森元首相による浅田真央選手への「放言」「暴言」。NHK会長の発言と同じ"根っこ"が見え隠れする

安倍政権の意向を受けて組織のトップに座った人物の「暴言」は森元首相に限らない。NHK会長に就任して最初の記者会見で好き放題を語った籾井勝人氏も同様だ。アメリカ政府への「失望」をYouTubeにまでアップした衛藤晟一首相補佐官。アメリカの新聞に自分の歴史観を示した本田悦朗内閣官房参与。共通しているのは、その立場にいる間はその人物が「言ってはいけないこと」が分かっていない点だ。

ソチ五輪のフィギュアスケート女子、浅田真央選手のフリーの演技に感動した人は少なくないだろう。

ショートプログラムでのジャンプでの失敗の末の16位という惨憺たる結果から立ち直り、トリプルアクセルを始めとするすべてのジャンプを成功させた。

メダルには届かなかったけれども、開き直って原点に戻った心を打つ演技だった。

演技が終わった直後に彼女が顔を崩して涙をこらえて天を仰いだ瞬間、テレビを見ていた多くの視聴者が思わずもらい泣きした。

たとえ結果が伴わなくても、夢に向かって努力する人間の美しさや強さを伝えてくれた。

自己ベストで6位に入賞。

「今まで支えてくれた人に恩返ししようと思って演技しました」。

終了後の彼女の言葉は、結果だけがすべてではないスポーツの素晴らしさを伝え、胸に響く。

それなのにー。

「あの娘、大事なときには必ず転ぶんですよね」

「負けると分かっている団体戦に浅田さんを出して恥をかかせることはなかったと思うんですよね」

森喜朗元首相の言葉だ。

森元首相は、安倍首相の要請で「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会」のトップである会長に就任している。

トリプルアクセルが成功すれば団体戦で3位になれると、淡い期待を持って浅田選手を出場させた、と協会を批評。その団体戦での浅田選手の演技についても、森元総理は「見事にひっくり返った」と重ねて発言しました。

出典:TBS ニュース

浅田選手のショートプログラムが終わり、これからフリーの演技に挑むというタイミングでの発言だ。

まだ競技が終わっていない段階なのに、日本のオリンピック関係者のトップといえる人物が選手や協会の戦術について、批判している。

アイスダンスのキャシー・リード、クリス・リード組に関しても以下のように語っている。

「日本は団体戦に出なければよかった。アイスダンスは日本にできる人がいない。(キャシー・リード、クリス・リードの)兄弟はアメリカに住んでいるんですよ。(米国代表として)オリンピックに出る実力がなかったから、帰化させて日本の選手団として出している」

