いま、なぜ「歴史認識」を論ずる必要があるのか

現在と将来の日本にとって、歴史認識はなおゆるがせにできない課題である。中国が軍事大国化し、世界覇権への野心を公然と掲げるようになった今、日本は単独でこれに立ち向かうことはできない。
Reuters

いま日本では「嫌中・憎韓」という気分が世を覆っている。2012年夏、尖閣・竹島という辺境の小島に関する領土紛争が隣国との間に外交争点化され、さらに中国との間に武力衝突の可能性も発生して以来、日本では、20世紀前半をめぐる歴史認識を語ることを論外とする空気が拡がった。差し迫った危機を感じた結果、自らを隣国による攻勢の被害者と捉え、70年以前の過去を指弾するその声に耳を塞ごうとするようになったのである。

他方、中国の習近平氏は最近、世界に向かって、1945年当時の国際関係を想起させ、当時の友敵関係を現在の国際秩序の基本に据えようとのキャンペーンを始めている。第二次世界大戦後の日本が一度も戦争をしなかったという歴史的事実を無視し、現在の日本は大日本帝国と同一の存在であるとアピールしているのである。

その最中の2013年末、安倍晋三氏は靖国に参拝した。これは、習氏の主張を証明し、世界からの日本国民に対する信頼を損ないかねない行動であった。しかしながら、日本の世論がその危険性を認識しているとは言いがたい。むしろ、隣国からの非難が高まれば高まるほど、それに逆らう行動を賞賛する気分が高まっているのが実情である。集団安全保障をめぐる憲法解釈の大転換について大規模な反対運動が起きないのも、安全保障に関する不安感のためであることは間違いない。こうした空気の下で70年以前の過去を口にのぼせることが難しくなっているのは無理もないことである。

しかしながら、現在と将来の日本にとって、歴史認識はなおゆるがせにできない課題である。中国が軍事大国化し、世界覇権への野心を公然と掲げるようになった今、日本は単独でこれに立ち向かうことはできない。日本の安全は、米国を始め、世界の国々からの支持によって初めて全うできる。そのためには、日本への信頼を確保することが必須であるが、それには20世紀前半の過ちに対する適切な対処が不可欠なのである。かつ、現在の日本人に「歴史認識」は大きな重荷としてのしかかり続けている。日本人は戦後に行った平和への努力にもかかわらず、常に被告席に座らされることを運命づけられている。今後の日本人が心安らかに、誇りを持って生きるには、その負い目を軽減することが必須と言わねばならない。

この小論では、「歴史認識」への対処に、今後、どのような配慮が必要か、今までタブーとされてきた領域まで敢えて踏み込んで考え直してみたい。

1.なぜ現生の日本人は生まれる前に起きた問題の責任を問われるのか。

20世紀の前半、日本人は近隣地域を侵略し、支配した。日清戦争以前や第2次世界大戦後と異なって、当時の日本は広大な植民地を持つ帝国であり、隣接地域に対して武力行使を躊躇わない国だったのである。

この20年来、韓国・中国はこの事実を認識し、反省せよと日本人に迫ってきている。東アジアの「歴史問題」「歴史認識」という言葉は、過去の解釈という一般的意味でなく、「日本に過去の責任を問う」という特殊な意味を担っているのである。

しかし、ここには、深刻な倫理学的問題が潜んでいる。現在生きている日本人のほとんどは隣国に対して自ら危害を加えた記憶がない。1945年に生まれた人は2014年現在で69歳になっている。「戦後」に生まれた人々は戦争や支配に加担する機会がそもそもなかった。今の若い世代、例えば現在20歳の人々は、祖父母の世代が遠い過去に犯した罪を問われているのである。同様に、隣国の人々も世代を経ている。いま日本を糾弾している人々の多くは、自らは日本によって痛めつけられた経験を持っていない。

ここには、責任ある当事者と糾弾される人々との世代的乖離という問題がある。今の日本の若者は、自ら加害したことがなく、責任がないはずの自分が、なぜ、直接の被害者でない隣国の同世代から非難されるのか、合点が行かない。ここに、日本の若者たちが、「歴史認識」問題の存在認知を拒否し、隣国民を無視したり、ヘイト・スピーチに共感をよせたりする根源がある。(他方、純論理的には、日本の現行世代は、隣国に対して十分な謝罪と賠償をしてこなかった先行世代に対し、批判と追究をする権利があることになる)

刑法では、例えば、祖父が殺人を犯して行方不明となったとき、孫が代わりに逮捕・処罰されることはない。もしそうしたら深刻な人権侵害となる。この家族単位の責任継承と国家単位でのそれにはどこに違いがあるのだろうか。

