「明日、ママがいない」 日テレの掲示板に"掲載されなかった声"が多数 それはどんな声だったのか?

日本テレビの「明日、ママがいない」の番組ホームページでは、こうした、番組を支持する声のオンパレードだ。一方で、里親や児童養護施設の関係者からは、番組ホームページに「放送してほしくない」「子どもたちを傷つけるので止めてほしい」と投稿したが、載らなかったとする声が相次いでいる。

いろいろな批判がありますが、最後までやってほしいです。お願いします。毎週見ます。

批判などの意見も多いようですがどうか最後まで放送して欲しいです。。

どうか最後まで放送してほしいです。

色々、問題があるようですが、最後の最後まで頑張ってください。

日本テレビの「明日、ママがいない」の番組ホームページでは、こうした、番組を支持する声のオンパレードだ。

一方で、里親や児童養護施設の関係者からは、番組ホームページに「放送してほしくない」「子どもたちを傷つけるので止めてほしい」と投稿したが、載らなかったとする声が相次いでいる。

テレビ局が自分に都合の悪い意見は載せないのであれば、たとえ娯楽番組であっても報道機関としての公平性が疑われる。

ご都合主義と言われても仕方なくなる。

というわけで、日本テレビの番組ホームページだけを見ていても、本当は人々がどういうふうに感じているのか公平に判断できない。

そこで、私のもとに送られてきた「番組ホームページに投稿したのに載らなかった投稿」を集めてみることにした。

これらをしっかり読んで、今回の問題について考える参考にしていただければ、と願う。

日テレの番組のHPへの投稿が、何度も「無視」されました。17日に投稿した3通が、現在も掲示板にないことを確認しました。私だけではありません。掲示板の投稿を読んでみてください、否定的な意見は皆無で、公平ではないです、確信犯的な操作性を感じます、これはヒドイと思っています。ぜひこの点についても書いてください。お願いします。

私が放送後に日テレに送ったのは、「里親や施設が極端で現実離れしていること。不愉快。見たくない。」というような内容でしたが、投稿閲覧には好意的な感想しか載せていませんでした。次の日も見ましたが(載っていません)。最近は閲覧も見ていませんけど。

「明日、ママがいない」の掲示板に投稿しました。掲載がないので、以下、お伝えします。

私は親に捨てられた経験があります。親の勝手で父の元へ行ったり、母の元に行ったり。継母、継父のいる環境で、子どもらしいわがままを言えず常に他人のいる状況で気を遣って育ってきました。

食後のお茶も、飲まなくて言いと怒鳴られ、叩かれ、一人部屋に戻されました。学校では勿論いじめられていました。実母は、あなたの人生小説に書けば?などと気楽に言います。そんな親の元に産まれる子どももいるのです。

幼少期の経験は人格を形成します。

子どもはこのドラマのように強く生きてゆく事などありえません。常に傷つき、身を削るようにして生きてゆきます。親に捨てられたのですから。

主人公の子どものようになることはあり得ません。たいしたことないわけがないのです。親に捨てられたり、親が無責任だったりした子どもは、常に傷ついています。忘れて楽しい経験を積み重ねることが必要です。

その為に心ある大人が人生をかけて頑張っています。幸せな人たち、何故ドラマがいけないのか理解できない程幸福な大人たちの娯楽のために、その努力を根こそぎ破壊する威力のあるドラマの放送には反対します。

要するに、理解できないで作っているわけです。

たまたま幸福な大人たちは、たまたま不運になった人たちに無関心で、自分は自分。他人は他人。面白いのに、何故悪いんだ、と、娯楽を奪うなと怒る。これは異常なことではないでしょうか。

日本国内の現実をもっと見て欲しいです。

皆、これを機に、日本の将来や国家財源の状況、自分達が未来を創造しなければ明日がないことを自覚して欲しいと思います。

子どもは日本の宝です。子どもは無防備で傷つきやすい存在です。

大人が守るべき存在です。そしてこれからの日本を支えます。温かい日本でなくて誰が支えるのでしょう。少しおかしいことに気づいて欲しいです。

里親です。実際に当事者、関係者が何万人もいて、赤ちゃんポスト(「赤ちゃんポスト」はマスコミが使い始めて広めた蔑称と聞いています)、里親制度や児童養護施設・児童相談所と、実在する関係機関もあり、それを利用して制作している以上、フィクションにも当然、それらへの理解と想像力と配慮が必要なはずと考えますが、ドラマはそこが欠けて、当事者への加害性を持っていると感じました。

人気の子役が出演しているので子どもが視聴する率も高いですが、まだまだ理解力や判断力のない子どもに社会的養護の子どもたちへの偏見をもたせてしまうことをとても心配しています。子どもが施設で育つことに負い目を感じなければならないのは、社会の偏見の眼を子どもが敏感に感じとるからです。その意味の重さを想像してください。

