聴くことの困難をめぐって

この記事のタイトルはダブルミーニングになっています。最後まで読めばその意味は察せられるでしょう。

仲山ひふみです。久しぶりにブログを更新します。といっても、すでにあるところで閲覧者を限定して公開したものなのですが、もっと多くの人に読まれるべきだろうという勧めを受けたのでこちらに転載します。

ところで、この記事のタイトルはダブルミーニングになっています。最後まで読めばその意味は察せられるでしょう。

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広島出身で聴覚障碍を抱えた独学の作曲家、佐村河内守の作品の作曲を、彼が実質的にデビューしてから現在にいたるまで、ほぼ無名の現代音楽作曲家である新垣隆が代行していたことについて書く。

最初にことわっておくと、僕は佐村河内の音楽を主に『鬼武者』のサントラで聴いて知っているが、別段評価に値するものだとは思っていなかった。それは当時も今も変わらない。こうした日本的情緒を織り込みつつベートーヴェンからストラヴィンスキーまでのクラシック音楽の語彙を有効活用した管弦楽曲というのは世にいくらでも存在するからだ。

戦前の伊福部昭や早坂文雄からそうした作品は枚挙にいとまがなく、権威ある作曲コンクールが前衛的な現代音楽作品しか受け付けなくなった現在でも吉松隆のようなひとがクラシカルな構成と汎調性的響きをもった音楽を作曲して、最近では大河ドラマの劇伴をこなしたりしている。

佐村河内の名を一躍有名にした交響曲第一番『HIROSHIMA』にしても、広島(ヒロシマ)をテーマにした現代音楽というのはこれまた腐るほどあって、NAXOSのシリーズで知られるようになった大木正夫のようなマイナーどころから、細川俊夫や芥川也寸志のような大家もこのテーマでかなりの大作を書いている。ペンデレツキの『広島の犠牲者に捧げる哀歌』もそうだ。(ちなみにペンデレツキのその作品は当初広島とはまったく関係ない動機で作曲して、日本初演の際に松下眞一のアドヴァイスによって広島をタイトルに含めることが決まったことが知られている。)

佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』は、現代音楽におけるこうした「広島もの」の系譜に結びつく暗い音響、すなわち金管のトーンクラスターと音程変更しながらトレモロするティンパニ、鳴り止まないシンバルといった要素をしっかり押さえている。そこにマーラーやシベリウスを薄めたような叙情的旋律、というかジョン・ウィリアムズによって確立された現代ハリウッド映画音楽のデータベースをなぞったようなそれを添加することで、全体としてはショスタコーヴィチの交響曲第五番「革命」、第七番「レニングラード」、第八番あたりの作風のほとんど引き写し――晦渋には違いないがシリアスであるということは大衆的に理解可能なものとしてのそれ――に落ち着いている。

総合的には佐村河内の作品は、標題によって暗示されたテーマと、参照される過去の音楽の結びつき方の分かりやすさにおいて、ある種の職人的な「正しさ」を示しており、またその「正しさ」によって積極的に規定されているということになるだろう。

そういうわけで、僕は彼の音楽を別段評価していなかったし、交響曲第一番『HIROSHIMA』のCD録音の発売以降も言及したことはなかった。

ではなぜ僕は彼のスキャンダルが暴露されたいまになって、それについて言及することを選んだのか。

一つは、佐村河内の悲劇的な境遇を強調することで作り上げられた「現代のベートーヴェン」という神話が、これほどまで多くの人に支持され、あまつさえプロの音楽家たちからの賞賛すら誘ったという事実に、音楽批評に関わる者として強い興味を覚えたからだ。

ところで、いま僕が行ったような佐村河内の音楽への批判は、スキャンダルが明らかになる前から公言していたほうが効果が高い。つまり「俺は前から、あいつの作品は明らかに無個性でダメなのに、みんなアイツの境遇ばかり見て音楽を聴いてないよねと言ってたら、これだよ」と言える強みがある。

