ウヨクもサヨクと同じくらいお花畑的だという話と集団的自衛権について

私は、これから先も日本は平和な国であってほしいと願っています。左翼的な人達は日本の防衛予算が増えることに否定的で、平和のためには軍備は必要ないと主張します。それに対して右翼的な人達はお花畑的だと批判します。軍備を放棄して周辺国の善意に期待するだけで平和を維持できるわけがないと主張するわけです。

私は、これから先も日本は平和な国であってほしいと願っています。

左翼的な人達は日本の防衛予算が増えることに否定的で、平和のためには軍備は必要ないと主張します。それに対して右翼的な人達はお花畑的だと批判します。軍備を放棄して周辺国の善意に期待するだけで平和を維持できるわけがないと主張するわけです。それについては私もその通りだと思います。一方で、右翼的な人達が好む「自主憲法の制定」とか「自虐史観の見直し」とか「核武装」とか、そういった勇ましい主張だけで平和を維持できるとも思いません。軍備を放棄して平和を維持するというのは間違いなくお花畑的ですが、勇ましいことを叫んでいれば平和が維持できると思っている人達も同じくらいお花畑的です。勇ましいことを叫んでいれば相手が恐れて後ずさりする、なんてことはまったくもってありえないのですから。

政府関係者が靖国神社に参拝しても、歴史認識を勇ましく見直しても、国際社会で日本に不利な空気が強まるばかりで何のメリットもありません。何のメリットもないことを主張して気勢をあげている人達は、どう考えてもお花畑的です。

現行憲法への修正や追加は私も必要だと思っていますが、内容の問題ではなくアメリカの作った憲法はいやだからという理由で自主憲法を制定したいというのはあまりにも子供じみています。そんな幼稚な理由で自主憲法を制定しても何のメリットもありません。ドイツがワイマール憲法を捨てた歴史を思い起こさせるような行為は、近隣国に軍国主義の復活だと騒ぎ立てる機会を与えてしまうだけです。

日本人は空気を読むのが得意ですが、どうやらそれは自分が直接所属している組織や社会の中だけに限られた能力のようです。国という大きなフィルターを通してしまうと日本人は空気を読むのがあまり得意ではありません。組織の中で空気を読みすぎるのはよくないことですが、空気をまったく読まないのも良くないことです。同様に、国際社会の空気をまったく読まないのも当然ですが良くありません。

日本が平和を維持していくためには、国際社会の空気を読みつつ少しずつ日本に有利な空気を醸成していくべく戦略的に行動する必要があります。

大雨が降るときには外出するより家にいた方が安全です。しかし避難命令が発令されれば家にいるより避難した方が安全です。状況の変化に応じて最も安全な行動をとるのは当然のことです。

過去60年以上にわたって日本は平和を維持してきました。しかしすでに日本を取り巻く状況は変わりつつあります。今まで憲法9条さえ守っていれば平和に暮らせたからといって、今後も憲法9条さえ守っていれば平和に暮らせるというわけではありません。それは避難命令が発令されても家に留まっているのと同じです。異なる状況でこれまでと同じ行動を続けていても平和を維持することはできません。今後も平和を維持するためには、状況の変化に応じて行動を変えなくてはいけません。

東西冷戦の初期、アメリカには反共の防波堤として日本を守る必要がありました。日本の経済成長期以降、アメリカには経済的な結びつきの強い日本を守る必要がありました。しかし対米貿易額の最も大きい国が中国になった今、アメリカには一方的に日本を守る動機が薄らいでいます。

冷戦時はアメリカに対抗できる軍事力はソ連しかもっていませんでした。冷戦終結後しばらくはアメリカに対抗できる軍事力を持つ国はありませんでした。しかし近年、中国の軍事力は強大化していますし今後も中国軍の膨張は続きます。同時にアメリカの国力は落ちつつあります。

しかも中国の行動からは「力のある国が力によって現状を変更するのは当然のことだ」と考えている様子がうかがえます。残念ながら中国政府は19世紀のルールが21世紀にも通用するものとまだ信じているようです。

アメリカと同じ側に立ってさえいれば平和が約束されるという簡単で幸せな時間はすでに終わりつつあります。この状況で、中朝露というややこしい国々に囲まれた日本が今後も平和を維持していくためにはしたたかな戦略が必要になります。

日本が末永く平和を維持するための最終的な目標は、中国と安全保障条約を結んで地域の安定を共に支えることです。中国と中身のある安全保障条約を結ぶためには、中国の人々に現代の世界では「力による現状変更を行うことは不可能なことなのだ」と理解してもらわなくてはいけません。これを理解してもらうためには、まず「力による現状変更をしようとしてもうまくいかない」ということを中国に学ばせる必要があります。

アメリカが東南アジアの国々と安全保障条約を結んで中国の横暴を封じ込めてくれればよいのですが、すでにアメリカに任せておけば大丈夫という状況ではなくなりつつありますし、アメリカにはそこまでのリスクを一身に背負うだけの動機がありません。中国の首脳が「広い太平洋には中米両大国を受け入れる十分な空間がある」と言い放っても、アメリカの首脳は「太平洋には米中以外にもたくさんの国が存在している」とすら言ってくれません。アメリカが独力で中国の横暴をくい止めてくれることは期待できそうにありません。

憲法9条をたてに、アメリカに一方的に守ってもらうだけで平和を維持できた時代には集団的自衛権や集団安全保障への参加は必要ありませんでした。しかしこれから先の日本が平和であるためには、アジア太平洋地域の各国と何らかの形で安全保障の仕組みをつくり、中国が力による現状変更をしようとしてもうまくいかない状況をつくらなくてはいけません。

アジア太平洋地域の国々との間に安全保障の仕組みをつくる際に、憲法9条のために集団的自衛権の行使や集団安全保障への参加ができないという理由で日本だけが安全保障のシステムにタダ乗りさせてもらうことはできません。

「自分達の国は自分達の力だけで守りたいから」という幼稚な理由で憲法9条の改正を求める人達はただのお花畑です。戦争せずに平和を維持するためには自分達の力だけでは足りません。日本が今後も平和な国であり続けるためには平和への意識を共有する国々との連携が欠かせませんし、そのためには集団的自衛権の行使容認や集団安全保障への参加を避けては通れないのではないでしょうか。

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(2014年9月2日「誰かが言わねば」より転載)

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