地方経済を疲弊させたのは誰か

地方経済は確かに疲弊しています。しかしその地域で暮らす人々は被害者ではありません。彼等は地方経済を疲弊させた張本人なのです。
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東京の住居費は日本の他の地域に比べて飛びぬけて高くなっています。東京都在住者の平均所得は他府県の平均より高いですが、それをはるかに上回って住居費が高い状態です。賃貸で暮らすにしろ、ローンを組むにしろ、子育て世代の世帯の多くは家族四人で暮らせるような広さの家に住むことができません。つまり東京で働く人々の多くは、子供を複数つくって定年まで長時間通勤に耐えるか通勤に便利な場所に住んで子供をひとりしかつくらないかのどちらかを選ぶことになります。こういった状況に置かれている人々は子供をひとりしかつくらないというよりも、子供をひとりしかつくれないのです。これでは実質的にひとりっ子政策を敷かれているのと変わりがありません。

なぜこんなことになってしまうのかというと原因ははっきりしていて、政治も経済も文化も日本のすべてが東京に一極集中してしまっているからです。

東京への一極集中を緩める方法は、地方経済が活性化することです。

東京一極集中と地方経済の疲弊は同時に起こっています。しかし政府がムリヤリ首都機能の一部を地方に移してもあまり大きな意味はありません。たとえば役所の一部を地方都市に移せばそこで働く公務員がその地域でお金を使います。しかしそれによって動くお金はそれほど大きくはありません。

地方都市に進出しても利益が伸びる見込みがなければ、民間企業は当然ですが地方都市に進出しません。役所の一部を地方都市に移したくらいでは民間企業の進出を促すほどの変化にはなりません。

まず地方都市の経済が活性化すれば、そこに可能性を感じる多くの企業が進出しさらに経済が活性化します。地方都市の経済が活性化せずじりじりと経済規模が縮小していくと、そこに進出してくる企業はありませんから、さらにじりじりと経済規模が縮小していきます。

東京一極集中を先に解決しようとしても地方経済の疲弊を解決することはできません。したがって、東京一極集中からではなく地方経済の疲弊の方から先に解決するしかありません。いまだに「地方の経済が疲弊しているから公共事業が必要なのだ」と言っている政治家もいますが、これは完全に間違えています。

そもそも地方経済が疲弊した原因は公共事業にあります。

政治家が地元に公共事業を引っぱってきて選挙区内の有権者を潤わせます。公共事業の恩恵を受けた有権者は次の選挙でその政治家に投票します。政治家はまた大きな公共事業を地元にもたらします。

日本では経済成長期の中頃から、東京と地方の格差縮小の美名の元にこんなバカげたことを繰り返してきました。その結果、日本の地方都市のほとんどは有力な地場産業を持っていません。日本の地方都市のほとんどは公共事業だけに寄りかかって生きています。

責任はもちろん自分が当選するために国家予算で選挙民に甘い汁を吸わせてきた政治家にあります。しかし責任があるのは政治家だけではありません。そんな政治家に投票した有権者にも責任があります。与えられる公共事業に頼り切って生きてきた人々にも責任があります。公共事業の恩恵を求めるばかりで「どうすればこの地域に住みたいと思う人が増えるのか」「この地域ではどういう事業ができるのか」「自分達はどんな価値を生み出せるのか」「地域的な特徴や歴史的背景がいきる地場産業とは何なのか」といったことを考えてこなかった住民にも責任はあります。

地方経済は確かに疲弊しています。しかしその地域で暮らす人々は被害者ではありません。彼等は地方経済を疲弊させた張本人なのです。

「どうすればこの地域に住みたいと思う人が増えるのか」「この地域ではどういう事業ができるのか」「自分達はどんな価値を生み出せるのか」「地域的な特徴や歴史的背景がいきる地場産業とは何なのか」といったことを考えるのは本来あたりまえのことです。そういったことを考えない期間があったことが異常なことであって反省すべきことなのです。

今からでも、自分達が考えるべきことを考えなくてはなりません。地元経済を活性化するのはその土地に暮らしている人達です。地方に暮らす人々が地元で起業することが、東京一極集中と地方経済の疲弊を解決するための最善の手段です。そしてそのための環境を整えるのが政府や自治体の仕事です。公共事業を大盤振る舞いしても傷口を広げてしまうだけなのですから。

さて、あなたはどう思いますか?

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(2014年6月23日「誰かが言わねば」より転載)

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