鯨と日本人について (On Japanese people and whales)

捕鯨については、一見、科学的な議論が行われているようにみえるが、実はその裏に、どちらの側も、歴史的、文化的、あるいは感情的なものに動かされた議論が大きな要素を占めているように思う。というわけで、4年ほど前にこのブログで書いた記事をちょこっと修正して再掲してみることにする。

オーストラリアが南極海での日本の調査捕鯨の差し止めを求め提訴した国際司法裁判所の裁判が最近、結審した。半年後、つまり冬には判決が出るらしい。

調査捕鯨:日本「条約順守」...訴訟が結審 国際司法裁判所」(毎日新聞2013年7月16日)

日本は豪州の提訴は「裁判所に管轄権がない」と主張、訴えを却下するよう求めた。豪州は「調査捕鯨はクジラを殺すのが目的」などと動物保護の世論を意識し、日本に攻撃的な議論を仕掛けたが、日本は「条約を順守している」と法律論で応じた。

グーグルでの検索結果などから見る限り、この件については、係争国である日本とオーストラリア以外のメディアでもほとんど話題になっていないように思われる。それ自体はまあしかたないだろうが、少なくとも、英語で見るとオーストラリアからの発信がほとんどで、日本のメディアからの発信がほとんどみられないのは、よろしくないと思う。

捕鯨については、一見、科学的な議論が行われているようにみえるが、実はその裏に、どちらの側も、歴史的、文化的、あるいは感情的なものに動かされた議論が大きな要素を占めているように思う。

というわけで、4年ほど前にこのブログで書いた記事をちょこっと修正して再掲してみることにする。これは鯨と捕鯨、及び日本の文化についての、私自身の考えである。このときはがんばって、なんちゃって英語でも書いてみたので(変な文章もあると思う。まちがってたらぜひご指摘を)、できればハフィントンポストとかで拾ってもらえるといいなあ、と。

The public hearings in the case concerning whaling in the Antarctic at the International Court of Justice were concluded yesterday. The Court will now begin its deliberation (Press release). The Court Judgment will be issued by this winter.

Google search result says, the trial has not attract enough attention from public, except medias of Japan and Australia, the parties in dispute. It is OK, but what seemes to be problematic is that Japanese medias have not reported so much on this issue in English.

At first glance, discussions on whaling look like something scientific, but it seems to me that the large part of the arguments of both sides are rather motivated to a greater extent by historic, cultural, and psychological reasons.

In this context, let me re-publish the blog post that I wrote four years ago, with slight modifications. This is my personal view on whales and whaling, and the Japanese culture.

以下は、2009年7月4日にこのブログで書いた文章を少し修正したもの。日本の海岸に打ち上げられた鯨に関するニュースについての話だ。リンク切れご容赦。

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「海岸に打ち上げられて死んだクジラを悼む」

日本からのちょっとしたニュース。

千葉の海岸に漂着したクジラ、力尽きる

(Japan Today: Friday 03rd July, 04:26 AM JST)

千葉県山武市の海岸に打ち上げられているところを発見されたマッコウクジラは、同市職員によると、木曜朝に力尽きて息絶えた。

千葉は東京の東にある。山武市は成田空港に近く、太平洋に面した小さな街だ。この記事は、なぜクジラを海に返すことができなかったのかについて、以下のとおり説明している(いや、これ書いとかないと批判されちゃうんだよね。実際、元記事にはそういう批判コメントがいくつかある)。

クジラが発見された際、市職員と地元漁業関係者が協議したが、人力で太平洋まで押し戻すのはあまりにも危険であり、船を使うには海が浅すぎるため、24時間体制で見守ることとした。

日本の報道機関もこのクジラに関するニュースを、その発見から死に至るまで熱心に伝えた。Google News をみると、この件に関して現時点で92件の記事があるようだ。他の記事では、市当局が海上保安庁に救出を依頼したが、海が遠浅であるため不可能だったこと(下の写真参照)、地元の幼稚園児たちがクジラを応援していたこと、漁業関係者が「助けられなくて残念」と話していたことなどが伝えられている(元記事にはこういうあたりがすっぽり抜け落ちてる。こういうところこそ伝えてほしいのに)。

日本での記事には、写真も出ている。これはクジラが死ぬ2時間ほど前の写真で、すでに動く力もないようだ(でないとこんなに近づけない)。地元の人たちが心配そうに見守っている。クジラの近くにいる男性が何をしているのかわからないが、他の記事には、このクジラが腹部(とあと尾びれ)から出血していたとあったので、なんらかの方法で痛みを和らげようとしていたのではないか。あるいは、クジラの体に水をかけていたのかもしれない。

