通常国会が終了しようとしています。最終盤は、集団的自衛権の行使が認められるかどうかという、国家のあり方の根幹にかかわる問題が検討されているにもかかわらず、与党内の議論のみに注目が集まり、国会での議論はほとんど話題にならず、我々野党は蚊帳の外に置かれました。これは、全国民を代表して国政のあり方を審議する国会の姿としては異常です。
この国家の根幹に関わる問題に、国会がどのように対応すべきか、大学時代の先輩で憲法学者の土井真一教授と議論をしました。そこで、自分で考えたことを記してみたいと思います。
■国権の最高機関の役割
日本国憲法第41条は、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定めています。これは、全国民を代表する選挙された議員によって構成される国会が、国政の中心的地位を占める機関であることを明確にし、立法権を国民代表機関である国会に独占させることを定めたものです。
とりわけ、国民の権利・義務に関わる事項は、個人の尊重と基本的人権の保障という憲法の基本原理に照らして特に重要な事項であり、国民の代表者が審議し決定する必要があることから、立法権の中核をなすものとして位置付けられています。
日本国憲法の下において集団的自衛権の行使が認められるか否かという問題は、国家の存立の基礎に極めて重大な関係を有するものであり、国家の基本方針に関する重要な事項であることは明らかです。また、集団的自衛権の行使は、国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利に重大な影響を及ぼすものであることも疑い得ません。
このような事項について、長期間にわたって確立されてきた国家の基本方針を覆す変更を行う場合には、行政機関である内閣ではなく、国会がその責任において行うことが、国会を国権の最高機関であり、唯一の立法機関であると定めた憲法の趣旨に適う手続です。
今回の議論のたたき台を提示した安保法制懇は、安倍総理の個人的勉強会にすぎません。その勉強会の議論をベースに与党のみで調整を行い、わが国の存立にかかわり、国民の生命、財産に重大な影響を及ぼす問題について、「閣議決定」を行い、その後、個別法を提出して国会審議を求めるとしています。
このような考え方は、国会と内閣の関係に関する誤った理解に基づくものです。憲法73条1号は、内閣に国務を総理する権能を認めていますが、国家の基本方針の法的決定権は国会に属します。国家の基本方針の策定に際して、内閣が総合調整機能を果たすことは認められるとしても、その決定は国会が十分に審議を尽くした上で行わなければならず、最終的には、選挙を通じて国民の判断を受けることが、立憲主義に基づく国政の基本原則です。
■自公の責任を問う
国の安全保障の重要性を考えれば、総理が与野党の党首に呼びかけて、国民的な協議を促してしかるべき問題です。思い起こすべきは、小泉政権の時に、一年をかけて、与野党が協議を重ね有事法制の制定を行ったことです。有事法制制定後の2004年、民主党と自民党、公明党の三党は、緊急事態基本法を制定することで合意しています。その合意文書に署名した自民党の当時の幹事長は安倍総理自身です。それにもかかわらず、今国会での議論を聞くかぎり、国民的な合意を得ようという謙虚な姿勢は、安倍総理から一切見られません。
国家安全保障基本法の制定は、先の衆議院選挙、参議院選挙で自民党が掲げた公約でした。総理が今回閣議決定で対応しようとしているものは、本来、国家安全保障基本法で定めるべき国家の緊急事態、安全保障の基本に関するものです。内閣改造という人参をぶら下げられた自民党議員に多くは期待できないと思っていましたが、そもそも国家安全保障基本法の必要性を主張する声すら聞こえてこなかったことには驚きました。
死活的に重要な問題で、民主的なプロセスを全く無視した与党内協議で妥協した公明党は、戦後の民主主義に歴史的禍根を残そうとしています。早々に連立離脱の選択肢を捨てた公明党は、安倍政権の「下駄の雪」そのもの。「平和の党」の看板を下ろすべきです。
■自衛権の再定義を
集団的自衛権の中身の議論に入りたいと思います。安倍総理の言葉を聞いていると、総理はわが国の安全保障上、必要なこと、国民の生命や財産を守るために本当に必要なことをできるようにしたいのではなく、集団的自衛権の行使をできるようにすること、それ自体を目指しておられるのではないかと感じます。
たとえ限定的であっても集団的自衛権の行使を認める場合には、他国からの援助要請に応えるかどうか、個別判断を迫られる可能性が出てきます。少なからず安全保障に関わる外交交渉に関わってきた経験からすると、そうした交渉は生易しいものではありません。そのような厳しい外交交渉において、自公の妥協の産物であり、内閣限りで変更することができる閣議決定が、軍事行動への参加を断る盾の役割を果たすとは思えません。
安全保障の要諦は抑止です。戦後、わが国は、自国の安全と東アジアの安定のために、米軍に対して基地を提供し、1999年には周辺事態法を整備することで朝鮮半島有事の際に食糧の供給や輸送を可能とするなど、わが国の安全を脅かす勢力に対する抑止力を強化してきました。私は、周辺環境の変化に対応して、このアプローチをさらに一歩進めて、安全保障基本法を制定することでわが国の自衛権を再定義すべきであると考えています。
再定義される自衛権の中には、わが国の有事に直結する朝鮮半島有事への関与など、これまで個別的自衛権の範囲に入っていないものも含まれ得ます。しかし、それは依然としてわが国の自衛という目的を根本とするものである以上、その範囲が無制限に広がる危険性はありません。概念の本質的な部分と周辺的な部分を取り違えて議論を行うことは、国民を惑わすことにほかなりません。そのようなことにならないためにも、国会で十分に議論を尽くし、国民に正しい情報を提供したうえで、基本的な決定を行う必要です。
なお、国連憲章51条では、個別的自衛権や集団的自衛権を行使した場合の報告義務が定められています。仮に、わが国が再定義された自衛権を行使するような事態が生じた場合、わが国に国連への報告義務が生じます。これまでの各国の国連への報告を見ると、個別的自衛権と集団的自衛権の行使を一体的に報告しているものが多く、その形式も口頭によるものから書簡によるものまで様々です。仮にわが国が行使した自衛権が、国連憲章における集団的自衛権にあたるものであったとしても、国内法で定義された自衛権に該当することを明確にした上で、その内容を報告すれば国連憲章上の義務を果たしたことになります。
■民主党が果たすべき役割
民主党が取るべき立場は、単なる批判者ではなく、現実主義に根差した安全保障の議論を各党に促すことです。民主党は、単に政府与党を批判するだけではなく、具体的な提案するべき時期が来ています。わが国の自衛権を再定義する安全保障基本法の策定を目指し、党内議論を加速させるべきです。
自誓会は現実主義に根差した安全保障と危機管理の実現を目指します。本来、総理と国民は「説得する側、される側」という関係ではないはずです。今回の件に失望することなく、与野党が党派を超えた協議を行い、熟議を通じた国民合意を目指さなければなりません。