持基盤を揺るがしかねない」と指摘した。経済の低成長や欧米の経済制裁に原油価格下落が加わるなら、ロシア経済にはトリプルパンチとなる。9月5日のウクライナ政府との停戦合意は、ロシアに忍び寄る経済危機の文脈でみる必要がある。原油価格下落が続くなら、ロシアは弱体化し、融和姿勢への転換があるかもしれない。

米は「シロビキ」を狙い撃ちに

ロシアの基幹産業に対する欧米の制裁を見ると、米国とEUの間には微妙な違いがある。EUは大手エネルギー企業や金融機関を平等に制裁対象としたが、米政府は国営石油会社ロスネフチやガス企業ノバテク、開発対外経済銀行(VEB)を標的にしている。ロスネフチはプーチン大統領最大の側近であるセチン社長、ノバテクは大統領の金庫番とされるティムチェンコ筆頭株主・共同経営者がトップで、VEBと併せ、強硬派のシロビキが幹部を固める。

これに対し、メドベージェフ首相系とされる天然ガス企業のガスプロムなどには本格制裁に踏み込まなかった。オバマ大統領はプーチン大統領とは犬猿の仲だが、政権内穏健派のメドベージェフ首相とは親しく、首相が大統領時代に新戦略核削減条約(新START)を締結した。プーチン側近らを締め上げ、改革派を擁護して政権内の対立を増長させようとするオバマ政権の深謀遠慮が感じられる。

ただし、ロシア指導部では、日露関係拡大派がプーチン大統領やセチン社長ら保守派であり、国後島を2度訪れたメドベージェフ首相は反日の頭目となった。日本側はオバマ路線に乗ることはできず、日米間で対露外交にねじれ現象が出てきそうだ。

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名越健郎

1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。

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(2014年9月19日フォーサイトより転載)

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