杉並保育園反対派からメッセージが来たので、反論します

公園が大事な場所ということについては、全く異論ありません。でも、保育園もそうですよね?

「「行政vs住民」ではなく、対話しながら解決策を探っていこうぜ」とポジティブな提案をした僕のもとに、反対派の方から以下のようなメッセージが送られてきました。

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駒崎さん

東原公園を保育施設に転用を反対する久我山の住民です。

私たちの真意はこの記事の中にあります。

http://bylines.news.yahoo.co.

jp/sakaiosamu/20160606-00058501/

私はフローレンスさんには大変お世話になり、感謝し、

そして駒崎さんをとても尊敬しています。

駒崎さんほど影響力のある方が、「なんて勝手な住人だ!」...

と無責任な記事をかかれていることにとても残念に思います。

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どこを読むとそう読めるのかとんと理解できませんが、それでもちゃんと耳を傾けようと思い、境治さんの「杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。」

という記事を読んでみました。

そうしたところ、やはり一般市民の方々なので、保育園をつくるということについて、残念ながら理解できていらっしゃられない部分があるのではないか、と思ったので、ご理解頂くためにもこれはちゃんと反論しないといけない、と思って書くことにしました。

なお、境治さんの保育園落ちた騒動に関する見事なレポートや記事に関しては、心から賛同していますので、彼自身に対する非難ではないことを、最初に断っておきます。

【公園は必要不可欠。いや、保育園もそうだが】

まず、境氏は言います。

「公園はかなり特別な意味を持つ場所だと思う。私自身の子育てを振り返っても、公園は必要欠くべからざるものだった。なにしろ首都圏で暮らしていると庭と言えるものが持てない。子どもを太陽の下で走り回らせるのに、公園は必須だ。父親たちは公園がないと子どもたちとどこで触れ合えばいいか途方にくれるだろう。」

公園が大事な場所ということについては、全く異論ありません。でも、保育園もそうですよね?

「父親たちは公園がないと子どもたちとどこで触れ合えばいいか途方にくれる」こともあるかもしれませんが、保育園がなくて妻が働けない方が途方にくれます。

【民間所有地は取得に時間がかかることを理解していない】

また、境氏は代弁します。

「今回対象となった公園は区が所有するからすぐに保育園建設にとりかかれると選ばれたものだ。だが区が所有していないものでも、交渉することで保育園に転用することはできるはずだ、と彼女たちは主張している。」

区が所有していない土地というのは、すなわち民間所有地ですが、これはこれまで杉並区は呼びかけを行ってきたものであり、しかしそれでも十分確保ができなかったものです。

もちろん、もっとうまくやれよ、という批判はありますが、民間所有地の場合は交渉も含めて、用地取得までに時間がかかります。

交渉を始め、条件提示し、ネゴり、契約し、公募し、事業者選定をする、そしてそこから設計士して建築して開園するまでに、2から3年かかります。

もちろん民間の土地や物件を大車輪で募集するのは絶対にやるべきなんですが、来年4月には間に合いません。ちなみにネットでは少なくとも物件が出てこないのは、前回の記事の通りです。

【小規模保育をつくるのも大変】

住民側(と境氏)は、以下の「代替案」を提示します。

「あるいは、待機児童の中心は0、1、2歳児なので、年少向けの保育園を暫定的につくっておいて、その間に別の土地の折衝をできないか。」

0〜2歳までの保育園というのは、すなわち僕たちがやっている小規模認可保育所なのですが、確かに認可保育所よりは物件が見つけやすいです。実際に僕たちも来年4月に阿佐ヶ谷に小規模保育をオープンする予定です。

しかし、小規模保育に適する物件は、僕たちの物件開発チームが、3ヶ月間走り回ってようやく1件見つかった、というレベルです。

小規模保育でも、新耐震基準を満たしており、1階で、違法な改築を全くしていなくて、2箇所2方向に出口があって、大家さんがトラブルになるかもしれないけど、地域のために保育園もアリだよね、と言ってくれ、公園が子どもの足で10分以内にはあって、という10くらいの条件をクリアして更に家賃がほどほどのところを選ばないといけないわけなので、簡単な話ではありません。

【面積基準をいじっても影響は限定的】

さらに住民側(と境氏)は、以下の代替案も重ねて提示します。

「区の認可保育園の規定では一人当たり5.5平方メートル必要だが、都の基準は一人当たり3.3平方メートル。短期的に都の基準に合わせれば既存の保育園にもっと収容できる。その間に土地を探せばいいのではないか。」

