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2019年01月22日 17時21分 JST | 更新 2019年01月22日 17時21分 JST

過去との「呼応」で描き出す「難民の現実」--フォーサイト編集部

舞台となったマルセイユは、10年ほど前まで世界に開かれた、オープンな街でした。ところが今や、地中海を通って各地の難民が集まっています。

地中海に面したフランス最大の港湾都市・マルセイユ。この街は、ファシストの猛威に追われて国外へ脱出しようとする人々であふれていた。激しく動きつつある歴史に翻弄される、男と女。その運命の行きつく先をスリリングに描き出した独仏合作映画『未来を乗り換えた男』(原題『TRANSIT』)が、1月12日から公開される(ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館をはじめ全国順次公開)。

メガホンをとったのは、冷戦下の東ドイツを題材にしたベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作『東ベルリンから来た女』(2012年)や、第2次世界大戦直後のユダヤ人を取り上げた『あの日のように抱きしめて』(2014年)といった歴史映画製作で知られる、ドイツの巨匠クリスティアン・ペッツォルト監督である。

この作品は、ドイツ抵抗文学の代表作『第七の十字架』で著名な作家アンナ・ゼーガースが、自らの亡命体験を基にした小説『トランジット』(1944年発表)が原作。だが、ペッツォルト監督は設定を第2次世界大戦中の時代から、その現代のマルセイユへと大胆に変えている。なぜ舞台設定を変えたのか、そして作品に込めた思いは――ペッツォルト監督に聞いた。

「リアルな寓話」

――作品の設定を、原作の1940年代前半から現代に移していますが、作中にはパソコンもテレビもスマートフォンも一切登場しません。なぜ、全くの「現代」にしなかったのでしょうか。

確かにそうしたものは、作中には登場させませんでした。それは息子からこう言われたことがきっかけになっています。「映画にパソコンとかスマートフォンを出すと、すぐに古臭くなるよ」と。

例えばスティーブン・スピルバーグ監督の『E.T.』(1982年)を観てみると、当然ですがパソコンもスマートフォンもないかわりに、永遠の映画となりうる要素を持っています。一方『ストレンジャーズ』(ブライアン・ベルティノ監督、2008年)には、当時の最先端だったスマートフォンが登場しますが、今観ると、なんて古臭いんだろうと思ってしまう。私は今回の作品で、意図的に「現代の文明の利器」を登場させなかったのです。その意図とは、1944年当時と現代とのつながり、言い換えれば昔と今とがこだまのように呼応しあう世界を描き出そうというものです。

私はそもそも、映画とは夢のようなものであるべきだと思っているのですが、その意味からすれば、これは現代を舞台にした「リアルな寓話」ですね。

――振り返ると、原作が発表された1944年当時は、ナチスがドイツで猛威を振るい、進攻によってそれがフランスへと広がった時代でした。一方、今のヨーロッパではポピュリズムが広がり、一歩間違えばファシズムへと転換してしまいそうに思えます。監督の言う「呼応」には、そうした政治的な意味があるのでしょうか。

「呼応」の意味については、撮影を進めていく中でそうした政治的な意味合いも明確になってきましたが、元々はそういうつもりはありませんでした。

舞台となったマルセイユという街は、ヨーロッパにとっては文化の1つの中心であり、また軍の施設もある大都市です。10年ほど前まで、この街は世界に開かれた、オープンなところでした。ところが今や、地中海を通って各地の難民が集まる街になってしまった。私はここに、大きな時代の変化を感じます。

原作が書かれた頃は、ヨーロッパから人々が逃亡しようとしていて、マルセイユはその「出口」でした。ところが今は、世界の難民がヨーロッパにやってこようとしていますが、ヨーロッパはここに壁を築こうとしている。私はこの作品で、出て行こうとしている人と入ってこようとしている人の出会いを「呼応」として描きました。最近の2作品はいわゆる歴史映画ですが、今私が撮りたいのはそれではない。過去を再構築するという安全な作業をするつもりにはならなかったので、現代を舞台にしました。

