もし東京が選ばれなかったなら(直近の報道でマドリード優勢というものもあるようだし)、それは福島のことが不安要素となったせいなのかもしれないから、それはそれでまた残念なことだ。しかしもしそうだとしても、前向きに考えたい。

ハフィントンポスト編集部からお題(お代ではない)をいただいたので、オリンピック招致について考えるところをつらつらと書いてみる。

2020年オリンピックの開催都市が、2013年9月7日からブエノスアイレスで開催されるIOC総会で決定されるらしい(決定は日本時間で8日早朝あたりとか)。候補として名乗りを上げている東京、イスタンブール、マドリードの3都市がこれまで繰り広げてきた招致レースもいよいよゴールを迎えるわけだ。ブックメーカーなどでの予想では、東京が44%、マドリードが29%、イスタンブールが24%。つまり東京が最有力なのだそうで、「関係者」の皆さんのテンションが上がるのも無理からぬところだろう。

Tokyo Olympic Bid Wins Odds Makers' Favor to Host 2020 Games(Bloomberg 2013/09/03)

Tokyo is the odds-on favorite to host the 2020 Olympic Games in the days before the winning city is announced, according to bookmakers.

では私自身はどうかというと、正直なところ、軽く憂鬱な気分になっている。

もちろん、東京でオリンピックが開催されれば巨額の経済効果があって景気回復に資する、というのは、まあ悪くないといえば悪くない話だ。東京オリンピック招致委員会が2012年6月に発表した試算では、経済効果は、一般飲食店業や宿泊、広告などのサービス業で6,510億円、建設が4,745億円、商業が2,779億円など、合計で約2兆9,600億円となっている。うち東京都で約1兆6,700億円、その他の地域で約1兆2,900億円というわけで、東京以外にも効果はある、ということらしい。

とはいえ、それらによって直接潤うのは建設関連と観光やら飲食やら関連の人たち、それから恒例のバカ騒ぎを繰り広げるメディアの人たちあたりだろうか。地元では混雑やら何やらでいろいろめんどくさいこともあるだろうし、終わった後どうすんだ的な話もあるだろうし。競技を楽しむという話なら、テレビで見ればすむわけで(そもそも地元だからといってそうそうほいほいと人気競技を見に行けるわけでもなかろう)、地元開催のメリットは、地元民の1人としては、あまり感じない。

というか、そもそも「メリット」を前面に押し出すオリンピック招致なるもの自体が気に入らない。招致委員会のサイトをみると、「メッセージ・コンセプト」のページの一番上にどどーんと、

今、ニッポンには

この夢の力が必要だ。

てなことが書いてある。「夢」って何だろうと思って、その下の「招致の動機」を見ると、まっさきに挙げているのは、「復興の加速と世界への感謝」。スポーツそのものではないのだ。曰く、

・東日本大震災の復興のプロセスを通して、スポーツの力は我々に元気や活気を与えてくれた。これからの日本の真の復興のためにも、世界最大の祭典といえるオリンピック・パラリンピックの力が必要。

だそうだ。つまり、東日本大震災の復興のためにオリンピックでの日本選手の活躍を見て、日本のみんなに元気を分けてくれ、ということか。いいたいことはわかるが、だったら別に、東京である必要はない。現に2012年のロンドンオリンピックでの日本選手の活躍は、私たちを元気にしてくれたではないか。

となると、「夢」というのはやはり、オリンピックを「起爆剤」とする公共事業やら何やらによる景気回復への期待、ということになろうか(どうでもいいがこういうときの「起爆剤」っていう言い方はバブル期にさんざん聞かされてそのお気楽さ加減に辟易した覚えがある。今でも嫌いなことばだ)。

【運命の9・7 東京五輪で変わる日本】首相トップセールスの舞台裏...五輪招致が安倍政権の命運に直結(zakzak 2013年9月5日)

首相の胸中を、自民党政調幹部が明かす。

「アベノミクスはここまでは何とか来たが、4、5月に発表した成長戦略は不評だった。秋の『第4の矢』も規制緩和や税制が中心で、あまり手がない。『今後、株価が下がり始めるのでは』という不安もある。そうしたなかで、マーケットが注目しているのが五輪招致。安倍首相にとっても『株価を牽引する起爆剤は東京五輪しかない』くらいの思いだ」

別に「スポーツは純粋であるべき」みたいな理想論をぶつつもりはないが、ここまで志の低い話だとさすがにげんなりする。YouTubeに上がっているプロモーションの動画を見ると、スポーツの感動を世界に、といった印象を受ける作りに一応はなっているわけだが、どうもその実、目がドルマークになった人たちやセレモニーででかい顔したい人たちの動きばかりが目立つように思う。

もちろん、招致活動に関わっておられる方々が皆こうだとは思っていない。しかし、全体として、金の匂いに群がる何とか、みたいな図式に見えてしまう理由は、たとえばスポーツ振興予算みたいなものからもなんとなく感じ取れる。細かく見てないのでざっくりした話だが。

平成25年度予算案において、「スポーツ立国の実現を目指したスポーツの振興」の予算額は24,327百万円となっている。前年度の23,542百万円から785百万円の増額となっていて、おお力を入れてるのかなと思うわけだが、中身をみると、「チーム日本競技力向上推進プロジェクト」2,299百万円などと並んで「国立霞ヶ丘競技場の改築準備に係る経費」2,142百万円が計上されていて、このあたりが増額の目玉となっている。全体の増額が8億円弱だから、この資料に書かれていないところで減額になったものがあるんだろう。競技場の改築はどうせ早晩必要だったと考えれば、正味としては、さして力を入れているように見えない。

