「女性活躍推進法案」がまったく意味がないとは言わない。しかし、「男性が変わるからこそ女性が活躍できる社会」という、この順番を間違えてはならないのだ。
Paul Bradbury via Getty Images

安倍政権になってから、成長戦略の1つの柱ということで、

「女性の活躍推進」が血気盛んに叫ばれている。

とうとう本日「女性活躍推進法案」(※)が閣議決定され、政府は臨時国会に法案を提出する。

※正式名称は、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」

法律案の大きなポイントは、301人以上の企業に対して、

一般事業主行動計画の策定と厚生労働大臣への届け出が義務化される点だ。

計画に記載する事項は以下の4点。

①計画期間

②達成しようとする定量的目標

③女性の活躍の推進に関する取組の内容

④実施時期

行動計画策定に当たっては、

女性の活躍に関する状況を把握し、改善すべき事情を分析した上で、

その結果を勘案したものにするよう求めているほか、

策定した行動計画を労働者に周知し、公表しなければならないとしている。

※ 300人以下の企業に対しては努力義務。

これに先立ち、

10月3日には首相を本部長とする「すべての女性が輝く社会づくり本部」を立ち上げ、

10日の初会合において、「すべての女性が輝く政策パッケージ」を取りまとめている。

詳細は、こちら

このように毎日のように聞かされる「女性の活躍」に対して、

何かむず痒い感覚を持つ人も多いことだろう。

「女性活躍推進法案」の「女性」という文言をすべて「男性」に変えてみてほしい。

「男性活躍推進法案」と聞いて、男性のみなさんはどう思うだろうか?

おそらくそれと同じ違和感を「女性活躍」に抱いている女性は多いのではないだろうか。

まず1つ指摘しておきたいことは、

成長戦略のために「女性の活躍」があるのではないということだ。

「女性の活躍」を推し進めることは、成長如何に関わらずやらなければならないこと。

ある意味、憲法が保障する男女平等の施策として当然のことなのだ。

日本国憲法が制定されてまもなく70年もの時が経つにもかかわらず、

今頃になってこんな法案を制定しようとしているのだから、

これまでの政治家の不作為はもっと糾弾されるべきだ。

あくまでも、「女性の活躍」を実現する中で、

副次的な効果として「成長戦略」に寄与するという位置づけなのだ、

ということを忘れてはならない。

で、そもそも「女性の活躍」ってなんだ?

さらに言えば、「活躍」ってなんだ?ということだ。

活躍を辞書で引くと、「めざましく活動すること」(goo辞書)と載っている。

これから女性が活躍できる社会をめざすということだが、

果たして、これまで男性が活躍していたかをきちんと検証する必要があろう。

日本の歴代総理大臣はすべて男性。現在の国会議員の92%が男性。

また、経済界をみても、上場企業の役員等に占める男性の割合は、

どの業種も軒並み99%を超える状況にある。

さぞ男性は活躍してきたと言えなくもない。

しかし、こんなデータもある。

自殺の7割は男性。年代別では50代男性が最も多い。

過労死のほとんどは男性。

長時間労働でクタクタになりながら、

心身を蝕まれ、使い果たされていく男性の労働者がいる。

これは、「活躍」と言えるのか。

この対照的な状況を見て思うのは、

男性のように活躍するためには、

女性も同様のリスクを負わなければならないのか、ということだ。

誰もそれがすべきだとは思わないだろう。

では、そのような状況にさせないためには、

日本社会において「活躍」をするために入会しなければならない、

過酷な「男性社『会』」を変えることが先決であろう。

どうも、男性の働き方の見直しについては、

「女性活躍を実現するために仕方なく・・・」という感じがしてならない。

「女性活躍推進法案」によって男性が変わればいいが、

「女性」という言葉が付けられた瞬間、

それは女性のための法律と間違いなく思われてしまうことだろう。

つまり、男性にとっては、関係のない法律ということになってしまう。

(もちろん法律内容は男性のことにも言及しているが・・・)

ちなみに、「男女共同参画社会基本法」という法律が1999年に制定されている。

いまから15年前のことだ。

内容は、今回の女性活躍推進法案に比べても遜色ないものだと思う。

条文はこちら

基本法制定以後、各自治体において、

「男女共同参画審議会」が設置されたり、

「男女共同参画条例」が制定されたり、

「男女共同参画課」や「男女共同参画センター」などが設けられるようになったが、

圧倒的に女性の問題を扱うことが多く、

男女共同参画系のイベントともなると、

女性の権利主張の場となってしまっている感もある。

しかし、女性が訴えている相手は女性であり、男性に届いているとはとても思えない。

ようやく、ここ最近になって男性向けの施策やイベントも増えてはきたが、

まだまだその中心は女性になってしまっている。

男性を引き込めない男女共同参画にこれ以上予算をつぎ込んではいけない。

つまり、「男女」と名付けた法律ができたところで、

女性中心のものになってしまうわけだから、

「女性」と名付けられた法律によって

果たして変わってほしい男性が動いてくれるのだろうか、ということだ。

先ほど挙げた政策パッケージの冒頭部分にも一応下記のように男性についての言及はしている。

女性が輝くことは、暮らしやすい社会、活力のある社会をつくることにつながる。子育てがしやすい、安心して介護ができる、ライフステージに応じた柔軟な働き方ができる、家庭や地域に十分関わることができる、安心・安全な生活ができるなど、女性の視点から見て暮らしやすい社会の制度や仕組みをつくることは、同時に、女性も男性もともに輝く社会、ひいては、妊婦、子ども、若者、高齢者、障害のある方、ひとり親として世帯を支えている方など、すべての人にとって暮らしやすい社会をつくることでもある。

このような社会づくりは、女性だけでなく、男性の課題でもある。職場や家庭において、男性の主体的・積極的な関わりが欠かせない。

これをどう現実の政策に結び付けていくのかが問われている。

女性が、仕事も育児も家事も介護もやらなければならない状態に決してしてはならない。

15年後、「『女性活躍推進』促進法案」などができないよう、

「先は変わるべきは男性なのだ」ということを"男性"に理解してもらわなければならない。

国が総力を挙げるべきは、「女性活躍推進法案」を制定することではなく、

男性が過労死や過労自殺をしなくても済むように、

まずは男性が「まともに」活躍できる社会を構築することなのではないかと思う。

おそらくそれが実現したとき、こんな無理やりな法律を作らなくても、

女性は自然に活躍できているに違いない。

「女性活躍推進法案」がまったく意味がないとは言わない。

しかし、「男性が変わるからこそ女性が活躍できる社会」という、

この順番を間違えてはならないのだ。

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