祖父による殺人は普通、家族を維持するための行為と見なされない。家族単位の復讐倫理があった時代はいざ知らず、現在の殺人は個人の行為と見なされる。これに対し、国家による殺人は、国家の維持・発展のためという名の下になされる。したがって、国家が存続する限り、その中に生まれ育った人々は、責任を継承せざるを得ない。これを引き受けたくなければ、国籍離脱をするほかはない。

他方、いま時に、大規模な残虐行為を働いた国家は消滅させてしまえという声を聴くことがある。口に出さなくてもそう感じている人は隣国に少なくないかもしれない。しかし、その意味するところはもう一つのホロコーストである。人は自らの意志で家族や国を選んで生まれてくるわけではない。生まれによって無辜の人を罪するのは人道に反する。

したがって、歴史的過誤の問題は、国家自体が責任をとらねばならない。もしこうした国家レヴェルの過ちが放置されるならば、その国民は後の世代になればなるほど不当な負い目を背負うことになる。一般に、人は生きるなかで必ず大小様々の失敗をする。もし、それを償う方法が講じられないなら、罪は降り積もってゆく。人が正常な社会生活ができるのは、失敗や罪を償い、解消する方法が社会に備わっているからである。その基本は、罪を認め、謝罪し、賠償することである。国家レヴェルでもまったく同様に違いない。

20世紀の日本について言えば、東京裁判と講和条約、および韓国および中国との条約や共同声明(1965年、1972年)は、日本が国際社会に復帰するための必須の儀式であった。それらは、アジア太平洋戦争の指導者の責任を明らかとし、処罰することを前提として初めて可能となったものである。東京裁判がいかに杜撰だったとしても、これを否定することは修復された国家関係の基底を壊すことになる。もし、敢えてそうするならば、かつての被害国は報復する権利を手にすることを忘れてはならない。

戦後に生まれた日本人は個人として先祖の罪を背負う必要はない。しかし、国民である限り、責任の継承は不可避であり、それを担い、和解への基礎を創るのは国家の指導者以外にはない。政治家は国家・国民への責任を厳粛に自覚する必要がある。

2.なぜ、外国人による大量殺戮だけを問題化し、同国人によるそれを問わないのか。

20世紀前半の日本人による外国人殺害は、中国人だけでも少なくとも500万人を超え、1000万人前後に至った可能性が高い 。これは人類史上、もっとも大規模な殺戮行為の一つに属している。しかしながら、20世紀に中国人が中国人を殺した数も決して少なくはなかった。文化大革命の終了後、葉剣英元帥が中共中央工作会議で述べたところでは、文革の10年間で2000万人が殺されたという。別の文献では彼の挙げた数字は1000万人となっているそうであるが、いずれにせよ、この事件だけで大量の非正常死が出たと認識されていたのは間違いない 。大躍進、国共内戦、諸軍閥の抗争まで遡ると、辛亥革命以来の犠牲者の数は日本軍によるそれと大きな違いがあったとは思われない。人道の観点からすれば、いずれも20世紀という時代の暴力性を代表する事件に属していたはずである。

しかしながら、現代の中国では日本人による加害だけが語られ、同国人の間に生じた悲劇は語られない。なぜだろうか。いま文革を経験した中国人が当時について公然と語り始めたら、中国社会の秩序は維持できないに違いない。当時、誰が何をしたか、全員が記憶している。当時の子供を含め、誰もが加害者であり、同時に被害者でもあった。したがって、中国社会の秩序を維持するには、その内部に住む人は全員が沈黙を守らざるを得ない。国家の指導者は、同国人同士の争いを隠蔽するため、しばしば外国による危害を強調する。同国人と外国人を差別し、ダブルスタンダードで扱うのは人道的には問題だが、そうした国家利己主義は政治家の常套手段である。文革は、カンボジアの大量虐殺と同様で、その悲劇を経験した世代が世を去らない限り、社会秩序を維持するには沈黙を守る以外に術はないだろう。そうしたケースで尋常の倫理が通用しないことは、ある程度は理解可能である。とはいえ、文革以前の内戦はどうであろうか。その犠牲の姿を究明したら現在の秩序が崩れるとは遽には信じがたいことである。

しかしながら、筆者のごとき日本人がこれ以上、中国人同士の殺戮行為を論ずるのは、適切ではあるまい。日本人による外国人殺害について敢えて厳正な研究を行い、国籍を超えた人道という価値観を基準に批判を行ったところで、それは外国人が暴露を望まぬ事実の究明を正当化しない。日本人は先祖による加害責任をある程度は継承せざるを得ないゆえ、自ら慎しむことが必要となる。

とはいえ、加害・被害を論ずる場合、同国人と外国人にダブルスタンダードを適用し、同国人同士の問題、および自国による外国へ加害を度外視するのは、一般的に公平で文明的な態度と言えないのは確かである。