しかも、じゃあ現状で充分なのかというと全然そんなことはないわけだ。 平成22年度文部科学白書には「各国のスポーツ関係予算(学校体育を除く)」なる比較表がある。

---- 文部科学省のサイトから引用(図表1-1-8)

----引用元URL:

要は、日本は諸外国に比べて対GDP比でのスポーツ関係予算が段ちがいに少ないというわけだ。そのことの直接的な結果かどうかはともかく、オリンピックに参加する選手のうち少なからぬ割合の人たちが収入面であまり恵まれない立場にいることは、メディアでもたびたび伝えられている。引退した元選手たちの中にはセカンドキャリアで悪戦苦闘している人も少なくないと聞く。

もちろん競技会場を始めとする施設整備もスポーツ振興の大きな要素であることは否定しないが、スポーツの「感動」がもたらす経済効果に鼻をふんがふんがさせている人たちが、同じぐらいの熱意をもって、その「感動」を生んでくれる選手たちに直接もっと金をじゃんじゃんつぎこめと主張してるようには見えないのはなぜなんだろうか。「やりがい搾取」じゃないかと言われたら言い返せるんだろうか。

もう1点。東京が2020年オリンピック・パラリンピック開催都市への立候補を表明したのは2011年7月16日だった。東日本大震災から4ヶ月ほどたったころだ。東京も被災したところはあるが、東北の比ではない。復興を旗印にするのなら、なぜ東北でなかったのだろう。「震災復興を加速したいからオリンピックを開催させてくれ」といいながら場所が東北ではないというのは、看板に偽りありっていうことにならないのか。

東北で開催する案にしてくれれば両手を上げて賛成したのだが、東京でとなると、その意味でもあまり乗り気になれない。もちろん、東北にオリンピックを開催するに充分な設備やインフラなどがあるのかという問題はあるわけだが、それこそ、東北復興の目標として掲げるに値する、招致委のことばを借りれば「夢」ではないかと思う。1964年の東京オリンピックが戦後日本の急速な「復興」のドライビングフォースとなったように。

報道によれば、他都市をリードする日本にとってのアキレス腱は「Fukushima」である由。放射能による健康被害に関していうなら、JOC竹田会長が言われる通り、少なくとも東京で懸念するような状況でないことは客観的には明らかだが、事情を知らない海外の人々の懸念をなかなか払拭できないのはわからなくもない。

Fukushima failures threatening to derail Tokyo's 2020 Olympics bid (The Telegraph 2013/09/05)

The majority of the questions at Wednesday's opening press conference to promote Tokyo's bid focused on the impact radiation from the crippled plant would have on athletes and visitors.

何せ、日本人の目からしても、政府にせよ東京電力にせよ、情報を積極的に公開して信頼を得ようという態度には見えないし、汚染水問題にせよ原発自体の事故処理作業にせよ、事態がまだ流動的すぎる。

招致委員会サイトの英語サイトでは、

Tokyo 2020 guarantees delivery.

Our bid is based on rock-solid foundations.

Tokyo will deliver certainty in uncertain times.

と謳っている。東京は安心だといいたい気持ちはわかるが(そして実際そうだろうが)、海外からはとてもcertainな状態とは見えないだろう。私自身はエネルギー源として原発は当面必要と思っているが、高濃度(実際の影響度はともかく高濃度であることにちがいはない)の汚染水漏れが続き、「当初思ってたより深刻」といった情報が相次いで出てきている中で、招致活動の責任者たちが「東京は安全です」とニッコリ笑ってるのは、たとえ情報として正しかったとしても、コミュニケーションとしてさすがにスジが悪いと思う。そういう態度が逆に不安をかきたてることがわからないのだろうか。復興のためにオリンピックをっていうふれこみなのに、被災地である福島の現状をさておいて東京の安全性を強調しているのも一貫性がないし、第一、福島の人たちに対して失礼千万な話だ。

五輪招致、汚染水漏れで東京守勢 会見で「安心」空回り(朝日新聞2013年9月5日)

東京が現地で初めて開いた会見では海外記者から事故への質問が相次ぎ、竹田恒和理事長が「福島と東京は250キロ離れている」などと説明に追われた。東京の最大の売りは「安心・安全」。事故が、その主張を根底から揺るがしかねない流れだ。

ともあれ、あと数日で決定は下される。もし東京が選ばれたなら、個人的には不本意だが、招致関係者の方々にお祝いを申し上げたい。今後東京のあちこちで工事が進むことになるんだろうが、それと併せてぜひ、2020年までに、選手やメディア、観光客の皆さんに、復興した東北の姿を見ていただけるよう、国が前面に立って全力をつくしてもらいたい。福島第一原発についても、その時点ではまだ燃料棒が残っている状態だろうが、少なくとも今海外から持たれている不安を解消するところまでもっていってもらいたい。東浩紀さんたちが福島第一原発観光地化計画を提唱しているが、可能ならそれともからめたりして、福島も訪問してもらえるようになるとなおいい。もちろん福島でも原発から離れたところはふつうの観光地として訪れてもらえるようになるといい。

もし東京が選ばれなかったなら(直近の報道でマドリード優勢というものもあるようだし)、それは福島のことが不安要素となったせいなのかもしれないから、それはそれでまた残念なことだ。しかしもしそうだとしても、前向きに考えたい。今度は時期を選んで、東北での開催を狙っていただくといいのではないか。地震や津波の被災地にせよ原発事故の周辺地にせよ、復興はまだまだこれからという状況だが、だからこそ、東北で開催できる状態まで状況を改善して、オリンピックという機会を通じて世界の人々に見てもらえたらと思う。別にその次の2024年にこだわる必要はない。もちろん早いにこしたことはないが、できるタイミングでいい。

もしそうなったら、そのときは全力で賛成、応援したい。

(※2013年9月6日の「H-Yamaguchi.net」より転載しました)

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