夢の世界で現実を描き出す

――作品のラストで、ドイツ人作家の妻マリー(パウラ・ベーア)と医師のリヒャルト(ゴーデハート・ギーズ)はアメリカ経由でメキシコに逃れようとして、船に乗り込みます。彼らは結局、マルセイユを「トランジット」してその先へ行こうとしていたのでしょうか。

1944年当時、ヨーロッパを脱出しようとする難民を乗せた船はたくさんありました。が、そのすべてがファシズムの及ばないところにたどり着いたわけではなく、どこにも入港できなくてさまよう船もたくさんありました。迫害されてマルセイユまでやって来た人たちを待ち受けていたのは、そうした「幽霊船」だったのです。マリーとリヒャルトが乗った船は、果たして幽霊船だったのかどうか。

また、船に乗ることすらできない人々は、他に行き場がなくてマルセイユから動くことができなくなっていました。ドイツからパリ、そしてマルセイユにやってきた主人公のゲオルク(フランツ・ロゴフスキ)がまさにそうで、彼は生涯トランジット状態にある定めだった、ということになります。

こうしたナチス時代の経験が、のちにドイツ連邦共和国基本法(ドイツの憲法)に影響を与えました。その16条には、「政治的に迫害された者は庇護権を享有する」とあり、その対象は性別や宗教、イデオロギーに関係ないものと定められているのです。しかし今、この16条をを変えようという動きが出てきています。その意味でも、昔と今が呼応しあっているのです。

――主人公ゲオルクですが、一方ではニヒルでクールでありながら、他方で温かい人間味も感じることもできます。この人物像のポイントはどういうところにありますか。

原作に登場するゲオルクは、犯罪に手を染めたこともあったりする、冷淡であまり共感できないような人物として登場するのですが、それが次第に変化していきます。映画ではその変化の過程をより強調しました。

パリを脱出してマルセイユにたどりついたゲオルクは、途中で亡くなった仲間ハインツの家を訪れ、息子のドリスと知り合って一緒にサッカーをし、歌を歌います。さらにマリーと出会って恋をする。ゲオルクは短いトランジット期間にそういう経験を積んで自分を見つけていき、ラストにつながるわけですね。

私は、映画はそういうものであるべきだ、と思っているんです。つまり、映画は「状態」ではなく「プロセス」を描写するものなのだ、ということ。何かが何かになっていく、ところを表現するのが映画の醍醐味であり、この作品では、ゲオルクがさまざまなことを経験して学び、人間的に成長していくわけです。それが、ラストに結実することになります。

この作品の撮影中、俳優たちは谷口ジローや辰巳ヨシヒロといった日本のコミックをよく読んでいました。なぜだろう、と思って私もコミックを読んだのですが、だいたいは、ある日常のどこかのあるドアがポンと開いて、そこから夢の中に入っていくことでストーリーが始まるんですね。

この映画も、マルセイユという現実があるのですが、1本通りを裏に入ると別の世界があり、そこにはより深い真実と情熱のある世界が広がっている。そういう意味では、日本のコミックと同じ空気感、世界観があり、俳優たちはそれをよく理解してくれていたと思います。

それで思い出したのは、スタジオジブリの『火垂るの墓』(1988年)です。この作品の主人公は幼い兄妹ですが、彼らは現実に存在しているにもかかわらず、誰にも助けてもらえない。つまりどこにも帰属できないまま消えてしまうわけですが、私の作品にもこうした世界観があります。

――意外にも、日本のコミックやアニメが影響をしているんですね。

私自身は日本に行ったことはありません。が、実は娘が何度も日本を訪れており、日本語を勉強したりもしています。そんな娘を通して、日本文化に触れています。

映画に関して言うと、日本はアメリカと同じくストーリーテリングを重要視しており、一見夢を描いているようで、それを通して現実を描いていると思っています。その現実は、学術論文よりもずっとリアルなものですね。

私はそんな日本映画が好きです。中でも小津安二郎監督の『晩春』(1949年)に、娘(原節子)と青年(宇佐美淳)が海辺を自転車で走るシーンがあるのですが、私はこれが映画の中で最も美しいシーンの1つだと思っています。

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