それでも皇室典範改正が必要な理由

私は、皇室典範を改正することで、制度として高齢譲位を位置づけるべきだと考えている。理由は主に三つある。

国会では、天皇陛下のご譲位の議論が本格化してきた。私自身は民進党の皇位検討委員会で専門家との議論を重ね、すでに基本的な考え方は公表している。先日、予算委員会でも正面から安倍総理の考えを質問したものと重なるが、改めて論点を整理しておきたい。

(象徴天皇の役割とは何か)

今回の議論のきっかけは、昨年8月8日の陛下のお言葉だ。私が最も感銘を受けたのは、「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」という部分だ。予算委員会で総理は、象徴天皇の役割とは何かという本質的な問題に答えなかった。

ちなみに、退位そのものに反対を表明している八木秀次麗澤大学教授は、有識者会議のヒアリングでの11月30日の発言「天皇はわが国の国家元首であり、祭り主として「存在」することに最大の意義がある」「8月8日のお言葉は、(中略)「存在」よりも「機能」(行為)を重視したもので、(中略)皇位の安定を脅かす」と陛下のお言葉を真っ向から否定している。

多くの国民、特に若い人たちの中には、東日本大震災の時に被災者に寄り添われた陛下の姿を見て、ありがたい存在だと感じている人が多い。陛下はご自身が疲れたので辞めたいと仰っているわけではない。高齢になると、象徴天皇としての役割を果たすことが難しくなるので、譲位が必要だとのお考えだ。陛下のお考えを忖度し、国民の天皇像を尊重するならば、制度として高齢譲位を認めるべきだ。

(天皇の人権について)

予算委員会では、批判を覚悟で天皇陛下の人権についても問題提起をした。案の定、質問の後、多くの抗議の意見も寄せられたし、議員間でも様々な意見が交わされた。陛下が、人権の享有主体である国民に含まれるかどうかは憲法学者の間でも争いがある。しかし、どちらの説に立ったとしても、象徴天皇としての役割を果たす上では、一定の人権の制約があるのはやむを得ないが、最大限の配慮がなされるべきであるとされている。

現実には、陛下には居住移転の自由、投票する権利、職業選択の自由はない。陛下および皇族の皆さんは、我々国民とは異なる不自由な生活をされている。私は陛下であっても思想良心の自由は保障されるべきだと考えるが、そうした内心を表現する自由はお立場ゆえに相当に制約されている。八木氏らの考えは、極めて制約が多い中で、深淵なるお考えに基づいて発せられた陛下のお言葉を無視するものだ。私の危機感は、こんなことを続けていたら皇室が存続しえなくなるのではないかという点にある。私の問いかけに対して、総理が天皇陛下の人権について全く配慮を示さなかったのには失望した。私は、わが国の「伝統」を守るために、天皇陛下はかけがえのない存在だと考える。我が国の伝統を守るためにも、あえて言いたい。陛下および皇族の皆さんの人権は最大限尊重されるべきだ。

(皇室典範の改正の必要性)

政府の有識者会議の論点整理の結論は保留されているが、中間報告では、恒久化については積極的な意見が10件しか示されていないのに対して、課題が23件示されている。また、今上陛下に限ったものとする場合については積極的意見が4件、課題が3件となっており、今上天皇に限定することを示唆するものとなっている。有識者会議の御厨座長代理は、昨年12月のインタビューで「会議発足の前後で、政府から特別法でという方針は出ていた」と答えている。天皇の地位は国民の総意に基づく(1条)とされており、そのあり方は、全国民を代表する国会で決めるべきだ(43条)。この発言は見過ごせない。

私は、皇室典範を改正することで、制度として高齢譲位を位置づけるべきだと考えている。理由は主に三つある。

第一に、陛下の高齢化は、今上陛下の「固有の事情」ではない。「一代限りの特例法という措置は、陛下の問題提起を蔑にするもの」という陛下のご学友の明石氏の指摘は重い。もちろん、天皇は国政に関する機能を有しないことには注意が必要だ。しかし、天皇というのは特別な地位であると同時に、陛下ご自身の人格そのものであり、ご家族のあり方そのものだ。この問題に関しては、陛下の思いを忖度して結論を出すべきだ。

