【シリーズ】地方に移住したパパたちを追って~広島編〈1〉~

地方や農業などに関心を持ち、実践をしているパパたちの"見える化"を図っていきたいと考えている。パパたちの多様なチャレンジをお届けすることで、いま自分にできる一歩をパパたちに提案していきたい。
davidgoldmanphoto via Getty Images

首都圏などの大都市部にいるパパたちがもっと地方に関心を持ち、地方の人と交流を増やしていく。そうした活動をどんどんと展開していくことで、最終的に地方に移住をする「家族」も増えていくのではないだろうか。

「家族」という単位でもっと地方を志向する刺激を与えられることができるのならば、地方の人口も単純に1人増ではなく、2人、3人、4人またはそれ以上に増えていく可能性が十分にある。つまり、「地方創生」の鍵は「家族」が握っているのであり、なかでもパパにアクションをかけることで、パパ(男性)の働き方に変革をもたらすと同時に、ママ(女性)の生き方を肯定し、そして家族の幸福のさらなる追求につながるのではないかと考える。

それを動かす原動力として「グリーン(緑)」がある。これから筆者が事業として展開していく「グリーンパパプロジェクト」では、地方に関心を持ってもらうための素材として、農業や林業などの第1次産業などの体験、グリーンツーリズムなどを活用しながら、大都市部にいるパパたちがもっと地方に関心を持つためのプログラムを自治体や企業などと連携をして構築しようと考えている。

そして、このプロジェクトの一環として、地方や農業などに関心を持ち、実践をしているパパたちの"見える化"を図っていきたいと考えている。パパたちの多様なチャレンジをお届けすることで、いま自分にできる一歩をパパたちに提案していきたい。

そこで今回、広島県の協力を得て、昨年12月に実際に同県に移住をしたパパ2人にインタビューを行った。

広島編〈1〉は、2009年に埼玉から広島県安芸高田市にUターンをし、家族を対象にした農業体験事業や周辺農家で収穫した野菜を飲食店などに配達する事業などを展開している「株式会社まごやさい」(※)代表取締役有政雄一さんとの対談をお届けする。

子育て論から、Uターンの経緯、農業体験事業、そしていま最も力を入れている野菜流通事業について話を聞いた。

※「まごやさい」が運営するのホームページはこちら。

* 農家直営露地野菜市 http://www.magoyasai.com/

―――――――――――――――――――――――――――

子育てに対する思いとUターンに至るまで

吉田:今日はよろしくお願い致します。

有政:いきなり逆質問で恐縮ですが、グリーンパパプロジェクトの活動の目的を教えてください。このプロジェクトは、子どもを対象にしたものなのか、もしくは、親に対象を当てたものなのか、それとも、その両方という感じなのか。

吉田:パパにフィーチャリングすることで、子どももママも連動して、「みんなが幸せになれる」という形ができたらと思ってます。いまの日本の社会的な構造を考えると、やはり父親が働いているケースが多いので、父親が決断したり、動いていかないとやはり変わらない。長時間労働の問題もあります。父親が意識的に働き方を見直したり、変えたりしていくことで、子どもとの時間を増やしたり、そうすることで親子関係が深まったりします。特に、東京などの大都市圏だと、長時間労働に加えて、通勤時間も1時間以上かかることが普通。すると、帰ってくる時間が22時以降になってしまう。多くのパパが子どもの寝顔しか見ない状況です。女性の場合は妊娠・出産を通して親としての自覚が芽生えやすいですが、男性の場合は子どもが生まれても生理的な変化があるわけではない。自分の体を通して変化することがない。そう考えると、子どもとの時間を確保していくことが親子関係を作っていく上では大事なことだと考えます。いま自分自身はひとり親ですが、子どもとの時間が増えることで、子どもの気持ちを理解したり、親子の絆も深まっていくと思います。そこを置き去りにしているパパたちが世の中的にはまだまだ多い。働き方を見直すということだけではなく、いま都市部だと待機児童の問題や、子育て環境を考えると、子育てしやすいとは言えない状況があります。東京の湾岸エリアのマンションが乱立する地域では、1学年10クラスあって、運動会になると親と子が座ってお弁当を食べるスペースがなく、子どもたちは教室に戻って自分たちのお弁当を食べて、親は外で食べてくるという話も聞きます。まぁこれは一面に過ぎませんが、少々味気ないような気がします。そうした窮屈な環境で育ってしまうと、子どもの成長にも何かしら失うものもあるのではないかと思っています。

