6月20日「世界難民の日」に向けて - 難民について一緒に考え始めませんか?

難民についての認知度は日本ではまだまだ低いのが現状です。また、「難民問題」と一言で言っても、それぞれの国の事情あるいは、個人の背景も異なり非常に複雑です。

日本にも「難民」と呼ばれる人たちがいます。

2013年の日本の難民申請者は3260人。

ヨーロッパなどの他国に比べとても少ないですが、その人数は年々増加傾向にあります。ところが、難民についての認知度は日本ではまだまだ低いのが現状です。また、「難民問題」と一言で言っても、それぞれの国の事情あるいは、個人の背景も異なり非常に複雑です。そのため、難民支援を主とする団体だけではなく、私たち一人ひとりの関わりが現状の改善には欠かかせません。

ではそもそも、「難民」とは一体どういう人たちのことを言うのでしょうか。

「難民」という言葉自体を聞いた事がある人は少なくないと思います。

就職難民、帰宅難民など、日本では「.....難民」という形で目にする事が多々あります。

難民の地位に関する条約では、

「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない人々」と定義されています。

具体的に例をあげると、例えば、イスラム教からキリスト教に改宗すること、自由や平等を守るために政治的活動を行うこと、民族の言葉を話すこと等は、ある特定の国において、罰則の対象とみなされる場合があります。日本では非常に想像しづらいことですが、私たちが当たり前と思ってできている活動が、ある国においてはそれが理由で命の危険に晒されるのです。そのため、やむを得ず自分の身を守るために母国を離れ、他の国に逃げてくる人たちが、「難民」と呼ばれる人たちです。

つまり、「難民」とは、教養をもっているが故に国を追われた人たちあるいは、逞しく自分の人生を生きようとしている人たちである、ということも出来るのではないでしょうか。

日本の2013年の難民申請者数は3260人と冒頭で書きました。同年、 実際に難民として認定を受けた人数はというと、わずか6人です。また、難民認定とは別に、人道的配慮の結果日本への在留が許可される人もおり、その人数は151人。どちらの場合も日本に滞在することはできますが、難民として認定されるかされないかは、保証される権利やサポートが異なるため、非常に重要になってきます。人道的配慮によって在留許可がおりた人たちは、日本で暮らすための日本語のサポートや就労支援など、日本政府からの支援を受ける事ができない、難民専用のパスポート(難民旅行証明書)が交付されないなど「難民認定」とは大きな違いがあります。

では「難民」と認められるにはどうすればいいのでしょうか。

それには、難民であることを証明する膨大な資料が必要となります。多くの証拠資料は日本語に翻訳して提出されなくてはなりません。しかし、そもそも命からがら母国を逃れてきた人たちが、"命がけで逃げてきたという証拠"を持ってやってくる事はできるのでしょうか。つまり、難民申請をするには、まず提出するべき資料を揃えるという大きな壁があるのです。また、その難民申請手続き期間も、2~3年と長くかかるため、日本に希望を持ってなんとかやってきたものの、実際には経済的にも精神的にも不安定な状況下に長く置かれることになるのです。

難民申請者には、申請から6ヶ月後に働く許可がおりる人もいます。働くことが可能になるため、自分で生きていく道が開けることになるのです。しかし、難民「認定」を受けているわけではなく、難民「申請中」という状況であるため、彼らの日本における滞在はやはり不安定であり、当然ながら言葉の壁も存在します。そのため、雇用側から敬遠されがちな彼らにとって、日本で職に就くことは容易ではありません。

ただ、ここで言いたいのは、難民はかわいそうであるとか、助けなくてはいけない存在なのだ、という側面ではありません。

むしろ、難民を受け入れることは、多様性に富んだ社会をつくっていくことになり、難民は日本がより魅了的でわくわくする社会へと変貌をとげるための貴重な存在である、と言えるのではないでしょうか。彼らの経験してきた背景は今の日本で平和に暮らしている私たちにとって、想像をはるかに超えるものです。彼らと交流を持つことで、私たちの"当たり前"と思っていたことが、実はとても恵まれたかけがえのないものであるということに気づかされるきっかけとなるかもしれません。また、彼らの中には、母国で専門的な仕事をしてきた人も多くいます。彼らの異なる文化や経験から学ぶことで、多様性に富んだ新しい日本社会の可能性が開かれることもあるといえるのではないでしょうか。

日本で長年難民支援を行っている難民支援協会(http://www.refugee.or.jp/)の面白い取り組みの中の一つに、カフェイベント「オヤ・カフェ(リンク:http://www.refugee.or.jp/event/oyacafe.shtml」があります。「オヤ」とはトルコのクルド民族の女性たちに伝わる伝統的なレース編みです。本来オヤはスカーフの縁取り飾りとして使われていて、女性にとって気持ちを表現する言葉としての役割もあるのだそうです。

クルド民族の難民の母親は特に、家事や子育て等を担う家庭内での生活が中心で、日本社会との関わりは非常に少なく、言語を習得する機会もほとんどありません。そのため、オヤという難民の母国における伝統的な技術を通じた自立支援事業は、とても興味深い事例です。また、ABCスタジオ

クッキングとの協力で、難民の母国で食している料理をレシピと一緒に紹介するワークショップも定期的に開催されています。第3回のワークショップ(リンク:http://www.refugee.or.jp/event/2014/05/28-0000.shtml)は5月28日開催「ミャンマー」がテーマ国予定です。食や伝統文化

など、難民に関心を持ち始める入り口は様々あります。まずはこのような身近なテーマをきっかけとして「難民について自分なりに知る」ことが、最初の一歩となるのではないでしょうか。

おそらく、私たちの多くは尊厳を持って生きていくために、自分を必要としてくれている、と感じられる場所が必要です。誰もが自分の存在している意義を認めてもらいたいものなのだと思います。

それは、「難民」である彼らにとっても同じです。

自分に出来ることを社会に還元していく事は、彼らの生きる意味において非常に重要です。なぜならその活動こそが日本の社会との一つの貴重な接点になるからです。また、「自分の居場所がある」「日本は第二の母国である」と彼らが感じられることにもつながります。

難民という立場の人たちが活躍できる社会はきっと豊かで住みやすい場となるはずです。また、難民が暮らしやすい社会であるということは、多様な価値観を認め合える土台を日本が持てるということでもあります。

ビジネスの世界においては、多様性の価値が認められ始めています。社会においても、多様性の価値がもっと認知されてもいい時がきたのではないでしょうか。

まず私たち一人ひとりが最初にできることは、関心を持ち、先入観を一度取り払って、自分なりの視点で難民問題を捉える事かもしれません。

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