第二に、特措法に「固有の事情」を書けば書くほど、時の政府与党がいつでも特措法を定めて譲位させることができることになり、天皇の地位の安定性を脅かす。この点は有識者会議の論点整理でも指摘されている。民進党は、「皇嗣が成年」「天皇の意思」「皇室会議の議」を満たした場合に限り、高齢譲位を認める提案をしている。

第三に、憲法との整合性だ。有識者会議のヒアリングで、京都大学の大石眞教授は「憲法2条で皇室典範という単一の名称まで特定した趣旨に合致しないおそれもある」と発言している。ちなみに、大石教授は憲法の改正に前向きで、集団的自衛権の解釈改憲にも理解を示していた保守派の憲法学者だ。仮に特別法で皇位の継承を定めた場合、天皇陛下の存在が違憲の疑いを指摘される可能性がある。このような事態は、絶対に避けなければならない。

仮に特別法を定めるにしても、最低限の皇室典範の改正は避けられないと私は考えている。まず、4条は「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とある。私は、今上天皇を例外的に捉えることには反対だが、仮にそうするにしても、皇室典範という憲法に明記された規範を無視し、特別法で例外を設けることがふさわしいかという問題がある。最低限、4条を改正して但し書きを設けるべきだろう。皇位の継承以外で一例を挙げると、「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする」と定められた皇室典範5条がある。皇族の範囲には、4条で予定されていない「譲位後の陛下」は含まれていないのだ。今上陛下が国民になられるということは考えられないので、5条を改正することで皇族の範囲を広げる必要がある。ここも、例外的に特別法で「譲位後の陛下」を位置づけるという考え方も法律論としてはありえる。しかし、これまで国民の為に人生をささげてこられた今上陛下を皇室典範に位置づけることなく、特別法で「例外的な皇族」とするなどということは、あまりに恐れ多いと私は考える。このような重要な問題を特別法だけで済ますというのは邪道であり、論ずべきは皇室典範の改正か特別法かということではなく、皇室典範をどのように改正するかである。

(皇室の将来について)

高齢譲位が認められ、皇太子殿下が陛下になられると、秋篠宮殿下が次の陛下としての地位に就かれ、次の次はお子さんの悠仁親王ということになる。問題は、悠仁親王に男の子が生まれないと、皇位継承者がいなくなることだ。小泉政権時の有識者会議で皇位継承資格者がいなくなる可能性を計算している。その考え方に従って、2100年に皇位継承者となる若い親王が存在している可能性はわずか25%に過ぎない。

女性天皇を認めるべきかどうかということについては、すぐに結論を出すことは難しい。しかし、秋篠宮殿下のお嬢様お二人が20代の半ばに入っておられ、愛子さまもやがてその年齢に達する現実を直視すると、天皇陛下、そして皇室を残すために、女性宮家の創設は緊急課題なのだ。仮に女性宮家が認められなければ、悠仁親王のご結婚相手にお世継ぎを生まねばならないというすさまじいプレッシャーをかけることになる。それこそ、深刻な人権問題だ。

悠仁親王に男の子が生まれなかった場合も、あくまで男系を維持する方法はある。旧宮家の皇籍復帰、もしくは天皇家への養子という方法だ。かつて安倍総理は、そうした提案をしていたことがある。現在もそうした考えを持っているのか質問したところ、「ひとつの選択肢」という答弁があり、驚いた。旧宮家の復活を望み、そこから陛下が誕生することを望んでいる国民がどれくらいいるのか。国民が親しみを覚えない天皇が今の時代に続くとは、私には到底思えない。

(これからの議論)

国会での議論はこれからが本番だ。各党間の意見調整が行われている。気がかりなのは、自民党内の議論が低調なことだ。さすがに、ここに来て石破茂議員が皇室典範の改正を主張し、河野太郎議員が旧宮家の復活に反対する意見を表明している。世界に誇れる天皇陛下という存在を守るために、国権の最高機関に身を置く責任を果たしたいと強く思う。

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