それを逆転の発想で、もっと地方で住みながら仕事ができる仕組みに変えていくことで、働き方の見直しにもつながり、子どもとパパの関係も深まるチャンスが増える。ママにとっても自分の仕事や地域のつがなりを構築していくことにもつながっていくのではないかと思います。まずはパパに意識付けをする活動を通して、みんなが幸せをつかみ取れる方向性を生み出していけたらと思っています。

有政:私は農業体験を通じて日本を背負って立つような人作りをしたいとの思いでやっています。この道を選んだ究極最後の目的は何かと言われれば、子どもたちに最高の環境を提供したいということ。自分で考えたり、チャレンジしたり、そんな体験を小さいころからやっておくことがとても大事だと思っています。激動の時代でも「生き残る、切り開く」ことができる子どもたちであってほしい。なので、うちの体験は緩いものではありません。かなりキツイことをさせていると思います。例えば田んぼを畑に変えるという課題を子どもたちがやり遂げる体験プログラムを行ったりします。

吉田:僕が子育てで常に意識していることは、親が子どもに対してできることって、お金をかけていい教育を受けさせるということではなく、もちろんそれができるに越したことはないかもしれませんが、いかに子どもに生き抜く力を与えてあげられるかどうかだと思っています。それって親が何でもかんでもレールを引いてしまって、いい高校いい大学いい企業に入れば親としての役目が終わったのかというと決してそうではなくて、いまで言えば、まさしくメンタルをやられてうつ病になったりして休業や退職に追い込まれ、引きこもってしまう若者が増えてます。自分自身の力でその道を選んで、失敗するかもしれないけど、たとえそうであったとしても、子どもの生き抜く力を養えるかどうかだと思います。それが親としてできる最も大事なことだと思うし、いま自分も子ども3人を1人で育てているので状況としてあまり手を掛けられないところもありますが、逆に子どもたちが自分たちで考えて、「何やろう?」「これやろう!」ってやっていく姿のほうがたくましいと思うんですよね。それを家の中だけではなく、もっと外に出て、そういう形でいろんな作業ができたらと思っています。体験型のプログラムでも、最初から答えが提供されているようなものもあります。マニュアル通りにやれば誰でもできてしまうようなものですね。

有政:そもそも論みたいなものがあって、要は明らかに親としての自覚が薄くて、子どもとの関わりが少ない。これは親の責任放棄だと思います。これは大きな問題。それに対して啓蒙活動をしていくのは大変素晴らしいことだと思います。子どもを作るのは精神的に大人にならなくてもできます。ただ、子どもを育てるというのは、親としての責任を果たすということであり、その責任を果たすためには、子どもとの接点をキチンと設ける必要があると思います。その時間をかけましょうという活動は大正解だと思います。自分は子どもが小さいときに妻とよく話し合ってましたね。

吉田:最初のお子さんが生まれたときはどちらに?

有政:福岡ですね。

吉田:福岡にはどれくらいいましたか?

有政:自分自身は福岡に計9年いました。大学4年間と、社会人が5年間。福岡で第1子が産まれたときに、どういう子育てをするかを夫婦でよく話し合って、方針を立てました。そのときに出てきたのが「自律」と「自立」。自らを律して自らを立つということです。これを基本方針に決めました。

吉田:最初から、その境地に至ったのはすごいですね。2人でそういうふうにしていこうと?

有政:子育ての原理原則みたいなところですね。いま上が18歳、下が15歳になりましたが、いまだにその通りやっています。1ミリもぶれていませんね。

うちも年間300人位の親子が来ます。その親子を見ていたらわかるんですよ。対等な形で、子どもを一人間として捉えているか、主従や強弱の関係で子どもを捉えているか。それは会話とかやり取りをみているとよくわかりますね。