しかしこうした批判そのものもまた、誰もがひとしなみに口にする決まり文句なのであって、その無個性ぶりでは批判対象と瓜二つという側面を持っている。いわば「過去のクラシックや映画音楽の表層をパッチワークしただけのなんらオリジナリティのない作品」という批判そのものが、まさにオリジナリティの神話が崩壊したポストモダンの芸術の状況のアイロニカルな反映にならざるを得ないのだ。

主にクラシック・現代音楽オタクによって構成されるそうした無自覚なアイロニーの共同体に、僕は加わりたくなかった。だから佐村河内守が話題になった早い段階で彼の曲を聴いていながら、それについて言及することを徹底して避けていたのだった。

そもそも。佐村河内の作品が他人の手になるものだったことが明らかになったことでその音楽に対する評価が一気に反転するのは、それ自体おかしなことである。なぜ多くの人はそのことに気付かないのか。この音楽は新垣隆という作曲家が、その技術をふんだんに、あるいはほどほどに投入して書き上げた立派な交響曲なのであり、それは最初から最後まで紛れもなく新垣隆によるオリジナルな音楽としてこの世界に存在していたのだから、いままでどおり聴けばいいではないか。

同様の理由で「佐村河内の音楽がまがいものであると誰もが見抜けなかったこそ椿事である」という主張も完全に的を外している。そもそもの初めから、この音楽は「まがいもの」などではなく、新垣隆の脳と手を通じて、一回性、正統性、真正性(ベンヤミンが複製技術によって失われるとしたアウラの条件)を帯びてこの世界に生み出されたのだ。

音楽を聴いただけで、作曲者が聴覚障害者かどうか、広島出身かどうかが判別できるものだと思っている連中のほうがどうかしている。初めからわかっていたことは、この音楽は単に「正しい」だけだという、ただその一点のみである。

しかし。

しかし僕にとってむしろ衝撃だったのは、ジョン・ケージやマウリツィオ・カーゲル、もしくはフランコ・ドナトーニあたりを意識した、沈黙と引用とパフォーマンスからなるポストモダンの諧謔性の領域を探究していた一人の作曲家、すなわち新垣隆が、もう18年もの間、他人の名義で、1960年代ぐらいまでの日本の現代音楽の主流な作風をそのままなぞったような作品を書き続けていたこと、この事実が現在の音楽をめぐる状況に対して持つ、複雑な意味だった。この衝撃と動揺こそ、僕が佐村河内について言及することを自分に許した二つ目の理由である。

簡単にいうと、僕は新垣隆という人物が単に報酬目当てでこうした音楽の作曲を請け負っていたとは思えないのだ。

彼はもしかしたら、現代音楽のシーンの硬直性に飽き飽きし、ゲーム音楽や映画音楽の世界で羽を伸ばしたくて、佐村河内からの仕事を引き受けるようになったのかもしれない。世代的なことを考えると、吉松隆や三輪眞弘がそうだったように、プログレッシヴ・ロックに影響されて、それでクラシック・現代音楽の道に進んだということもあるかもしれない。

吉松や、あるいは商業音楽の世界に進んだ同じ音大の元同級生達が、現代音楽の楽壇関係者たちからそれとはなしに、あるいははっきりと遠ざけられているのを横目に見ておびえながら、同時に自分とはまったく異なる出自を持つがゆえにメディア受けのいい佐村河内を通すことで自分の音楽が多くの人の耳に触れることに喜びを覚えながら、18年間にわたるゴーストライターならぬゴーストコンポーザー稼業を続けていたのかもしれない。

実際、『鬼武者』のサウンドトラックを編曲した交響組曲『ライジング・サン』は新垣の手で指揮され、またライナーノーツの楽曲解説も新垣の手によって書かれたのだ。それがどんなスタイルに基づくものであれ、一つの管弦楽曲を書いて仕上げることには大変な労力が伴う。自分が精力を傾けて書いた作品に愛着を覚えない作曲家はいない。その愛着が裏返しになったものとして作品破棄ということも起るわけだが。

もちろん最初の頃の請負では、彼も若い音大出身者にありがちな経済的困窮という問題を解決するためにこの仕事を受けたのかもしれない。現在の音楽界全体の不況と比較すれば、90年代中盤の音楽業界は比較にならないほど潤っていただろうが、クラシック音楽、特に現代音楽の世界は昔から「食えない」と相場が決まっている。

