SNS上で互いをけなし合う女性たちに伝えたいこと

意地悪なコメントを投稿する前に、もう一度考えてほしい。
Getty

「あんなに顔を『加工』してるのに、どうやったら年より若く見えるって言えるのかしら?」。このコメントをFacebookで見かけた時、私の中で何かがプツンと切れた。

他の人のメイクに対する女性のコメントも見たことがある (濃すぎる、薄すぎる、年をとって見える、若すぎる、明るすぎる、など)。着ている服に関しては、「あなたの年でそれはないと思う」。そして体重については、「あんなに太って恥ずかしくないのかしら。彼女が選んだことだけど、褒められたものじゃないわね」。

はっきり言って、私は頭にきている。

私のような人たちが自分の外見や生き方を望む通りにする権利が、もっと広く受け入れられるように努力している中で、女性は互いにいがみ合っているという偏見を理由もなく広めてしまっている人たちがいることに頭にきている。

ネット上で人の外見についてケチをつけることに義務感を持っている女性たちは、面と向かってでも同じことが言えるのだろうか。

私の経験上、女性の外見について発言するときはたいてい直接伝えないものだ。裏でささやかれたり、校門で通りすがりに言われたり、証拠を消せるメッセージアプリ上でつぶやかれる。そのようにオープンにけなし合っているのはSNS上だけだ。こうした女性の対立は、どれもたいてい「私には意見を表明する自由がある」と正当化されてしまう。

いつから私たちはこんなに意地悪になったのだろうか、と私は聞きたい。しかし、そのような中傷の広まり方を見ると、「どうやったら今すぐにこんなことをを止められるのか」と聞きたくなってくる。

これはいじめとしか言いようがないし、なぜこんなに中傷合戦が繰り広げられているのかを考えなければいけない。結局SNSは社会そのものでしかないのだから。

性差別もその一例だ。何百年もの間、女性の本当の価値はその人の外見、子作りをする能力と社会階級で判断されてきた。"可愛いほど、そして社会に受け入れられているほど貧困を経験する可能性が低い"とされてきた社会通念があるので、女性vs女性という文化があることにも納得がいく。

アメリカでは、この50年ほどの間、女性はより多くの自由を手にしてきた。私たち女性は自分で働き、自分で自分のお金を管理し、自分の家を購入し、父親が決めた相手ではなく、自分の愛する人と家庭を築くことを選ぶ。だとしたら、なぜ私たちは互いを残酷に蹴落とし合うことに夢中になっているのだろうか?

ネット上の掲示板やSNS上のコメント欄を何時間も読み続けていると、女性たちが色んなことで攻撃しあっているのがわかる。誤解しないでほしいが、私は言論の自由を取り締まろうとしているのではない。私だって議論をするのは大好きだ。女性への一般的な偏見を覆すのには率直に語り合うことが欠かせない。

私は「アンチ・エイジング」とは逆に、年をとることを肯定する「プロ・エイジング」を推進してきた。誰からも間違っていると指摘されずに、自分の年の重ね方は自分で決めるべきだという考えを持って生きることが重要だ。

これまで互いの意見が合わない女性たちとたくさん話をしてきた。しかし、それぞれの意見が合わなかったとしても、それは決して傷つけ合うという意味ではない。「あなたの選んだ外見はおかしい」と外見そのものを否定することと、「その外見を選んだあなたがおかしい」と人格まで否定することは全く違う。

言い訳は無用だ。

私たちは、そういった意地悪なコメントに傷ついてしまう女性がいるのを心に留めておかなければならない。

正しいことを理解して、謙虚に付き合えば、物事はうまくいく。しかし、人の気持ちを考えなければ、自分たちを失望させるだけでなく、女性たちの足を引っ張ることになるのだ。

互いをけなし合う女性たちに言いたい。これからはSNSに投稿する前にもう一度考えてほしい。意地悪なコメントを載せる前に、それが自分や自分の娘、母親に向けたものだったとしたらどう思うだろうか?

ハフポストUS版のブログを翻訳しました。

注目記事