吉田:うちも子どもが4、5歳のときに自転車を買いに行って、中古の自転車やでったんですけど、彼に好きな自転車選んでいいよって言ったら、真っ先に飛びついて行ったのが、ピンクの自転車でした(笑)。男の子なので「ピンクの自転車かよ」と最初に思ったのですが、当時は戦隊モノをよく観ていて、なかでもピンクが大好きでした。親はそれを分かっていたので、彼が目をギラギラさせながら、「ピンクがいい」というのを否定して、「青にしなさい」と言うべきではないと思い、そのときはピンクの自転車を買いました。彼は喜んで、当時住んでいた団地内で乗り回すようになります。そうすると、周りの友達から「男なのにピンク乗ってる~」とバカにされるようになります。すると彼自身の中で、ピンクは恥ずかしいから卒業しようという気持ちが芽生え、ピンクを自分の力で卒業するに至りました。おそらくそうなるような気はしていましたが、それは親が決めることではなく、自分の体験を通じて考えていくということが大事だと思います。逆にそれでも「俺はピンクがいい」と言って、ピンクを乗り続けるかもしれなかったわけですが、それはそれでいいと思います。それは自分としての選択です。自分がいかに主体的に選択できるかどうかというところが大きいと思います。

福岡の後は埼玉に住んでいたとのことですが、どのような仕事をされていたんですか?

有政:当時はリクルートエイブリック(現在のリクルートエージェント)という転職あっせんの会社にいて、9年在籍しました。その後「スピリッツ」という会社に行きましたが、それは元の上司が作った会社に後から入ってという感じです。スカウトをする会社ですね。リクルートを辞める最後の年にたまたま社内の教育体系を作ろうということになり、そこの専任マネジャーに選ばれました。それまではキャリアカウンセラーと呼ばれる対個人に対しての仕事でしたが、初めてスタッフの仕事に就きました。教育の仕事というのは、ホントに裏方ですが、大いなる確信をもって進めなければなりませんでした。自分は当時それが苦手で、それまで仕事で評価されてきたと思っていたのですが、そこで初めて仕事ができない自分に出会いました。「なんとかせな、なんとかせな」と思っても何もできず、最後の3ヵ月くらいは、ちょっと自分でもおかしいなという感じになりました。病む一歩前、家に帰っても笑顔が少なくなっていましたね。子どもたちにこういう姿を見せたら、仕事って面白くないと思わせるような気がして、もっと仕事って楽しいという姿を見せたくて、たまたまご縁があった元上司の会社に入りました。

Uターンを決断するきっかけ

吉田:その次がここ(安芸高田市)ですね。

有政:そうです。いまここに帰ってきて6年が経ちます。

吉田:最終的にこちらに戻ってくるという決断をしたというのはどうしてですか?

有政:一番大きかったのは、自分のやりたいことが決まったということですね。自分が帰る3年前には妻と子どもはこちらに帰しました。下の子どもが小学校に上がるタイミングで、古くて隙間だらけの激寒の実家に先に帰していました(笑)。実は、実家の横に家を新築することを決めていて、子どもたちにも家を作るプロセスをみてほしいと思って早目に帰しました。

吉田:それは間近ではめったに見られませんね。

有政:めったに見られないし、"ここが自分の家だ"という思いを子どもたちにも持ってもらえるように。

吉田:有政さん自身は、ここに何歳までいらっしゃったんですか?

有政:12歳までです。中学・高校は広島市内に下宿していました。市内にいると、いろんな楽しいことに流されてしまいましたが、小学生のときそこそこ成績が良かったので親が勘違いしちゃって越境入学しました。父親が「羽ばたけ、羽ばたけ」ってよく口癖で言っていて、「こんな田舎におらずに」ということですね。その第一弾として、市内のほうに住んで、「頑張りんさい」ということだったと思います。

吉田:有政さんは10代や20代の頃、どんな生き方をしようと思ってましたか?

有政:親父がここで会社をやっていて、いつか戻ってやらなければいけんなとは思っていました。自分は50歳くらいまでに大儲けして、自分の財産を使いながら、損得なしで子どもの体験教育をしようと思っていたので、50歳くらいで帰ろうかと思ってはいました。

その意識が変わったのは、2008年のリーマンショックのときです。当時、大手銀行から超エリートの人たちが転職相談に来ました。こんな経験をしたという話はしてくれるのですが、経験のあとのその次のことは全然語らないんです。「で、どうすればいいでしょうか? 自分にはどの道があるのか?」という質問をしてきます。自分の道を自分で決められないんだなと思いました。