金がなければ作曲し、演奏者にギャラを出して、コンサートを開くこともできない。作曲家として真剣に身を立てることを考えていたのであればこそ、その技術によって得られる報酬に対して目が眩んだとしても仕方がなかったといえるのではないか。

だが彼がこうしたゴーストコンポーザーの仕事を引き受けた理由が内発的なものか外発的なものかに拘わらず、おそらく本質は、日本の現代音楽、音大、楽壇のシステムの性質と、音楽というものがメディアを通して現代の日本で流通する際に生じるさまざまな問題にこそあったのだ。その意味では、かねてから現代音楽の閉鎖性に批判的であり、『機動戦士ガンダム』の劇伴とオペラ『忠臣蔵』で有名だった三枝成彰が、佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』を芥川作曲賞に推していたというのは象徴的である。

ショスタコーヴィチの交響曲を日本で幾度となく振った大友直人が、その音楽をベルリンフィルでやれば聴衆にウケるだろうと述べていたこともそうだ。現代音楽における不協和音やノイズの氾濫とは異なる、重厚で劇的な構成と、旋律に溢れた交響曲を聴きたい、演奏したいという欲望は、音楽関係者のなかではそれほど珍しいものではなかった。

そしてその欲望はある程度まで、正当化しうるものだった。しかしその欲望を成就するための方便として、ヒロシマ、身体障碍者、あるいは東日本大震災の被災者への献呈といったポリティカルコレクトネスの要素を意識的にかどうかは知らないが利用してきたことについては、大きな責任を問われざるを得ないだろう。

ちなみに今回の問題は、楽壇やマスコミにおける右翼/左翼対立ということからは切り離して考えられると思う。自己暴露の直接のきっかけとなったのはおそらく、ソチオリンピックに出場する日本の男子フィギュアスケート選手である高橋大輔のショートプログラムに、佐村河内の『ヴァイオリンのためのソナチネ』の使用が決定されたという事実だろう。

それが広島出身の障碍者の手になるものであるという情報が、演技と審査に影響し、もし仮に高橋選手を優勝にまで導いてしまった場合、国際関係まで巻き込んで騒ぎが大きくなる可能性もあり得たのだから。佐村河内の神話の背景にある政治的利害は、左翼系市民団体だけでなく、浮動的ナショナリズム支持層にも届いているのだ。

そこから飛躍すると、10万枚売れたという佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』を聴いて彼のファンになったと宣言する人々のうちには、自民党とアベノミクスの支持者も、細川小泉連合の脱原発推進の支持者も大きな割合で含まれていたのではないかという想像が浮かんでくる。彼らの多くにとって、音楽が現実にどのように作曲され、演奏され、聴かれるかということが関心を惹かないのと同様に、たとえば現実の原発がどのように稼動し、放射能がどのように人体に作用するかは主要な関心事ではないのではないか。おそらく彼らの多くは単に昭和的なものに戻りたいだけなのだ。

佐村河内と新垣がこれからどのように活動していくのかについては、僕の個人的予想だが、共作名義ということになっていくのではないかと思う。いまさら新垣隆作曲という風に全ての楽曲情報を訂正してみたところで仕方がないし、そもそも彼のファン層というのはいわゆる「スピリチュアル系」の人々であることは明らかなのだから、佐村河内守はじつは頭の中に音楽のイメージをかなり明確に持っていて、友人である新垣隆だけがそのイメージを正確に譜面に起こせるのだという「物語」に移行したほうが、いろいろ都合がいいのではないか。

今は消された公式サイトの佐村河内守のプロフィールには、五歳のときに『マリンバのためのソナチネ

新垣は佐村河内に対して批判の姿勢をうかがわせているようだが、僕が思うにそれは逆効果だ。18年も組んでやってきた以上、自分だけ被害者を装うのは通らないし、何より、結局人々の耳に触れ、三枝成彰の賞賛を勝ち取ったのは新垣自身の音楽なのだから。

