仏風刺週刊紙テロ事件 ―言論・表現の自由の行方は

テロ事件とその後広がった議論の中で、大きな疑問として呈されたのが言論・表現の自由はどこまで通用するのか、という問いであった。

フランスの風刺週刊紙「シャルリ・エブド」で、1月7日、まさかと思う事態が発生した。編集会議の最中に、覆面姿の武装した男性たちが「アラー、アクバル」(「(イスラム教の)神は偉大なり」)と叫んで押し入り、編集長、風刺画家などを殺害したのである。引き継いで発生した別の実行犯による銃殺事件を含めると、合計17人が亡くなった。オランド仏大統領は一連の事件を「テロ」と断定。フランスにとって過去50年で最悪のテロ事件となった。

■絡み合う複数のテーマ

連続テロ事件について、これまでにさまざまが議論がなされてきた。テロや移民問題、表現の自由、欧州社会の中のキリスト教とイスラム教との相克など、複数のテーマが浮かびあがってくる。

それぞれのテーマは互いに複雑に絡み合い、影響を及ぼしあう。一つのテーマを取り上げても他のテーマにつながってゆく。

例えば「テロ」だが、ここではイスラム教過激主義者と見られる人物によるテロ行為を指すが、フランスではイスラム教徒(ムスリム)は北アフリカからの移民出身者である場合がほとんどで、移民問題と重なって来る。ただし、イスラム教の名の下にテロを起こすような人物が果たして「イスラム教徒」であるのかについて疑問が呈されていることも事実だ。

欧州各国、特に西欧諸国での反イスラムや反ムスリム感情の広がりも見逃せない。ドイツの「ペギーダ」(「西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者」の略称)が異を唱えるのは欧州内のイスラム化である。

本稿ではフランス国内と国外で解釈に大きな開きがあったように思える「言論・表現の自由」というテーマに着目した。「言論の自由か、それとも自由がない世界か」の二者択一の問題ではないだろう。

欧州の一国となる英国に住む筆者がフランスを外から見た視点としてご拝読いただければ幸いである。

■言論の自由はどこまで通用するか

テロ事件とその後広がった議論の中で、大きな疑問として呈されたのが言論・表現の自由はどこまで通用するのか、という問いであった。

「言論の自由」は民主主義社会の基礎であろうし、その意味は私たちにとって自明であるはずだった。しかし、その原則について多くの国で合意があるとしても、実行に移す段階では先進国と言われる国の中でもばらつきがあることが分かってきた。

事件発生の最初の頃を振り返る。7日昼頃、在仏のジャーナリストがツイッター上で発した「#jesuischarlie」(「私はシャルリ」)というハッシュタグのフレーズが急速に世界中を駆け巡った。「シャルリ・エブドを支持する」、「報道の自由を擁護する」、「暴力による封殺は反対」などの意味である。「私はシャリル」は、世界各地で開催された追悼集会、デモや行進の合言葉となった。

11日、市民とともに世界50カ国以上の政府首脳陣らが報道の自由を擁護するための行進に参加した。オランド大統領と手をつなぎながら歩く世界の指導者たちの映像が大々的に報道された。「私たち全員がフランス人だ」と言う言葉が似つかわしい、一体感があった。

■見えてきた亀裂

しかし、実情はもっと複雑だった。政治家たちによる行進では、テロ防止と言う意味ではどの首脳陣も賛同していたとしても、自国では報道や表現の自由が厳しく制限されている国が参加がしていた。各国の思惑について、国際政治学者六辻彰二氏が分析している(ヤフー個人ニュースサイト、1月15日付)。

「国境なき記者団」による2013年版報道の自由度のランキングで、自由度に「目だって問題がある」(UAE,カタール、バーレーン、イスラエル、マリなど)あるいは「困難な状況」(トルコ、ヨルダン、パレスチナ、アルジェリア、チュニジア)とされる国も参加していた。大体が「欧米諸国と外交的に近い関係にある国」で、アフリカからの出席者は「かつてフランスの植民地だったところばかり」であった。

アフリカ諸国側からすれば、「フランス主導の歴史的なイベントに出席して『人種や宗教を超えた連帯』のイメージ化に貢献することによって」、「財政状況の協力を求め」たり、「対テロ戦争の文脈でフランスとの関係を重視する」目的があったようだ。一方、「フランス政府あるいは欧米諸国政府からすれば、『言論や表現の自由』とセットになった『反テロ』を掲げることで、自らの政策を進めやすい状況にする、一大デモンストレーションになった」。

一方、「私はシャルリ」という旗印の下で一丸となった「言論の自由」という概念だが、シャルリ・エブドの風刺画自体の評価には疑問も呈されてきた。

同紙の風刺画を実際に目にする機会を持った人はそのどぎつい表現、挑発的な風刺にかなりの衝撃を受けたのではないか。日本のネット空間でも、暴力行為には賛同しないものの、「こういう風刺画を掲載していたのだったら、報復を受けるのも無理はない」という内容のブログやコメントを複数見かけた。