吉田:自分の力でどうにかしたいという意欲がないということですね。

有政:そうですね。そういうことに慣れてないんだろうなと思います。そういう育てられ方をされていない。一流大学に入るための勉強をさせられて、それに対して一生懸命応えてきた人々、だから与えられた課題に対しては一生懸命やれる人が多いが、課題を作ること自体、目標を作ること自体あまり得意じゃない方が多いんだと思います。一方で、高学歴でなくても自分で決めてどんどん前に進んでいく人はいます。この差はなんだろうかと思いました。そういう時代になれば実は後者のほうが強いですね。

吉田:まさに生き抜く力ですね。

有政:これは何かしないとまずいと思いました。それと、新卒の方の就職のカウンセリングとかトレーナーとかコーチとか、そういうものをやっていて感じたことは、就活は頭のいい奴になればなるほど悩むんですよね。「自分の合うところがわかりません」みたいな。そんなの俺だって分からないよ!(笑)

よくよくいろいろと考えていくと、結局根っこは近いんだろうなと思って。仕事に対してポジティブなイメージを持っていなくて、苦行の世界に入るみたいな。ちょっとでも苦行が和らぐところを探すために自己分析をし、会社の分析をし、そこで合致するものを一応納得して入るみたいな話なんでしょうけど、それって不健全だよなと思って。その会社や仕事が合う合わないって入ってみないと分からないですよね。入って頑張れば、仕事も変わるし、面白くもなるし。だから、仕事に対して、ポジティブなイメージだったりとか達成感とか、そういうものをたぶん小さいころから沢山経験するのが大事なんじゃないかと勝手に思い込んじゃいました。ちょうど40歳になるタイミングで、人生のちょうど半分ですね。ここから後半どう生きるかみたいな話であれば、自分のやりたいことに気づいてしまったので、予定より10年前倒しして帰ってきました。全然財産がないのは想定外でしたが(笑)。

そんな経緯で、仕事のポジティブなイメージを提供できるような体験の場としての農業体験を柱にして、こっちでやろうと思ったというのが、この場所に帰ってきた真相です。

農業体験事業の展開

吉田:有政さん自身、それまで農業には関わったことはなかったんですね。

有政:ゼロです、ゼロ。小さい頃手伝いでチョロチョロとやっていましたが、チョロチョロですからね(笑)。ただ母親がずっと農業をやっていて、月に1回、野菜を埼玉に送ってきてくれるのですが、それはいつも美味しいと思っていました。

吉田:自分自身は野菜を育てたり収穫したりすることがないままに、イメージ自体はもっていたということですね。

有政:そうですね。ですから、農業はわかりやすい仕事のコンテンツみたいな感じのイメージでした。誰でもというわけではありませんが、農作業って働くという意味ではすごく実感しやすいし、頭も体を使います。達成感も感じやすいだろうし。チームワークとか、そういうことも農作業にはあるので、これを仕事体験のメインコンテンツにしたら面白いじゃんみたいな。だったら実家のあるここでやればいいということですね。たまたまちょうど40歳だったので、小学校の低学年の子を持つ同級生が結構いたので、ここをターゲットにすれば、当分凌げるかと思って「みんな来んさい!」みたいな感じで始めました(笑)

吉田:それはこちらに来てすぐですか?

有政:もうすぐに始めました。2008年12月31日に会社を辞めてこっちに戻ってきて、1月1日からはスタートしました。農業体験の第1回をやったのが4月なので、3ヵ月ほどは、募集したりプログラムを考えたり、道具を揃えたりしていました。

吉田:形態としては、法人格を取得されたんですか?

有政:いえ、当時は個人事業です。

吉田:そこで有政さん自身が収益を上げてやってけそうな頭はあったんですか?

有政:これだけ出来たらこれだけ利益が出てという感じでばっちり計算をしました(笑)。一応事業にしないと、飯が食えなくなるので。もともと貯蓄を持って帰る予定が、貯蓄はほぼゼロで帰ってきてしまったので、よう凌いだなと思いましたけど。

実際にやってみると想定通りにはいかず、そういう職業体験とか農業体験とかというのと、銭っていうのは相性が悪くて、あまり"銭銭"させると、やはりいやらしくなっちゃうし、でもボランティアでやっちゃうと、うちがしんどいし。そんな状況ではあったけど、農業体験に沢山人が来てくれたので、そのあと作った野菜を家に送るという名目で宅配も始まりました。

吉田:最初の体験で来られた方は何人くらいでしたか?