「実際の」(ステレオタイプでない)日本人について知っている外国人であれば、この平和好きな人々が、少なくとも一般的には、自然好きであり生き物好きであることに気づいているだろう。日本人はポップカルチャーやその他のいろいろな人工的なものも大好きだが、同時に自然や多くの(すべてではないだろうが)生き物を愛している。その愛は人間だけではなく、哺乳類や鳥類、魚類に爬虫類、昆虫や植物、果てはバクテリアや粘菌にすら及ぶ。宮崎駿の有名な「風の谷のナウシカ」で巨大な虫や粘菌がどのように描かれていたかを思い起こすとよい(宮崎ファンなら知っているかもしれないが、ナウシカの話は、11世紀の「堤中納言物語」に出てくる「虫愛ずる姫君」の話にインスパイアされている)。また、「もやしもん」を見れば、その中でバクテリアたちが私たちの「友」として描かれていることがわかるだろう。

このような人々にとって、ある種の生き物を愛することと、それを食べることは、必ずしも矛盾するものではない。私たちは植物を愛しているがそれらを食べる。私たちは魚や鳥を愛しているがそれらを食べる。日本人で「今」クジラを食べる人は比較的少数かもしれないが、基本的なロジックは変わらない。私たちはクジラを愛しており、そして食べる。

私はこの分野には詳しくないが、このような考え方は、仏教に関係しているといわれている。輪廻転生の中で、人間以外の生き物に生まれることは、ある種の業を負っていることを意味する。人々は、これらの生き物が人間に食べられることによって、その魂が人間のレベルまで引き上げられる、と考えたのだそうだ。

そう考えれば、過去の日本人がクジラたちの墓を作ったのもむしろ当然だろう。日本には、「鯨墓」と呼ばれるクジラの墓が約100あるといわれている。捕鯨を行う地域では、寺にクジラの過去帳まである。死んだ人間に対するのと同じように、クジラの鎮魂をも願うためだ。 そしてその考え方は、現代の日本人の中にも受け継がれている。記事に、市当局と漁業関係者がクジラを「24時間体制で見守る」ことにした、とあったのを思い出していただきたい。それは単に「見ている」だけではない。死にゆく魂を「次の世」へと送り出す一種の儀式だったのだろう。

このような背景を知って初めて、元記事中のこの文章の本当の意味がわかる。

地元自治体では、このクジラを海岸近くに埋葬するよう検討している

そして彼らは実際にそうした。死んだクジラは、海岸近くの防風林内に埋葬された。彼らは、そのクジラを食べなかった。数百年前に誤って子どものクジラを殺してしまったある漁師が、その肉を食べず、代わりに鯨墓(京都の郊外にある)を建てたのと同じように。日本の他の地域に住む多くの日本人が、このかわいそうなクジラの死を悼んだ。この中には、クジラ肉を食べた経験のある人も数多く含まれるはずだ(数十年前、クジラ肉は学校給食の定番メニューだった)。このような意味では、市当局や漁業関係者が死んだクジラを悼む気持ちは、数百年前の漁師たちが、食料のほか工芸品、肥料などの原料を得るために殺したクジラを悼む気持ちと基本的には変わらないものといえよう。たとえ私たちのうち一部の人々が、ときどき、鯨肉を食べるとしても、私たちは海岸で死んだかわいそうなクジラの冥福を祈る。クジラを愛しているからだ。

仏教(少なくとも日本の)では、「山川草木悉皆成仏(生きとし生けるものはみな美しき仏の種を宿す、ぐらいの意味らしい)」と教える。このような考え方に基づけば、人工的に作られたあるいは育てられた生命も、自然に生まれ育った生命とその価値においてなんら劣るところはない。少なくとも生きている限り。このことは、英語圏で最もヒットした日本映画である「ポケットモンスター:ミュウツーの逆襲」(1998)の主なテーマの1つだった。英語圏の観衆は、このテーマが物語世界の外にもあてはまる話だということを理解していただろうか?この意味では、牧場で育てられた牛を殺すことは、クジラのような野生動物を殺すことと変わらず罪深い行為だ。私たちは皆、罪にまみれている。だからこそ祈るのだろう。それは神かもしれないし、仏かもしれないし、その他の聖なる存在かもしれないが。

