チェコの大学生活からグローバル化について考えたこと

チェコでの学生生活の中で、自分が"日本人"であると自覚する出来事を度々経験しました。

私はチェコの医学部のインターナショナルコースに所属している現在二年生の大学生です。チェコでの学生生活の中で、自分が"日本人"であると自覚する出来事を度々経験しました。また、"外国人である"故に怖い思いをしたこともあります。

日本は2020年のオリンピックへ向け外国人の誘致に取り組んでいます。2017年には国際的な医療人材の育成を目的とした国際福祉医療大学が開設する予定で、グローバル化に拍車がかかっています。私は留学生活を通して、グローバル化していく世の中では、自国の文化を知り、他の文化に興味を持つ事が大切だと考えるようになりました。

バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。この事からも分かるように、ヨーロッパは陸地続きの土地柄、島国の日本と比べて民族主義の影響を受けています。1960年代、チェコはチェコスロバキアとして存在し、ソ連の衛星国でした。

当時の首都・プラハでソビエト大使館付属学校に通っていた米原万里さんの著書『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』から当時の様子を垣間見る事が出来ます。作中では著者の3人の友人だった、ギリシャ人・ルーマニア人・ボスニア人の少女達の消息を辿る様子が描かれています。作中からは当時のヨーロッパの雰囲気や、彼女達の日常生活や人生に民族主義が影響を及ぼしていたことを読み取る事が出来ます。そして三人は出身地(所属民族の国)とは異なる地で生まれ育っています。

大学内には彼女達のように、育った国と出身が異なる友人が多いです。彼らに共通しているのは、所属民族に対して誇りを持っている点です。UKで育った人だとしても、英語以外に出身地の母語を話せる人がほとんどです。渡航直後は、彼らが自身の出身に対し誇りを持っている事が理解できませんでした。

所属民族に対し誇りを持っている背景には、彼らが"ある民族に属している"という自覚を持っていることが関与していると思われます。渡航直後の私は、自分が日本人であるという自覚はありませんでした。海外で生活をしているうちに徐々に自分の所属を意識するようになりました。

初めて自分が日本人だと意識した最初の出来事は、入学試験の時でした。私の通うパラツキー大学は入学試験のために大学の先生が来日します。昨年は5人の受験生がいましたが、驚いた事に、試験監督である先生が試験開始数分後に教室の外に出て行きました。

私は日本の大学入試も経験していますが、日本では不正行為に対して厳重に対策されていました。試験後、なぜ退出したのか尋ねてみると、このような回答が返ってきました。「日本人と台湾人はカンニングをしない。試験官がいると緊張するだろうから、教室の外に出た」と。

大学は、日本人はまじめに勉強するからもっときてほしい、と主張しています。入学後も大学では「日本人」に対し好感を持つ人が多い事も度々実感しています。

ある時、チェコ語の授業中にレントゲン(ドイツ語)を自国の言葉どう呼んでいるか話題になったことがあります。日本では、医療用語にドイツ語が少し使われているという話をしました。その話の後に、ポーランドの子に日本はドイツと仲が良いから、と言われました。発言した子はただ茶化していただけなのは分かっていましたが、私は第二次世界大戦のことを思い出し気まずい気分になりました。日本人として歴史を意識した出来事でした。

ヨーロッパは植民地を多く所有していた歴史もあり、人の行き来が日本より盛んです。この歴史背景の影響は、異文化に対して寛容な面がある反面、人種差別が身近な問題として存在している点に現れていると思います。チェコで生活する中で、日本人だから、と特別に差別された経験はないです。でもそれは、日本で育ったため、人種差別を意識したことがなく気づきにくいのかもしれません。

人種差別が身近に存在することを知った出来事がいくつかありました。私の住むオロモウツでは黒人やイスラム教の人が石を投げられる事件が過去に発生しています。大学内には宗教の関係でスカーフを頭に巻いている女性も複数います。彼女達のように見かけで別の人種だと分かる人が攻撃の対象となりました。

そして同級生の中には些細な事に対して人種差別だ、という人もいます。例えば、電車の乗車賃の割引に対してです。ISIC割引(外国人学生への割引)よりチェコ人学生への割引の方が安かったため、racismだと主張していました。