有政:初回が50人くらい来ました。初めてやるのに「これだけの人数が来て大丈夫なの?」と思ったくらい集まりましたね。

吉田:どういうところから集まった方が多いですか?

有政:ほとんどが広島市内の同級生からの口コミですね。農業体験とか田舎で遊ぶことにについて興味はあるんだけど何処に行けばいいのかという感じで、あまりそんな場所がなかったんでしょうね。みんな家族連れで来てくれました。

吉田:それをどのようなルーティンで年間回していったんですか?

有政:最初の3ヵ月の間に1年間のプログラムを決めました。農業体験もシリーズなので、野菜の種まきして、途中草抜いて、最後に収穫してというシリーズが回りながら、一方では米作りが回っていきます。収穫したらみんなでしっかり食べようとか、その合間合間で、里山も経験して欲しいと思って、ホタルを見たり、山に登ったりとか。夏は川掃除もやりましたね。

吉田:一家族で何回くらい来る感じですか?

有政:ほとんど毎回来てましたね。年間8回から10回くらい。ほぼ毎月ですね。

吉田:家族の方々から体験料をもらうという仕組みですか?

有政:年会員制度にして、1年間の最初にまとめてお預かりをして、そのあとは何回来てもらってもいいという感じです。年間3万円でした。昼食付です。途中で細かいところは変わりましたが、基本的にはいまでも変わっていません。年会員が半分、一回一回でお金を払う一般会員が半分くらいです。大体友達が友達を引っ張ってきてという感じですね。

吉田:大部分がリピーターなんですね。

有政:そうですね。小学生が対象ですが、小学6年生だと中学受験モードの子が多いので、小1~小5まででぐるっと回って卒業していくという感じです。中・高・大学生はスタッフとして来てくれます。いま15名くらいいます。大学生は大学の先生と連携して募集していて、その都度入れ替わりがあります。

大学生たちも子どもたちと接する機会が少ないらしくので、いい経験になっているようです。地元の小学校、中学校の子どもたちも6、7人います。地元の子たちは、体験参加ではなく、うちの運営スタッフで来てくれます。実はこちらも体験プログラムにしてあり、前の日から来てもらって食事の準備をしてもらったりしています。14年度は初めて会場設営もすべて任して、前の日から全部何を準備したらいけないかを自分たちで考えてやっていました。今回6年目にして初めてできましたね。

吉田:子どもたちがこの事業を支えてくれる担い手になるというのはとても心強いですね。

有政:楽しいですよ。だからみんなここに居たくて仕方がない。夏冬休みに入ると体験行事が終わってもずっと居るんですよ(笑)。居る間は遊んでいるわけではなく仕事を手伝ってもらいます。結構難しいこと、キツイこともしてもらっていますが、彼ら彼女らは楽しんでやっています。だから毎回来てくれるでしょうね。

吉田:いま会員数はどれくらいですか?

有政:年会員が15組くらい、一般会員も含めると家族数では30組くらいだと思います。農業体験の案内自体はいま60組くらいに送っています。

吉田:実際の収益的にはいかがですか?

有政:飯が食える収入まではありませんが、黒字は確保できてます。

吉田:規模的にはこれ以上は増やさないんですか?

有政:半分ボランティアに近い感じで、自分のライフワークみたいなものなので、自発的な子どもたちを1人でも2人でも作っていきたいというか、そういう場を提供することによって、自分自身で成長していってほしい。今回の年末は餅つきをやるんですけど、餅つきの餅をつく準備から含めて子どもたちがチームを作ってやろうぜみたいな感じでやろうと思います。餅をついておしまいではなく、火を起こし、マキを切り、コメを蒸し、臼をあたためる、などいろんなプロセスがあります。それが全部できる場を用意し、あとは、チームを組んで、交代しながら、それぞれが必ず責任を果たす。誰が失敗しても、いいお餅はできないので、それが分かっているのですごい頑張るはずです。

吉田:子どもたちはプログラムを通じてたくましくなるんじゃないですか?

