誤解に満ちた「米艦防護」の認識(下)「関東軍のイメージ」をやめよ--伊藤俊幸

自衛隊が国際基準の行動ができる部隊になった、と考えるのは早計である。

ただこれでもって、自衛隊が国際基準の行動ができる部隊になった、と考えるのは早計である。というのは、自衛隊法第95条の2には、さらに「2」(以下「2の2」)という項目があり、これが自衛隊の足かせになりかねないからだ。その「2の2」とは以下である。

2 前項の警護は、合衆国軍隊等から要請があつた場合であつて、防衛大臣が必要と認めるときに限り、自衛官が行うものとする。

先にも述べたように、国際社会において日本以外の各国軍隊は、「部隊防護」のための「武器の使用」権限は常時与えられており、例えば共同訓練中に急に何かが生起した場合でも、艦長権限で、他国艦艇を防護することができる。ところがこの条文によると、自衛隊が他国軍を「防護」するための前提となる「警護」をするには、(1)「相手国からの要請」があり(2)「防衛大臣が必要と認め」ない限り、任務として成立しないのだ。第95条の2が付加されたことによって一歩前に進んだが、それは制限されたものでしかないと言えよう。

当たり前のこと

まず(1)についてだが、例えば共同訓練などを実施する際、「防護のための武器の使用」が常時任務・権限として付与されている他国の艦長たちが、「海自は特別だから、共同訓練中に何かが起きたら大変」と、「訓練」とは別に海自の艦長に「警護」を要請するはずがない。

したがってこの条文がある限り、もし共同訓練中にテロに遭遇した場合は、海自の艦長だけ「自艦防護」に徹する状況となり、実態としてはこの条文は、米国同時多発テロ後の「キティホーク護衛」のような状況だけにしか適用されないものになってしまっているのだ。

また今回の「警護」においては、マスコミなどからの「なぜ防衛大臣や防衛省は、命令の事実を公表しないのか」という批判に対し、菅官房長官は「他国との関係がありますから回答は控えさせていただきます」と記者会見で答えていたが、これもこの「2の2」があるからだ。

つまり、今回の「警護」は、米海軍から「○○地点から○○地点までの間を警護してほしい」と要請があったことになる。それを「公表して良い」と、わざわざテロリストに対して場所を教えるようなことを許可する国など、あるはずがない。基本的に軍の行動は「秘」であり、軽々に発表できないのは当たり前なのである。

「95条の2」も常時発令状態に

次に(2)についての問題点は、警職法の例で考えてみると分かりやすい。前述したとおり、警職法では、武器使用の条件として「自己若しくは他人に対する防護」というものがあった。しかもこれは、警察官に「常時与えられている任務」である。現場の警察官がいちいち警視総監や道府県警本部長に必要と認めてもらわないと、「他人」、つまり一般市民を「防護」できないということになれば、警察の信頼を損なうどころか、治安を維持することはできないであろう。ところが自衛官は、これができないのである。

自衛隊法84条には、「領空侵犯に対する措置」というものがある。いわゆる、航空自衛隊のスクランブルに関するものだ。これは条文上、「防衛大臣は、外国の航空機が国際法規又は航空法 (昭和二十七年法律第二百三十一号)その他の法令の規定に違反してわが国の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、又はわが国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる」となっているが、実際には防衛大臣の命令は常時発令されたままとなっている。だからこそ戦闘機の緊急発進が可能なのだ。

さらに言えば、自衛隊法95条の「警護」や「防護」も、ある意味、常時発令状態となっている。であるならば、95条の2についても同様にするべきだ、と筆者は考える。

「武器等防護」は「平時」のみの任務

なぜいちいち要請を待ったり防衛大臣の命令を受けることにせず、常時発令という形にできないのか。それには2つの理由があると考えられる。

1つは、「米軍の戦争に無制限に巻き込まれて戦闘状態となり、集団的自衛権を行使することになる」という批判に対するものであろう。

だがこれも、自衛隊に関する法体系への理解不足がある。まず自衛隊法95条の2については、昨年12月に国家安全保障会議が「運用に関する指針」を決定して発表しているが、ここでは条文で「現に戦闘行為が行われている現場で行われるものを除く」ことで、他国軍隊の「武力の行使と一体化」しないことを担保し、戦闘行為に対処することも、武力の行使に当たることもない、としている。

これは当たり前の話で、要するに「警護」「防護」はあくまで「平時」の任務であり、武器弾薬を奪おうとしたり、装備品や人員に被害を与えようとする「犯罪」「テロ行為」に対処するためのものだからである。だから武器の使用については「警察比例の原則」を適用し、相手に危害を与えてもやむなしとされるのは、「正当防衛」「緊急避難」の時だけに限定されているのだ。

批判の声の中には、「警護中の米艦艇にミサイルが撃ち込まれたらどうするのだ」というものがある。これも見当違いの議論だ。

もしミサイルを撃ち込んだのがテロリストだった場合は、そのテロの被害が拡大しないように速やかに対応する必要がある。しかし、ミサイルを使用したとはいえ、テロは基本的には犯罪行為であり、そのテロリストの行動を止めるための行為は、「武器の使用」の範疇で対応する。そしてそれによって米軍の戦争に巻き込まれる、ということは起こり得ない。

