月経不浄視が少女の命を奪う。ネパールの「チャウパディ」

他文化を尊重すべきという意見もあるが、そこに不浄視や差別が存在する以上、「文化」とは呼べない。

ネパールで、月経小屋に隔離されていた少女が、毒蛇にかまれて死亡した。同地では以前にも、月経小屋で暖をとっていた少女が煙にまかれて窒息死したり、脱水症状に陥った少女が手当てを受けられずに亡くなったりしている。

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【7月10日 AFP】ネパール西部ダイレク(Dailekh)郡で先週末、生理中の女性を隔離するヒンズー教の慣習に従い、屋外の小屋で過ごしていた18歳少女が毒蛇にかまれて死亡した。当局が8日に明かした。

ネパールの一部地域では、月経中の女性を不浄な存在だとみなすヒンズー教の古い慣習が残っている。地方によっては、生理が終わるまで小屋での寝泊りを強いることもある。

(中略)

このヒンズー教の慣習は「チャウパディ(Chhaupadi)」と呼ばれ、ネパールでは10年前に禁じられた。しかし、特に同国の西部地域では、いまだに根強く残っている。

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月経中の女性が穢れているという考え方は、ヒンドゥー教に限らず世界中の宗教に見られ、月経小屋の慣習も世界各地に存在する。

『旧約聖書』のレビ記第15章には、「女性の生理が始まったならば、7日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている。生理期間中の女性が使った寝床や腰掛けはすべて汚れる。(中略)もし、男が女と寝て月経の汚れを受けたならば、7日間汚れる。またその男が使った寝床はすべて汚れる」とある。

また、『クルアーン(コーラン)』雌牛章にも、「それ(月経)は不浄である。だから月経時には、妻から遠ざかり、清まるまでは近づいてはならない」とある。

日本では、平安時代に「血の穢れ」が制度化され、貴族社会から徐々に一般社会へと広まった。

一般社会への影響力が最も強かったのは、室町時代に中国から入ってきた「血盆経」という偽経である。

女性は月経や出産の際に、経血で地神や水神を穢すため、死後、血の池地獄に堕ちるが、血盆経を信仰すれば救われるという内容で、仏教各宗派が女性信者を獲得するため積極的に唱導を行った。

月経小屋の慣習も日本各地に見られたが、江戸時代に積極的に血盆経の唱導を行った宗派の勢力が強かった地域に、より多く確認されている。

記事中に、ネパールでは10年前に月経小屋の慣習が禁じられたとあるが(正確には2005年)、日本では近代化を急いでいた1872(明治5)年に、「血の穢れ」に基づく慣習が正式に廃止された。たまたま大蔵省を訪ねた西洋人が、幹部が妻の「産の穢れ」を理由に欠勤していることに驚き、抗議したことがきっかけだと言われている。

月経小屋の慣習が廃止されたことについて、当時の女性たちの「タヤ(月経小屋)におらいでもよくなったのは、神様が往生して罰をあてなくなったのだろう」「はじめのうちは、おとましいようで心がとがめた」といった聞き書きが残されている。

しかしネパール同様、日本でも長い間続いてきた慣習が一気に解消されることはなく、地域社会に残存した。福井県敦賀市白木では、1960年代半ばまで月経小屋が機能しており、食事と経血の手当ては小屋でしなければならなかった。

女性史研究者の田中光子は、1977年に敦賀市白木を訪れ、50代から70代の女性たちに月経小屋や産小屋についての聞き取り調査を行っている。

彼女たちが実際に経験した月経についての慣習は、神棚への供物の禁止、神社への接近の禁止、乗舟の禁止、月経期間中の1週間は食事を家の外でとらねばならないというものだった。軒下や玄関先で食事をしていると、男児たちに指を差されたり蔑みの言葉を投げられたりして、「かなしかった」と回想している。

当時すでに月経小屋に隔離されることはなくなっていたが、月経期間が終わると湯を持って小屋へ行き、身を清めなければならなかった。月経中だからといって労働が軽減されることはなく、家事育児、肥料を担いでの山越え、鍬を振り上げての株抜き、畦作り、水汲みなどを普段どおりに行った。

また、「月経中は穢れているので、海神の怒りを買う」という理由で、戦前は全国的に見られた乗舟禁止の慣習が、白木では戦後も続いていたため、普段であれば舟でいける場所へ、月経中は荷物を背負って山を越えなければならなかった。

福井県敦賀市色浜で使われていた産小屋兼月経小屋(撮影:はくのともえ)

月経小屋の慣習について、「日々の重労働から解放され、体を休めることができた」「人目に触れなくなることで、経血の流出に煩わされずに済んだ」「女性だけが集まる場所で、性についての知識を継承することができた」という肯定的な見方もあり、実際に、「タビグラシ(他火暮らし・月経小屋で過ごすこと)が楽しかった」という記録もあるが、少なくとも白木には当てはまらない。

現在もネパールだけでなく、世界各地に「血の穢れ」を根拠とした差別的慣習がある(日本でも"伝統的文化"の中で生き続けている)。他文化を尊重すべきという立場から、こうした慣習について云々すべきではないという意見もあるが、そこに不浄視や差別が存在する以上、「文化」とは呼べない。

参考文献)

成清弘和『女性と穢れの歴史』塙書房

瀬川清子『女の民俗誌』東京書籍

田中光子「白木の産小屋と出産習俗――日本海辺二つの習俗調査対比から」『女性史学』第11号

沖浦和光・宮田登『ケガレ――差別思想の深層』解放出版社

(2017年7月15日「田中ひかるウェブサイト」より転載)

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