英フィナンシャル・タイムズのトニー・バーバー欧州記者は、シャルリの表現を論評する記事(1月8日付)を書いた。シャルリ・エブド紙は「ムスリムを嘲笑し、いじめ、冷やかしてきた長い歴史がある」。もしシャルリ紙が「限りなく侮辱に近い行為を止めたとしても、言論の自由の擁護者とは言えない」。啓蒙主義を代表する、表現の自由の擁護者としても知られるボルテールが生きた国フランスで、シャルリ・エブドは「しょっちゅう、編集上の愚行が優先していた」からだ。

一方、英タイムズ紙のコラムニスト、デービッド・アーロノビッチ氏はシャルリと英国の「弱腰」とを結びつけた。今回「何故シャリル・エブドが攻撃に遭ったのか? それはシャリル以外の私たちが臆病者であったからだ」(1月8日付)と書いた。イスラム教徒からの非難を恐れ、表現の対象からはずすからだ、と。記事の見出しは「私たちの臆病さが攻撃を助けた:ムスリムへの気遣いと一種の恐れが英国で宗教をオープンに風刺できなくさせている」であった。

2005年、イスラム教をテーマに預言者ムハンマドの姿を含む風刺画をデンマークのユランズ・ポステン紙が掲載し、翌年初頭、外国の新聞がこれを再掲載したことで多くのイスラム教徒の反発を招くことになるが、このとき、率先して風刺画を転載した新聞の1つがシャルリ・エブドであった。英国の新聞はどこも印刷しなかった。

筆者は風刺画問題と表現・言論の自由について、英国とフランスとの間には微妙な温度差があるように感じた。テロ事件から1週間後、ロンドンからパリに向かい、知識層に話を聞いてみた。

■「冒涜を犯罪としない」

フランスの社会党に所属する、上院議員エレン・コンウェイ=ムレ氏は「シャルリ・エブドの風刺は自分の趣味には合わない」と筆者に語った。「あまりにも下品でどぎつい。挑発的過ぎる。自分では買わない新聞だ」。しかし、「下品で挑発的な言論や表現も、フランスの表現の場の一部を成す。存在意義がある」。

「暴力によって言論が封殺されることは絶対にあってはならない。だから自分はシャルリ・エブドを支持する。表現の内容については同意しなくても、存在を支持するからだ」。

フランスの中では少数派となるムスリムがシャルリによるムハンマドの風刺に侮辱されたと感じたり、傷つく点についてはどう思うかを聞いたところ、「マイノリティーの意見がマジョリティーの国民のやり方を左右することは、普通ありえないのでないか」。そして、「政教分離=ライシテ=を国是とする共和国制度のフランスでは、宗教はプライベートな領域に属する」と。公的な領域に属するメディアでの言論が宗教的な理由から規制を受けることはあるべきではない、という考え方である。

質問を続ける中で、議員の秘書役が思いあまったように、説明を補足した。「1968年、学生が主導したパリ革命が起きた。あのときの反体制のスピリットを体現していたのがシャルリ・エブドだ。現在につながる反体制のメディアで、その重要性はいくら話しても話し足りない」。

秘書はシャルリ・エブドや風刺文化に大きな誇りを持っている印象を持った。筆者が議員に向かって、フランスの表現の自由にいくらかでも疑問を呈するような質問をすると、側に座る秘書は「分かっていない」という風に頭を横に振るのであった。

(議員のインタビューの一問一答については、東洋経済オンラインの筆者記事をご覧いただきたい。「フランスでも、「行き過ぎた風刺」は論点に -表現の自由は、無制限の自由ではない」

パリ政治学院のファブリス・イペルボワン教授によると、フランスの言論・表現の自由の考えのもともとは、絶対王政を倒し、近代的ブルジョア社会を作ったフランス革命と切り離すことはできない。絶対王政の時代には王政とカトリック教会は一体化していた。革命によって聖職者たちの財産は没収され、共和国の国庫に入った。「教会権力を政治から排除すること、権力を批判し、笑うこと―これこそが共和国の建国の精神だ。これを失くしては共和国自体が成り立たない」。

こうした歴史的経緯から、フランスでは「神に対する冒涜は犯罪にならない」。報道の自由は「フランス人権宣言」(1798年)の第11条出版の自由に端を発し、「1881年出版自由法」で法律上の保証が与えられた(フランス政府資料)。

