モリウミアス。豊かな森と海をフィールドにこども達の未来を

雄勝町の現状。そして夏のオープンに向けて様々な人が関わってゆく様子。そしてオープンした後のモリウミアスについて現地からお届けしてゆきます。

東日本大震災から4年が過ぎました。語りつくせない沢山のドラマがあの日から起こり、いまだ起こり続けています。

今月からモリウミアスとしてブログを始めることになりました。2011年、震災直後に人とのつながり、ご縁から石巻市雄勝町にたどり着きました。町の8割が流されてしまったと言われているこの町には築92年にもなる廃校が残っていました。失ったものがあまりに多い町に昔ながらの雰囲気を感じるこの廃校が「モリウミアス」という施設に再生され、こども達の豊かな学び場としてこの夏に誕生します。

雄勝町の現状。そして夏のオープンに向けて様々な人が関わってゆく様子。そしてオープンした後のモリウミアスについて現地からお届けしてゆきます。

まずは雄勝町について。石巻市の東部、女川町の北に位置しています。半島が町となり、山と海がつながるとても美しい自然環境があります。山あいにある為にアクセスがあまり良くないですが、だからこそ守られてきた自然がここにはあると感じています。

国産の9割を誇っていたという硯石の文化。この硯石は東京駅の駅舎の屋根にスレートとして使われ、モリウミアスの屋根もスレートにより90年以上も守られてきました。国の無形文化財でもあり、山伏の信仰を伝える法印神楽も未だに受け継がれています。

雄勝町はリアス式海岸の環境を生かした養殖漁業が主産業です。ホタテやホヤ、カキ、銀さけといった貝や魚を養殖し、ウニやアワビ、ワカメや昆布といった貝や海藻もたくさん採れます。この町にいると食の豊かさにため息が出るほど。そのせいで最近は東京や仙台に行っても魚介を食べる機会が少なくなりました。

そして今回の舞台となる廃校。桑浜小学校として1923年に設立され、2002年まで沢山のこども達が学び巣立って行きました。山を背負い、海を見下ろす高台にひっそりと佇む木造校舎。その屋根は雨に濡れると漆黒の光を放つ硯のスレートが葺かれています。

教室の黒板には閉校式の日に在校生が書いたメッセージが残っていて、つい昨日までこども達がそこにいたような空気を感じます。少子化の影響で2002年に閉校となった後、卒業生らの意向で市から個人が取得し守られてきたこの廃校が今、生まれ変わろうとしています。

MORIUMIUS。森と海と明日へ。

雄勝の豊かな森と海をフィールドにこども達の未来を、そして町の未来をみんなでつくってゆく。そんな思いが込められた名称です。

漁場が豊かなのは森のおかげ、と漁師らは口々に言います。その通り海は透き通り、真水が多く塩分が低い、プランクトンに満ちています。山頂から河口まではおよそ1時間。自然の凝縮感がこれほどある場所は初めて見ました。山と海をつなぐ、水の循環を体感できるこの地が自然と人からこども達が学ぶ環境になれば、交流人口が集まる。それにより雇用が生まれ、地域のこどもはもちろん高齢者も交流することで元気になる。そして町の経済を刺戟するきっかけにもなることを目指しています。

2013年4月から廃校を修復・改装してきましたが、1年間で約2,500名もの人に関わっていただきました。人の手により修復し、新たな学び場としてつくりかえる。卒業生がまだたくさん残っている地域で住民や全国はもちろん世界から様々な立場の人が集まっています。人口が震災後に1,000人ほどになったと言われていますが、その2.5倍もの人が集まっていることになります。

森では林業、田畑では農業、海では漁業を体験し、食器や家具、薪をつくり、野菜や魚介で料理をする。残った食材やつかった水はリサイクルする。自然の循環を感じやすい環境にしてゆく事がこども達の生きる力に繋がってゆくでしょう。普段あたり前に生活している原点、原体験がモリウミアスにはあります。昔の農家の暮らしといった感じでしょうか。

これからモリウミアスからオープンに向けて繰り広げられるドラマをお伝えいたします。

【東日本大震災】石巻・雄勝の再生をめざす「モリウミアス」

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