確かに杉並区の基準は、国際標準から見ても高いレベルなので、それを引き下げれば、よりたくさんの子どもを入れ込むことはできるでしょう。

しかし、杉並区の要綱からも分かるように、5.5平方メートルなのは0歳児だけであり、1歳児・2歳児は都基準と変わりません。

0歳児を多少詰め込めたとしても、問題の解決には繋がりません。

【先送りにすることは、犠牲者を増やすこと、ということを理解していない】

「杉並区の答えは、すべての代案にNO。とにかく来年4月には待機児童をゼロにする、そのためには区が所有する公園の転用しか方策はなく、断腸の思いで決めたことだの一点張りだそうだ。来年4月の期限を緩めるだけでいろんな方策があるはずなのに、というのが「守る会」の思いだ。」

(小見出しで)「糾弾するつもりはないが、区長の判断は拙速過ぎる」

「来年4月の期限を緩めるだけで」と言っていますが、来年4月に保育園がない、というのがどういう意味か、境氏(および反対派住民)は理解しているのでしょうか?

復帰しようとしていた働く親(多分母親)は、復帰ができなくなります。充実した職場環境だったら良いですが、非正規ならば失職の危険もあるでしょう。これから働こうと就活していた親(多分母親)たちは、保育園が見つけられずに、就職の機会は奪われるでしょう。

保育園に入れるか否かは、彼女たちの、雇用に直結します。雇用に直結するということは、今の収入に直結するばかりではなく、将来の収入にも大きく影響します。なぜなら、「キャリアの空白」は日本の就職においてはいまだにマイナスであるからです。それは子ども達への教育支出と非認知能力の発達にも影響し、子ども達の将来の学力にも影響し、更には子ども達の将来所得にも関係するでしょう。

彼らにとっては、「たかが1年」だとしても、今目の前で保育園を求めている親たちにとっては、その1年はクリティカルに重要なのです。それをなぜ理解できないのでしょうか。

【「賛成運動」は起きない】

こうした、一部の反対派が大きく声をあげ、それに対して境氏のような共感者が現れ言説が広がり、ある種の「両論併記」になっていくのですが、この構図に僕は違和感を持ちます。

反対運動をされている人は300名ということで、これは杉並区の人口の0.053%に過ぎません。署名している人に拡大したとしても、2750人なので0.49%です。

他の99%の方々は、どう思っているのでしょうか?もしこの99%の方々が、どちらかといえば保育園をつくれば良いと思っている、ということであれば、賛成の意思表示をしっかりとすべきです。

なぜなら、こうした反対運動を受けて、政治が「やっぱり住民も反対しているし、保育園についてはそんなに無理しないでも良いかな。選挙も怖いしね」なんて思ったら、その他大勢の、これから保育園に預けたいという親たちの希望がなくなるからです。

反対運動は起きやすい。しかし「賛成運動」は起きない。この非対称性が、少数派による反対というものが、実態よりも大きくなっていくメカニズムになるのです。そして時として、「全体としてはそうした方が良いけど、個別の反対によって、全体最適が阻害される」ということが起きていくことになります。

【ではどうしたら良いか】

こうした隘路を乗り越えるためには、どうしたら良いか。それは、賛成者も同じく声をあげること、です。反対集会において、賛成派の女性が泣きながらスピーチをし、それに対しヤジが飛ばされる、という光景がテレビで映し出されました。

強く反対の人がいる中で、「いやいやとはいってもさ」と言うのは、勇気がいることだと思います。スルーして行政に悪者になってもらって「いや、行政は丁寧に話を聞くべきだよね、なにごとにつけても」と評論する方が、全然簡単でしょう。

しかし、賛成者が「ねぇ、ちょっと待って。ここで反対して計画潰すのが、本当に我々全体にとって、良いのかな?」と問うことで、議論が深まっていくのだと思います。議論は時として感情的な反発を生みますが、しかし今議論しておかねば、我々は団塊の世代が大量に介護世代になる2025年に、介護施設の建設で同じような衝突を、もっとひどい形で行わねばならなくなるでしょう。

最後に、電話でヒアリングした区議会議員さんが、絞るように語った言葉を紹介しましょう。

「待機児童を抱えたお母さんたちの叫び声を毎年のように聞くのは、もう終わりにしないといけないんです」

議論が99%の皆さんに広がっていくことを、祈っています。

(2016年6月9日「駒崎弘樹公式サイト」より転載)

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