3.歴史事実の究明だけで和解への道は開けるのだろうか。

この20年、日本を含む東アジアの諸国民は現在と将来の平和に資するため、熱心に20世紀前半の日本人による加害行為を研究してきた。その結果、一部の日本人が時に漏らすことのある侵略否定や戦争肯定の言説は、直ちに証拠によって批判可能となっている。「日本軍国主義の復活」を防ぐという目的は十二分に達成されたように見える。

しかしながら、それは東アジアの平和と安定に貢献してきただろうか。研究者たちの関心は20世紀前半の日本による加害行為に集中し、世紀後半の日本人が行ってきた平和への努力や自己抑制を軽視してきた。そのため、隣国では、現生日本人はしばしば帝国時代の日本人と同一視され、絶えず自国を脅かそうとする存在と目されがちである。他方、戦争に懲りて一度も戦争をしてこなかった戦後日本人はこうした隣国民の認識に接すると、驚愕するだけでなく、自らの平和への努力の無視に無力感を感ずることが少なくない。20世紀前半の歴史の研究は、平和を保障するために行われたはずであるが、それが日本人と隣国民の和解に貢献してきたとは言えない。双方に和解への意志と配慮、そして努力がない限り、逆に日本と隣国との間に生じている反感の悪循環に新たな種を撒くだけに終わりかねないのである。

このような実証研究のアイロニーは、和解への第一歩であった国交回復をめぐる研究にも見られる。1965年の日韓条約とそれに付帯する措置は、現在、日韓両国の争いの種となっている。慰安婦問題その他、条約時に軽視されたり、認識されていなかったりした問題がいま韓国側から次々と提起されている。条約締結に当たって、日本側は 3億ドルを支払い、諸借款を供与した。その上で双方は請求権問題はすべて解決したと取り決めた。しかし、上記の問題提起の中には、条約自体に疑問を投げかけるものがある。また、日本側はその支払った金銭を「独立祝賀金」ないし「経済協力金」と名付けたが、この点への不満も依然としてくすぶっている。いま、両国の間に個別の案件が持ち上がると、和解の基盤をなしたはずの条約自体の解釈にまで遡った議論が始まり、両国民の対立をさらに深めかねない傾向が生じているのである。

このような危機状態を脱して真の和解に近づくにはどうしたら良いのだろうか。条約締結時の双方の事情をいくら調査しても不可能であることは間違いない。いずれの主張が正しいか否か、泥仕合が深まるだけである。もし真に和解を求めるのであるならば、むしろ1965年の議論を棚上げし、一連の協定に新たな意味づけをするほかはないだろう。すなわち、この時に日本側が韓国に渡した金銭は、「植民地責任」に対する賠償であったという合意を創り出すことである。今までの国際法に「植民地責任」という法理はない。しかし、1965年の日本側の行動はそれ以外に説明のしようがないものである。韓国側が主張してきた戦時賠償という法理は、韓国が日本と戦争したと認める国が世界にない以上、成り立たない。しかし、韓国側が本来求めてきたのは日本による「植民地責任」の認識ではないだろうか。後から振り返ってみれば、この時、両国は新たな国際法を創造していたように見えるのである。

今日まで、イギリスはインドに、フランスはアルジェリアやベトナムに、アメリカはフィリピンに「植民地責任」を認めたことはない。だからといって東アジアが欧米の先例に従う必要はない。むしろ、西洋追随を止め、自ら新たな国際法を創造するならば、それはこの争いの絶えない二国間関係に和解と安定の道を開くだけでなく、世界に対して新たなモデルを提供する創造的な行為として、賞賛されるのではないだろうか。

1965年の取り決めを改める必要はない。その際の対立も隠蔽する必要はない。それらは、時代の課した厳しい制約の中で双方の先人がぎりぎりの格闘をへて獲得した成果として、そのまま尊重すべきである。しかし、いま必要なのは、その後に認識された問題を解決できるような新たな枠組みを創造することである。ここで必要なのは新たな社会契約であり、歴史の拘束から敢えて身を剥がすことである。過去はいわば透明な棺の中に凍結し、その上に新たな基盤を創って、これを出発点とする。過去の事実を事実として記憶しつつ、しかも新たな物語を共同で創り、これを記憶する。このほかに和解への道はないのではないだろうか。

歴史記憶の書き換えは、政治による歴史の濫用の常套手段である。これを防ぐには、広範な資料探索と批判的読解、そしてその公開が必須である。しかし、それだけでは争いを和解に転ずることはできない。事実認識と別の次元に立って、新たな物語を創り、記憶すること、そうした意志を当事者が持つ以外に、和解への道は存在しないのではないだろうか。

1 臼井勝美『新版 日中戦争』中公新書、2000年、208-209頁。三谷博『愛国・革命・民主』筑摩書房、2013年、第1章。

2 李英著、小島晋治編訳『中国民主改革派の主張 中国共産党私史』岩波現代文庫、2013年、124,270頁。

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