日本人は「歴史的に」グローバル化に適している?

最近、「日本人は、その歴史や生い立ちからして、グローバル化に適しているのではないか」というディスカッションをすることがありました。
Hikaru Adachi

最近、「日本人は、その歴史や生い立ちからして、グローバル化に適しているのではないか」というディスカッションをすることがありました。根拠は2つ。

(1) 地理的特性に起因する、多様な価値観を受け入れる能力

もともと日本は豊かな自然があり、全てを与えるのも(収穫、等)、奪うのも(災害、等)、「自然」であるという価値観を持っていました。日本は「自然」を崇拝する多神教だったわけです。

加えて、日本はユーラシア大陸の東端に位置していることもあり、全ての東洋思想が集結しました。日本古来の神道や、自然を敬う価値観は、いわゆる宗教では無かったこともあり、海外から押し寄せた宗教や価値観を受け入れ、日本特有の「儒仏道禅神道」が全て混ぜ合わさって調和している価値観・文化となっています。

神道が「いわゆる宗教ではなかった」というのは、日本古来の多神教も神道も、現在の「宗教3原則」、すなわち、教祖がいること、教典があること、他宗教を排撃すること、には当てはまらないので、「宗教」と定義していいかどうかが微妙だからです。

詳細には異論はあるかもしれませんが、地理的特性のおかげもあり、日本(日本人)の歴史的な特性のひとつは、多様な価値観や文化を受け入れ、調和させることができることです。これはつまり、「グローバル人材」などの定義で頻繁に出てくる、「多様性を受け入れることができる人材」そのものであり、西欧の価値観・文化だけではなく、アジアや南米、東欧や中東、アフリカといった「新しい」価値観や文化が台頭してくるであろう今後の世界で、その異なる価値観を対立すること無く調和させ、ブレンドしていく役割として、まさに日本人(というか、日本で教育を受けて育った人。国籍は実は関係なし。)が最適なのでは、という考えです。

(2) 陰陽の考え方

日本だけではなく、東洋の根本的な考え方のひとつに、陰陽があります。この陰陽の基本的な考え方は、陰と陽は補完する関係であり、対立する関係ではない、ということです。これは相矛盾する問題に対して、西欧的な二元論(善と悪や勝ち負け)ではなく、両方とも活かそう、とすることに他なりません。欧米で有名な書籍である「7つの習慣」にも、「自分と相手のどちらかの主張を通すのではなく、両方が満足できるような案を模索せよ」といった内容が「ウィン・ウィンの法則」として紹介されていることからも、欧米では「双方を立たせる」ことは一般的な考え方ではないことがわかります。

このような「双方を立たせる」陰陽の考え方を根本に持つ日本人は、いろんな対立的な意見や利害関係があるグローバルの舞台では、関係者全てを満足させることができるような解決策を模索・提示する「まとめ役」には、適任なのではないか、という考え方です。

いわゆる世界に知られている日本人の特性(ブランド)としては、ホスピタリティー(礼儀ただしさ)、品質、正確性、等がありますが、それらに加えて、異なる価値観・利害の調整役としての特性があるのではないか、という議論でした。日本人が世界で活躍していくことを目指す中で、確かに一つの方向性だな、と考えさせられました。

西欧的な、ビジョナリーでグイグイ引っ張っていくリーダー像だけではなく、調和の中から良さを引き出す調整に長けた「調整型」リーダー像が、西欧でも東洋でもない新しい価値観が出てくる今こそ、世界で必要とされているのではないか? 日本人がグローバルで活躍していくための将来像として、確かにありですね。

GAISHIKEI LEADERSは、外資系企業での仕事等を通じて日々グローバル社会とかかわってきたメンバーが、自らの『和魂洋才』を一層磨き上げ、社内外で活用し、グローバル社会と調和した、開かれた元気な日本の未来を実現することを目指し、設立されたコミュニティ・プロジェクトです。『和魂洋才』の梁山泊となり、日本社会・日本企業の多様性の欠如や視野狭窄、長期停滞等の課題に対して、新たな視点での解決策を提案し、政治・経済・教育の各分野から日本社会に変革を起こしていくことをゴールとして活動を展開しています。

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