一方、もしそのミサイルが「国又は国に準じる組織」により発射された場合は、これは既に「『武器等防護』の武器の使用」ではなく、「防衛出動」下令後の「武力の行使」の権限を持った海自艦艇が米艦艇等を「警護」している状態、すなわち日本有事かそれに近い状態になっているからだ。具体的には、「武力攻撃事態」か「存立危機事態」が適応されている状態が考えられるが、「事態認定」は総理の専決事項である。

つまり、こうした「事態認定」するか否かという段階ですでに「平時」ではなく、自衛隊法95条の2の適用範囲外となり、「武器の使用」ではなく、「武力の行使」を前提に他国艦艇を「警護」「防護」している状態なのだ。

したがって、「平時」の段階で無制限に「武器の使用」がエスカレートすることなどあり得ないのである。

自衛官に対する疑念

もう1つの理由は、常時発令の状態にすることによって、「警護」中の「武器の使用」の判断が「現場指揮官たる自衛官任せ」になることへの危惧であろう。現場に任せると、「戦闘したい馬鹿な自衛官」が野放図に武器を使用し、それが「武力の行使」につながるという不安が根底にあるのではないか。

しかしこれは誤解に満ちた、おそらく主要先進国の中で日本人だけが持っている間違った概念である。

ここまで縷々述べてきたように、平時における「防護のための武器の使用」は、「合理的に必要と判断される限度」で認められるもの(「警察比例の原則」)であり、「正当防衛」「緊急避難」以外は相手に危害を加えてはならないと規定されている。つまり「武器の使用」について、ここまでしか権限が与えられていない中で、現場指揮官の勝手な判断で「武力の行使」、つまり相手の「破壊と殺傷」を目的とした「武器の使用」を命ずることはあり得ないのである。

それでもなお現場指揮官たる自衛官に対する疑念が払拭できないとすれば、それは「関東軍のイメージ」がいまだに存在するからではないか、と筆者は考える。

そもそもミリタリーの構成員とは、「厳正な規律」の元、「法律やルールを守る」集団である。だから「規律違反」に対し、一般刑法以上に極めて厳しい罰則があるのが軍法である。これは構成員が勝手な行動をとった場合、それは本人のみならず部下や同僚の命を危険にさらすからだ。また規律ある指揮命令系統により、目的を達成するため統率の取れた行動ができること、すなわちチームが一致団結してこそ戦いに勝つことができるのである。世界各国で軍隊が尊重され、軍人が尊敬されるのは、この「厳正な規律」の元、「法律やルールを守る」ことに厳格な存在だからなのだ。

現実を直視せよ

一方、政治とはその「ルールを作り」、または「ルールを変える」ことができる存在であり、本来は軍人と相いれる部分などない関係にある。歴史的に見ても、明治から大正にかけての政治と軍の関係はそうであり、だからこそ国家が正常に機能していたと見ることができる。

ところが昭和に入り、軍人が政治に介入してしまった。統帥権を前面に押し出し、「ルールを守る」軍人が「ルールを変える」存在になった。自分たちのやりたいようにルールを変えていいという概念を持ったのである。これが「軍国主義」「軍人政治」と言われるものだ。

国際法の扱いについても同様だ。明治・大正時代、当時の先達は国際法を守ることで、「坂の上の雲」を目指し、短期間で日本は世界の一流国の仲間入りを果たした。しかし、昭和になると、「国際連盟を脱退」し、「捕虜の取り扱い」すらもまともにできなくなるほど、国際法を無視した。

そのいい例が、満洲に駐屯していた「関東軍」で、中央の意向を無視して「現場」の判断で事変を拡大していったことは、今も歴史に残っている。しかしこの「関東軍」が行なった数々の「独断専行」の事例は、世界が帝国主義時代であった当時でも、他の先進国では絶対にありえない「戦争犯罪行為」だ。

にもかかわらず、いまだに自衛隊が「関東軍のイメージ」で見られることに、筆者は自衛隊OBとして、憤懣やるかたない思いでいる。

自衛隊に関する議論をすると、すぐに70年前の帝国陸軍・海軍当時の戦争のイメージで議論がなされる。そういう人たちは、主要先進国のドイツやイタリアが、また独裁体制の軍事政権に戻るとでも思っているのだろうか。もうそろそろ現実を直視し、自衛隊と「関東軍のイメージ」を重ねることをやめたらどうだろう。

そして自衛官をもっと信頼したらどうだろう。そうすれば、"自衛隊法第95条の2の2"など必要なく、国際社会の仲間を大切にする当たり前の形に一歩近づくのだから。

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伊藤俊幸

元海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授、キヤノングローバル戦略研究所客員研究員。1958年生まれ。防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院地域研究科修了。潜水艦はやしお艦長、在米国防衛駐在官、第二潜水隊司令、海幕広報室長、海幕情報課長、情報本部情報官、海幕指揮通信情報部長、第二術科学校長、統合幕僚学校長を経て、海上自衛隊呉地方総監を最後に2015年8月退官。

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(2017年5月19日フォーサイトより転載)

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