『医療の届かないところに医療を届ける』
これは私たちNPO法人ジャパンハートのモットーだ。
こんな当たり前のことがモットーになると、始めは思わなかった。
しかし、ジャパンハートに毎年参加してくる数百人の人たちの参加志望動機書にも、スタッフたちの発言にもそのモットーをよく見かける。
「医療の届かない場所」など世界中に腐るほどあるし、この先進国日本だって、そんな場所はあちらこちらにある。大都会東京にさえ、まともに医療を受けることができずにいる人たちが、数え切れないくらいに存在している。
だから、あえてそんな当たり前すぎることを口にするなど、必要もないはずだった。
私がこの言葉をもともと使った動機は、がんの子どもたちとその家族のためだった。
日本のがんの子どもたちは、今では随分と救命率が改善されてきているとはいえ、かなり過酷な運命を背負わされている。助かればいいけれども、不幸にもそうでない子どもたちはたくさんいる。
結果的に助からないのならば、治療で辛い思いをするばかりでなく、その生きている期間にそれなりの楽しいことも経験してほしい。
しかし、どの子が助かりどの子が助からないかは、神のみぞ知る世界で私たちに結果はわからない。がんの子どもたちは、多くは母親が面倒を見てずっと長い期間を乗り越えていく。その子どもの兄弟姉妹は、病院にお見舞いに行ってもなかなか患児に会うことはできない。
抗がん剤の副作用で免疫系が低下している子どもに、風疹や水ぼうそう、はしか等を持っている可能性がある別の子どもを接触させることは致命的な結果を招く恐れがあるからだ。
患児の兄弟姉妹たちは、母親と過ごす時間は激減し、多くの時間を父親や祖父母と過ごすことになる。その期間が長期間に及ぶのだ。
それでも助かればいいけれども、運悪く亡くなってしまう子どもは最期まで兄弟姉妹との十分な接触が難しくなってくる。
日本で小児がん治療に関わっていた時、私は患者ばかりを見ていて、患者の家族やその兄弟姉妹の大変さまで思いを馳せることができなかった。
ここまで視点を広げ、患児やその家族をケアーすることが治療に値するのだろうと、遅ればせながら気付いた。
だから、私にとっての「医療が届かない場所」というのは、物理的に離れた場所や物理的に医療行為が成されていない場所を指すのみならず、医療者の意識の中に未だに認識されていない精神的な場所をも指していた。
そうしてこのモットーを使い始めたのだが、多くの人たちにとってはそれはやはり物理的な場所を未だに指す概念であるようだ。
ところで、このモットーを使うときに多くの人が全く勘違いしていると思うことがある。
かつてジャパンハートは、頼まれてネパールの標高4,000メートル以上の場所に診療をしに行ったことがある。そこはもちろん、「医療が届かない場所」だと思う。
あるいは、現在でもラオスの山岳部、中国との国境地域に手術や診療をし行っている。もちろん、私たちが行けないような紛争地域、アフリカのどこかなど、世界中には多分私たちが治療に行っている地域よりも、もっと医療が必要とされている、物理的に医療が届かない場所が無数にあるはずだ。
しかし、多くのスタッフも多くの参加者も、このモットーを使うときに大きく欠損している概念がある。
多くの場合、このモットーを使うときに意識されているのはその医療が届いていない人々の姿や地域のイメージだろう。
私たちにとっての患者の利益は、一般企業であれば、まさに顧客の利益であり、もっというと売り上げそのものを意味するのかもしれない。だから、それを最高にするために努力するのは、悪いことではない。
対象がお金ならば気付きやすいのかもしれないが、対象が患者たちの健康ということになると、霞がかかって見えなくなる。
「患者のために」「患者様のために」という言葉は今や多くの人々には嘘くさく聞こえ、聞き飽きるほどの言葉だが、なぜそれが嘘くさくてもこれほど垂れ流されるかといえば、それが全ての人にとって絶対的な"錦の御旗"になるからだ。
命は大切だというのと同じくらい当たり前で、否定できない、してはいけない概念なのだ。お金儲けだけを追い続ける様な企業活動ならば、何度も足元を見る必要を感じるが、患者のためといわれれば、足元を見るという行為を怠ってしまうし、なんでもなし崩しになる。
『医療の届かないところに医療を届ける』
実はこの言葉の中には二人の主人公が存在する。
もちろんその一人は、医療を受け取る患者たちである。
もう一人は、医療を届ける側の人たちだ。
「医療の届かないところに医療を届ける」というモットーが最高の状態というのは、医療を届ける側と届けられる側のバランスが過不足なく最高の状態に達したときだ。
まさに、おもりが釣合ったときのような均衡の取れた状態のイメージだ。患者の利益が最大化するポイントが、このモットーが最高の状態であるわけではない。
患者に最高の利益を与えたとしても、医療者が疲弊してしまったり、命を失ったりしてしまってはこのモットーは最高の状態にはならない。
だからこのモットーの元では"患者のため"という掛け声は完全な錦の御旗ではありえない。
医療を届ける医療者が過度に疲弊することなく、過度の危険にさらされることもなく、医療を行えるというポイントでたたき出す最高の患者利益がこのモットーが目指すところとなる。
企業活動でいうともっと分かりやすい。
患者の利益は、企業の売り上げ。
医療者の状況が、労働者の状況と置き換えてみる。
企業利益を最大化したとき、労働者が過度に疲弊していたり、危険に晒されている企業というのは、今の言葉でいうと、ブラック企業と呼ばれている。
「医療の届かないところに医療を届ける」というモットーを実行する者は、患者のこと、そこで働く医療者のことを同じくらいに大切にしなくてはいけない。
そのバランスを上手く取れないと、 やがて時間が経てば、医療を届けていた場所に医療が届かない状況に陥る。
私たちの活動は結果、その両者のバランスを取りうる最高の状況を目指した場所で行われているに違いない。
それが、ミャンマー、ラオス、カンボジア。
日本の離島や東北。
そしてがんの子どもや家族への企画ということになるのだろう。