国のリーダーの約束すら破る残念な国

「国会議員定数削減を来年度通常国会で必ずやり遂げる、それまでの間は議員歳費を引き下げる」という「身を切る改革」はどこに行ってしまったのでしょう。

約束が守られない国は信頼出来ない三流国です。結果として約束が実現できないということはしかたがないとしても、あえて守らないというのでは詐欺になります。それがかつての首相と今の首相との間でかわされた約束がいとも簡単に破られてしまいました。唖然とします。日本のリーダーの約束はそれほど軽いものかと驚かされます。

「国会議員定数削減を来年度通常国会で必ずやり遂げる、それまでの間は議員歳費を引き下げる」という「身を切る改革」はどこに行ってしまったのでしょう。いったん国民の前で約束をしたにもかかわらず、約束などその時の場をとりつくろうものにすぎず、政権をとってしまえば、勝てば官軍、都合が悪ければ破ればいいというのでは、情けないというか、恥ずかしいことです。日本も三流国だということでしょうか。

「国会議員の歳費削減の継続」には自民党はあまりにも消極的でした。石破幹事長が、「かつてに比べて大幅に歳費が下がっているという状況で、特に新人議員が政治活動に支障をきたす」と慎重な姿勢を示しておられましたが、約束を破る確信犯だというのに等しい発言でした。

「情」で地元とつながる、そのための交際費が馬鹿にならない、新人はとくに交際費がつづかないと選挙に落ちる、そんな実態があるからでしょう。政治にはカネがかかるというのはわかります。しかし、それが祭りへの寄付とか、香典などでカネがかかるというのはなんだか釈然としません。それは、「政治家」をつくるというよりは「政治屋」をつくることであり、見方によっては票を買うに等しいのではないですか。

しかも一国のリーダーの約束よりは、自民党員が選挙に勝つことのほうが重要なのかと言いたくもなります。

どなたか名前はあげませんが、若い頃は政策通で頭角をあらわしてきていた自民党の議員さんがいました。しかし、一度選挙で敗れ、「政策では選挙に勝てません。土下座し、手を握り、お涙を頂戴しなければ勝てないのです」としみじみと語り、その後はまるで人が変わってしまったように感じます。その考えが正解だったのか、見事、再選をはたし、現在はそれなりの地位についていらっしゃいます。ご本人としては戦略が成功し、現実に適応できたということですが、「政治家」であるまえに「政治屋」でなければ生き残れないということでは、なにか割り切れないものを感じます。

確かに「知」だけで考える政治というのも危ういとしても、複雑化し、高度化してきた現代で、日本が抱えるさまざまな課題を克服していくには、もっと「知」の政治が実現されるための政治の体質改善や、それにむかう政治の覚悟が必要じゃないでしょうか。そんな志と覚悟をぜひ見せていただきたいものです。

(2014年5月1日「大西 宏のマーケティング・エッセンス」より転載)

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