有政:そうだと思います。いや、そうであってほしいですね(笑)。今回小学5年生の子たちが初めて1年生の頭から来て、卒業する子たちです。卒業式に近い形にしたいと思っています。泣いちゃうかもしれませんね(笑)。もちろん個々の家庭があっての成長だと思いますが、でも5年間こうしてここに来させてくれたというのは、何らかのプラスがあったんだと思います。

吉田:親側としても子どものそうした成長の姿を見るのは嬉しいですね。

有政:私も「手を抜くな~!」みたいに厳しいことを言うこともあります(笑)。

吉田:逆に親じゃない大人がいろんな意味で厳しくもあり、見守ってくれるというのは子どもにとって捉え方が変わってくるのではないかと思います。

有政:難易度が高いもののほうが達成感があります。できることをやらしてもダメ。できるかどうかわからないことを任せるということがすごく大事です。しかし、親はどうしても手を出したがる。そこをぐっと我慢できると子どもたちが自分で自覚を持ってやるんですけどね。

吉田:そういうときに親に何か言ったりはしますか?

有政:手を出さないようにお願いしますとは伝えます。みなさん慣れているので理解してくれています。

野菜流通事業への仕組みづくり

吉田:事業としてきちんと収益を上げていく部分として野菜流通事業があるということですか?

有政:まさにいまその仕組みを作っている最中で、これは農業体験とか職業体験をやろうと思った自分のその当時の激しい思い込みと同じくらいのものが、野菜流通の世界でも出来ちゃったという感じです。農業に結果的に関わって、周囲の農家さんと、一緒に野菜を会員のみなさんに送るということをやる中で、「あっ、これ絶対必要なことだ」と気付き、それを事業としてやらないと継続できないと思って、まさにいま必死に事業のフレームを作っている最中です。

吉田:いま連携している農家は何件くらいですか?

有政:26件くらいです。都度都度14、15件がここに野菜を持ってきて、それを自分のほうで飲食店に直売し、一部インターネットで個人に直売し、他に月間で110数件ほど個人向けセット野菜の宅配をしている状況です。いろんな販売チャネルを組み合わせることで、できた野菜を全部売るという感じです。

吉田:エリア的にはどこまでですか?

有政:販売は基本的には広島市内です。ものすごい近い距離の野菜流通を実現したいと思ってます。日々日々売っている野菜は、広島市内に限定をしていて、とにかく収穫して届くまでの時間を最短にする。運ぶ距離を最短にする。で、中間流通も最短化するいわゆるダイレクトモデルで、小さな農家さんを集約して、飲食店の注文を集約して直接結ぶようなことができたら面白いなと思っています。まったく収入がゼロだったおじいちゃんおばあちゃんも、小遣いが3万4万あったら、孫にちょっとプレゼントも買ってあげられる(笑)。

吉田:有政さんのような担い手が地域にいてくれたからこそ、そういうことができたわけであって、高齢化がどんどんと進んでいく中でそういう担い手がいるということ自体が珍しいと思うんですよね。

有政:農家が自分で売ろうと思うのが珍しいかもしれませんね。たまたまそういう経緯で始まったものなので、一緒にやっている農家さんは平均70歳をこえています。齢は毎年増えているのに、作る野菜の量が増えているという不思議な現象が起きています(笑)。

高齢の農家が多いのはここの特殊事情じゃないと思うんです。たぶん同じような状況が広島県内、もしくは全国に偏在していているはずです。わざわざ北海道からタマネギを買わなくても地元でも獲れます。小松菜も地元でカバーすればいい。丹波ブランドの野菜も素晴らしいと思うんですけど、ここでも同様の野菜が十分できるわけで、そういう野菜を集積して近距離で届けたら、コストも下がるし、鮮度もいいし「いいことづくめじゃん」みたいなことを思い込んで、いまこれを何とか事業化するべく頑張っています。

これが事業として成立することが証明できれば、この事業を各地に作ればいいだけの話なんです。これまで畑の肥やしになっていたり、ご近所さんにしか配られていなかった野菜をぎゅっと集約して、その近郊都市に売っていくことができれば、いままでゼロだった収入生まれるわけで、例えば月に1人3万円売れば、100人で300万円生まれるわけで、年間でいうと約3,600万円になります。これってそれなりの経済効果ですよね。それをこの地域だけでなく広島県内にとか、全国に展開できないかと妄想しています。

吉田:それはここに移り住んできたときのイメージとは全然違いますか?