イペルボワン氏は言論の自由には2つの形があるという。「世界共通の価値観で、どこに住む人もおそらく合意するのが米国式の言論の自由。これは、米国憲法に定められている言論・表現の自由だ」。特徴は「自由はあるが、同時に『隣人に思いをはせる』。社会を構成する個人が気持ちよく生きることを考慮する考えだ」。同氏によれば、フランス式の言論の自由とは「フランスのみで通用する。隣人への考慮をしない考え方だ」。

しかし、「絶対的な言論・表現の自由があるわけではない。例えば人種差別的表現、特に反ユダヤ主義的表現やホロコーストの否定は確実に罰せられる」。特に厳しいのがホロコーストの否定だという。「この意味で、フランスの言論の自由には『二重基準』の側面がある」。具体例がフランスのコメディアン、デュドネだという。過去に反ユダヤ主義を扇動した罪で有罪判決を受けた人物だ。

イペルボワン氏はこう言う。「デュドネは私たちに問いかけているのではないか。『自分はユダヤ人やテロ容疑者について思ったことを言いたい。シャルリには言論の自由が許されるのに、何故自分には許されないのか』、と」。

1月14日、事件発生からはじめてのシャルリ・エブドがフランスで発行された。表紙には大きく描かれたムハンマド。涙をこぼし、「すべてが許される」と言っている。何を許すのか、はっきりしない表紙である。しかし、ムハンマドを選んだこと自体が「暴力には負けない」というシャルリ・エブド側の決心を表したようだ。この表紙を紙面やウェブサイトで掲載するかどうかについては、欧米各国及び各媒体によって反応が分かれた。

以下、米英仏の特派員による記事を掲載した読売新聞(1月15日付)の報道などを参考にすると、仏リベラシオン(現在、シャルリ・エブドが仮の編集室を置いている)は1面全面を使ってシャルリの風刺画を転載した。表紙の画像をたくさん並べて作った1面には「売店にいます」の見出しを作った。社説は「政教分離はシャルリだけではなく、フランスの方針だ」と書いた。ル・モンド紙はイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の信者がともに風刺画を楽しむ漫画を掲載。フィガロ紙はシャルリの1面を掲載しなかった。

英国ではガーディアン、インディペンデント、タイムズが13日あるいは14日付の紙面でシャルリの1面の風刺画を掲載。BBCはニュース解説番組で短時間、表紙を見せた。衛星放送スカイニュースでは現地の特派員がシャリルの1面をカメラに掲げたところ、「これを映してはいけない」とロンドンの司会者が声を上げ、慌ててカメラが切り替えられる場面があった。

ドイツでは「ビルト」が最終面全面に転載し、フランクフルト・アルゲマイネ紙はシャルリ紙が積まれている写真を小さく掲載した。

米ワシントン・ポストはシャルリの1面の画像を掲載。特定の「宗教を故意に侮辱するような掲載はしない方針」だが、「読者の理解を助ける」ために掲載した。ニューヨーク・タイムズは風刺画が掲載されなくても十分な情報が提供できるとして、シャルリの1面を掲載しなかった。主要テレビは「手控えるところが多い」状態で、CNNのウェブサイトは同社首脳が「経営者として従業員の安全を守ることが大切と考えた」と伝えた。

デンマークのユランズ・ポステンは1月9日付社説で「ムハンマドの風刺画はどんなものであっても二度と掲載しない」と発表しているという。「暴力や脅迫に屈してしまったということだけだ」。

かつて、英新聞がユランズ・ポステンに掲載された一連の風刺画を転載しなかったとき、知人の風刺画家は「どの新聞も臆病者だ」と言った。ユランズ・ポステンのように「暴力に屈した」結果は、表現・言論の自由を維持する点からは残念だ。しかし、筆者は掲載しなかった媒体を「臆病者」として切って捨てることにはためらいがある。

2004年、オランダでイスラム教批判のテレビ映画を作った監督がイスラム教過激主義者に殺害された。翌年、このテレビ映画を作ったプロデューサーに話を聞いた。映画は10分ほどの短編で、殺害事件が起きたために注目度が高くなり、一時、映画館で公開する計画があったという。しかし、事務所や映画館への襲撃予告を受け、最終的に公開を中止した。プロデューサーは、「自分にはスタッフを守る責任がある。これがまず第一だ」と述べた。親しい友人でもあった監督を白昼、路上で殺害されたからこそ言える言葉であるように感じた。

■これからどうするべき?