出典:産経新聞

日の丸を背負って出場する重圧のなか戦う選手たちにとって、なんと無神経な言葉だろうか。

なんと「上から目線」の言葉だろうか。

詳しくは知らないが、リード兄妹にしても日本側の都合で「帰化」したのだろうか。

彼らには彼らの事情や葛藤があったはずだ。

報道された発言を聞く限り、選手という存在はメダル数などの結果をもたらすための「道具」でしかないと言っているようにも聞こえる。

浅田選手からすれば、外国選手と戦っているさなかに背後から矢が飛んできたようなものだったろう。

未明からニュース番組などで繰り返されている浅田選手のフリーの演技の映像。

その清々しさに心洗われる一方で、元首相の無神経な発言には暗澹たる気持ちにさせられる。

そんな人は少なくないに違いない。

それにしても、安倍政権の意向を受けて組織のトップに座った人物の「暴言」は森元首相に限らない。

NHK会長に就任して最初の記者会見で好き放題を語った籾井勝人氏も同様だ。

アメリカ政府への「失望」をYouTubeにまでアップした衛藤晟一首相補佐官。

アメリカの新聞に自分の歴史観を示した本田悦朗内閣官房参与。

共通しているのは、その立場にいる間はその人物が「言ってはいけないこと」が分かっていない点だ。

アメリカを始め、他の国との間でハレーションが起きれば、それは政府の足を引っ張って国益を損なう。

「言ってよいこと」と「言って悪いこと」の区別がついていないのだ。

森元首相の場合は、国を挙げて成功させなければならない東京オリンピック組織委員会のトップとして、現在行われている競技の足を引っ張ぱらないのは最低限の責任だ。

五輪が終わってからの全体の総括の場ならまだしも(その場合でも組織委員会の会長が個々の競技種目の戦略にまで口を出すのはいかがかと考えるが)、 まだ戦いの真っ最中だ。

少なくともこれからフリー演技を控えていた浅田選手に言うべき言葉ではない。

自分の「立場」というものをどう考えているのだろうか。

NHK会長になった籾井勝人氏も、公共放送のトップとして、その組織の放送の公正さが疑われるような発言をすべきではない。

組織で働く人間たちが会長の意向を先取りして放送の内容に影響を与えかねない発言はすべきではない。

その組織にふさわしい品位と見識を醸し出しながら、組織の仕事について説明するのが、記者会見などにおける組織のトップの役割だ。

自分から「オランダの飾り窓」(売春街)に言及するなど、当時国からすると礼を失したような発言などは、個々の人間たちの経緯や事情を軽視して「上から目線」で一律に解釈しようとする点で、森元首相のリード兄妹への発言とも共通する。

自分の個人的な見解がどうであれ、就任の記者会見という公的な場で他の国との間で軋轢を生む発言をあえてする必要はない。

それが大人としての、組織人としての「見識」だろう。

そういう意味では、森氏も籾井氏も自分の立場が分かった上で発言をしていない。

2人に共通する暴言・放言の理由ははっきりしている。

「自分の後ろには政権がバックについている」というおごりだ。

森発言も籾井発言も、かつてならそれだけで「辞任モノ」だろう。

だが、森元首相も籾井NHK会長も辞任には至らないだろう。

理由その1として、彼らの任命に責任がある安倍政権そのものが容認しているからだ。

籾井発言も菅義偉官房長官が「個人として発言したと承知」「会長としてであれば(発言を)すべて取り消すと言っているので問題ない」と容認する姿勢を示している。

その背後にある思想という点で共通する部分がかなりあるからだろう。

理由その2として、マスコミ各社がこうした放言に寛容な点だ。

安倍政権への親近感が最近の報道から透けてみえるNHKや読売新聞などが大きく扱うことはない。

また森元首相の発言について言えば、最初に報道したのがTBSで、森元首相が浅田選手について「大事なときには必ず転ぶ」などと発言した講演の映像を持っているのもTBSだけと思われる。そうなると映像を持っていない他のテレビは「何もそこまで揚げ足を取らなくても・・・」という冷ややかな姿勢になりがちだ。素材を持っているかどうかや最初にどこの会社が報じたのかを横目で見て、対抗意識で報道するしないや報道する際に大きく扱うかどうかが決まるのもマスコミの現実だ。

さらにマスコミのそうした寛大な姿勢にも助けられて、国民の間でも籾井発言や森発言を問題視する声は多数にはならないだろう。

もともと政治家や組織トップの「言葉」が、欧米に比べれば、軽く扱われる民族だ。

いったん発言したことも、後から「取り消す」と言って済むと思っている人が少なくない国民性だ。

これからも政権中枢に近い人たちや政権に任命された人たちの「暴言」「放言」は後を絶たないのだろう。

それにしても、いつから日本国民はこれほど「暴言」「放言」に寛容になってしまったのだろう。

言い換えれば、言葉に鈍感ということでもある。

今もちょうど放送されている浅田真央選手のフリーの演技と終了後の涙。

この映像を見て目頭が熱くなるたびに、デリカシーを欠いた五輪組織委員会の会長の言葉を許せないと感じるのは私だけなのだろうか。

(2014年2月21日「Yahoo! 個人」より転載)

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