有政:全然違います。いまごろ全国から農業体験の会員が来ているイメージでした(笑)。農業体験と個人向け宅配の二本柱で行く予定でしたが、いまは飲食店向けの野菜販売の売り上げの8割以上になってしまいました。野菜の流通に本腰を入れ始めて3年間くらいですね。この形の野菜流通の可能性に気付いて、なんとかできないかなと半年くらいこもって考えてようやくここまでの形になってきました。

吉田:いまその仕組み自体は、有政さん一家だけでやっているんですか?

有政:はい。母と妹が農業を担当していて自分も3分の1くらい受け持ってます。販売は私、農家からの仕入れは妻が受け持っています。仕入先も販売先も数が多いので、それを効率的に繋げるシステムをがんばって作りました。これが世の中に通用するのか知りたくて「ひろしまベンチャー育成基金」というビジネスコンテスに出て、個人の部で金賞を取りました。その賞金を原資にしてシステムの2次開発をしました。このコンテストは年に一度あって、自分のときは70社くらいから応募がありました。基金は広島県や地元の有力企業や銀行などがお金を出し合う形で運営されています。

吉田:つまり企業側もこのビジネスモデルに対してとても評価をしているということですね。

有政:可能性はあるなと思ってもらったみたいですね。

吉田:それは有政さん自身のやりがいというかモチベーションの支えにもなったんではないですか?

有政:そういう意味ではそうですね。ビジネスモデルがホントにいけそうかどうかは自分ではなかなか判断できません。何とかそれまでもやってはいましたけど、事業拡大しようと思ったら個人技では無理で、きちんとシステム化をしないとダメだなと思って。思いのほかみなさんが「これ面白そうじゃん」という話になって、賞をいただいて、それからいろんなところで講演させていただいたりしてます。

吉田:そこらへんで企業と連携したり、コラボしたりという動きはありますか?

有政:そうですね、それはこれからですね。企業も自治体も。ただこれまでやってきて今の生産背景から考えるとその飲食店を中心に販売したいなと思っています。自分も含めて基本的に自家用の延長で野菜を作っているので、少量多品種の栽培です。1年間この野菜をこれだけ出し続けてほしいと言われる大手の飲食店は相性が悪いです。小さい飲食店だと季節の野菜をアレンジして使って頂けるし、それがウリにもなっているお店がい多いので、そういうところにはぴったり相性が合いますね。

吉田:珍しい野菜とかあるといいですよね。

有政:年間400種類も作っているんですよ。26人で400種類、なかなかすごいでしょ(笑)。私がすごいんじゃなくて、地元のじいちゃん・ばあちゃんが農家がすごいんです。

吉田:それは農家さん自身があれこれ試しながらという感じですか?

有政:そうです。基本的には、自分たちの家で食べる野菜を作っているんで、いろいろと試したいんですよ。子どもたちや孫たちに送る野菜がいつもキャベツじゃ、もらう方もたまんないですし(笑)

結果的に、洋野菜が好きな農家さんもいれば、和野菜が好きな農家さん、中華野菜が好きな農家さんもいるという感じが集合体になって出してくれるので助かります。

吉田:じゃあ、だいたい飲食店のニーズに何かしらの形で応えられる状況になっているということですね。

有政:はい。飲食店と直接取引しているので売れる野菜が見えてきます。それをみんなに公開しているので、みんな売れる野菜を作り始めます(笑)。「これいいね~」みたいな。そういうところを含めて柔軟性があるというか、みんなも楽しんで作ってます。

吉田:契約農家さんで集まることもありますか?

有政:会議を年に2回定期開催しています。それと事業に何か大きな変化があれば随時開催します。今回は12月の法人化というのが大きなイベントがありました。12月1日に株式会社化をしたので、その経緯や目的を報告するために会議を開催しました。

吉田:「株式会社」という法人形態にした理由はありますか?

有政:株式会社にしたのは、結局農業だけではなくて、いろんなことをやりたかったので。農業生産法人だとやれることに縛りがあるというのと、近い将来株主として農家の皆さんにも参加してほしいなと思っていまして、割と柔軟性がある形のほうがいいかと。いま株主は自分1人だけです。2年くらい先に増資をするタイミングで出資者を増やしていければと思っています。

吉田:そうなると、さらに皆さんのモチベーションも上がっていくような気がします。70歳を超えて、自分のやりがいを持ちながらやっていける人たちの姿を間近でみるというのも、有政さんにとって非常に大きいんじゃないですか?

