書評:杉本宏著『ターゲテッド・キリング』

テロ集団にどのように立ち向かうかについて、多くのヒントを与えてくれる貴重な著作である。
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本書は、主に、オバマ政権期に実行された非公然(機密)の「標的殺害」(テロ集団の指導者殺害)をさまざまな角度から分析することによって、アメリカの対テロ戦争観を浮き彫りにしようとしたものある。

2001年の9.11テロが起きた直後にブッシュ大統領(当時)が宣言した「ブッシュ・ドクトリン」は、アルカイダによるテロは「戦争行為」であり、テロ集団に対して、「抑止」は利かないので、先制攻撃ばかりでなく予防攻撃も辞さない、と明言した。

著者の杉本氏は、一見理想主義者に見えたオバマ大統領(当時)も、対テロ戦に関しては「ブッシュ・ドクトリン」を踏襲し、テロ組織に対する先制・予防攻撃を正当化し、その手段として、無人機とCIA要員や軍特殊部隊による「標的殺害」作戦を多用したことに注目する。

本書の中で評者(目黒)にとって強く印象に残ったのは、第6章「『オバマの正義』とビンラーディン殺害作戦」である。この章では、オバマ大統領が、どのように非公然型の「標的殺害」作戦を正当化したかが紹介されている。

オバマ大統領は、テロ集団がアメリカ国家の破壊を目指している以上、その指導者たちを「名指しで殺害する」ことは許される、否、むしろ、「標的殺害」は国家防衛の義務を負う大統領の責務ですらあると考えた、と杉本氏は指摘する。これは邪悪なテロ集団を武力によって処罰する刑罰戦争であるが、国家防衛のための自衛戦争でもあり、「正しい戦争」である。その一環として実行される「標的殺害」に問題はない、という考え方である。

一方で、杉本氏は、司法手続き抜きの殺害が合法かどうか、また、道義的に許されるのか、と問う。ビンラーディン殺害のケースでは、彼を捕捉し、裁判にかけられる可能性があったにもかかわらず、実行部隊への命令は「捕捉」ではなく、即「殺害」であったという。

裁判抜きで極悪非道の組織指導者を闇から闇に葬り、「正義が裁かれる」プロセスが見えなければ、「もう一つの真実」が絶えず再生産される、と著者は懸念する。実際に、イスラム圏では、ビンラーディンの死を信じない人が多いという。

杉本氏は、無人機攻撃も含めて、非公然型の標的殺害作戦が抱えるさまざまな疑問点を洗い出す一方で、オバマ大統領を評価する。ブッシュ・ジュニア大統領とは異なり、対テロ標的殺害に対し、まがりなりにも説明責任を果たそうとしたからである。

「標的殺害」作戦に関しては、オバマ大統領は、具体的な「ガイドライン」を作成し、すべての「標的」を確認した上で作戦にゴーサインを出したという。ビンラーディン殺害のケースは、特例として国民に報告する形で公表したが、他のほとんどのケースは公表していない。殺害を認める重さを部下に丸投げせず、一人で背負おうとした彼の中に、著者はアメリカの最高指導者であったオバマの懊悩と「孤独」を見る。

本書を読了後、評者に残った疑問がある。副題が「標的殺害とアメリカの苦悩」となっているのでやむを得ないことではあるが、著者が「標的殺害」を検証するにあたって、その視線はもっぱらアメリカ側の論理に注がれていることである。国連関係者などの見解を紹介してはいるが、作戦が行われた中東や南アジア諸国の政治指導者、識者などの反応への言及はほとんどなかった。

アメリカの政治指導者たちにとって、「標的殺害」は「正しい戦争」の一環でしかないのかもしれない。しかし、なぜ中東やイスラム圏で反米感情が渦巻くのか。その背景には、第二次世界大戦後、アメリカが同地域にどのように関与してきたのかという歴史がある。それは、アメリカ人の世界観と、それに由来する戦争観に関わる問題でもある。

このようなテーマは、本書の守備範囲を超えるものだったかも知れない。だが、この問題に踏み込んでこそ、「標的殺害」に頼らざるを得ないアメリカの現状を構造的に描けると、評者には思えるのである。

テロの問題は、中東や南アジアから遠く離れた日本にとっても他人事ではない。2020年のオリンピック、パラリンピック大会関係者の間で、テロ対策の重要性が語られている。

本書は、テロ集団にどのように立ち向かうかについて、多くのヒントを与えてくれる貴重な著作である。安全保障や日米関係に関心を持つ人々には是非お読みいただきたいと思う。

*『ターゲテッド・キリング~標的殺害とアメリカの苦悩~』(現代書館、2,200円税別)

著者:杉本宏氏(朝日新聞社教育企画部コーディネーター。ロサンゼルス、アトランタ、ワシントン支局特派員などを歴任)

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