ポスト・ケージ主義的な現代音楽の世界、つまりケージを通過していないような新古典主義風の作品など言語道断とみなすクライテリアが支配する世界に気を使って、彼は交響曲第一番『HIROSHIMA』や交響組曲『ライジング・サン』を自分の音楽ではないと主張するのだろうか。社会主義リアリズムを強制されて、スターリンを賛美する映画『ベルリン陥落』の音楽を書いたショスタコーヴィチですら、そういうことは言わなかった。新垣もまた佐村河内として書いた音楽を自分の音楽であると認めた上で、新しい段階に進んで行って欲しい。

最後に言い添えておくが、交響曲第一番『HIROSHIMA』は最近の日本のクラシック音楽には珍しく、ライヴではなくスタジオでレコーディングした作品だけあって、音質や演奏の質はそこそこ高いし、ロシア音楽から強い影響を受けていた戦前、戦中の日本の現代音楽を好む人々からすれば、聴きどころもあるのだろうと思われる。

つまりこの音楽は、凡庸で、「正しさ」しか感じさせないものではあるが、しかしある種の好事家にはそれなりに魅力的に響く作品には違いないのだ。あるいはまた、佐村河内守の名義で書かれた音楽は、新垣隆という作曲家が「天才作曲家の苦悩を演出する」というプログラムのもとさまざまなイメージやシチュエーションの要求に創意工夫をもって応えつつ仕上げた作品なのだと捉えれば、別の面白さをもって聴けるようにもなるだろう。

そしてそういったオリジナルとコピーの区別が蒸発してしまったポストモダンの世界におけるアイロニカルな作曲・聴取を実践する作品という意味では、、佐村河内守の音楽は新垣隆の名義で探究されていた領域ともまったく無縁ではなかったのだとすらいえる。

ターンテーブルとピアノ、打楽器を使用するジョン・ケージの『Credo in Us』では、使用するレコードの楽曲として、おそらくはメディアを通じて広く流通するクラシックの有名楽曲というものに備わっている典型的に全体主義的な響きというものへのアイロニカルな着目から、ショスタコーヴィチやドヴォルザークの交響曲が理想的な素材として指定されている。

ショスタコーヴィチは1936年のプラウダ批判の以前には、同時代のメイエルホリドなどからの影響もあるだろうが、音楽における笑いの重要性を見過ごされてきているものとして指摘し、諧謔的かつ前衛的な作風を採用しながら、またステージ音楽や黎明期の映画音楽への関わりも持っていた。

この二人の作曲家が生前に出会っていたとして、お互いの音楽を理解した可能性は極めて低いだろうが、ある種の軽やかさの中にこそ音楽の自由な可能性を見出していたということについては共通していた。新垣隆が自らの名の下に目指していた音楽も、本来はそういう軽やかさのうちにあるものだったはずだ。音楽はただそこで鳴り響き消えていくもなのであり、「天才」や「悲劇」といった意味などは初めから担ってはいない。その軽やかで透明な無意味の中にこそ、旋律、ハーモニー、音色、リズムの解放された喜びが存在する。それをただ聴くことの困難。

おそらくこれから、マスコミ主導かツイッター主導かはわからないが、佐村河内守ないし新垣隆とその音楽を批判するキャンペーンが張られることになるだろう。ここまで読んできた人には分かるとおり、そんなキャンペーンに乗る人に限って、音楽を何もわかっていないものなのだ。

追記:朝 のニュースで佐村河内が新垣に送った指示書が公開された。A4用紙一枚に楽曲の音量、楽想の変化の仕方がまとめられた、一種の図形楽譜だった。シュトック ハウゼンやリゲティが電子音楽の作曲のためにエンジニアに渡したものとよく似ているよう感じた。ポピュラー音楽の世界であれば、彼らはプロデューサーとコンポーザー という関係で通ったかもしれない。


  • 作者: 東浩紀,開沼博,津田大介,速水健朗,藤村龍至,清水亮,梅沢和木,井出明,猪瀬直樹,堀江貴文,八谷和彦,八束はじめ,久田将義,駒崎弘樹,五十嵐太郎,渡邉英徳,石崎芳行
  • 出版社/メーカー: ゲンロン
  • 発売日: 2013/11/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

(2014年2月6日「株式会社ゲンロン広報ブログ」より転載)

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