有政:そういうのは、自分の仕事に対するモチベーションの一番大きなところですね。朝みなさんががんばって野菜を持ってくる姿をみると、がんばらなければならないという思いになりますね。絶対絶やしちゃいけないと思いますね。そういう仕事にめぐり逢えたということも非常にラッキーだし。

吉田:60代、70代の高齢でやっている方々がホントはもっと次の世代にバトンダッチしないといけない部分もあると思うんですけど。

有政:それは大きな課題ですね。できればみんなに帰ってきてほしいと思ってます。

吉田:ただ、そういう活気のある姿を見せていくことで・・・

有政:そうそうそう、帰るイメージ湧くでしょ。湧きやすいというか、帰ってもいいかなという気持ちになる。

吉田:細々と自分たちの野菜を作っているというよりは、自分たちのある意味、生業として、いろんな人に食べてもらおうというモチベーションでやりながらいろいろ仕掛けてがんばっている親の姿を見るのは子どもとしては嬉しいですよね。

有政:農業だけをやれという話ではなく、自分と同じような形で地域の野菜をきちんと自分で集めて売る。それによって、きちんと生計が立てられる状況を作ってという人がホント100人くらい広島に出来てほしいですね。

農家の思考だけだと、営業とかやっぱりなかなか至らないんです。自分もそうですが、事業としてビジネスとしてがんばれる俎上がいっぱいあります。何かを犠牲にするんじゃなくて、熱く仕事をしながら自然にも触れて、笑顔に囲まれてがんばっていきたいみたいなものが提供できたらいいなと。まずは自分がそうじゃないといけない。

農業を志向する方も、のんびり生活できるかなと思ってらっしゃるかもしれませんが、ホントに農業を主にして稼ごうと思ったら、超ハードワークですからね。そこで合わなくて辞めていく人がいるのも事実だし、人生の楽園的にやろうと思ったら、定年してからやったほうがいいですよね。ある程度、蓄えを持っておく必要があります。

きちんと仕事をしながら緑に触れる生活をするということでは広島はとてもいいと思います。広島市という大きな都市があり、田舎との距離感も近い。広島は30分も車を走らせれば田舎です。自分の中ではその距離感だからビジネスができるというところは大きいですね。だからあまり田舎に行きすぎちゃうと、いまの事業は難しいところがあります。消費者がいないですからね。広島市は商業・工業など各種の産業がある程度の規模感で全部がそろっている結構数少ない街ではないかと思います。そういう意味では、事業としていろいろと展開しやすい。飲食店の数も多いし。

吉田:もっと子育て世代や若い人たちに広島に来てもらうというのは1つ課題ですね。

有政:そこは自分も解決策がなくて、まさにそこをチャレンジしたいなというところでやっています。

吉田:けど、この仕組みが大きくなったら、「まごやさい」に就職したいという人も出てくると思います。

有政:このノウハウもそのまま提供するので、誰かどこかでやってよというのも考えてます。それをするために会社化したというのもあります。1月から1人採用することになりました。63歳の地元の方です。若い!(笑) 営業と農業をやってもらいます。

大いなる実験で失敗したら自分も破産するし、みなさんにすみませんと言わないといけない状況になります。一応計算上ではいまの倍くらいいったら、十分生活できる状況になるんじゃなかろうかというところまでは来ましたので、なんとか2年間で倍まで持っていって、「ほらできたでしょ」みたいにできたらと思ってます(笑)。

いまここの安芸高田市で年間3,000万円の売り上げが上がれば、たぶん経営者と社員の2人を養える状況が作れます。各農家さんには、3,000万円のうちの1,500万円くらいが各農家にいきますので、分配したら結構な金額になると思います。十分市場価格とも戦えるし、鮮度とかプラスアルファのところもあります。逆に言うとその仕組み自体を売る仕組みがあるので、あとはきちんと野菜を作って集めて、出荷できる状況を持っていくというところをまさにこの1年間でひな形を作っていうという感じですね。

吉田:有政さんの構築した仕組みが他の地域でも展開されることとても楽しみにしています。ありがとうございました。

有政:ありがとうございました。

(終わり)

注目記事