もちろん私は、日本で捕鯨が行われていることに対して、世界の多くの人々から批判されていることを知っている。この問題について、生物多様性や自然環境のバランスの観点から科学的に議論するのであれば、まったく問題はない。もしある種のクジラが絶滅の危機にあるのであれば、そのクジラをとることはやめなければならない。しかしもし、単に考え方のちがいや好き嫌いに基づいて批判しているのであれば、場所によって慣習や文化はいろいろだ、と主張したい。

クジラがいかに知的な動物であるかというのは1つの主張だろう。それと同様に、すべての生き物が貴い、というのも1つの主張だ。鯨墓のほか、日本には、殺され食べられた家畜、駆除された害虫、伐採されたり食べられたりした植物、切花となって死んだ植物、ヨーグルトに使われたビフィズス菌、生物学の実験に使われた枯草菌その他、人が奪った命に関する墓や慰霊塔が数多く存在する。他にこのような習慣を持つ人々がいるなら教えてもらいたい。これは文化である。その少なくとも一部は歴史や宗教に根ざしているが、より重要なことは、その文化が現在でも脈々と生きているということだ。それは世界の一部の地域において、12月に七面鳥を食べたり、タコを食べなかったりするのと同じではないか。

社会は、数多くの人から成り立っている。ものの見方、考え方も多様だ。すべての日本人がクジラを食べるのではないし、すべての日本人が捕鯨に賛成なのでもない。それは、肉をよく食べる西側諸国にもベジタリアンが数多くいるのと同じだ(そういえば忘れちゃいけない。ベジタリアン食の歴史は日本を含む東洋のほうがはるかに古い)。つまり、「日本人はみんなクジラを食べるから野蛮だ」みたいなあらっぽい議論は、正しくもないし適切でもないってこと。日本人は多様だ。他の国の人々がそうであるように。批判したいなら国民全般に対してではなく、具体的な行為に対して行っていただきたい。

また、いくら日本では文化的、宗教的観点から生きとし生けるものを貴いと考える傾向があるとはいえ、動物を守るために人を傷つけることが許されるとは思わない。それはおよそ文明国の人間がやることではないし、法が許すところでもない。捕鯨に反対する「環境活動家」と呼ばれる人々の中には、どうも「テロリスト」と呼ぶしかないタイプの人が含まれているように思う。ある動物を守るために正当な理由なく他人に暴力をふるうテロリストを支持し資金援助を行う人々に、ある宗教や国を守るために正当な理由なく他人に暴力をふるうテロリストを支持し資金援助を行う人々が批判できるのだろうか。

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"Mourning for the dead whale by the shore"

The following is a from my blog post on 2009/7/4. titled "Mourning for the dead whale by the shore," with slight modifications. The story is about a news on a whale that was washed up on a Japanese beach. Sorry for broken hyperlinks.

A little piece of news from Japan:

Whale washed up on Chiba beach dies

(Japan Today: Friday 03rd July, 04:26 AM JST)

A whale that was found washed up on a beach in Sammu, Chiba Prefecture on Wednesday died Thursday morning, the Sammu city office said.

Chiba is located in the east of Tokyo, and Sammu is a small town close to the Narita Airport and facing the Pacific Ocean. The article continues to explain why they did not help it to go back to the sea.

When they found the whale, city officials and members of a local fisheries group decided to monitor it around the clock, thinking it too dangerous to use manpower to push it back into the Pacific Ocean or to use boats in shallow water to free it.

News media in Japan eagerly reported the news about the whale since it was found until it died. Google News counts 92 news articles on this topic so far. Other news articles report what the Japan Today's article neglected, including; the local officials asked the Japan Coast Guard to help the whale but they couldn't because the beach was too shallow for ships or boats (see the picture below); several dozen local kids tried to cheer up the whale; and local fishermen grieved for their inability to help it to go back to the sea.

An other news article (in Japanese) shows a photo. It was about 2 hours before the whale died, and it looked that the whale was unable to move already. Local people were watching anxiously. I do not know what the guy near the whale was doing, but news reports said the whale was spotted bleeding from its abdomen, so I guess he somehow tried to ease the pain of it. Or maybe he sprinkled sea water on the whale's body.

Those non-Japanese who know about "real" (not stereotyped) Japanese people would realize that, the peace-loving people, at least in general, are also "nature-loving" and "creature-loving." Despite of their enthusiasm for pop culture and all other kinds of artificial stuffs, they love nature, and many, if not all, kinds of living creatures. Not only human beings, but their love extends to mammals, birds, fish and reptiles, insects, plants, or even to bacteria or slime molds. Look at how Hayao Miyazaki depicted huge insects or slime molds in his famous "Nausicaä of the Valley of the Wind" (Fans of Miyazaki might know that Nausicaä was inspired by the story of "Mushi Mezuru Himegimi (Bug-loving Princess) in the "Tsutsumi Chunagon Monogatari" in the 11th century.). Watch "Moyashimon: Tales of Agriculture" and see how bacteria are illustrated as lovely friends of us.