欧州社会の言論・表現の自由について現時点(注:脱稿時点の1月末)での感想を記してみたい。

シャルリ・エブドでの銃殺事件以前から、イスラム教をめぐる報道や表現行為が何らかの事件となった例が欧州では過去に何度もあった。キリスト教離れが進んでいる西欧諸国において、イスラム教に限らず、宗教の名において暴力行為に走る、しかも欧州近代社会が重要としてきた言論の自由という原則を曲げようとする動きは、異質であり、驚きであろう。また、既存概念への挑戦であるから、これに対抗する動きが出てくる。

暴力によって言論が封殺されたため、「言論の自由の擁護」という旗を大きく上げざるを得ない。イペルボワン氏によれば、「共和国の伝統・歴史に根ざしたこの権利をフランスのエスタブリッシュメントは絶対に手放さない」。報道の自由の概念が実は「二重基準」であったとしても、たとえ少数派のムスリムたちが表現によって傷ついていたとしても「フランス人であれば、共和国の理念にならうべきという信念は変わらない。もし揺るげば、共和国の概念そのものが崩壊してしまう」。

欧州社会は「言論の自由の擁護」という旗を降ろす必要はないだろう。思うことを誰にも気兼ねなく言えるのは、世界的にも共通な、人間としての自由の1つだ。

しかし、最終的な報道の自由についての判断は、社会の構成員たちが自分たちが生きる社会がどうあるべきか、どうありたいかにかかってくるのではないか。

イペルボワン氏によれば、米国型の言論の自由とは「何でも言えるが、隣人にも気を使う」のが特徴だった。米英メディアのシャルリの最新号の掲載状況にこれが如実に現れた。

英ジャーナリストのジョナサン・フリードランド氏がガーディアンに書いたコラム(1月16日付)に英国型の生きるヒントがある。

シャルリの銃殺事件の後で、言論の自由のバランスがどうあるべきかについて、フリードランド氏自身も答えはないようだ。しかし、同氏が目指すのは社会の構成員全員が折り合いをつけて生きていくことだ。

まず非ムスリムとムスリムは暴力を用いるジハード=聖戦の考え方を社会から排除するよう、協力する。その上で、非ムスリムの国民はすべてのムスリムがムハンマドのどんなビジュアルな描写にも傷つくことを理解する。ムスリムのほうは、自由な社会で生きるということは時としてムハンマドについて無礼で侮辱的な描写には出くわすことがあることを覚悟すること。

フリードランド氏は、言論の自由が「どこまで受け入れられるべきかについて合意に至るまでには時間がかかるだろう」、「互いを傷つけることについて対処してゆくこと」、当分はこれしかないと書いている。

■現在の感想

この問題について、3月上旬時点で考えたことをいくつか最後に記したい。

シャルリ・エブドと表現の自由を巡る問題の評価・判断は、フランス、欧州、イスラム世界をどれだけ知っているかによって、分かれたように思う。同じ欧州と言っても英国は表現の自由について別の見方をしているようである(英国ではコミュニティーあるいは社会の中の平和を考慮する)。

そして、例えどれだけ表現上で屈辱・罵倒を受けても、「暴力に訴えるのはいけない」という見方は、確かに全うなものである。ただ、今回の事件を巡り、「表現の自由に対し、暴力で反応する=相手を殺害することで言論を封じ込める」ことがいいかどうかを私たちは議論しているわけではない気がする。一義的には「悪い」、「やってはいけないこと」という結論になるだろうから。

テロ行為をしてよい、という人も(たいがいは)いないだろう(何がテロ行為なのか、という問題もあるわけだが)。

第一、人を暴力で殺傷する行為自体がやってはいけないことだろう。

今回の一連の事件に限るならば、2つの面での議論が必要になるだろうと思う。

1つは、テロ行為、イスラム過激派の広がり、IS(「イスラム国」)や中東の状況などの(国際)政治問題としての議論である。

もう1つは、今、欧州に住む市民が抱える問題、つまり「人口では少数派のムスリムの中に、イスラム教の名をかたりながら暴力行為を行う人がおり、これに対してどうするか」を考えるための議論だ。

イスラム教の名をかたりながら暴力行為を行う欧州市民は、イスラム教を曲解しているのかも知れないし、ほかのイスラム教徒からしたら「イスラム教徒ではない人」でさえあるかもしれない。しかし、同じ国に住む市民として、どうするのか。隣人や親戚、親兄弟がそうなったらどうするのか。あるいは犠牲者になったら―?

また、いわゆるイスラム過激主義に染まっていないムスリム市民自身も、自分たちが住む欧州の国の中の表現行為の一部について行き過ぎであり、侮辱的だと感じているという現実がある。これにどう対応するのか。これに沿って、先のフリードランド氏が彼なりの答えを出している、というわけだ。

決して、抽象的な話ではない。「一体どこまで、どう表現するのか」―。誰しもが考え、逡巡しているのである。表現・言論の自由を振りかざすだけではダメだが、かといって、特定の組織・宗教などに遠慮しながら表現行為を行うのもいかがなものか、と。

これからも「摩擦」や逡巡は続くだろうと思う。

(月刊誌「メディア展望」2月号の筆者原稿に補足しました。)

(2015年3月10日「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」より転載)

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