【ベルギー同時多発テロ】ベルギーとジハド・テロのこれまで

22日、欧州連合(EU)の主要機関が置かれているベルギーの首都ブリュッセルで、同時多発テロが発生した。

22日、欧州連合(EU)の主要機関が置かれているベルギーの首都ブリュッセルで、同時多発テロが発生した。英フィナンシャル・タイムズはこの日を「EUの心臓部が攻撃された日」と呼んだ(22日付)。後に「イスラム国」(ISあるいはISISなど)の犯行声明が出た。

なぜベルギーがターゲットになるのだろう?

IS側の声明によれば、ベルギーはイラクやシリアを拠点とするISへの攻撃に参加している国の1つだからだという。

詳しい背景について、アルカイダをはじめとするイスラム原理主義テロ集団を長年追ってきた、英ジャーナリスト、ジェイソン・バーク氏の分析(22日付、ガーディアン)を見てみよう。

同氏によると、過激主義者によるイスラム教をかたってのテロ行為は世界中どこで発生したかにかかわらず、共通する理由があるという。

まず、「一定の規模を持つ、社会全体から孤立したイスラム教徒のコミュニティが存在していること」、「そのコミュニティの中の若者層の失業率が高いこと」、「武器が手に入りやすいこと」、「高いレベルの通信・移動ネットワークを手中にしていること」、さらに、「取り締まり当局が現状に甘んじる傾向があり、人的資源を十分に割いていないこと」、「国内の政治不安」だという。

さらに、ベルギーでは、ソーシャルメディアや仲間同士で暴力的なイデオロギーが流布しており、これ自体が直接的な暴力行為に結び付くわけではないが、「憎悪感に満ちた、不寛容な、かつ超保守的な世界観を奨励する」傾向があるという。

ベルギーの規模(人口約1100万人)や国全体が2つに割れている形をとることが武器の流入・流布に貢献した、という人もいる。北部フランデレン地域(人口の約6割、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語)と南部ワロン地域(約4割、フランス語が公用語)の角突き合いは1830年の建国時からものだ。ナポレオン戦争時の欧州再編成にともなって、列強のパワーゲームの中から生まれたのがベルギーだ。

歴史を振り返れば、1980年代、90年代にはほかの欧州諸国同様に、中東に根を持つテロ事件が発生した。90年代にはフランス北部でアルジェリアの独立運動をめぐって暴力事件が連発し、隣国ベルギーもその余波を受けた。

2000年代の前半にはマドリード(2004年)やロンドン(2005年)でイスラム系テロが発生し、多くの犠牲者を出したが、過激主義のネットワークがベルギーでも構築されている証拠があったにもかかわらず、当局は「ベルギーをほとんど重要視しなかった」(バーク氏)。

2005年にイラクで自爆テロを実行したベルギー出身の女性は、自爆テロを行う初めての欧州生まれの女性となった。しかし、この時点でもベルギー=ジハディストの巣という見方は一般的には広がらなかった。

大きな追い風となったのがシリア内戦だ。ベルギーから中東に向かうイスラム系青年たちが次第に増えていったからだ。

バーク氏の見立てによると、欧州からシリアで戦うために向かった青年たちの中で、一戸当たりの人数が最も多いのはベルギーだ。

50万人のイスラム教徒を抱えるベルギーで、アサド政権討伐のためシリアに渡った青年たちは450人から560人と言われているという。その大部分がISに参加して戦った。

モレンベークがテロリストの巣に

首都ブリュッセル(人口90万人)の南西部郊外にあるモレンベークでは、人口の80%がイスラム教徒だ。失業率は30%で、これは国全体の失業率の3倍だ。

昨年11月のパリ同時多発テロの実行グループの一人で、先日、ベルギー当局が捕まえたサラ・アブデスラムがこの地域で生まれ育った人物だった。グループの大半もここで生活していた。

アブデスラムは世界的な指名手配人物となったが、パリテロ発生から4か月後、最終的につかまったのはモレンベークの一角だった。ベルギーの捜査当局の力不足が露呈したかのような逮捕だった。当局にとってモレンベークは十分に情報が取れない地域になっていた。

ベルギーとジハディスト

英数紙の報道をまとめると、2000年代に入って、ベルギー関連で以下のテロ事件が発生していた。

2001年9月――米国で同時多発テロが発生する直前、モレンベークを拠点とする国際テロリストグループがアフガニスタンで、反タリバンの指揮官を殺害した。

2005年11月――ベルギー人でイスラム教徒への転向者がイラク・バクダッドで自爆テロ。4人を殺害。欧州出身の最初の女性自爆テロリストとなった。

2010年――「シャリア・フォー・ベルギー」が立ち上げられ、シリアで戦うISの戦士をリクルートした。

2014年5月――ブリュッセルのユダヤ人博物館で4人を銃殺した人物はフランス人だったが、モレンベークを拠点としてブリュッセルで犯行に及んだ。3人が殺害され、一人が重傷。

2015年1月――パリの食料品店で4人を殺害したアメディ・カリバリはモレンベークで銃を調達していた。風刺雑誌シャルリ・エブドで風刺画家らを殺害したコアニ兄弟もモレンベークなどで調達した銃を使った。

同年11月――パリ・テロの実行犯の一人アブデルハミド・アバウドとアブデスラム兄弟が生まれ育ったのはモレンベークだった。

今年3月18日――サラ・アブデスラムがモレンベークで逮捕される。

22日、ブリュッセル国際空港と地下鉄で同時多発テロ発生。

ベルギーのミニ歴史

1814年~1815年 ウィーン会議によりオランダの支配下に入る

1830年 独立宣言(フランスの7月革命の影響)

1839年 オランダによるベルギー独立承認

1914年 第一次世界大戦の対独戦により占領を受ける(~18年)

1940年 第二次世界大戦の対独戦により占領を受ける(~44年)

1993年 連邦国家に正式に移行

(外務省資料より)

(2016年3月23日 「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」より転載)

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