For the people, loving other kinds of living things do not necessarily contradict with eating them. We love plants and flowers and eat them. We love fish and birds and eat them. The number of Japanese people who eat whales now are relatively small, but the logic is basically the same. We love whales and eat them.

Although I am not so familiar about this field, this way of thinking is said to be related to Buddhism. In the endless chain of lives of reincarnation, born as a non-human creatures means the soul has some kind of bad karma. People thought that by being eaten by human beings, the souls of these creatures were "raised" to the level of mankind.

So it is also natural for the past Japanese to build graves of whales. In Japan, there are about 100 whale graves. In regions where whale fishing was done, they even kept records of dead whales at temples, just as they did for dead people, to pray for the souls of whales. And this way of thinking is still alive among Japanese now. Remember the article above said that local officials and fishermen decided to "monitor it around the clock." It was not just watching it. It was a kind of ritual to send the dying soul to the "next world."

Knowing such background, you can understand the true meaning of the sentence in the article:

The local government is considering burying the dead animal near the beach.

And they did. The dead whale was buried in the woods near the beach. They did not eat the poor whale; it is just the same as what a fisherman hundreds of years ago who mistakenly hunted a child whale built a whale grave in suburban Kyoto, instead of eating it. Likewise, on the day the whale died in Chiba, many Japanese living in other places in Japan mourned for the poor mammal. Those mourning Japanese should include a substantial number of people who had experience to eat whale meat (Several decades ago, whale meat was one of major materials of school meal.). In this sense, the prayer the local officials and fishermen had for the dead whale was basically the same as what the fishermen hundreds of years ago had for the whales they killed for food, and materials for crafts or fertilizers. We love whales. Even if some (not many nowadays) of us, sometimes, eat whale meat, we mourn for the poor whale dead on the beach because we love whales.

In Buddhism (at least in Japan), they told that every life is valuable. Based on this way of thinking, the artificially generated or grown lives are nothing less valuable than naturally born or grown lives, as long as they "live." It was one of the main themes of the best-selling Japanese movie in the English-speaking world: "Pokémon: The First Movie" (1999). Did English-speaking audience notice that the theme could apply to the outside of the fantasy world? Killing farm-grown cows is, in this sense, nothing less sinful than killing natural animals like whales. We all are sinful. That is why we pray, maybe to the God, or to Buddha, or some other holy ones.

Of course I know that there are a number of people in the world who criticize Japan's whaling. It is OK to discuss the issue from the viewpoints of biodiversity or environmental balance as long as they are scientific arguments. If some kinds of whales are on the brink of extinction, we should stop whaling of them. But if the criticism comes from cultural difference or preference, I would argue that there are other cultures in other places.

How whales are intelligent maybe an argument, and every creature is valuable is another argument. Other than the whale graves, in Japan, there are many graveyards or memorial towers for killed and eaten livestock animals, exterminated harmful insects and termites, harvested plants, cut flowers, Bifidobacteria used for yogurt, Bacillus subtilis used for biological experiments, and so forth. Please tell me if any other peoples have such a custom. This is a culture, developed at least partially by history and religion; and more importantly, the custom is still alive. It is just like, in some places in the world, eating turkey in December or not eating octopus.

Every society is composed of many number of people. There are so various views and ways of thinking. Not all Japanese eat whale meat, not all Japanese support Japan's whaling. It is the same as that there are so many vegetarians in the meat-eating Western countries (Oh, by the way, do not forget that Japan and other cultures in the Eastern Hemisphere have far longer tradition of vegetarian foods.). So it is neither right nor adequate to make rough arguments like"Japanese are all barbaric because they eat whales." Japanese people are diverse, just as in the other countries. Accusation should focus on specific behavior, not on people in general.

In addition, despite that I think Japanese culture tend to treat all kinds of lives as valuable at least in cultural or religious contexts, I do not justify to harm people to "protect" animals. It is not what civilized people do, nor what the law asks us to do. Some anti-whaling "environmental activists" are nothing but terrorists. Supporting the terrorists who harm other people to protect some animals is the same as supporting the terrorists who harm other people to protect some religion or countries.

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(※2013年8月6日の「H-Yamaguchi.net」より転載しました)

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