憲法26条(教育を受ける権利)の制定過程を振り返る

興味深い経緯が見えてくる。
国立国会図書館

今年に入って、各党の憲法改正の条文案が徐々に明らかになってきた。教育を受ける権利を定めた憲法26条については、日本維新の会がいち早く条文案を示したのに続き、自民党も条文案策定の最終段階に入っているようだ。

希望の党も近く、改正案をまとめる方針だが、改正条文案を提示する前に、現行26条の制定経緯を振り返ってみたい。興味深い経緯が見えてくる。

まずは、マッカーサー草案の第一試案の21条を引用する。

すべての子は、その出生の条件いかんにかかわらず、個人としての成長のため平等の機会が与えられなければならない。この目的のため、公立の小学校により8年間にわたる普通義務教育が実施されなければならない。中等及び高等の教育は、それを希望するすべての能力ある学生に無償で提供されなければならない。教材は無償とする。国家は、資格ある学生に対し、その必要に応じて、援助を与えることができる。

第一次試案は、いわばたたき台というべきものだが、小学校から高等教育までの幅広い無償化が記される先進的な条文案となっている。その後、何度かの変遷を経て政府草案の24条にたどり着く。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育は、これを無償とする

政府原案で無償化の範囲が限定された背景には、当時のわが国の教育環境の実態や、財政上の制約があったものと思われる。

縮小した無償化の範囲は、国会審議で再び拡大する。帝国議会での審議において、初等教育のみを無償化の対象とすることに異論が出され、「義務教育」に修正されることになる。その流れが、翌年制定される教育基本法と学校教育法にも受け継がれ、義務教育とされた小中学校が無償となった。

26条以外の人権条文は、国会審議を経ても政府原案からほとんど修正されていないことを考えると、26条修正の経緯は特筆に値する。終戦直後、国民も国家財政も極めて厳しい状況にある中で、教育にこそ力を入れるべきだとの先人の意思が、憲法26条の具体的な規定を生み出し、戦後の歩みに影響を及ぼしたのだ。帝国議会での議論を通じて、教育こそが国の豊かさの源泉であるとの国家国民の意思を憲法の中で明確にしたとも言えるだろう。

あれから70数年が経過し、教育を巡る環境は激変した。憲法制定当時、ほとんど存在すらしなかった幼児教育の重要性が国民に共有され、高等教育も目覚ましい発展を遂げた。立憲主義に立つならば、憲法を改正することで、教育を受ける権利と政府の責任の範囲を21世紀型へと拡大することを考えるべきではないだろうか。

私は、26条改正案を国会として発議し、国民投票により、教育の充実を進めることを国家国民の意思として明確にすべきだと考えている。

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