児童養護施設から学校に通っている子どもは実際にたくさんいます。周囲の子どもも知っていて、悪意なく、偏見という意識もなく、「お前もポストなの?」「お前も新しい親さがしてんの?」など、聞くことは十分にあり得ます。酷な話です。そのように聞かれた子どものこころの痛みや悲しみ...そしてその子の育ちへの影響を想像してください。社会的養護の場に自らの意志とは関係なくおかれた子どもたちは、すでにいろいろな傷を抱えています。その抱えさせられた傷を癒しつつ、自立へ向かって大人へと成長もしていかなくてはならないという、あまりに大きなハンデを背負わされた子どもたちを応援するどころか、さらに追いつめ、傷を複雑にするような番組を作って放映するなど、こころある大人のすることではないです。

現実に起こってからでは取り返しがつかないです。だから私は起きてはいけないことが起こる前に止めるよう、中止を申し入れます。 また、初回をみた人がすべて最後まで、毎回みるわけではないです。最後までみなければわからない内容ならば、こころに見えない傷を負う被害者が本当に出てしまう前に中止してください。

もしドラマの影響で、社会的養護を拒否してしまったら...最悪、虐待死に繋がる可能性もある...そんな事はあり得ないと誰が言い切れるでしょうか?もしそうなった場合、日テレ等のドラマ関係者はどう責任をとるのでしょうか?これから社会的養護によって救われなければならない子供逹のことももっと語るべきではないでしょうか?今回、児童養護施設関係者の反応にしても言いたい。

確かに児童養護施設は過去(もしかしたら現在も)に施設内虐待等の過ちを繰り返してきた。現に今日も、施設職員ではないが、児童相談所の職員の不祥事が北九州でニュースになった。しかし、そういった状況を打破し、新しい社会的養護を作り上げようと多くの人間逹は必死にもがいています。そこも理解してもらいたい。また「悪いのは大人」と印象づけるような作り方にも問題がある。社会的養護に子供を預けるほとんどの大人が、社会からネグレクトされた社会的弱者ということも世間には理解してもらいたい。

■ドラマ「明日、ママがいない」は、番組ホームページの掲示板の公平性という問題も投げかけている。

これは日本テレビに限ったことではないが、テレビ局側は番組の掲示板を、ドラマをもっと多くの人に見てもらうためのツールだ考えている。このため、番組に否定的な声を載せない傾向がある。それでも、たとえばNHKのドラマの掲示板を見てみると、ドラマを全否定する声も載せているケースがある。こう考えると、掲示板で番組を評価しない声をあえて載せるかどうかは、その局の「度量の広さ」の指標といえるだろう。

1月22日の第2回放送の後も、日本テレビの掲示板には、ドラマの放送を継続してほしい、という声が相次いで載っている。児童養護施設側などが求めている放送中止には反対だと、日本テレビ応援団の声ばかりだ。

たとえば、

色々ネットで騒がれていますが、第二話みてとてもよかったです。 放送時間も十時からですし、大人のための番組ですから絶対放送中止にする必要はないと思います。頑張って下さい。楽しみに毎回みます。

というような声(1月24日に投稿された40歳から49歳までの女性からのもの)。

応援の声はほとんどが、ドラマを楽しんでみている視聴者たちだ。

いわば、一般の「観客」だ。

一方で、今回、放送中止を求めている人たちは、ドラマが描いている児童養護施設の人たちや「赤ちゃんポスト」の設置病院などの関係者など。いわば「当事者」や「関係者」たちだ。

ドラマがフィクションだということは承知しながらも、ここまでの描き方はひどすぎるでしょうと声を上げているのだ。

一般の「観客」と「当事者」「関係者」はかなり違う立場だ。

放送局が、寄り添わなければならないのは、後者に対してだ。

一般の「観客」がいくら支持したとしても、「当事者」「関係者」が傷つくのであれば、放送として行き過ぎであり、なんらかの方向転換が求められるのは言うまでもない。

さらに・・・

■テレビ局の視聴者投稿の掲示板は、もっとフェアに掲示すべきだ。

投稿の掲載に当たって、恣意的な操作をするのはいかにもセコい。

私が恐れるのはこうした行為が、テレビ報道の信頼性にまで傷をつけかねないことだ。

あるテレビ局で「ドラマ番組」の掲示板での「不公正な操作」が分かってくると、本来はドラマ以上により公平・公正であるべき「報道」についても、その局はちゃんとやっているのか、と思われてしまう。そこにも疑問を持ってしまうのが視聴者の心理というものだ。

それはテレビが信頼を失う要因にもなってしまう。

ドラマの担当者の制作意図を好意的に推測するならば、当初の目的は以下のようなものだったはずだ。

「(多少、表現が過激であっても、)このドラマが話題を呼ぶことで親が養育できない子どもたちの問題に社会の目を向けさせたい」。

もし日本テレビの関係者が本当にそう願っているのなら、下手な小細工をせずに、局に寄せられているいろいろ意見を表に出すのが筋だ。

今回のドラマのどこまでが許容範囲で、どこからが行き過ぎだったのか。

そこで議論することが、本当の意味で、「子どもたちの問題に」「社会の目を向けさせ」ることになるのだ。

ここまでは許容範囲だが、ここからは彼らの心を傷つける、と、社会に分かってもらうことは必要だ。

賛否両論を正々堂々と示し、視聴者に議論させればよいと思う。

日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」の掲示版にも注目していきたい。

(2014年1月25日「Yahoo!個人」より転載)

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