また、私がポーランド旅行時、バスに乗せてもらえなかった話をしたときも、それはracismだ、と言われました。私はバスを間違えていたので乗せてもらえなかったのだと思っていました。友人に指摘されて、英語で話したから乗せてもらえなかった可能性もあったことに気がつきました。この友人はインド育ちでUKに移住した人なので、人種差別には敏感なのかもしれません。

また、EUによる難民受け入れの政策に対しての抗議活動が度々プラハやオロモウツでありました。オロモウツはチェコ国内で6番目に大きい都市で、人口は約10万人です。日本の都市で比べてみると、宮沢賢治の出身地である岩手県花巻市の人口に近いです。こぢんまりとした田舎の都市で治安もよいです。

しかし、2015年10月31日と11月7日、2016年10月7日にメインの広場で移民への抗議活動がありました。2016年5月13日にはネオナチの集会が公園で行われました。大学から、外国人学生は活動日に広場や公園には近づかないように、と警告がきました。

これらの活動は、自分がチェコでは外国人であると強く意識した出来事でした。そして人種によって攻撃対象となりうることの恐怖を初めて、少しではありますが実感しました。民族主義の考えを強く持ちすぎ、他者への理解を欠いてしまう場合、このような排他的な姿勢(人種差別)も出てきてしまうのだと思います。

大学内では異なる文化を持った学生同士が互いを尊重し合っている場面が見受けられます。イベントで出される食事や学食のメニューは宗教の関係上食べられない食材がある人がいることを考慮して用意されます。友人と食事に行く時は食べられない食材を確認し合います。

同級生は日本の文化に興味を持っている人が多く、日本語を教えてほしいと言われる事も多いです。また、私の在籍するパラツキー大学には日本語学科があり、そこに在籍するチェコ人と交流する機会もあります。彼らの多くが、「日本語の響きがきれいだから日本語を学び始めた。」と言っていました。

同級生やチェコ人との会話の中で、文字(漢字、ひらがな、カタカナ)やオトマノペ、言葉遊びについて度々話していました。日本語を紹介しているうちに、日本語は独特な言語であり、素敵だと思うようになりました。なぜ、彼らが日本の文化に興味を持つのか尋ねてみることで、日本の文化に関して新たに知ったこともありました。

日本にいると、他の文化にふれる機会が少ないせいか、違いを意識することがあまりないように思います。多文化が溢れる環境に身を置いたことで自国の文化を見つめ直す機会を得られました。その結果、日本のことをもっと知り、何か尋ねられた際は答えられるようになりたいと思うようになりました。これらの経験を通して、違いを認識し受け入れていこうとすることで、自分の所属民族への誇りも生まれるのだということが分かりました。

それと同時に、自国の文化に興味を持ってもらうことの嬉しさも知りました。そのことに気づいてから、私は相手の国について普段から機会があるとき、尋ねるようにしています。尋ねると、皆嬉しそうに話をしてくれます。

互いの文化に興味を持つ事で、名前一つでも話は広がります。自分の名前に使われている漢字が持つ意味を教えたり、相手の名前の音に漢字をあてはめてみたりすることができます。話し相手が台湾人ならば、中国語ではこの漢字はこういう意味だ、と教えてくれます。

出身がインドのUKから来た人ならば、ヒンドゥー語ではどう書くのか教えてくれます。大学内の同じ勉強グループの人は、毎日日本語で挨拶してくれ、私はそれがとても嬉しいです。私も挨拶やお礼を出来る限り彼らの母語で覚えて返すようにしています。

ヨーロッパは多文化共生の実現と人種差別が身近に存在している地です。この環境に身を置き経験したことを通して、冒頭で述べた考えにいたりました。私は、グローバル化していく世の中でコミュニケーションを取る際は、自分のことを知り、相手に興味を持ち理解しようとする姿勢が大切だと考えています。これは、今後日本が外国人を受け入れていく上でも、日本人同士でコミュニケーションを取る上でも、大切なことではないでしょうか。

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